『11』
翌日の朝。
英人は寮の出入り口前に佇んでいた。
勿論、昨日受領した依頼を行うためだ。
本日は英人にとって勇者学校の生徒としては初めて依頼を挑む日である。
しかし、依頼自体は十五歳になったら受けられるので、英人は適齢期を迎えた時点で近場の役所に貼られてある高難易度の依頼を片っ端から受注して、成功させた。
故に、今回の高難易度の依頼も彼にとっては容易にクリアできる案件なのだ。
但し、不安要素がないわけではない。
「言っておくが、お前が足を引っ張って一人で死にそうになっても助けてはやらないからな」
「フッ、アンタなんかに心配されなくても大丈夫よ。バカにしないでくれるかしら」
カレンは長く赤い髪を指で払ったのち、そう言い返した。
「そういや、昨日大変だっただろ」
「一体何の話かしら?」
「反省文だよ。やり直し言われまくって手が疲れてるんじゃないのか。もしそうなら、今日は来なくてもいいんだぞ」
昨日、英人とカレンは剣を出して打ち合いになっているところを、二人の担任である藍に見つかった。
その後、規則違反として彼女らには反省文を書かされたのだ。
「何を勘違いしているのか知らないけど、アタシは一発で受け取ってもらえたわよ。やり直しなんて一言も言われていないわ」
カレンの言葉に、英人は唖然とした。
まじかよ。
あの自分にも他人にも厳しい藍さんが自身の生徒の反省文を一発OK出すなんて。
そういえば思い出したぞ。
こいつ、一応入学試験トップなんだっけ。
なら座学もイケるってことか。
「アタシはアンタみたいにバカじゃないのよ。一緒にしないでくれるかしら。実に不愉快だわ」
「う、うるせぇ。もうとっとと依頼をしに行くぞ」
逃げるようにそう言うと、英人は制服のポケットから依頼書を取り出す。
「えっと、転移用紙は……これか」
ある物を見つけると、英人は依頼書からそれを剥がした。
彼が手に持っている物は縦横五センチメートルの正方形の紙――転移用紙。
これは依頼書に必ず付いている物で、破ることにより依頼を行う現場まで瞬時に移動させてくれる道具である。
このような特殊な道具を特殊道具と称する。
特殊道具は固有武器と同じく既に亡くなった勇者の遺伝子を元に作られており、固有武器と違う点は消耗品であること。
ゆえに、転移用紙も一度破って効力を発揮してしまえば、二度と使用することはできない。
「おい、カレン。俺の身体を触れ」
「っ! は、はぁ!? れ、レディーにいきなりなんてこと言うのよっ! セクハラで訴えるわよっ!」
「そういう意味じゃねぇよ。転移用紙は破った本人に加えて、そいつに触れている人数分運ぶことができるんだよ。上限は五人までだがな。そんなことも知らないのか」
耳まで真っ赤にさせて怒るカレンに、英人が説明をした。
すると、彼女は取り乱したことを誤魔化すように、一つ咳払いをした。
「そ、そうだったわね。アタシとしたことが忘れていたわ」
「大丈夫かよ。嫌だったら帰ってもいいんだぞ」
「か、帰らないわよっ! さっさと行きましょうっ!」
カレンは声を上げると、英人に近づき彼の制服を指でつまんだ。
「お前は乙女か」
「し、失礼ねっ! これでも乙女よっ! 何か文句あるのかしらっ!」
「いや、別に」
睨みを利かされ反論するのも面倒になった英人はビリッと勢いよく転移用紙を破った。
その後、破れた紙から白く目映い光が発すると、それは段々と広がっていき二人を呑み込んだ。
☆
「ここが今回の依頼の場所か」
現場に着くと、ひとまず英人は周りを見渡した。
多くの木々が無造作に並んでおり、それ以外は何もない。
「九ノ神島ね」
九ノ神島。
日本列島南方に位置する無人島。
島の全てが無数の木々で覆われており、島全体が森と化している。
「今回の依頼はここに住み着いている魔獣の残党を倒して欲しい、とのことだ。ここは過去魔獣たちの領地だったらしいからな」
「でも、今は魔獣を率いていた領主が死んで日本のモノってわけね」
