『25』
英人たちは依頼から学校の敷地内へ戻ると、すぐさまグラウンドへと向かった。
すると、そこには驚愕の光景が広がっていた。
「……なんだよこれ」
無数の魔獣たちがそこら中で暴れ回っており、地面には血まみれの生徒が数十人単位で横たわっている。
「これはひどいわね。すぐに手当てを……っ!」
カレンの視線の先―一人の女子生徒に魔獣が襲いにきている。
「身体強化」
それを見た英人は異能を使用すると、直ちに女子生徒の元へ向かい魔獣を切り裂いた。
魔獣は身体を真っ二つにされ、傷口からは大量の血が溢れ出す。
「あ、ありがとうございます」
震えながら女子生徒が礼を言うと、英人は一番近くの教員の場所まで行くように指示を出した。
その後、女子生徒はそれに従い教員の元まで走った。
「さすがね」
後から来たカレンが褒める。
しかし、目を見る限り賞賛よりも嫉妬の方が強いようだ。
「なんだ。お前が殺したかったのか?」
「別に。ただ女子生徒を救うのはどうかと思っただけよ」
「お前のその理論だと、この世界から女が消えてしまうんだが……」
呆れながら英人が呟く。
彼は周りを見渡すと多数の魔獣たちに教員と勇者学校の生徒の一部が対抗していた。
おそらく、東京エリアの勇者に救急を要請しているだろうが、それだめ持つかどうか。
「とにかく片っ端から殺しまくるぞ」
「ちょっと待って英人!」
剣を構えると、英人はカレンに呼び止められる。
「なんだ?」
「怪我人が多いわ。その上ほとんどが重傷よ。このままだと死んでしまうかもしれない」
カレンが言った通り、辺りには明らかに大怪我を負っている生徒が幾人も倒れている。
放っておいたら死ぬ生徒も確実に出てくるだろう。
「だが、俺とお前だけで治療するにはあまりにも人数が多い。それに治療用具だってここには……」
その時、英人の頭の中にふとある人物が浮かんだ。
彼女なら今の状況を必ず打開できる。
問題は、この場に来てくれるかだが……。
「カレン。俺が戻ってくるまで生徒たちを魔獣から守れるか?」
その言葉にカレンは一瞬疑念を抱いたが、英人が何か考えていることを察すると、首を縦に振った。
「じゃあ頼んだぞ。俺はちょっと引きこもりを連れ出してくるからよ」
そう言って、英人は校舎へと走って行った。
☆
魔獣が襲ってきている頃、シンシアは戦うわけでもなく逃げるわけでもなく、いつも通り英人の部屋に籠っていた。
「大丈夫なのです。ここにいれば大丈夫なのです」
部屋の隅っこで両膝を抱えて床に座るシンシア。恐怖からか彼女の身体は小刻みに震えていた。
魔獣たちは最初校舎を襲っていたが、生徒たちが外へ出ると建物を壊すことをやめ、グラウンド内で生徒たちを襲い出した。
下級生は皆地下に設置されているシェルターの方へ移動したようだ。
上級生は一部、戦闘に駆り出されている。
もしこんな状況でシンシアが外に出れば、必ず戦闘に参加させられるだろう。
彼女としてはそれだけは絶対に避けたい。
幸運なことに、この寮はそこまで破壊されなかった。少なくともシンシアがいる部屋の棟は無傷だ。
戦わないためには、このまま魔獣が全滅するか退散するまでここでやり過ごせばいい。
「わたしはここから絶対に動かないのです。もう二度とあんな目には遭いたくないのですから」
ぶつぶつと呟くシンシア。
そこにはもう将来勇者を目指す者としての姿は微塵もなかった。
すると、不意に扉が開いた。
驚き、シンシアが視線を上げると、そこには見知った人物が立っていた。
彼の制服は血まみれになっており、それはここに来るまでに何度も魔獣と戦ったということを物語っていた。
「おい引きこもり。そろそろ登校の時間だ」
冗談でもなく笑みを浮かべるわけでもなく、彼――歴然 英人は真剣な表情でシンシア・エリオットに向かって言った。
「なんで英人さんがここに……」
シンシアが問うと英人はすぐに返した。
「お前の力が必要なんだ」
その言葉を聞いて、シンシアは目を伏せる。
「嫌なのです。わたしは戦いたくないのです。誰とも関わりたくないのです」
「それは一年前のことが原因なんだろ」
英人がそう言うと、シンシアは目を見開いたのち彼に視線を向けた。
「悪いな。少し調べたんだ。お前のこと」
「そうなのですか……では全て知っているのですね」
「あぁ、そうだ」
シンシア・エリオットが言っていたことは間違っていなかった。
