プロローグ 『1』
少年――歴然 英人は目の前の光景に只々呆然としていた。
激しく燃え上がる炎。
それが村を、家を、人を焼き尽くしていく。
「だ、誰かぁ! た、助けてぇぇぇぇっ!」
火の海の中から救いを求める声が聞こえる。
英人はそちらに目を向けると、そこには全身が燃え立っている女性。
もはや人の形を成していないそれは、倒れ込みながらも必死に地獄から抜け出そうとしていた。
「あ、熱いっ! 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
悲鳴を上げながら、それでも前へ進んでくる女性。
しかし、ほんの数秒で動きは止まり依然身体に炎を纏わせたまま、息絶えた。
(な、なんでこんなことに……)
ついさっきまでは平穏な、いつもと変わらない日常を送っていたはずだった。
親父と朝の稽古をして、母さんが作った飯を食って、森に狩りをしに行って。
なのに、どうして……。
十二時間前――。
だだっ広い草原で一人の少年と一人の大人が戦闘訓練をしていた。
「おりゃっ!」
英人は木刀を片手に声を上げながら、彼の父――歴然 隆一へと飛びかかっていく。
しかし、それを隆一は最小限の動きで難なく避ける。
「まだまだ動きが甘いぞ英人」
「くそうっ! もういっちょ!」
再び英人は真正面から隆一へ向かっていくと、間合いに入った瞬間、勢いよく剣を振り下ろした。
それを見て隆一はまた無駄のない動きで剣を躱すと、英人の脳天にチョップを食らわした。
「痛ってぇ!」
突然の衝撃に、英人は頭を押さえながら身体をよじって悶える。
そんな彼の姿を眺めて、隆一は嬉しそうに表情を見せる。
「ハハっ! 英人、そんなに痛いか?」
「痛てぇよ。ちょっとは手加減しろクソ親父」
「当然している。まあお前が手を抜いたオレよりも弱いということだな」
「っ! くそうっ!」
隆一が馬鹿にするような笑みを浮かべると、英人は悔しそうに拳を地面にぶつけた。
(このままだと勇者になんてなれるわけねぇっ!)
北海道東部の辺境に位置する、とある村に英人は住んでいた。
そこは一面見渡す限り草木しか見えないド田舎で、やることと言ったら森の中を追いかけっこで遊ぶか、両親が営んでいる酪農を手伝うか、今朝のように隆一と剣の稽古をするかだ。
隆一は元軍人なので英人よりは何倍も強い。それゆえ、英人は一度も彼を負かしたことはなく、それどころか傷一つつけたこともない。
「親父、そろそろ牧場行かなくていいのか?」
そう問う英人は胡坐をかきながら、木刀を紙やすりで整えていた。
金属製の剣を砥石で研ぐのと同様、木刀も打ち合いをした時は刀身が歪んだりするのでそれを直す必要があるのだ。
「英人、それ要らなくないか? だって今日もオレに掠り傷一つ付けられなかったわけだし」
「う、うるせぇよ! これはいつか親父を倒した時のための練習をしてるんだ!」
隆一と毎日早朝の訓練をすること五年
今年で十歳となった英人だが、依然隆一に一つも剣を当てたことがない。
しかし、それは英人の実力がついていないわけではなく、彼の成長に合わせて隆一が徐々に本来の力を出しているからでもあった。
当然、そのことに英人は気づいていないが。
「それよりも牧場は? そろそろ牛にエサ与える時間だろ?」
「あぁ。それはオレ一人でやっておくよ。それよりもお前は朝飯食ってこい。母さんが焼きたてのパンを作って待ってるぞ」
「まじかよ! やったぜ!」
英人が無邪気に喜ぶと、それを見ていた隆一は朗らかに微笑む。
「な、なんだよ。キモチワリィぞ」
「いや、お前もまだまだ子供だなと思ってな」
「だ、誰が子供だっ! 俺はもう立派な剣士なんだよっ!」
「敵に剣を当てられない剣士なんていないけどな」
「っ! く、くそうっ!」
英人は苛立ちをぶつけるように紙やすりで木刀をひたすら擦る。
「なあ親父。俺にはいつになったら異能が仕えるようになるんだ?」
不意に英人が問う。
すると、隆一はやや言葉に詰まったのち答えた。
「何言ってんだ。まだオレにも勝てないお前に異能なんて発現するわけないだろ」
「だ、だけど……」
「それよりも、早く母さんの所へ行って来い。その間オレは牛たちと戯れてくらぁ」
二ヒヒ、と歯を見せて笑うと、隆一は牧場の方へと歩いて行ってしまった。
「親父、ぜってぇー何か隠してるな」
父の背中を怪しげに見据えながら、英人はそう呟いた。
今から約百年前。
アメリカの中心都市の一つに奇妙な穴が出現した。大きさは半径五メートルほど。まるでブラックホールのようだった。
その存在は瞬く間に全米、全世界へと伝わり、顕現してから一週間経ったのち、研究チームによって本格的に調査が行われた。
だが、五年の時を費やしても穴の正体は分からず、一部では金と時間の無駄だと中止を促す者たちも現れ始めていた。
そんな時だった。
ある日、研究チームが普段通り調査をしていると、不意に見たことのない生物が穴の中から出てきたのだ。
全身が緑色の鱗を覆われて、腕や足腰は人間とは比べ物にならないくらい筋肉質。