「そういうことだ。だから、ここに民間人が住めるように魔獣を退治しなくちゃいけないんだ」
「なるほどね」
カレンは鞘から一本の剣を抜いた。
それは彼女の固有武器である『炎神剣』。
英人との模擬戦で見せた武器と全く同じだ。
「相変わらず引くほど真っ赤な剣だな」
「アタシの武器をバカにしないでくれるかしら。この森ごと焼き殺すわよ」
カレンは英人を睨むと、剣を構えたのち身体の周りに炎を発現させる。
(そんなことをされたらランクポイント貰うどころか、何かしらの違法に引っかかって罰金を食らいそうだ)
「頼む。それだけはやめろ」
「ふんっ」
カレンはそっぽを向いたのち、炎を消す。
すると、英人の目にふと奇妙な物が映った。
「お前、もう片方の腰に付けてあるソレはなんだ?」
英人が示した先は『炎神剣』を収めていた鞘が付いていた箇所とは反対側の腰。
そこにはもう一つ鞘が携えられていた。
「これも剣よ。戦闘では使えないけどね」
「なんでだよ。使えばいいんじゃないか」
二つ剣を使用する剣士――双剣士は勇者にだって多数存在する。
それこそカレンの父――アベル・ベルージだって大剣を二本使う珍しいスタイルではあるが、歴とした双剣士だ。
「無理なのよ。理由は言えないわ」
「そうなのか……」
カレンが顔を俯かせると、英人はそれ以上何も言わなかった。
人それぞれ事情というものがある。
きっと彼女にも何かしら明かせないことがあるのだろう。
「っていうか、アタシよりもアンタの方が変な剣を持ってるじゃない」
カレンから指摘され、英人は自らが手にしている剣に視線を移す。
刀身は銀色に輝き、柄は黒色。
長さは英人の身長の半分よりやや長め。
見た目はいかにも和風な剣だ。
「これは日本刀をモチーフにした俺の固有武器なんだよ。自国の武器をバカにするな」
「日本がねぇ……っ! そういえば、アンタこの前の模擬戦の時にそんな武器使ってなかったじゃないっ!」
「まあな。寮に引っ越すときに修理をしていたんだが、間に合わなかったんだよ。だから、お前との模擬戦は校内の倉庫に余ってた武器を使った」
それを聞いて、カレンは悔しげにギリッと歯ぎしりをした。
英人は最初から固有武器ではなく、民間人でも使用可能の武器を使った。
要するに、彼はカレンとの戦闘で初めから本気を出すつもりはなかったということだ。
「アンタ、どれだけアタシをコケにしたら気が済むの?」
「は? 俺がいつお前をコケにしたんだよ?」
思い当たる節がないと言わんばかりの口調。
カレンが自分自身のことを強いと思っていても、英人にとっての彼女は大した存在ではないのだ。
そして、その差異がカレンにとっては堪らなく腹立たしかった。
「もういいわ。さっさと依頼に臨みましょう。あんまりのんびりしていると日が暮れてしまうし」
「あ、あぁ。そうだな」
カレンが先に森の中へ進むと、それに続いて英人も歩き出した。
(この依頼で絶対に証明してみせるわ。アンタよりもアタシの方が上だということを)
☆
二人が生い茂る木々の間を歩くこと数十分。
未だに魔獣の姿は一匹たりとも捉えられていない。
「ホントにこんなところにいるのかしら」
汗だくになりながらカレンはぼやく。
今日の島の気温は三十度を超えている。木々の葉や枝なのである程度陽光が遮られているとはいえ、それでも暑い。
「早く魔獣を見つけないと、こっちが滅入りそうだな」
そう言った英人も上着を脱いで、ブラウスのみの格好になっている。
勇者学校の制服は戦闘用に作られており、通気性も良いはずなのだが、現在はほぼ無風状態なのであまり効果が発揮できていなかった。
「ねぇ、そっちにはいた?」
カレンはやや離れた位置で探している英人に訊ねる。
しかし、彼からは「いねぇよ」とだけ返ってきた。
「なによ。役立たずね」
「ちょっと待て。見つけられていないのはお前も一緒だろ。なぜ俺だけが責められなきゃいかん」
「あれ? アンタが捜索役でアタシが討伐役じゃなかったかしら?」
「ちげぇよ。勝手に他人の役割を決めるんじゃねぇ」
