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23時の缶コーヒー

作者: 逢沢 萌

 その日の朝、部長はものすごく機嫌が悪かった。

朝っぱらから何が起こったんだ!? 通勤途中に頭上から鉄の塊でも落ちてきたのか? っていいう位に、それはもうキョーレツに。部下が朝の挨拶しても、ムスッと軽く頷く程度。

「珍しいね~、穏やかで思いやりにあふれているあの部長が、あんな態度とるなんて」と給湯室では事務の女子達がヒソヒソ喋ってる。


 ああ、原因はあれだ・・・、と私は思い当たった。


昨日、部長は野崎さんに女の人を紹介したがってたんだ。部長がよく行くビアバーの店長で、部長曰くすごく素敵な人らしい。部長は、独身で彼女がいない野崎さんにピッタリだとおせっかいを焼いたんだ。

 でもね、野崎さんにそんなお見合いなんて余計なお世話だっつーの!

野崎さんがそんじょそこらの女に釣り合う訳ないじゃん。ただの親父キラーでしょ。バーの女なんて。


野崎貴志・・・ウチの会社の若手のホープ。年齢は32歳で入社3年目から3年間ロンドン、2年間タイの海外赴任を経て、2年前に本社に戻ってきたエリート。頭がよくて仕事は抜群にできる。背が高くて細マッチョ。顔はかなり整っている方で、芸能人と言っても通りそう。し、か、も、行動力も判断力も兼ね備え、性格は温かい、意地の悪さも僻み根性も持ち合わせない公正な人だ。天は2物も3物も与えた・・・という典型だ。

もちろん、モテる。もてないハズがない。社内で1,2を争う位モテる。だけど、赴任から帰って以来一度も彼女がいるという話を聞いたことがない。自分に自信がある社内の美女たちが幾度となく告白しているらしいけど、ことごとく断られているらしい。断り文句はいつも同じで「忘れられない女性がいるから、付き合えない。ゴメン」らしい。そのうち、その話が浸透して、告白する人は減っているようだけど、やっぱりひそかに思いを抱いている女は多い。


 私だってその一人だ。

空気を読んでないようで、いろんなことがわかってる彼には、こっそり助けられたことが何度もある。この部署にきた当初も、数少ない女性総合職として肩肘はってた私がミスをした時、周りの視線はひどく冷やかだった。

全てが空回りしてくじけそうになった時、「ひとりで抱えるな。シコってしまう前にまわりに相談しろ。同僚は何のためにいる? 上司に報告してるからいいってわけじゃないぞ。」って呆れたように、わざとみんなの前で言ってくれた。その言葉をきっかけに、個人主義だったうちの部が、困った時は助け合うチームワークの部に変わった。

変わったのは部のメンバーだけじゃなくて、私も同じで、仕事のやり方や人との接し方も変わった。彼に追いつきたい、彼に認められたい、いい仕事がしたい、そしていつか彼の瞳に映りたい、そう思って日々仕事と自分磨きにせいを出している。

だけど彼女たちのように自分の気持ちを表に出したことはない。同じ部で働いているから、もし断られたらその後が気まずいし、断られない自信ができたときに告白したいと思っている。っていうか、早く昔の女のことは忘れて、私を好きになって欲しい、できることなら、彼から私に告白して欲しい・・・。ま、そんなこと思いながら、いつもそっけない態度とってるんだけどね。天邪鬼で高いプライドは私の標準装備ですから!? 悪い? と、開き直る不器用な自分が悲しい・・・。


「部長、すげえ、機嫌悪いのな~」

「あ、細田君、おはよう」

「なんかあった?」

「いや、どうなんでしょ?」

あいまいにほほ笑む。ふーん、と部長から目を外し、チロっと横目でこっちを見る。隣の席の細田はオフィスに入ってきた途端にピリピリした雰囲気に気が付いたようで、カバンを机にドカッと置きながら小声で話し掛けてきた。面白そうに眉を上げてにやりと笑う。相変わらず目力のある男だ。

 ウチの部は二人のいい男がいる。野崎さんと、この細田。

重厚な印象のある野崎さんに対して軽快で明るい細田。栗色のサラサラの髪、スマートなスタイル、涼しげな目元、意思が強そうな眉毛、一見華やかで軽そうな男なのに、仕事に対しては着実でかなりのやり手だ。細田は私たち同期の中でも一番できる男で、一番モテる男だ。同時進行の恋愛事は聞いたことがないけど、彼女は絶えたことがないらしい。誰かと別れたら即効誰かに告白されて付き合ってる。いつも彼女のスペースはキャンセル待ちの行列ができている。野崎さんとは正反対のタイプだけど、野崎さん同様とても人気がある。だけど、私は同じ歳のこの男が苦手。そのいつも面白そうなことを探してる、好奇心を隠さない目が苦手。