彼女は確かに、仲間を全員――殺していた。
☆
一年前――。
新入生、シンシア・エリオットがまだ天才と名を馳せていた頃、彼女はクラスメイトに誘われ依頼を受けることになった。
依頼内容は魔獣の残党狩り。
学校の依頼の中で最高の難易度だが、シンシアにとってはそれほど難しい依頼ではなかった。
それに共に依頼に行くクラスメイトも『カラー』は黒。
気を抜かなければ死者どころか全員傷一つ付けられず完遂できる。
そのはずだったのだ――。
シンシアたちは転移用紙を使用し、目的地に着くとすぐさま魔獣の残党を捜索した。
依頼場所は神ノ鳥島。
北海道東部に位置する無人島だ。
以前は魔獣たちに占拠されていたが、近年北海道エリアの勇者の活躍により奪還した島である。
「なかなか見つからないな、魔獣」
そう言って、森の中を進んでいるのは魔術師科の明石だ。
「この島の森は広いのです。そう簡単には見つからないと思うのです」
彼の言葉に返したのは、シンシアである。
彼女も木々を掻き分けながら、森の奥へと進んでいる。
ちなみに、彼女も明石と同じ魔術師科である。
「あぁもう! 魔獣を一発で見つけられる異能! みたいなのがあればいいのに!」
シンシアの隣で文句を言っているのは、剣士科の花宮。
彼女は今回の依頼のメンバーで攻撃役を担当する。
一方、シンシアと明石は支援役。
そして、この場にいない剣士科の松村と槍使い科の加藤は花宮と同じ攻撃役だ。
彼らはシンシアたちとは別に魔獣を探している。
「松村たちはもう魔獣を見つけたのかな」
「まだなんじゃないの。見つけたら連絡入れるって言ってたし」
明石の問いに、花宮はダルそうに答える。
シンシアたちは二手に分かれる前に、もし魔獣を見つけた場合、携帯でもう片方のグループに知らせることになっている。
「あーもうまだ魔獣は見つからないの!」
「花宮。うるさいよ」
「なによ明石。あたしに歯向かう気?」
花宮は明石を睨みつける。
「花宮さん、落ち着いてくださいなのです。魔獣はそのうち見つかるのです。その時はあなたの力が必要になるのです。それまでどうか待って欲しいのです」
「……エリオットがそう言うなら」
シンシアの一言で、花宮は一瞬で静かになった。
彼女も天才にここまで言われてはこれ以上喚くわけにはいかないだろう。
それからシンシアたちは二時間ほど森の中で魔獣の残党を探した。
しかし、魔獣は一匹も出てくる気配すらなかった。
「ねぇ、これっておかしくないかな」
「わたしもそう思うのです」
明石の問いにシンシアが答えた。
「こんなに探しても出てこないのは明らかにおかしいのです」
「まさか元々魔獣の残党なんていないってオチじゃないわよね」
花宮がそう危惧するが、シンシアは「それはないと思うのです」と返す。
掲示板に貼られている依頼の依頼内容が既にクリアされているなんてことはあり得ない。
なぜなら依頼が完遂された場合、必ず受付が依頼書を剥がすからだ。
「一体何が起こっているのです?」
シンシアが呟くと、不意に明石が声を上げた。
「あっ! あれって松村じゃない?」
彼の視線の先――高身長で細身のシンシアたちと同じ制服を着た男がいた。
今回の依頼メンバーである松村だ。
「ホントね! あいつらは魔獣見つけたのかしら」
そう言ったのち、花宮は「おーい」と手を振る。
しかし、松村はそれに一切反応しない。
「なによあいつ。あたしを無視するなんて生意気ね。ちょっとひっぱたいてくるわ」
怒りながら花宮は松村の元へと走る。
それに呆れながらも、シンシアと明石は彼女の後を追った。
「ちょっと松村! あたしが手を振ってやってるのにシカトなんて許さない……松村?」
ふと花宮は松村の異変に気付く。
立ってはいるが意識が朦朧としている。
そして、彼の身体に目をやると腹部から大量の血が溢れていた。
「どうしたのです?」
駆け寄ったシンシアが訊ねると、
「大変よエリオット! 松村がひどい怪我をしているの!」
花宮の言葉を聞いて、シンシアはすぐに松村へ近づく。
手首を握ると脈はまだあるようで、死んだわけではないようだ。
「安心してくださいなのです、花宮さん。松村さんは助かるのです」
「本当? 絶対助かる?」
花宮は心配そうに訊ねる。
そういえば、花宮は松村に好意を抱いていたのではなかっただろうか。
そんなことを思い出しながら、シンシアは傷口に手を当てた。
