『26』
「わたしは勇者になる資格なんてないのです」
英人の部屋で、シンシアはぽつりと呟いた。
彼女は自分の命と仲間の命を天秤に賭け、前者を選んだのだ。
そのことが彼女の中で今でも後悔として残っている。
それゆえ、シンシアは魔獣とは戦わない。
自分にはそんな権利はないと思っているからだ。
それにもし彼女が魔獣と戦ったとして、以前と同じように再び仲間を見捨ててしまうかもしれない。
そんな恐怖がシンシアを支配し、魔獣と対峙できなくしている。
ジャイアントオークの一件があっても、シンシアには生徒たちから多数の依頼の誘いがあった。
だが、彼女はそれらを全て断った。
理由は、今しがたシンシアが言ったことと同じだ。
しかし、シンシアが不登校になったのを知った生徒たちは彼女の部屋にまで誘いにくるようになった。
故に、シンシアは生徒たちに見つからぬよう、数カ月経つたびに寮の空き部屋を探しては泊まっていたのだ。
現在は英人の部屋の居候となってしまったが。
「確かに、勇者は国や人を守る立場で、仮にもそれを目指そうとしているやつが仲間を見捨てるなんて、最低だ」
「……そうなのです。ですからわたしは英人さんの役に立てないのです」
シンシアは床に足を抱えて座りながら、寂しげに目を伏せる。
いつもグータラ寝ている人物とは到底思えない。
「だがなシンシア。それは一般論だ。俺、個人的にはお前が仲間を見捨てたことは全く悪いことだとは思っていない」
英人の言葉を聞いて、シンシアは驚き顔を上げる。
すると、彼は続けて語った。
「いいか。もしお前が魔獣と戦っていたら、きっと手も足も出ずに殺されていた。結局、全滅だ。違うか?」
英人の問いに、シンシアは顔を俯かせる。
これは肯定していると捉えていいだろう。
「なら死にかけのやつなんて置いて、お前だけでも逃げて一人でも助かった方がマシだろ。それにお前は貴重な治癒系の異能の持ち主なんだからな」
「そ、そんな言い方……ひどいのです」
シンシアは言い返すが、その声に力はない。
彼女もどこかでわかってはいたのだ。
ジャイアントオークに襲われた時、自分が奴と戦ったとしても仲間は助けられず、ただ死ぬことくらい。
しかし、どんな状況であれ己の命が可愛くて仲間を見殺しにしたことは紛れもない事実。
その事実が、シンシアの中で深い傷となり、彼女を動けなくしてしまっている。
「俺はお前の選択を否定はしない。だが、正しいとも言わない。そりゃ仲間を助けに行って死んだほうがカッコよかったかもしれないしな」
昔、英人は北の死線――戦場を経験した。
そこには様々な勇者がいて、仲間の命を守るために死んでいった者も少なくなかった。
しかし、その一度だけ守られた勇者も翌日の戦場で死ぬなんてザラにあった。
誰かを助けたとしても、助けられた者が長く生きられるとは限らない。
要するに、自分の命を投げ捨て他人を助けることも、仲間を見捨て自分だけ生き残ることを選ぶことも、選択としては決して間違っているとは言えない。
ましてや、シンシアの場合は仲間の救出に向かっても、十中八九死んでいた。
彼女が起こした行動を侮蔑するのはあまりに残酷だ。
「シンシア、お前の選択は悔やむべきことじゃない。だが、誇るべきことでもない。
仲間を見捨てて逃げた、その事実は決して忘れちゃいけない」
それを無言で訊くシンシアに、英人は続けてこう言った。
「でもなシンシア。お前の過去の行動に意味を見出せなくなったら、そうなったら本当に終わりだぞ。勇者を目指す者としても、人としても」
それが耳に届くと、シンシアは目を見開いて顔を上げた。
「意味……なのです?」
「そうだ。お前は何のために仲間を見捨てて逃げた? ただ生きるためか?」
「それは……」
シンシアはこくりと頷く。
それはおそらく本当のことだろう。
シンシアは仲間の命を見捨てて、ただ生きたくて必死で逃げたのだ。
「だが、それはその時の感情だろ。よく聞け、シンシア。過去の行動の意味付けなんて、これからの行動でどうにでも変えられるんだ」
