『2』
オリエンテーションが全て終了し、放課後を迎えた。
委員会などに入っている者はこの時間から活動を行い、他の者は帰宅をするか、民間人から寄せられた依頼をこなしたりする。
しかし、本日入学したカレンたちはそのような活動はできないので、すぐに帰宅する生徒が大部分を占めていた。
ちなみに、勇者学校は全寮制なので生徒たちは皆が寮で寝泊まりをしている。
「ここが女子寮ね」
カレンの目の前に建っているのは、新築同然で木造の建築物。
大きさはカレンの実家の三分の一ほど。分かりやすく言うと、都心に設置されているデパートと同じくらいだ。
「なんだ。綺麗じゃない」
親が現役の勇者とだけあって、今まで豪勢な暮らしをしてきたカレン。
そんな彼女にとって、毎日疲労した身体を休ませる自宅だけはこだわりがあり、かなり不安視していた。
だが、外観を見る限り特に気になる点はない。むしろ、彼女が想像していたモノより数段良い造りだった。
「これならアタシでも住めそうだわ」
ひとまず安堵すると、カレンは一人で寮の中へと入っていった。
☆
寮の内部も貴族を親に持つカレンが納得するくらい、清潔感があり麗らかであった。
「なかなかやるじゃない」
勇者学校の寮に満足しつつ、カレンは自分の部屋を探すため足を進める。
暫く廊下を歩くとようやく自身の部屋を見つけた。
「ここがアタシの部屋ね」
カレンはドアノブに手を伸ばし、扉を開けた。
すると、部屋の中も家具などが綺麗に整頓されていて、広さは畳八畳ほどと貴族の娘には若干物足りないが、それでも暮らすには十分であった。
しかし只今、そういった生活面とは別の問題が発生していた。
「アンタ誰よ」
カレンの視線の先には、琥珀色に髪をボブヘアーにしている幼げな顔立ちの少女。
カレンと同じ制服を着ているので、どうやら彼女は勇者学校の生徒のようだ。
「えっ! な、なんでここに人がいるのです?」
「それはこっちのセリフよ。ここはアタシの部屋よ」
「ま、まさかここにも住人が入ってきたのです!?」
カレンに睨みつけられると、少女はぶつぶつと呟きながら傍らに置いていた鞄に彼女のモノと思われる荷物を詰める。
「す、すみませんでしたなのですっ!」
全て鞄に入れたのち、少女は頭を下げると颯爽と部屋から出て行った。
そんな彼女に首を傾げるカレン。
「一体なんだったのかしら?」
少女の正体に疑念は抱いたが、それ以降一度も姿を現さなかったので、カレンは特に気に留めなかった。
そして、ようやく彼女は入学初日を終えたのだった。
☆
翌日、カレンたちはやっと本格的な授業を受け始めた。
だが、入学して間もないことだけあって、授業内容は『魔獣と世界について』という初歩的なモノだった。
「つまり、魔獣という存在は人間を滅ぼすために異世界へと繋がる穴――異界穴隙からこちらの世界へ侵入してきたのです」
教科書を丸暗記したような言葉をペラペラと並べる担任教師――桜花 藍。
(なんで今更こんなことを学ぶのかしら。理解に苦しむわ)
魔獣による襲撃、人間と魔獣による戦争については、英国では勇者を目指す者そうでない者に関わらず幼少期から学ぶ事柄だ。
(これがいわゆる“復習”ってやつかしら。でも、同じことを二回学ぶなんて実に無駄ね)
なんて思っていると、一つ目の話が終わり、次に藍は魔王について話し出した。
だが、これもカレンは習ったことがある内容だ。
魔王――世界各地に出現し、各国の領土を侵略してくる魔獣たちの最上位の座に君臨する存在。
現在、それは全部で七体いると言われている。
しかし、数年前。
とある人間が未だに倒したことのなかった魔王の中の一体を殺したという噂が流れた。
それもたった一人だけで。
だが、トップクラスの勇者が十人以上集まって、ようやく同等に戦える魔王をわずか一人で殺したというのは、余りにもあり得ないことで、最終的には何者かが遊び半分で流したデマとして処理された。
「なんて話もあったんです。ですが結局、誰かが広めた嘘ということで片づけられて、世界に現存する魔王も七体のままだそうです」
藍がようやく魔王の話を終えた。
(随分と無駄に長い話だったわね)
そう思いながらカレンがつまらなそうに大きくあくびをすると、授業終了を知らせるチャイムが鳴った。
すると、彼女の表情は一転し、嬉しそうに笑みを浮かべる。
(ふふっ、次は剣士科の授業ねっ!)
