『15』
英人とカレンが二回目の依頼を行っている頃、学科長室で休んでいた麗の元に一本の電話がかかってきた。
「はい。こちら東京第二エリア勇者学校に所属しています剣士科学科長――桜花 麗ですが」
『よう、麗』
「またお前か」
彼女が電話に出ると、相手は英国最強の勇者――アベル・ベルージだった。
つい先日話したばかりだが、勇者のくせに彼は暇なのだろうか。
「切るぞ。いいな?」
『ちょっと待てよ。いきなり切るなんてひどくねぇか? せっかく英国からはるばる電話をしてやってるのによ』
アベルの上からの態度に、麗は苛立ち眉間に皺をよせた。
「本当に切るぞ」
『ま、待って! わ、悪かったよ。謝るから切らないでくれ』
アベルの態度の変わりように、麗は呆れるように溜息をつく。
(これが英国最強の勇者とは。とても思えんな)
「それで、一体何の用だ?」
『いや……その、うちの娘はどうなってるかと思ってよ』
「お前は親バカなのか?」
『ち、ちげぇよ。俺はただカレンのことが心配なだけだ』
それを親バカというのではないだろうか、と麗は思う。
だが、麗はアベルの気持ちもよくわかっていた。
彼女も弟子である英人にもしものことがあったら、きっと命を賭してでも復讐をする。
「まあいい。貴様の娘は今頃、私の弟子と共に依頼を受けているはずだ」
『そうか。依頼中にカレンにアレが出なければいいんだがな』
「対魔獣恐怖症か?」
『あぁ。ごく偶にしかないとはいえ、親としては不安だよ』
アベルは声を落としながら口にする。
対魔獣恐怖症は個人によって程度に差があるため、軽いものなら戦闘にそれほど支障は出ない。
ただし、もしものために対魔獣恐怖症の勇者学校の生徒又は勇者は一人以上の仲間の同伴が好ましいとされている。
「安心しろアベル・ベルージ。何か起こっても問題がないように私の弟子を共に行かせたのだから。
それに対魔獣恐怖症を完治させるためには、魔獣との戦闘が必須だ。これから勇者となる者がいつまでもお前のような親バカに甘えている場合ではないだろ」
以前、アベルはカレンが依頼を一人で受けることが心配で、彼女が依頼を行っているところを尾行していたと言っていた。
それゆえの今の麗の発言である。
『だ、誰が親バカだ! それより、依頼に行くとき、カレンは剣を二つ持っていたか?』
「剣を二つ? ……あぁ。たしか最近、腰元に二種類の鞘が備えられてあったな。おそらく、持って行ったんじゃないか」
『そうか……』
「なんだ、何かあるのか? 剣の二本持ちなんて今どき珍しくないと思うが」
剣士科の生徒で二本剣を所持している者は少なくない。
逆に近年は二刀流が主流になりつつある。
つまり、麗や英人の片手剣の方が今となっては古い戦法に変わってきたのだ。
理由は幾つかあるが、一番は年が経つに連れて武器の軽量化が進んでいること。
昔は二本も剣を持つと、動きが鈍くなり強力な敵には対処しきれないケースが多々あった。
だが、近年は武器の威力は高いまま、重さだけを軽くした武器が数多く生み出されている。
故に、剣を武器とする生徒にしろ勇者にしろ、二刀流が多くいるのだ。
『いや、双剣に関しては何も言うつもりはねぇよ。ただあいつが持っている二本目の剣が問題なんだ』
「問題? そんなに危険な武器なのか?」
麗が訊ねると、アベルは『いいや』と返したのち、続けて話した。
『カレンの二本目の剣、あれは妻――マリーの遺伝子が組み込まれた武器なんだよ』
「妻? 貴様の嫁は勇者だったのか?」
麗はアベルにかつて妻がいたことは知っていた。そして、数年前に亡くなったことも。
だが、彼女が勇者だったなんて話は聞いたことがない。
『いや、違う。マリーは勇者でもなければ軍人でもない。ただの一般人だ』
「それなのに異能を持っていたのか。変な話だな」
異能を顕現させた人間は、基本、勇者を目指すか、それができなければ軍人となるのが常識だ。
それは日本に限らずどの国でも同じこと。
異能を持っていて、その力を持て余す行為なんて当人が良くても、国が許可しない。
それゆえ、異能を所持している人間がそれを隠していた場合、処罰の対象となる場合もある。