体長は三メートルほど。自らの身体と同程度の巨大な斧を軽々と手に持っていた。
そんな不気味な生き物に研究者たちは全く恐れることはなく、むしろ歓喜の声を上げた。
近年、研究に対して周りからの反発が強まり、ストレスを溜めていたせいだろう。
武器を持っている生物が目前に恐怖より、新しいことを発見した喜びの方が勝ってしまったのだ。
しかしそれも束の間、謎の生物に一瞬で研究者たちのほとんどが殺された。
そしてその日を境に、世界各地の主要都市にアメリカに現出したものと同じような穴が次々と出現し、そこから謎の生物が大量に出てきては人間を見境なく殺した。
この騒動によりどの国も一時パニックになったが、かろうじて生き残っていた一人の研究者の報告により、謎の生物たちの目的が判明した。
『人間の滅亡、世界の支配』
研究者によると、片言の英語でそう伝えてきたらしい。
その後、それは全世界へと伝えられ、謎の生物を『魔獣』と呼名し、各国が殲滅対象と定めた。
そして、この日の出来事がきっかけとなり、現在も尚続く、世界対世界の戦争――第一次異世界大戦へと発展している。
「そいでな、現在から約五十年前に、突如として『異能』という力が人間にも宿るようになったのじゃ」
自宅へ帰る道中、偶然にも村長と会ってしまうと、魔獣が出現してから異世界大戦に至るまでを長々と話された。
しかし、
「……ジイちゃん。その話はもう百回は聞いたよ」
英人が呆れるように溜息をつく。
しかし、村長は構わず話を続けた。
異能――『魔獣』を殺すために顕現した能力。
生まれた経緯は未だに不明だが、その力によってそれまで押されていた人間側が幾つかの領地を取り戻すことができた。
日本においては、一時関東まで占領されていたが、異能によって魔獣たちを関西まで後退させることができた。
ちなみに、異能には様々な力がある。
炎を操る異能。
物を生み出す異能。
傷ついた身体を治す異能。
他にも数百種類が存在するが、その全てが化学でも物理法則でも説明できない不可思議な力であった。
しかしこんな不透明な力にも、僅かだが明らかになっていることもあった。
まず異能は五歳から十歳までの人間が発現する。もしこの間に異能が宿らなかった場合、その人間はこの先絶対に異能という力を得られない。
次に異能は一つだけでなく、人によっては複数の種類を扱えるケースも実在することがわかった。
現在、地球上で何億人という異能者が存在する中で、二つ以上の異能を所持している能力者は世界でたった数百人ほど。
ちなみに、人間が異能を発現させる確率は約四十パーセント。決して高いというわけではない。
そのため、複数の異能を持つ者たちは『神に選ばれた者たち』と呼ばれている。
「っていう話をさ、ジイちゃんから聞かされたんだよ」
木製の家具で囲まれながら、英人は焼きたてのパンにかじりついた。
「村長から? ふふっ。それって何回目かしら?」
「もう百回以上は聞いた」
英人の言葉に、彼の母――恵理子はクスッと笑った。
黒髪を肩口まで伸ばし、色白。端正な顔立ちはアラサーとは思えないほどの童顔。
それと彼女自身の小さな身長も相まって、見知らぬ人にとっては二十代、いや十代と勘違いされてもおかしくない。
「ジイちゃんの話はいい加減聞き飽きた」
「こら、そんなこと言わないの。村長はきっと英人と話すのが楽しいのよ」
そうなのか。
ただ俺以外に話し相手がいないだけのように思えるけど。村長、村人に対して威厳ゼロだから、誰も立ち止まって話を聞こうとしないし。
「まあ勇者を目指す俺にとっては、何回聞いてもタメにはなるけどな」
「はいはい。早くパン食べちゃいなさい」
適当に流す恵理子に、英人はジト目を向ける。
「俺は絶対に勇者になるからな。十五を迎えたら、都心に出て勇者学校に通うんだ」
決意を言葉に出す英人に、恵理子は深く嘆息をつく。
「いい? 英人、勇者なんてやめなさい。そんなことお父さんも許さないわよ」
勇者――人間に異能が芽生えてまもなく誕生した職業だ。
主に戦争の最前線へと赴き、少数精鋭で魔獣を殲滅する。常に死の危険と隣り合わせの仕事と言っても過言ではない。
「それに英人には異能がないでしょ。どの道勇者になるどころか、学校にだって入れないわ」
「そ、それは……」
勇者は国の英雄だ。何故なら、常人ではなかなか倒せない魔獣たちを、時としては一瞬で殺してくれるのだから。
しかし、そんな勇者となるには幾つかのルールがあった。
その中の一つに、異能を一つ以上持たなければならず、その上勇者を育成する機関――勇者学校に在籍をし、優秀な成績を収め卒業しなければならない、という項目がある。
「英人は今年で十歳。もう異能は現出しないわ。諦めなさい」
「そ、そんなことないって! まだ次の誕生日を迎えるまではチャンスがあるし。きっとそれまでに最強の異能が宿るよ」
パンを目一杯頬張りながらマッスルポーズをする英人。
そんなふざけた格好に、恵理子は微笑みつつ、どこか安心していた。
きっと英人に異能は発現しないと。
*本日四話更新予定です。