そんなやり取りをしながら、二人は再度魔獣を探す。
だが、なかなか発見することが出来ない。
「ここ、本当に依頼で指定された場所なんでしょうね。魔獣が見つかる気配すらないんだけど」
「依頼書に付いていた転移用紙を使って来たんだ。間違っているわけがないだろ」
しかし、妙ではある。
かれこれ数時間魔獣を探しているが、まだ一匹も見つからないなんて。
「朝から来たっていうのに、もう昼過ぎちゃうわよ。さっさと終わらせて帰りたかったのに」
「文句を言うな。なんなら一人で帰ってもらっても――っ!」
不意にカレンの後方から何かが現れた。
百二十センチくらいの人型の影。
それは彼女に襲い掛かろうとしているように見える。
「おいお前っ! 後ろっ!」
英人が声を上げたのも束の間、カレンは自身の固有武器『炎神剣』を鞘から抜き出すと、物凄いスピードで身体を回転させたと同時に影を切り裂いた。
その後、影は消え代わりにバサリと何かが落ちる音が聞こえた。
「どうやら今回の魔獣はリトルオークのようね」
カレンが視線を落としながら言ったのち、英人も影の正体を確かめるために彼女へと近づく。
すると、カレンが言った通り彼女の足元にはリトル―オークの死体が転がっていた。
「こいつは緑色の皮で覆われた人型の魔獣だ。たしか朝はこいつらの運動エネルギーの源でもある太陽の光が少ないから、地面の中に潜んでいるんだっけか」
「えぇ。それで太陽が最も高く上がった時から西へと沈むまで、この魔獣は活動するのよ」
「なるほど。どうりで朝に探しても出てこないわけだ」
魔獣にも様々な姿形や性質がある。
そして、その中にはリトルオークのように欠陥がある魔獣もいるのだ。
そのような魔獣は近年生まれてきたのではなく、第一次異世界大戦が開戦した当初から生息している、いわば古来種である。
そして、この古来種は今となってはあまり強くなく、勇者学校の生徒の依頼の標的になりやすい。
「さすが学校の依頼ね。こんなザコが出てくるなんて」
「そういうことは言うなよ。勇者学校の依頼はあくまで生徒が勇者になった時のための実戦演習を兼ねたものなんだ。
そう簡単に強い魔獣でも現れてみろ。
生徒たちが勇者になる前に全滅しちまう」
「ったく、日本人はホント臆病よね」
そう言うカレンだが、英国内の勇者学校でも依頼には、戦場で戦っている勇者からしたらそこまで強い魔獣は出てこない。
これは日本や英国に限らず、世界中の国の勇者学校も同じことを行っている。
それでもどの国の勇者学校でも、魔獣が出現する依頼を受けて死亡する生徒が年間数十人は出てしまうのだが。
「もう反論する気にもならないな。まあいい。そろそろお喋りする時間でもなくなってきたしな」
英人とカレンの周りを囲むように、森の奥から無数の影が現れた。
赤い瞳で二人を睨みつけるそれらは、全てリトルオークだ。
「まったく。なんでアタシがこんな雑魚を相手にしなくちゃいけないのよ」
「不平不満を漏らすなら、どうぞ帰って頂いても結構だぞ」
「っ! ムカつく言い方ね。いいわよ。このザコたちをアンタよりも多く殺してやるんだから」
「そうかよ。そりゃ助かる」
そんなやり取りを終えたのち、二人は各々の剣を構える。
そして、リトルオークの群れが飛び出してきた瞬間、彼らも一気に前進した。
「死になさい」
リトルオークが次々と飛びかかってくる中、カレンはそれらに斬撃を与えつつ、剣で処理できない個体を彼女の異能『豪炎』で焼き殺していく。
「フッ、やっぱりザコね。相手にもならないわ」
本来、彼女の異能と剣術の組み合わせは一対複数という戦況で真価を発揮する。
つまり、現在の戦闘がカレンにとっては最も戦いやすい戦場となっているのだ。
「あいつ、随分と派手に戦うな。誤って森を燃やさなければいいんだがな」
カレンを傍目に、英人は襲ってくるリトルオークを剣で切り落として、確実に殺していく。
カレンとは違って、彼の戦闘スタイルは多数の敵にはあまり向いていない。