『まあそうだな。だが、マリーにはちょっとした訳があったんだ』
「わけ? なんだそれは」
『気づかなかったんだよ。自分が異能を持っていることにな。そして、周りの人間も彼女と同様に気が付いていなかった』
「異能に気づかない? そんなことがあるのか?」
通常、異能は五歳から十歳までの子供に現出するのだが、その際に必ず自分が異能を使ったことを認識する。
そして、一度発動した異能は己の意のままに操ることはできるのだ。
なので、アベルが話したような自分の異能に気付かないなんてことは、まずない。
『それがあるんだよ。実はマリーの異能は大したものじゃなかったんだ。その上、火を出したり、武器を創り出したり、派手なものでもなかった』
「ほう。一体どんな異能だったんだ?」
『全ての方向を眺められる異能さ』
アベルの妻であり、カレンの母――マリーの異能はどこに目を向けていても、常にどの方向の景色も見える、という能力だった。
だが、はっきりと見えるわけではなく、どんな形の物体がどのくらい接近している、みたいなことが何となくとわかる程度だった。
ゆえに、マリーは幼い頃にこの異能を発現させても、己が異能力者とは気づくことはなく、また周りも少し危機察知能力に長けている女の子としか思っていなかったのだ。
「そういうことだったのか。だがその異能、戦闘には非常に役に立ちそうだがな」
『まあな。そういう面もあって、カレンはマリーの遺伝子が組み込まれた剣を持っているんだよ』
「どの国でも異能力者の遺体は必ず固有武器にされてしまうからな。でも、子供からすれば辛いんじゃないのか。常に母親の遺体を持っているようなものだぞ」
異能力者の遺体の一部は百パーセント固有武器に使われてしまう。
だが、カレンのように家族の遺伝子で作られた固有武器を所持している者はほとんどいない。
理由は単純なこと。
苦しいからだ。
父が、母が、息子が、娘が、死んでしまったことが直接的に伝わってくる。
それが堪らなく辛く感じるからだ。
『あいつはマリーが大好きだったんだ。世界で一番な。だから、ずっと一緒にいたかったんだろう。たとえ、彼女が死んでしまっていてもな』
「なるほど。感動するくらいの親子愛だな。だが、結局そんな美しい剣のどこに問題があるんだ? 全くないように思えるが」
麗が問うと、暫く間が空いた。
それだけ話しにくいことなのだろうか。
空いた窓から緩やかに風が入り込み、彼女の綺麗な長い髪が揺れる。
その後、ようやくアベルが口を開いた。
『あいつは抜いたことがないんだ。マリーの剣を。たったの一度もな』
「剣を使わないだと。それでは所持している意味がないではないか」
『父親としては意味がねぇ、とまでは言いたくねぇが、まあそんな感じだ。
それと対魔獣恐怖症。カレンがそいつを発症する時、必ずマリーの剣に話しかけるんだ』
「それは……幻覚だな」
対魔獣恐怖症は魔獣に対して異常なまでの恐怖を感じ、一時的に精神が破壊される。
その時に、人によっては精神を安定させるために幻覚を見ることもよくある。
『俺はよ、どうもあの剣のせいで病気が治らねぇんじゃねぇかって心配してんだよ』
「では、その武器を取り上げればいいではないか。そうはしなかったのか?」
『何回かそうしようとしたさ。けど、カレンは意地が何でも離さねぇんだよ。それで子供にあまり乱暴なマネはしたくねぇから諦めたんだが』
「ほう。それはまあ……仕方がないな」
麗も英人に力づくで何かをやらせたくはない(ときたま脅迫まがいのことをしてしまうが)。アベルの気持ちはよくわかっていた。
「だがアベル・ベルージ。貴様の考えは間違っていると思うぞ」
『? それはどういうことだ?』
「まあ要するにだな……」
カレンが対魔獣恐怖症になってしまった原因は、彼女の母――マリーが魔獣に食われているところを見てしまったから。
そして、症状がだいぶ軽減された現在、アベルはマリーの遺伝子が組み込まれた剣を所持しているから、カレンの病気が完治しないと思っている。
だが、麗としてはそのマリーの遺伝子が組み込まれた剣こそが、対魔獣恐怖症を乗り越えるカギを握っていると考えている。
それも取り上げる、手放す等ではなく、もっと別の意味で。