『19』
一年前――。
シンシア・エリオットが東京第二エリアに位置する勇者学校に入学した。
それも入学試験を過去最高の成績でだ。
それを見て、勇者学校の教員たちも彼女に大きな期待を抱いた。
シンシアはきっと素晴らしい勇者になると。
そして、その期待に沿うようにシンシアは順調に結果を残していった。
入学から黒の『カラー』を維持することは当然のこと、ランキングは常に学年一位、どんなに高難易度な依頼でも必ず完遂させる。
その活躍は天才と呼ばざるを得ないものだった。
だが、そんな彼女は親が勇者というわけでもなく、貴族というわけでもない。
英国の田舎村で生まれた一人娘だ。
それゆえ、彼女には才を持つ人間特有の他人を見下す癖などはなく、それどころかそこら辺の凡人よりも人徳があった。
周りの生徒からは尊敬の目で見られることはあっても、妬み嫉みなどは一切ない。
まさに非の打ち所のない人間だったのだ。
しかし、ある日からシンシア・エリオットはぱたりと勇者学校に来なくなってしまった。
その原因は未だに不明。
しかし、一部の生徒たちの間ではこんな噂が流れている。
依頼中、シンシア・エリオットが仲間の生徒たちを皆殺しにしたと。
☆
英人がカレンとパーティーを(無理やり)組まされてから数日。
彼は『カラー』を維持するため、またランキングを上げるために(仕方がなく)カレンと依頼をこなしていた。
そのおかげか、英人の『カラー』は黒を維持。
ランキングは三十位にまで上がった。
一学年に千人近く在籍している生徒の中で、この順位はかなり高い。
尤も、英人ならば更に上を行くことなんて造作もないことだが。
そして、そんな彼はつい先日のように麗に呼ばれて剣士科の学科長室に来ていた。
「師匠。一体何の用だよ」
英人は机越しにオフィスチェアに座っている麗に訊ねる。
相変わらず部屋の中は机の上も床も資料だらけで整理整頓なんて微塵もされていない。
「すまんな。急に呼び出して。少し貴様に頼みたいことがあるんだ」
「断る」
英人が即答すると、続けてこう述べた。
「師匠の頼み事とか、きっとロクなことじゃない」
つい数日前、麗に強引にカレンとパーティーを組まされたばかりだ。
英人が怪しむのも無理はない。
「そう疑うな。私は貴様の師匠だぞ。少しは信用しろ」
「そういうことは目を合わせて言えよ」
英人が指摘するように、麗は先ほどから資料にばかり視線を落として、一向に英人に目を向けようとしない。
「仕方がないだろ。学科長は色々と忙しいんだ」
「じゃあ俺を呼ばなくてよかっただろ。そんなに急ぎの案件なのか?」
英人が問うて、麗は資料を読み終えたのか、用紙を机の上に置き、ようやく彼と視線を合わせた。
「そうだな。それなりに急いでいる。だから貴様を呼んだのだ」
「それは俺が扱いやすいからってことか? 師匠の駒として」
訝しげに見つめる英人に対し、麗は至って真面目に答える。
「いや、そんなことは思ってないぞ。少なくとも今回に関しては」
「そう思ってることもあったのかよ。ひどい師匠だな」
まあ前々からわかってはいたことだが。
そう思いながら、英人は深く溜息をつく。
「いいか英人。私が貴様に頼みたいことはただ一つ。貴様のルームメイトを引っ張り出してこい」
「…………」
不意に放たれた言葉に、英人は絶句した。
顔から血の気が引き、手のひらからは汗が滲み出て、明らかに動揺している。
「い、一体なんのことですか? 僕には全くわかりませんが」
「おい、貴様が私に敬語なんて過去に一度も使ったことがないだろ。気持ち悪いからやめろ」
狼狽して少しおかしくなっている英人に、麗は指摘すると続けて語った。
「シンシア・エリオットが貴様の部屋に寝泊まりしていることは、この学校の教員全員が気づいている。今更誤魔化す必要はない」