「おっ、このピリピリの原因登場だぜ」


始業開始時間ギリギリになって、野崎さんがオフィスに駆け込んできた。

ニヤニヤしながら、意味ありげに私に目くばせする。細田も私が気づいたのと同じことに気付いてるみたいだ。相変わらず抜け目がない。

「なんか野崎さん、雰囲気ちがくない?」

「は?」 内緒話風にこそこそ話しかけてこられて私は眉間にシワをよせた。あちこちからの女子の視線が痛い。

「おお!」

細田の何か分かったみたいな声に、私も野崎さんを見つめる。そしてハッとした。ホントだ。雰囲気がいつもと全く違う。いつも朝は若干けだるそうなアンニュイな感じだけど、光り輝くスッキリ感。明るい喜びのオーラ、隠しきれない嬉しそうな表情・・・。まるで別人のよう。一体何があったの?

「あのスーツとネクタイ、昨日と同じじゃね? シャツは違うけど・・・」

細田の言いたいことはわかる。野崎さんはオシャレで、毎日糊が効いたピシッとしたシャツとシワがないスーツを身に着けてる。ネクタイも二日続けて同じなんてことはない。ってことは・・・。

ヒュウ。細田が私にしか聞こえないような小さな口笛を吹いた。



取引先とのランチミーティングからのの帰り道で、恐れていた予想は現実のものとなった。

取引先もウチの会社も、どうにも引けなくなって紛糾している事案の息抜きにとランチミーティングが開催されたのだけど、いつもはアドバイザー的に私と細田の後ろに控えていてくれる野崎さんが、ニコニコと強い笑顔をまき散らしながら積極的にガンガン攻めてあっという間に事案をまとめてくれたのだ。


今までの膠着状況は何?っていう位の鮮やかな決着にウチのメンバーだけでなく、取引先までもあっけにとられていた。そのミーティングの帰り道、またも細田が余計なひと言を言ったのだ。

「野崎さん、今日はいつもと違いますね。あのスピーディな進め方。鮮やかな交渉術、びっくりしましたよ」

「ああ、あの会社はまだ付き合い出したばかりだから、君たちのやり方でと、今まで様子を見てたんだけどね」

「いや、野崎さん、まとめるの早いし。あんなに紛糾してたのに相手納得してるし。俺たちの出る幕ないじゃないですか。まいったなぁ。やっぱりかなわないな」

「ははは。今日は特別気合い入れたからな。今日俺マキはいってんだよね。」

「何すか?それ」

「今日はさっさと帰るから。のんびりと相手の言い分聞いてるヒマなくってさ」

「へぇ」ニヤリとして細田は続けた。「それは今日の服が昨日のと一緒なことと関係がありますか」

「……。まいったなぁ」

野崎さんは照れ臭そうに頭をかいた。

そう言えば、朝あれだけ仏頂面だった部長はあるときから、いきなり上機嫌に変わった。いやにスッキリした嬉しそうな野崎さんの朝の顔を思い出して、そんなつもりなんて本当になかったのに思わず口から出てしまった。

「……、サイテー。会ったばかりの人と」

「えっ。」キョトンとした顔で振り返られた。目が真ん丸で、野崎さんのこんなビックリした表情、今まで一度もみたことないかも。私も動揺してしまって、言うつもりなんてないのに、勝手に口が動いてしまう。

「ずっと好きなひとがいるって言って、いろんな人の告白を断っているくせに、部長に紹介された会ったばかりの人と泊まったりするんだ」

「お、おまえ・・・何ムキになってるんだよ」

細田がフォロー入れてくれる。根拠なんてない。根拠なんてないのに、何でこんな失礼なこと言ってしまったんだろう。ただの後輩が言っていい言葉じゃない。ど、どうしよう。心の中で焦りまくりだけど、出てしまった言葉は取り消せない。

ちょっと、間をおいて、いつもと同じように野崎さんは優しい目で笑った。

「昨日、また会えたんだ」

「「え?」」

「別れて7年も経つのに、全然忘れられなかった女性だよ。部長が俺にビアバーの店長やってる人を紹介しようとしていた話、知ってるだろ? あんまりしつこいから一度だけ会えば話は終るかと思って、昨日、店に顔を出したんだ。遅い時間になってしまったから、部長はもう帰っていなかったんだけどさ。そこに、彼女はいた」