すると、彼女の手の平から暖かな翠色の光が溢れ出し、みるみる傷口を塞いでいく。
「さすがね……」
その光景を見て、花宮は感嘆の声を漏らした。
今披露したのが、シンシアの異能――『完全治癒』である
ありとあらゆる体の異常を治せる力。
「げほっ、げほげほ……すまないエリオット」
傷が治ると、松村は意識がはっきりしてきたよう。続けて彼はこう言った。
「いいかみんな、今すぐ学校へ戻るんだ。でないと、全員死ぬぞ」
松村の言葉に、三人は驚き顔を見合わせた。
「松村さん。それはどういうことなのです?」
「そのままの意味だ。ここには魔獣の残党なんていない。代わりにもっと恐ろしい……」
話の途中でどこからかドスンと地響きのような音が聞こえてくる。
もしこれが魔獣の足音だとしたら、少なくともBランク以上。
「まずいぞ、やつが来る」
松村が焦るように言った。
しかし、シンシアは彼の様子が理解できなかった。
もしこの島に魔獣の残党がいなくて、Bランク、Aランクの魔獣がいたとしても、シンシアたちのレベルであれば十分対処できる。
少なくともシンシアがいる限り、誰一人死ぬことはないだろう。
「なに言ってるのよ。どうせあんたがいつもみたいに一人で突っ走ったからあんな大怪我したんでしょ。
大丈夫よ。あんたの仇はあたしたちがきちんと取ってあげるから」
花宮は任せろと言わんばかりに胸をぽんと叩く。
「そうなのです。魔獣の残党でなくてもどのみち誰かが殺さなければならないのです。
それならいまわたしたちが殺してしまった方がよいのです」
シンシアがそう言うと、松村は首を横に振った。
「だめだ。いくらお前がいてもあいつは……」
ズブッ。
不意に後方から奇妙な音が耳に入る。
シンシアたちが振り返ると、そこには首と体が分断された明石の姿があった。
「明石さん!」
シンシアが駆け寄ると、明石は既に絶命していた。
命が失くなっては、幾ら完全治癒であっても治すことは不可能。
「ど、どういうことなのです……これは……」
身体を震わせながら、事態を把握できていないシンシア。
明石の『カラー』は黒。シンシアほどではないが十分優秀な生徒だ。
それなのに、一瞬で殺された。
「ヤッパリ、ニンゲンハモロイナ」
突然、前方から不気味な声が耳に届く。
片言でまるで人間が話していないような。
「っ!」
シンシアが前方を見やると、そこには体長八メートルほどはある巨大な怪物がいた。
肌は全身緑色で、腕も足も人間と比べたら遥かに大きく、頭の上には角らしきものがある。
「じゃ、ジャイアントオーク……」
シンシアがぽつりと呟いた。
ジャイアントオークはSランク指定の魔獣であり、その強さは数多くいる魔獣たちの中で魔王に次ぐ戦闘力。
そして、ジャイアントオークは魔王が住む領土を守る守護神と言われている。
ゆえに、こんな無人島に現れることはあり得ないのだ。
「な、なんでこんな化物がこんなところに……それに話せる魔獣なんて……」
怯えながら花宮は魔獣が人の言葉を話せることについて疑問を抱く。
だが、シンシアは知っていた。
Sランクの魔獣は戦闘力に加え知能が高いゆえ、言葉が話せる類もいると。
目の前のジャイアントオークの他には、世界各地にいる七体の魔王もそうである。
「オイ、オマエラモハヤクコイ」
ジャイアントオークが後ろを向くと、そこにはAランクの魔獣――ブラッドドラゴンが数十体ほどいた。
それにシンシアと花宮は驚く。
(どうするのです。このままではみんな死んじゃうのです)
Sランク以上の魔獣は数十人の勇者が束になってようやく勝てるレベルだ。
幾ら勇者学校の生徒がいたって敵うはずがない。
その上、後方にはブラッドドラゴンの群衆。
(ここはどうにかして逃げるしか……)
「ソウイエバ、モウヒトリニンゲンヲコロシテイタンダッタ」
そう言って、ジャイアントオークはシンシアたちの前に一人の人間を放り投げた。
彼女たちと同じ制服を着た男子生徒だ。
「加藤!」
花宮が叫ぶ。
前方に横たわっているのは、シンシアたちと別行動をしていた加藤だった。
彼は全身から出血しており、無残な姿と成り果てている。
「ど、どうして……どうしてこんなことに……」
花宮が目に涙を溜めながら、ジャイアントオークを睨む。
「あんたのせいで……あんたのせいで二人が……」
花宮の様子を見て、シンシアはまずいと思う。
