『20』
麗からの呼び出しを終えたのち、滞りなく午前の授業が終わると、昼休みを迎えた。
そして、この時間は英人にとって唯一落ち着ける時間帯となっていた。
なぜなら、最近朝には師匠である麗から何かと呼び出しを食らい、放課後にはカレンと毎日のように片っ端から依頼に取り組み、自宅に帰ったらシンシアという面倒くさい居候が待ち構えている。
しかし、昼休みだけは違う。
誰にも余計なことをされず、一人で静かに過ごすことができる。
よって、昼休みは英人にとって天国と言っても差し支えないだろう。
「ねえ英人。隣いいかしら?」
と思っていたのだが、昼休みもついに地獄入りしてしまうようだ。
英人の目の前にいる、カレン・ベルージという女によって。
「無理だ。他を当たれ」
食堂で昼食を摂っている英人が明確に拒否をするが、それに構わずカレンは彼の隣の席に座ってきた。
「おい、俺は座っていいなんて一言も言ってないぞ」
「別にいいじゃない。アタシがここに座りたいのよ」
じゃあなんで俺に座っていいか聞いてきたんだよ。
そう思う英人だが、これ以上何か言ったところでカレンは動きそうにないので、黙ったまま昼食を食べ進める。
「ちょっと。なんでアタシが来た途端食べるスピードを速めるのよ」
「そんなことはない。これが俺の普通だ」
「絶対嘘よ。さっきまでカレーが九割くらい残っていたのに、今は半分もないじゃない」
「気のせいだ」
そう言いつつも、英人は今日の昼食であるカレーをスプーンですくっては次々と口へと運んでいく。
残りはあとわずかになっていた。
しかし、
「ちょっと待ちなさいってば」
急にカレンは英人の鼻をつまんだ。
すると、口の中にカレーを含んでいた英人は息が出来ずにむせた。
その後、少し経ったのち英人はカレンを睨みつける。
「おい! お前何やってんだよ。危うく死んでるところだぞ」
「大げさね。息が出来なくなったぐらいで人は死んだりしないわよ」
「死ぬよ! お前の国の人は一体なに吸って暮らしてんだよ」
怒る英人には構わずに、今度はカレンが、自身が頼んだ生姜焼き定食を食べ始めた。
その姿を見て、英人は睨みを利かせるのをやめ、代わりに怪訝な目を向けた。
「お前、女らしくないもん食うんだな」
「失礼ね。別に女が生姜焼き定食を頼んだっていいじゃない。何か文句あるの?」
カレンは英人を睥睨しながら問う。
どうやら彼は地雷を踏んでしまったよう。
「いや、別に」
「そう。ならいいけど」
そう返すとカレンは置いた箸を手に取り、再び昼食を食べ始める。
英人の方もこれ以上何か話をして再度怒らせるのも面倒なので、彼女と同じように昼食を摂り出した。
「そういえば英人。朝、麗さんに呼ばれたらしいじゃない」
英人がカレーを食べ終えようとしていた瞬間、不意にカレンが訊ねてきた。
(こいつ、わざとやってるんじゃないか)
そう思いつつも、英人は反抗することもなく彼女の質問に素直に答えた。
「あぁ。つーか、なんで知ってるんだよ」
「偶然、アンタが学科長室に入るところを見たのよ。アタシも麗さんに遅れてたレポートを出そうと思ってたから」
「そうだったのか。ってか、お前がレポート遅れるなんて意外だな」
カレン・ベルージは入学試験トップ合格の優秀な生徒だ。
戦闘と同じくらい勉学の方も優れた成績を残している。
「この間のレポートの内容が難しかったのよ」
「そうだったか? 俺の記憶ではたしか、実戦形式の授業を踏まえた上で自身の長所と短所をまとめるだけだった気がするが」
「えぇ。でも、今のアタシに欠点なんてないからホントに困ったわ」
カレンの発言を聞いてジト目を向ける英人だが、彼女は全くそれに気づくことなく小さく切った生姜焼きを口へと運ぶ。
(今の……か)
入学直後のカレンは対魔獣恐怖症を患っており自由に魔獣と戦うことができなかった。