☆
勇者学校では異なる二パターンの授業が実施されている。
一つはクラス単位で行う座学の授業。
もう一つは学科ごとで行う実戦形式の授業だ。
ちなみに、学科は剣士科、槍使い科、アックス科、弓科、魔術師科、召喚士科……等々。
計数十個がこの学校に設けられていた。
「よく聞け! 私は貴様らの指導をすることになった桜花 麗だ! かつては勇者という職に就いていた!」
カレンが属する剣士科はグラウンドへ呼び出されると、整列をさせられたのち、彼女たちの目の前で学科担当の教員が名乗った。
昨日のオリエンテーションでは、一度も見なかった女性だった。
長い黒髪に、透き通ったような白い肌。
勇者という職に就いているためか、凛とした瞳は鋭さを秘めており、それが端正な顔立ちと相まって、同性でも見惚れるほど美しい。
「では、早速だがこれより実戦を想定した訓練をしてもらう。まず均等な数で列を四つ作れっ!」
麗の言葉に従い、生徒たちは等間隔で列が四つになるように並んだ。
剣士科の生徒は一年生だけで約百五十人。
一般の学校と比べたらこれだけで一学年の人数に匹敵するだろう。
このように勇者学校は通常の学校とは違い、全てにおいてハイレベルだ。
学校に在籍する生徒の数、敷地面積の大きさ、生活面や戦闘訓練などの設備等々。
グラウンドにおいても、剣士科の生徒が全員入っても有り余る広さを持っており、それが学校内には合計十個ほど設置されている。
「よし。列を作ったな。ならば、隣の列と向かい合うように身体を横へ向けろ」
麗が指示を出すと、生徒たちは隣の列と相対するように身体の向きを変える。
「これより自分の向かいに立っている相手同士で戦闘訓練を行ってもらう。しかし、武器は剣ではなくこれを使え」
麗がパチンと指を鳴らすと、ずらりと並んでいる各々の生徒の前に木刀が現れる。
「本物の剣を使って誤って死なれても困るからな。低レベルな貴様らにはこれで十分だ」
上からの物言いに生徒たちが反抗的な目を向ける。しかし、麗は一切気にせず話を続けた。
「とりあえず相対している者と二分間撃ち合え。
その後、私の合図で左から一番目、三番目の列は右へ、その他の列は左へ、一人分移動しろ。
それから、再び私が合図をしたら向かいにいる奴と撃ち合え。
これを数回繰り返す。いいな?」
麗の呼びかけに生徒たちは誰も返事をしない。
どうやら彼女は生徒たちに嫌われてしまったらしい。
それを察すると麗は腰に身につけていた鞘から剣を抜き出したのち、思い切り振り下ろす。
最初は何もないところで剣を振るう麗の行動に戸惑っていたが、やや経ったのち、彼女から数百メートル先に生えている巨大な木が真っ二つに折れた。
そう。麗は剣を使用して、自分よりかなり距離の空いた大木を斬ったのだ。
「あの木のようになりたくなかったら、死ぬ気で撃ち合えよ。いいな?」
麗に鋭く睨まれると、生徒たちは大きな声で「はい!」と返す。
(どいつここいつも、あんな女にビビっちゃって情けないわね)
そんな中でも、カレンは変わらず平然とした態度を取っていた。
当然、麗の言葉に返事なんてしていない。
「では、全員構えろ!」
麗がそう言うと、カレンも含め全員の生徒たちが手に持った木刀を構える。
カレンの目の前にいる生徒は、剛腕で体格も良く明らかに強そうな男だった。
見た目だけで判断するなら、誰もがカレンより男の勝利を支持するだろう。
男自身もそう思っているのか、小さくて細いカレンを眺めて笑っていた。
(ホントこの国ってバカしかいないのかしら)
カレンは心中呆れていると、不意に麗の声が耳に届いた。
「始めっ!」
彼女の合図によって、一斉に生徒たちが打ち合い出した。
カレンの対戦相手である屈強な男も、一気に彼女との距離を詰めてきた。
しかし、男より遥かに上をいくスピードで接近すると、カレンは木刀を横凪に払った。
それは男の腹部に直撃し、彼は嗚咽したのちその場に倒れ込んだ。
「弱すぎるわね。まるで話にならないわ」
悶絶する男を見下ろして、カレンは吐き捨てた。その後、彼女は男の胸元に目をやる。
彼の左胸には花の形をした小さな記章が付けられていた。色は白。
(こいつごときがホワイトなの。やっぱり日本のレベルは低すぎるわね)