「え、えっとそれは一体……」
困惑するシンシア。
そんな彼女に対し、最後に英人はこんな言葉を放った。
「例えば、お前が仲間を見捨てて逃げたのは、自分だけが生きるためじゃない。死んだ仲間以上の数多くの命を救うためだった、とかな」
笑みを浮かべながら英人が言うと、シンシアの表情が変わった。
まるで先ほどまでの暗鬱とした表情に一本の光が差し込んだようだった。
「わたしは……誰かを助けようとしてもいいのです?」
シンシアの言葉に、英人は「あぁ」と答える。
「でも、もしかしたら仲間を置いてまた逃げだすかもしれないのです」
「その時はしょうがねぇから俺がその仲間を救ってやるよ。俺は強いからな」
英人は自信ありげに自身の胸に親指を当てる。
その姿はシンシアがあと一歩踏み出すには十分過ぎた。
「そうですか。ならお言葉に甘えさせて頂くのです」
シンシアは笑顔を見せると、着用しているローブの中から杖を取り出した。
木で作られた二十センチほどの杖だ。所々に蛇のデザインが入っている。
「それがお前の固有武器か?」
「そうなのです。アスクレピオスの杖なのです」
杖を自慢げに見せつけた後、彼女は扉のドアノブに手を掛けた。
「では、行くのです」
そう言って、シンシアは自ら扉を開けたのだ。
☆
英人がシンシアを説得している頃、グラウンドに残ったカレンは幾多の魔獣と戦闘し、殺していた。
「ったく、数が多いったらないわね。キリがないわ」
そうぼやいて、カレンは剣を振るい刀身に付いた血を払う。
グラウンド内には依然八十体弱の魔獣が暴れ回っていた。
「ったく、なんでこんなに数が減らないのかしら。まあ理由はわかってるんだけどね」
おそらく学校のどこからか魔獣が送り込まれている。
それを断ち切るには送り込んでいる何者かを殺すか退散させないかぎり、永遠に魔獣は増え続けるだろう。
「っ! 来たわね」
視線の先――四足歩行の魔獣と飛行型の魔獣が十体ほどいる。
こちらに向かって来ているようだ。
「ここは絶対に通さないんだから」
カレンは後方で倒れている生徒たちを見たのち、剣を構え魔獣たちへと一直線に駆ける。
「燃え尽きなさい」
カレンが剣先を飛行型の魔獣に向けると、身体に纏っていた紅蓮の炎はらせん状に回転を描きながら、魔獣たちへと接近していく。
それに気づいた飛行型の魔獣は必死で逃げるが、紅蓮に染まった炎はどこまでも追尾し、飛行型の魔獣たちを一匹残らず焼き尽くした。
すると、突然死角から五匹ほどの四足歩行の魔獣が襲ってきた。
だが、女神剣を持った彼女に死角はない。
「死になさい」
すぐさまカレンは半回転して魔獣たちを切り裂いた。
その後、残りの魔獣たちにも全て斬撃を食らわせ、絶命させた。
「全く。顔に血がついちゃったじゃない」
カレンは頬に付いた血を手で拭うと、生徒たちを見やる。
どうやらまだなんとか全員生きているようだ。
「英人、そろそろ来てくれないとこの人たちが持たないわよ」
カレンは呟くと、敵が来ないか周りを見渡す。
今のところ敵はいないようだ。
「っ!」
そう思った刹那、不意に左側から殺気を感じる。
顔を横に向けると、そこには七メートルほどはある巨大な二足歩行の化け物が接近していた。
奴はすでに拳を放っており、それは物凄い速さでカレンに迫ってくる。
「しまっ!」
カレンの身体に拳が直撃すると、彼女は数メートル後方に吹き飛ばされた。
「ぐふっ!」
カレンは地面に叩きつけられると、身体に強い衝撃が走る。
全身が痛い。
おそらく数か所骨折している。
「アイカワラズニンゲンハモロイナ」
片言のような日本語で話す魔獣――ジャイアントオークだ。
彼は赤い瞳を光らせながら、倒れているカレンを見据える。
「じゃ、ジャイアントオークが……なんでここに……」
カレンは朦朧とする頭で疑問を抱く。
(こいつは魔王がいる領土にいるはずなのに。最悪ね)
彼女はどうにかして立とうとするが、腕を動かすことすらできず、ジャイアントオークと戦闘なんてとてもできる状態ではない。