それじゃあ今までの俺の努力はなんだったんだ、と英人は顔を俯けながら呟いた。
シンシアが英人の部屋に居候している間、一番被害を受けたのは当然英人だ。
彼女は平気で部屋を汚すし、疲れていてもどうでもいい話をしてくるし、寝相が悪いし、いびきはうるさいし、英人にとっては迷惑極まりなかった。
しかし、それでも彼は異性を自室に住まわせていることが学校側にバレないように必死にシンシアの存在を隠してきたのだ。
それなのに、なぜバレてしまったのだろう。
「ちなみに、どうしてシンシアが俺の部屋に住んでいることがわかったんだ?」
「随分前からシンシア・エリオットが貴様の部屋を出入りしている姿を目撃されている。それも複数の教員から何度もな」
「あいつ……」
どうやらシンシアは英人が授業を受けている間、勝手に外出していたらしい。
それも何回も。
(以前外に出ていたときは、自分は見つかるようなヘマはしない的なことを言ってたくせに。思いっきり見つかってんじゃねぇか)
過去に多数の生徒から依頼に強引に誘われたことから、シンシアは二、三学年の生徒に発見されることを非常に嫌がっている。
もしかしたら、その点ばかり注意を払いすぎて、教員に見つかることを懸念していなかったのかもしれない。
「だとしたらアホだな」
「何をぶつぶつと言っているんだ……まあそれでだ。貴様にはその同居人を強引にでもいいから外に連れ出して欲しい」
麗の言葉を聞いて、英人は目を見開く。
「シンシアを? なんで俺がそんな面倒なことをしなくちゃいけないんだよ。嫌だね」
英人は肩を竦めたのち、首を左右に振る
「おい英人。私はこの学科長なんだぞ。前にもいったことがあるが、貴様を退学にすることなんて容易にできる」
「ぐっ、またそれかよ。俺は師匠に何回退学をちらつかせられなくちゃならないんだ」
英人が嫌な表情を見せると、それを見て麗はフッと笑った。
「貴様は私の唯一無二の弟子だからな。師匠の言うことを聞けなければクビだ」
「なんでクビ=退学なんだよ。それに、そもそも東京に連れてきたのは師匠のくせに」
文句を吐いた後、英人は嘆息をつく。
その後、やや間を空けてから英人は口を開いた。
「わかったよ。やればいいんだろ。引きこもりを外に出してやるよ」
「言っておくが、外に連れ出すだけじゃダメだからな。きちんと学校に登校もさせるんだぞ」
麗の追撃に、英人はやや動揺しながらも「わかったよ」と答えた。
しかしこの時、英人には一つだけ大きな疑問を抱いていた。
「だが、どうしてそんなにあいつを学校に来させたいんだ? まあ不登校のままでいいとは思わないが」
「なんだ? 英人は知らないのか。シンシア・エリオットがどういう存在かを」
その麗の言い方はまるで彼女を特別な何かのように扱うようだった。
確かに、シンシアの『カラー』は黒で、彼女はそれなりに強いのだと英人は認識している。
だが、今しがたの麗の言い回しはソレとは少し違う気がした。
「勇者学校の優秀な生徒の一人じゃないのか?」
「全く違うな。彼女は優秀という言葉で片付く人間ではない」
それが耳に入ると、英人は驚く。
(師匠にここまで言わせるとは。シンシアって、そんなにすごいやつなのか。普段の姿からは想像もできないが)
そう思っていると、英人はシンシアについてあることを思い出す。
「もしかして『治癒』の異能を持っているからそんなことを言ってるんじゃないだろうな。
治癒系統の異能は珍しいが、それだけで師匠が特別扱いするのはどうかと思うぜ」
治癒系の異能は実に貴重だ。
戦場では相当重宝される。
しかし、いないわけじゃない。
一つの戦場に一人以上は必ずいる。
そうでないと魔獣と長期戦ができなくなるからだ。