しかし、今となっては病気も克服し、更には母親の形見である固有武器を使いこなせるようにまでなった。
それゆえ、カレンは“今の”自分には欠点がないと言っているのだろう。
だが、本当にカレン・ベルージに欠点がないかというとそうでもない。
少なくとも英人はそう考えている。
なぜなら、依頼をし魔獣と戦っている際、独断で動くことが多いし、考えなしに魔獣に突っ込むことが多々あるし、偶にカレンの攻撃が英人に当たりそうになる時もある。
要するに、カレンには協調性が全くない。
これを自身の短所としてレポートに書けばいいのでは、と英人は密かに思っている。
これ以上、カレンの機嫌を損ねると面倒くさくなるので絶対に口には出さないが。
「ちなみに、お前は自身の短所の部分をなんて書いたんだ?」
「強すぎて敵がいないことって書いたわ。もちろん英人以外って書いておいたから安心しなさい」
「そ、そうか……」
後半のフォロー別に必要ないんだが。
ってか、よくそれでレポートが通ったな。
師匠、絶対内容見てないな。
そんなことを思っていると、カレンから質問を投げられた。
「で、英人はなんで麗さんに呼ばれたの?」
「っ! そ、それは……」
同居人の引きこもりの女の子を学校に行かせなければならない、なんて言ったらきっと即退学だろう。
口が裂けても答えられない。
「どうしたのよ?」
「えっとな……えっと……」
英人が顔を背け返答に困っていると、それを怪しんだカレンが訝しげにじーっと見つめてくる。
「もしかして答えられないようなことなの?」
「そ、そんなことはねぇよ。だが、特にお前に答える必要はないかと」
「なによそれ。アタシに隠し事なんて許さないわよ」
カレンは眉を逆八の字にしながら英人にグイッと顔を近づけてくる。
「ちけぇよ。あと鬱陶しい」
「う、鬱陶しいですって!」
「そうだよ。とにかく俺はもう行くからな。じゃあな」
英人は空になった容器が置かれたトレイを持つと、席を立った。
一方、カレンは生姜焼きが二枚程度残っているようで、すぐに食べ終えることはできなさそうだ。
「え、英人! 覚えておきなさいよ! 後できっちり説明してもらうんだからね!」
英人の後方で、カレンは食堂内に響くような声で叫んだ。
「お前は俺の彼女か」
英人はぼそりと呟いたあと、トレイと容器を片付けたのち食堂を後にした。
☆
昼食を済ませたのち、午後の授業もつつがなく終わると、英人は依頼を受けることもせず、寮へと直帰した。
ちなみに、寮の中はクーラーも暖房も完備されていなく、今は過ごしやすい季節だからいいが、これから本格的に夏が始まったときに無事にすごせるのかと、英人は偶に心配している。
「ただいま」
英人は自室に入るなりそう言うと、目の前にはもう夕方だというのに、床に大の字で寝転んでぐっすりと眠っているシンシアの姿。
「このアマ……」
そう呟いたのち、英人は手に持っていたスクールバッグをシンシアの身体目掛けて落とす。
すると、バッグは彼女の腹部に見事直撃した。
「ぐふっ!」
突然の襲撃に驚いたシンシアは飛び起きると、腹部を押さえながら顔を左右に動かす
どうやら誰の仕業か気づいていないようだ。
「こんなところで寝るんじゃねぇよ」
英人が指摘すると、ようやくシンシアが彼の存在に気付き、視線を向けた。
「え、英人さん。こんにちはなのです。……というか、今のは英人さんだったのです?」
「あぁそうだが。俺がお前の腹にバッグを落とした」
「バッグを!?」
目を見開いたのち、シンシアは傍に倒れているバッグを視界に捉える。
「な、なんてひどい人なのです。妊娠できなくなったらどうするのです」
「安心しろ。その程度で人間の生殖機能は失われない」
何の根拠もなく英人が言うと、シンシアは馬鹿馬鹿しくなったのか、一つ嘆息をついた。
「そういえば、今日は早いのです。依頼は受けなかったのです?」
「あぁ。今日はちょっとな」