日本の勇者学校には、どこにもランキング制というシステムが存在する。
これは同じ学年内のみで行われ、所持しているランクポイントがより多い者から順位を定めていく制度だ。
ランクポイントとは学校に対する貢献度や、単純な戦闘の強さによって決まり、校内の掲示板に貼られている依頼をこなしていくか、生徒同士で戦闘を行う――模擬戦で勝つことによって、ポイント数は増えていく。更新は一週間に一回。
また、ランキング制により順位を付けられた生徒にはそれぞれの位置づけによって『カラー』というモノが決定される。
それはランキングの上位から数十名ごとに区切られ、そのグループによって決められている色の記章のことだ。
上位から、黒、白、赤、紺、緑、青、灰という色の記章を身につけなければならない。
ちなみに、只今カレンに瞬殺された男の記章は白。つまり、学年で二番目に強い組に属しているということだ。
(いくら入学試験のみでポイントが付くからって、こんな弱い奴がホワイトにいるようじゃダメね)
新入生はどの生徒も依頼や模擬戦をやったことがないので、彼らの『カラー』は特別に入学試験によって得られたランクポイントのみで定められる。
当然、カレンは最上位グループの黒だ。
そう思いながら、カレンはなぜ父親――アベルがこんな国に自分を連れてきたのか、ますます疑問を抱く。
(本当に日本に世界最強の勇者なんているの?)
入学してわずか数日で、既にアベルの言っていたことが信じられなくなっていた。
しかし、それも仕方がないことかもしれない。
なにせ日本が生み出す勇者の質は世界的に見ても決して高いとは言えず、平均もしくはそれ以下のクオリティーであることは間違いない。
「全員の戦闘が終わったな。ならば、先ほど言った通りに移動しろ」
麗が指示をすると、彼女から見て左から一番目、三番目列の生徒は一人分右へ、その他は一人分左へ動く。
こうすることによって、撃ち合いをする相手が被らなくて済むのだ。
それから数回、カレンは様々な生徒たちと撃ち合いをしたが、どれも一瞬で彼女が勝利していた。
「はぁ。ちょっとは期待していたけど、どいつもこいつも論外ね」
カレンは呆れるように一人呟く。
(アタシはまだ三割程度しか力を出してないのよ。せめて半分くらいの力で戦わせて欲しいわね)
練習にすらならない、とそんなことを思っていると、次の対戦相手がカレンの前方に現れた。
細身で至って普通の男。
これといった特徴もなく、その辺に歩いている一般人となんら変わりがない。
(コイツ、本当にこの学校の生徒なの?)
そう疑ってしまうくらい、目の前の男は全く勇者向きではなかった。
しかし、カレンと同じ制服を着ている以上、彼も勇者を志す者の一人なのだろう。
「準備はできたな。それでは始めっ!」
麗の声が響き渡ると、他の生徒たちは打ち合いを始めた。
だが、カレンの前にいる男は一切動こうとはせず、それどころか木刀を構えようとすらしない。
(なんなのコイツ)
何かの作戦なのだろうか、そう考え警戒するカレンだが、それ以降も男は木刀を振るうことはせず、じっと立ったままだ。
「ちょっとアンタ! さっさとかかって来なさいよっ!」
しびれを切らしてカレンがそう言うが、それに男は微塵も反応しない。
(っ! コイツ……)
イライラが頂点に達したカレンは木刀の剣先を男へと向け、戦闘態勢に入った。
「そっちが来ないなら、こっちから攻めてやるわよ! 覚悟しなさい!」
カレンはそう叫ぶと、地面を力強く蹴って一気に男との距離を縮めた。
もう木刀の攻撃範囲内だ。
「無様に倒れなさい!」
カレンは目の前にいる男の腹部に狙いを定めて、木刀を横凪に払った。
素早い攻撃に男は全く反応できていない。
(これでまたアタシの勝ちね)
カレンは勝利を確信した。
だが、斬撃が当たる直前、打ち出した木刀は何かに弾かれ、彼女の手元から離れた。
「……え、いま何が起こったの?」
カレンは何も握られていない自分の手を眺めたのち、後方に落ちている木刀に視線を移す。
「ど、どういうことよ……」
混乱する中、カレンは前方に視線を戻すと、先ほどまでピクリとも動かなかった男が剣先を天高く上げていた。
そこでようやく彼女は状況を理解した。
(まさかコイツ、アタシの剣を弾いたのっ!?)