「いや、シンシアはただの治癒系異能の所持者というわけじゃない。彼女の異能は他の治癒系統の異能者とは一線を画す」
「? それはどういうことだ?」
英人が質すと、麗は一つ咳払いをしたのち答えた。
「シンシア・エリオットは人類唯一の『完全治癒』の持ち主なのだ」
『完全治癒』
治癒系の異能の中で最も治癒力の高い異能。
二十四時間以内に負ったありとあらゆる体の異常を治すことができる。
「まじかよ。あいつそんな異能を持っていたのか」
そう言いつつ、英人は『完全治癒』を無駄に使っていたことを思い出す。
剣士科の実戦形式の授業でカレンと打ち合いをして怪我をした時、カレンと模擬戦をして軽傷を負った際、どちらも完全治癒を使用するには及ばない負傷であった。
「つーか、どっちもカレン絡みだな。あいつは本当に余計なことしかしない」
英人がこの場にいないカレンの愚痴をこぼしていると、麗は話の続きをし始めた。
「今までは貴重な異能の持ち主ゆえ、自発的に登校するのを待つという甘い態度をとってきたらしいが、学校側はそろそろ限界のようだ。シンシア・エリオットにはそろそろ復帰してもらわねば困る、とのことらしい」
「それって、要するにシンシアをいち早く勇者にして戦場に送りこませたいってことか?」
英人から唐突に放たれた鋭い質問に、麗は躊躇いなく首を縦に振った。
勇者学校に入学した以上、生徒たちは必ず勇者にならなければならない。
しかし、シンシアは英人と初めて会った時に、魔獣と戦うのはあまり好きではないと語っていた。
そんな彼女を無理やり連れだしていいのだろうか。
まあ勇者学校に在籍している身で、魔獣との戦闘を嫌うのも筋が通っていない話なのだが。
「師匠、一つ質問いいか?」
「あぁ。構わないぞ」
麗がそう答えてから、英人は少し間を空けたのち、訊ねた。
「シンシアはどうして不登校になっちまったんだ?」
シンシア自身からは生徒たちに次々と依頼の協力を誘われたからと聞いていた。
だが、それが事実だという証拠はどこにもない。
念のため聞いておいても悪いことはないだろう。
「さあな。私も今年ここに赴任してきたのだから、よくわかってはいない。
だが、シンシア・エリオットは登校拒否をする前日にとある依頼を受けていたらしい」
「依頼?」
英人が聞き返すと、麗はこくりと頷いて話を続けた。
「あぁ。難易度は高めだが、彼女の実力があればなんら苦労しないほどの依頼だ」
「へぇ。そうなのか」
難易度が高めということは、白か黒レベルの依頼。
まあシンシア自身の『カラー』が黒なんだから、高難易度の依頼を受けるのは当然か。
そんなことを思っていると、不意に麗がこんなことを言い出した。
「なんでも、その依頼の遂行中、シンシアの仲間が全滅してしまったらしい」
「っ!」
全滅。
つまり、シンシアと共に依頼を受けた生徒たちが皆死んだということだ。
「そりゃ悲惨だな」
「おや、今の話を聞いて出てきた言葉がそれだけなのか? 薄情なやつだな」
そう言う麗も口元を緩めている。
まるで英人をからかっているみたいだ。
「別にそうでもないだろ。この世界、誰かが死ぬなんて当然のことだ。それは五年前からよく知っている」
「そうか……そうだな」
五年前。
英人の故郷は消えた。
仲間と家族、諸共に灰と化した。
それゆえ、彼は他人の死に同情なんてしない。
死んだ者を幾ら憂いても、彼ら彼女らは決して蘇ったりなどしないから。
「まああいつを引っ張り出す件については、なんとかやってみる」
「おぉ、そうか。それは助かる」
「こんなくだらないことで退学になんてなりたくないからな」
そう言うと、英人は身体を半回転させ、入ってきた扉から部屋を後にする。
そして、山積みにされた資料が多々ある中、部屋の中に一人残された麗はぽつりと呟いた。
「そろそろ片付けでもしようかな」