それゆえ、敵を倒し終えるのにそれなりの時間がかかるのだ。
「英人っ! こっちはもう終わったわよっ!」
依然、英人が魔獣と対峙している中、後方からそんな報告が聞こえた。
ちらりと後ろに目をやると、カレンの周りにはリトルオークの死体しか残っていない。
「そうか。よくやったな。こっちはまだ少し時間がかかるから、そこで待ってろ」
「そうね。それもいいんだけど、アタシは超優しいからアンタの分も手伝ってあげるわよ」
そう言い放つと、カレンは身体の周りに炎を発現させる。
どうやら本当に手伝うつもりらしい。
(ったく、しょうがねぇな)
「身体強化」
英人がそう口にした刹那、まだ残り数十体はいたリトルオークの体が一瞬にして真っ二つに斬り落とされた。
全ての魔獣を殺したのち、英人は徐にカレンの元へと近寄る。
「なによ。やればできるんじゃない」
「なんで上から目線なんだよ。あと、この異能はなるべく使いたくないんだ。短くてもクールタイムがあるからな。使いたいときに使えなかったら困る」
英人は剣を鞘に収めると、周辺を見回す。
特に他の魔獣がいるわけではなく、魔獣の残党はこのリトルオークだけだったようだ。
「これで依頼完了だ。すぐに帰って受付に報告するぞ」
「ちょっと待ちなさい」
英人は依頼書に取り付けてある帰還のための転移用紙を剥がそうとすると、突然カレンがそれを制した。
「なんだよ。もう魔獣はいないぞ」
「えぇ。でも、今日アタシが何体倒したか、アンタに言ってないでしょ」
本日、カレンは英人に魔獣の討伐数で勝負するつもりで彼と同じ依頼を受けたのだ。
よって、カレンが魔獣を殺した数は彼女にとって最も重要なこと。
「別にそんなこと知りたくもないんだが」
「うるさいわね。大人しく聞きなさい。アタシはね三十二体殺したわ」
「ふーん。そうなのか」
「それに対して、アンタはニ十体ちょい。これはアンタよりもアタシの方が優秀ってこおになるわね」
ビシッと指をさして言い放ったカレン。
しかし、それに英人は呆れるように溜息をついたのち、依頼書から帰還用の転移用紙を剥がした。
「ちょ、ちょっとなによ。その反応は」
「なにって、別に何もねぇよ。とにかく帰るぞ」
英人のつまらなそうな表情を見る限り、彼は討伐数にも、カレンが彼よりも多く魔獣を殺したことにも関心がなかったらしい。
(っ! ホントコイツはなんなのよっ!)
それを察したカレンは怒りに任せて英人の胸倉を掴むと、そのまま彼を持ち上げた。
「おう。すごい力だな」
「またそうやってアタシをバカにして。アンタ、いつになったらアタシを見るのよ」
剣士科の授業で初めて打ち合いをして以来、英人は一度もカレンに興味を抱いたことがない。
模擬戦の時も、今も、彼は一人だけ別世界を見ているかのようだった。
そして、それはカレンにとっては耐えがたいことだった。
今まで英国にいた時も、日本に来た時も、彼女は誰からにも注目され、期待され、賞賛されてきた。
カレン・ベルージに会った誰もが彼女の自尊心を満たしてくれたのだ。
しかし、英人だけは違う。
見下すことよりもひどい、全く関心のない瞳でカレン・ベルージを見据える。
その行為は彼の中に彼女が存在しないことと同義だ。
そして、英国最強の勇者――アベル・ベルージの娘としてのプライドを持つ彼女にとって、それは許されないことである。
「アタシを見なさい、歴然 英人」
「俺の視力が悪くなきゃ、視界に入っているはずなんだがな」
そう誤魔化す英人に、カレンは睨みつけたのち彼を手から離した。
「もういいわ。アンタにはこれ以上何を言っても無駄みたいだから」
そう言ったのちカレンは英人の肩を鷲掴みにした。それもかなり強い力で。
「さあ帰りましょう」
「了解」
英人が転移用紙を破くと、島に来た時と同じように二人は白い光に包まれた。
こうして英人とカレンは勇者学校の生徒として初めての依頼を無事終わらせた。
ちなみに、本日の依頼完遂により英人の『カラー』は白へと変わった。