「どうしたのです? もしかしてパーティーを組んでいるカレンさんと喧嘩でもしたのです?」
シンシアは面白そうに訊ねてくる。
(こいつ、性格悪いな)
数日前、英人はカレン・ベルージとパーティーを組むことになったのだが、彼はそのことをその日の内にシンシアに話している。
というのも、カレンとパーティーを組んだ当日、英人があまりにも嫌な表情で帰ってきたので、シンシアが「何か悪い事でもあったのです?」と訊ねてきたのだ。
そして、英人は特に隠すことでもないので、カレンとパーティを組むことになったことをシンシアに話した。
ゆえに、シンシアは英人とカレンがパーティーを組んでいることを知っている。
「そういうわけじゃねぇよ。あいつとは喧嘩するような中でもないしな」
「なるほど。ラブラブというわけなのです」
「ちげぇよ。これ以上余計なこと言ったら追い出すぞ」
英人がギロリと睨みつけると、シンシアはすぐに土下座して「ごめんなさいなのです」と謝った。
「まあどのみち今日はお前を説得して、居候をやめさせなくちゃならないんだけどな。
早く帰ってきたのもそのためだ」
英人がそう口にすると、シンシアはきょとんとした顔で小首を傾げた。
「それはどういうことなのです?」
「お前のことが教員にバレてたんだよ」
英人の言葉が耳に入ると、シンシアは驚いて目を丸くする。
「本当なのですか?」
「あぁ。随分前からバレていたらしい。主な原因はお前が俺の留守をいいことに勝手に外出していたからだけどな」
鋭い視線を向けると、シンシアは気まずそうに目を逸らした。
英人はほぼ確信していたが、シンシアは本当に勝手に出かけていたようだ。
「ったく、なんでそんなことしたんだよ。お前、見つかりたくないんじゃなかったのか?」
「それは……わたしも外に出て新鮮な空気を吸いたいときだってあるのです」
「それだけかよ」
「あと、いつまでも寮の食堂のご飯も飽きるのです。昼食くらい学校の食堂のメニューも味わいたかったのです」
英人は言葉を失った。
要するに、学校の食堂のメニューを食べたかったから、シンシアは外出し教員に目撃されたのだ。
(なんてくだらない理由だ)
英人が呆れていると、シンシアが何かに気付いたようにもう一言付け足した。
「ちなみに、学校の食堂には他の生徒が授業中のときに行ったので、わたしの姿は生徒たちには見られていないのです」
「別にそんな補足いらねぇから」
サムズアップをしているシンシアを見て、はぁと息を吐く英人。
(しかし、今日でこのやり取りも終わりかというと少し寂しい気持ちもなくもない)
「いいかシンシア。今日俺は勇者学校の教員からお前を学校に連れてくるように言われたんだ。だから、不登校はこれで終わりだ」
「嫌なのです」
シンシアはきっぱりと断った。それも表情一つ変えずに。
彼女は居候の身。なのに、どうしてこう図々しい態度を取れるのだろうか。
「嫌です、じゃねぇよ。明日から学校へ行けよ」
「無理なのです。そう簡単に登校出来たら、わたしはここまで引きこもっていないのです」
平然と述べるシンシアに、英人は返す言葉がなくなっていた。
ここまで堂々と主張されては、英人にはどうすることもできない。
「お前が学校に行ってくれないと俺が困るんだが」
麗のことだ。
あまりにもシンシアが登校してこなかったら、また英人の退学をちらつかせてくるに違いない。
「そうなのですか? ですが、わたしも譲ることができないのです。意地でも学校に行く気はないのです」
それを聞いた瞬間、英人は思った。
あぁ、これは無理だなと。
これは英人の勝手なイメージだが、引きこもりというのは、何となく家にこもっている時間が長くなっていき、それが続いていつの間にか引きこもりになっているのだと考えている。
一方、シンシアの場合は覚悟を持って引きこもっている感じだ。
意志ある引きこもりは、きっとてこでも動かないだろう。