「オマエハナカナカツヨイ。コロスニハオシイナ。ダガ、ワガオウノメイレイダ。ココデシンデモラウ」
そう言うと、ジャイアントオークは拳を高く振り上げる。
(これはもう終わりね)
カレンはもう動けない。
この拳を食らったら間違いなく死ぬだろう。
(英人、もう少しアンタと一緒にいたかったわ)
そう思いながら、カレンは涙を流し、瞳を閉じた。
ぼとっ。
しかし、突然妙な音が耳に届く。
何かが落ちたような。
それに拳が来ない。
もう直撃していてもおかしくないはずなのに。
おかしいと思い、カレンは瞳を開けた。
すると、目の前には巨大な腕。
その傍らには剣を持った青年が立っていた。
彼はカレンに背を向けてジャイアントオークと対峙している。
だが、後姿だけでもカレンはすぐにわかった。彼が誰なのか。
なぜなら、毎日のように見ているからだ。
「英人!」
カレンが嬉しそうに声を上げると、彼はこちらに視線を向ける。
「ようカレン。待たせたな」
「ホントよ。一体どこに行ってたのよ」
それを聞いて、英人はニヤリと笑う。
「言ったろ。引きこもりを連れ出してくるって。シンシア! そっちは終わったか?」
英人が訊ねると、カレンの後ろ――重傷の生徒たちがいる方向から「はいなのです」と声が聞こえた。
カレンが振り向くと、そこには琥珀色の髪に翠色の瞳、見慣れない少女が……。
「あっ! アンタ、春先にアタシの部屋に勝手に入っていたやつじゃない!」
カレンが指さすと、シンシアはしまったという表情を浮かべる。
「まさかこんなところにわたしの被害者がいるとは。想定外なのです」
シンシアの言葉を聞いて、英人は「お前、他のところでも居候しようとしていたのか」と呟く。
「アンタ、こんなところに何しに来たのよ。下級生はシェルターに……っ!」
ふとカレンは気づいた。
シンシアの周りにいたのは重傷の生徒だ。
そのはずなのに、彼らの傷はなぜか治っていた。それも全て。完全に。
「なにこれ。一体どうなってるのよ」
驚くカレンに、英人が説明する。
「そいつはな、治癒系の異能を持ってるんだよ。それもどんな怪我も完璧に治せるやつだ」
「そうなのです」
英人の言葉が耳に入ると、シンシアはえっへんと自慢げに胸を張る。
「春先に騒がせてしまったお詫びにあなたの傷も治してあげるのです」
シンシアはカレンに近寄ると、彼女が骨折した部分に手を当てる。
すると、翠色の光が放たれ瞬く間に怪我が治っていく
「すごいわね」
カレンが感心していると、シンシアは「このくらい大したことないのです」と返した後、次々と骨折を治していく。
そして、たった数十秒で全ての怪我を完治させてしまった。
「その……ありがとう」
「いえいえなのです」
カレンが控えめに感謝すると、シンシアは笑顔を浮かべる。
「シンシア、そっちが終わったようなら他の場所へ行って、生徒の治療をしてくれ」
「わかったのです」
そう返すと、シンシアは杖を取り出す。
彼女の固有武器――アスクレピオスの杖だ。
「えいっ! なのです」
アスクレピオスの杖を天に掲げると、瞬く間にシンシアの身体が一つ、二つと増えていく。
そして、彼女が二十人ほどになると、それ以上身体は増えなくなった。
『アスクレピオスの杖』
自身の身体を増やせる『分身』の異能者の遺伝子が組み込まれた杖。
但し、増やせる身体の上限は二十体まで。
「では、わたしはいくのです。英人さん、気を付けてなのです」
そう忠告するシンシアの視界には英人とジャイアントオークは映っていた。
彼女は気づいていた。
この場にいるジャイアントオークが、一年前彼女の仲間を皆殺しにした魔獣だということを。
「おうよ」
英人がそう返すと、二十人のシンシアは各々グラウンドへ散らばった。
そんな彼女の姿を見たのち、英人はジャイアントオークへと視線を移す。
「おいオーク。お前、なんでさっきから攻撃してこないんだ? 隙は幾らでもあったはずだが」
シンシアやカレンと会話をしている最中、ジャイアントオークにとっては戦闘を仕掛けるチャンスだった。