あり得ないと思いつつも、それ以外は考えられなかった。
おそらく、カレンの一振りが当たる寸前、男は木刀を振り上げて彼女の攻撃を防いだのだろう。
「……ふわぁ」
衝撃が走った。
いま男はあくびをしたのだ。
学年トップの成績で、勇者学校に入学したカレンを前にして。
「……アンタ、調子に乗るんじゃないわよ」
怒りで震えた声を出した後、カレンは徐に木刀が落ちている場所まで足を進める。
そして、木刀を手に持つと身体を男に向けて構えた。
それは先ほどまでとは違い、やや殺気が溢れていた。
「次は半分の出力で斬ってあげるわ。もしかしたら死ぬかもね」
そう口にすると、カレンはさっきとより数倍速いスピードで、今度は男の背後に移動すると彼の後頭部めがけて木刀を振り下ろした。
しかし――。
カンッ! と音を出したのち再びカレンが持っていた木刀は、はじき返された。
「っ!」
それに動揺したカレンは一旦後退し、体勢を立て直す。
彼女の視界には木刀を横凪に払っていた男の姿が映っていた。
(コイツ……)
二度目の斬撃を防御されたことによって、カレンはようやく理解した。
目の前に佇んでいる彼は、他の生徒とは圧倒的に違う。
そうでないと、カレンの一撃をこうも容易く防ぐことはできないだろう。
「アンタ、なかなかやるわね」
手に持った木刀を肩にのせ、カレンは口元をニヤッとさせる。
日本に来てから今日まで、自分とまともに戦える相手がいなかった彼女にとって、目の前の男の存在はさぞかし嬉しいことなのだろう。
「でも、次はどうかしら」
カレンは姿勢を低くして、地面に足を踏み込んだのち、思い切り蹴り上げた。
すると、彼女の身体は瞬時に男の懐へと入った。常人には瞬間移動したように見えるほどの圧倒的なスピードだ。
「これで終わりよ」
カレンは男の鳩尾に照準を定めると、一気に木刀を突き出した。今までより倍は速い攻撃。
(今度こそ、アタシの勝ちよ)
カレンがそう思っていると、唐突に男の身体が彼女の視界から消えた。
「っ!? なんですって!」
渾身の突きを外し、カレンは辺りをキョロキョロと見回す。しかし、どこにも男の姿はない。
(一体どういうことなの? それにアタシの攻撃が一回も当たらないなんて)
彼女が戸惑っていると、やや離れた場所から麗の声が耳に届いた。
「そこまでっ! これにて、本日の剣士科の授業は終了する」
彼女の言葉に、生徒たちが一斉に倒れだした。何度も戦闘を繰り返して疲弊したのだろう。
だが、そんな中で二人だけ立っている者がいた。
一人はカレン・ベルージ。もう一人は、先ほどカレンの攻撃を幾度も防いだ男子生徒だった。
さっきまで、カレンと撃ち合いをしていたはずの彼は、なぜか麗と会話を交わしていた。
しかし、彼は非常に嫌そうな表情を浮かべている。
(一体なんなのよ)
疑念を抱きながら、カレンは男の胸元に視線を移す。
すると、彼には生徒が必ず身につけている記章――『カラー』がなかった。
それゆえ、彼が学年でどれくらいの強さなのかがわからない。
(ホントに何者なの、アイツ)
そんな疑問を残しながら、カレン・ベルージの初めての実戦形式の授業は終わった。