「そうかよ。じゃあ今日の説得はこれくらいにしておくわ」
「へ? もういいのです?」
シンシアが拍子抜けしたような声を出すと、英人は「あぁ」と返した。
「これ以上何か言っても無駄っぽいからな」
そう言うと、英人は制服を脱いで部屋着へと着替え始める。
シンシアは彼の姿を不思議そうに見つめていた。
「なんだよ?」
「い、いえ。わたしの存在が教員にバレてしまったのに、わたしはここに居候したままでいいのかと思ったのですが……」
「別に構わねぇよ。どうせバレてるんだったら、少なくともお前と住んでいる件で退学になることはないだろ」
そう言って、英人は着替え終えると毎晩寝ているベッドに腰を下ろした。
その後、やや沈黙が続いたのち、シンシアが英人に問うた。
「なんで英人さんはわたしに優しくしてくれるのです?」
「いきなりなんだよ。気持ちわりぃな。別に優しくなんてしてないだろうが。さっきだって腹にバッグ落下させたし」
「それはそうなのですが……こんなわたしをまだ居候させるなんてどうかしているのです」
シンシアが英人の部屋に住んでいることは既に学校側にバレてしまっている。
ゆえに、英人がこれ以上シンシアを居候させる必要はないのだ。
「そうだな。ぶっちゃけ、お前をここから追い出したいとも思わないわけでもない。
でも、お前の気持ちもわからないわけでもねぇんだよ」
シンシア・エリオットはかなりの実力者だ。
実力が高い者ほど他人には理解できない苦しみを抱えていることが多い。
そして、歴然 英人もまた誰にも分からない苦痛を持っている。
「そうなのですか……」
何となく察したのか、シンシアはそれ以上言及することはしなかった。
すると、今度は英人が彼女にこう言った。
「引きこもりの話はこれで終わりにするが、一つだけお前に聞きたいことがある」
「なんなのです?」
「シンシア、お前不登校になる前日の依頼で仲間が全滅したのか?」
躊躇いなく英人が訊ねると、シンシアは目を大きく開いたのち、視線を落として悲しげな表情を見せた。
「それは誰から聞いたのです?」
「剣士科の学科長だよ。さっきも言ったが、お前の引きこもりを矯正させるように俺に命令してきたのもその人だ」
「そうなのですか……」
シンシアの顔つきは依然変わらない。
どうやら彼女の仲間が全滅した話は事実のようだ。
「何があったんだ。お前、治癒系の異能を持っているんだから、どう考えても学校の依頼ごときで全滅になんてならないと思うんだが」
しかも、シンシアの異能は『完全治癒』。
そう簡単に彼女の仲間が殺されはしないはずだ。
「そ、それは……」
答えづらいのか、シンシアは顔を俯けたまま言葉を詰まらせる。
「いや、別に答えたくないならいいんだ。少し気になっただけだから。部外者が突っ込んだこと聞いて悪かったな」
「いえ、こちらこそすいませんなのです。居候させてもらっている身なのに」
(まあそうなんだけどな)
そう思ったが、英人は言葉に出すことはしなかった。
無駄に居候をへこましても空気が悪くだけだと考えたからだ。
「でも、英人さん。一つだけ訂正させてくださいなのです」
「ん? なんだ?」
英人がシンシアに視線を向けると、彼女はやや間を空けたのち、答えた。
「仲間は全滅したのではないのです。みんな、わたしが殺してしまったのです」
その時、シンシアは目を伏せており、彼女の表情は一切見えなかった。
だが、この言葉をそのまま受け取るほど、英人は愚鈍ではない。
「そうか。そりゃ大変だな」
ゆえに、彼はこの話を追及することなんてしない。
依頼だろうが、上司の命令だろうが、戦場に一度でも出て魔獣と対峙すれば何かと面倒なことや秘密にしたいことが出てくるのは当然のことだ。
シンシア・エリオットの場合も同じ。
「……ありがとうなのです」
英人が疲れてベッドに横たわると、シンシアのそんな小さな呟きが聞こえた。