しかし、ジャイアントオークはそうしなかったのだ。
その理由は切り落とされた彼の右腕にある。
「オマエハ、ソコラヘンノニンゲントハチガウ、ムヤミニコウゲキシテモ、カテナイトハンダンシタ」
「へぇ。そりゃ懸命な判断だな」
ジャイアントオークが言った通り、英人はシンシアと話しながらも油断は一切していなかった。
魔獣が攻撃してきたら反撃する準備は常にできていた。
「まあそっちからこないなら、こっちから行くだけなんだけどな」
英人は剣を構え、腰を据える。
「カレン、お前は周りの魔獣の処理を頼む」
英人とジャイアントオークが対峙している周りには、数多の魔獣がいた。
奴らは英人を睨みつけ、攻撃を仕掛けようとタイミングを計っている。
「わかったわ。雑魚はアタシに任せなさい」
自信ありげに言うと、カレンは鞘から二本の剣を抜いて、両手に一本ずつ持った。
「さあ、殺しまくるわよ」
カレンの身体には真っ赤な炎が纏う。
その後、彼女は口端を吊り上げたのち魔獣たちへと向かっていった。
「さてと、じゃあこっちも始めるか」
そう呟いて、英人は地面を蹴り上げる。
彼は一瞬でジャイアントオークに近づき、右腕と同様、左腕も切り落とそうとする。
しかし、英人と同等の速さでジャイアントオークは後退し回避する。
「チッ、そう簡単にはいかないか」
地面に着地するなり、英人はそうぼやく。
ジャイアントオークはSランク指定の魔獣。
勇者学校で幾らずば抜けている戦闘力を誇る英人でも容易には殺せない。
「オマエ、ヤッパリホカノニンゲントハチガウナ。モハヤニンゲンノウゴキヲチョウエツシテイル」
ジャイアントオークは英人を見据えて言った。
(こいつ、魔獣のくせに難しい言葉知ってるのな)
そう思いながら、英人はジャイアントオークを殺す方法を考える。
身体強化を使用しても、英人の斬撃はジャイアントオークに躱される。
斬月は打撃攻撃が多いジャイアントオークにはあまり意味がないだろう。
「さて、どう殺すか」
英人が熟考していると、不意に拳が飛んできた。一発目よりも速い。
それに気づいた彼は身体強化ですぐさま避ける。
「おっと、危ない危ない」
ジャイアントオークが放った拳は地面にめり込み、周りの大地を隆起させている。
「コレヲヨケタノハオマエガハジメテダ」
「そうかい。そりゃどうも」
ジャイアントオークの賞賛に、英人はそう返しながらも、
(師匠なら、きっと異能なんて使わずに躱しちまうよ)
英人は柄を両手で力強く握りしめたのち、剣先をジャイアントオークへと向ける。
「こいつ相手じゃ使わなきゃしょうがねぇな」
そう言ったのち、英人は勢いよく地面を蹴り上げる。
その後、再度ジャイアントオークの左腕へと斬撃を与えようとする。
「ソレハサッキモミタゾ」
ジャイアントオークが後方へ下がり、英人の剣は一度目と同じように躱されてしまう。
しかし――。
「まだだ!」
英人は地面に着地した後、すぐに地面を蹴り出しジャイアントオークへと向かう。
そして、彼はジャイアントオークの左腕を切り落とした。
「グアッ!」
悲鳴を上げながら、ジャイアントオークはその場で蹲む。
両腕を切り落としたことによって、ジャイアントオークには大きなダメージを負わせられたようだ。
「へへっ。ざまぁみろだ」
ジャイアントオークが悶える姿を見て、英人は笑う。
彼は天羽々斬の力を使用し、身体強化のクールタイムを失くした。
それによって、ジャイアントオークが回避した直後に、連続して斬撃が与えられたのだ。
「じゃあもう一撃入れて、トドメと……っ!」
不意にジャイアントオークに異変が起きる。
相変わらず悶えてはいるが、ジャイアントオークの背中が妙にボコボコと浮き上がっていく。
数秒後。
背中側の緑色の肌が完全に隆起したのち、破れ、そこから肌と同色の腕が出てきた。
それも四つ。
「おいおいまじかよ」
英人は苦笑しながらその光景を眺める。
その後、完全形態になったジャイアントオークが徐に立ち上がる。
「デハ、コロシアイヲハジメヨウ」