しかし、シンシアが止めに入る前に花宮はジャイアントオークへと走りだしてしまった。
「あんたなんかあたしが殺してやる!」
剣を構えて、ジャイアントオークに向かっていく花宮。
「ソウダ。オモシロイコトカンガエタ」
ジャイアントオークはあまりにも場違いな発言をしたのち、彼は巨大な拳を思い切り地にぶつけた。
すると、地面が隆起し花宮は後方へと吹き飛ばされる。
「花宮さん!」
シンシアが急いで近づくと地面に叩きつけられた花宮は頭部から出血し、意識はない。重傷だ。
「だ、大丈夫なのです。わたしがすぐに治してあげるのです」
しかし、シンシアが彼女の身体に手を当てた瞬間、再びジャイアントオークの一撃が来る。
それはシンシアと花宮、やや離れていた松村も吹き飛ばした。
「ぐはっ!」
シンシアは地面に叩きつけられ、全身から血が流れ出す。
「み、みんなは……っ!」
なんとか起き上がると、視界に映ったのは驚愕の光景だった。
花宮も松村も加藤も明石も全員が身体から血を溢れ出させて倒れている。
「まさか……みんな死んで……」
シンシアは最悪の事態を考える。
だが、不意にジャイアントオークがそれを否定した。
「ゼンインハシンデイナイ。ソコノオンナトオトコハイキテイル」
ジャイアントオークが指を指したのは、花宮と松村。
確かに、彼と彼女はまだ息がある。
だが――。
「なぜそんなことをわたしに教えるのです?」
敵が味方側の生存を教えてもメリットは何一つない。
それゆえ、シンシアはジャイアントオークの行動に疑念を抱いていた。
「オマエ、サッキオモシロイコトヲシテイタナ」
「おもしろいこと?」
「ソウダ、ナカマノキズヲイッシュンデナオシテイタ」
おそらく『完全治癒』のことを言っているのだろう。
きっとジャイアントオークは先ほどシンシアが松村の傷を治療する姿を見ていたのだ。
「わ、わたしの異能なのです。そ、それがどうかしたのです」
身体を震わせながら、こうして魔獣と会話をしている間にもシンシアは考える。
現状をどうにかして打開する方法を。
「オマエノイノウダッタカ。ヤハリオモシロイ。デハコウシヨウ」
ジャイアントオークはそう口にしたのち、続けて話した。
「オマエガオレヲコロセタラ、オマエモコノフタリモミノガシテヤル。
フタリハジュウショウダガ、オマエノイノウナラナオセルダロウ。
ダガモシ、コノオレヲコロセナカッタラ、オマエモコノフタリモシヌ」
「っ!」
シンシアは背筋が凍った。
彼女がジャイアントオークを殺せたら、花宮と松村、自身も含めて助かる
しかし、ジャイアントオークを殺せなかったら、シンシアも二人も死ぬ。
二人を助けるには、シンシアはジャイアントオークと戦うしかない。
だが、シンシアはあくまで魔術師。
異能も治癒系で、戦闘を行うというよりは支援をする方が専門である。
戦闘術の基本くらいは学校で学んではいるが、それがSランクの魔獣に通用するとは到底思えない。
もしジャイアントオークと戦ってしまえば、シンシアは確実に死ぬ。
「ドウシタ? カカッテコナイノカ?」
ジャイアントオークがシンシアに問う。
しかし、彼女の体はこわばっていた。
(どうしたのです……早く助けにいくのです……でないと、二人が……)
シンシアはなんとか身体を前に動かそうとする。
しかし、彼女の意思とは反対に極度の緊張と恐怖で足を一歩踏み出すことすらできない。
「ソッチガコナケレバ、コッチカライクゾ」
そう言って、ジャイアントオークは戦闘態勢に入る。
「っ!」
それを見た刹那、シンシアは自身の身体に完全治癒を使用した。
あっという間に彼女の傷は治っていく。
そして、シンシアは――。
逃げた。
魔獣と戦うこともせず、仲間を見捨て、必死に逃げた。
木々を掻き分け、時に枝が身体を傷つけても構わず逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて……。
気がついた頃には、ジャイアントオークの姿はもう見えなくなっていた。
どうやら、奴はシンシアのことを追ってこなかったようだ。
それからシンシアは一人転移用紙を使用して帰還した。
仲間を全員犠牲にして。
その日以降、シンシア・エリオットは勇者学校には通わなくなった。
自身の命欲しさに仲間を見捨てる者に勇者は務まらない。
彼女は勇者になることを諦めたのだ。