「えっ、もしかして部長が野崎さんに合うと紹介したがってた人は野崎さんの元カノだったってことですか?」

「そう」

「マジかよ。そんな偶然、あるんだ・・・。」

細田はあっけにとられた顔をしてたけど、それは私も同じだ。

「運命? すげーな。ってことは、もうまとまった? 野崎さんってそっちもそんなやり手だったんだ」

「……、ロンドンに赴任したときは、彼女はまだ大学生で、お互い若かったしいろいろ考えて別れた。それをずっと後悔してたんだ。何を大人ぶって理由知り顔をしてたんだろうってね。だから、やっと会えた今回はもう離さないつもり」

ちょっといたずらっぽく片目をつぶって笑って見せる。

ああ、この表情を私は独占したかったのに…。どす黒いものが胸の中に広がる。

「ええッ? まさかもう結婚? なーんてね」

細田のちゃちゃに意味ありげにほほ笑む野崎さん。

私は動揺を悟られないようにするだけで精いっぱいだった。顔に張り付いた笑顔が重い。


その日、野崎さんは定時で飛ぶように帰っていった。その日が休日の彼女と7年の空白を埋めるのだろう。午後からの仕事がちっともはかどらない。締切間近のものがあるのにヤバイな。頭の中はランチミーティングの帰り道で見た野崎さんが初めて見せた、いろいろな表情でいっぱいだ。別人みたいだった。あのアンニュイで誠実な人が照れたり少年のようなヤンチャな顔したり……。私がもっと早く告白していたら、ちょっとは違う結果になったかな? 少しは私を見てくれることがあったかな?


「もう23時過ぎてっぞ。まだ週の半ばなのに。大体そんなボーっとした顔で、能率あがるのか?」

「細田…。直帰じゃなかったの?」

「忘れ物あったから」

「ほら、帰る準備しろよ。一緒に会社出てやるから」

「いや、先に帰っていいから」

「つべこべ言うな。続きの仕事は明日だ、明日!」

「……、わかった」

気が付いたら、フロアーは私たち二人だけになっていた。

いつの間にかみんなか帰ってしまったらしい。そうだよね、まだ水曜だもんね。


トボトボと駅への道を肩を並べて歩く。

「元気出せよ」

「元気だよ。夜遅いからちょっと疲れてるだけ」

「野崎さんだろ」

ギョッとして細田を見上げた。

「なんで?」

「まるわかりだよ」

「ウソ、表に出てた?」

「いや。オマエ驚く程のポーカーフェイスだから、普通は気づかない」

「じゃ、なんで・・・」

細田がチロッっと横目で私を見下ろして言った。

「ずっと見てたから知ってる」

「えっ?」

「俺はずっとオマエ見てたから……」

意味が分からず、立ち止まって細田の顔を見上げる。眉をしかめて、不機嫌そうな表情をしてるけど、耳が真っ赤だ。

「?」

「だから、野崎さんのことをポーカーフェイスでずっと見ていた女の事を、俺もポーカーフェィスでずっと見てたってこと」

「は?……、それって!?」

「あ~、カッコわりィなぁ」

何か言わなきゃっと焦る私に

「あっ、何も言うな。今は何も。わかってる、わかってるから」

細田があわててる。いつも余裕な態度であわてるとこなんて見せたことないのに。

「弱ってるオマエにつけ込もうとか思ってないから。俺がこのまま強引に行ったら、今日は流されてくれるかもしれないけど、オマエのことだから冷静になったら、またぐずぐず悩むに決まってる」

「はぁ? 今日このまま流されるなんて、天と地がひっくり返ったってありえないから!」

「おお、元気じゃん。そうそう、そのいきだよ、楓ちゃん」

「ちょっ、なれなれしく名前呼びしないでよ!」

ははは、細田が軽やかに笑う。

私たちはそれからまた無言で駅までの道を肩を並べて歩いた。駅のホームで「じゃあね」と手を振ったら、

「家まで送るよ」って。

「いいよ、そんなの」

「心が弱ってるのに、フラフラしてちゃ危ないからさ」

「いいってば。家は駅のすぐ裏だから、電車を降りたらすぐなの。大丈夫だから。危なくないから」反対方向なのにわざわざ送ってもらうまでもないし、そもそも今日は一人で帰りたい。にらみ合いがちょっとの間続いたが、「じゃちょっと待ってて」と細田はどこかへ行ってしまった。あ~あ、春が近いとは言っても3月の夜はまだ寒い。手が冷えるな・・・。

「はいコレ」足取り軽やかに戻ってきた細田。いつも思っていたけど、足長いな。スタイルいいな。

「どうした、目が据わってるぞ」笑顔も23時というのにさわやかだな。私はハートブレイクと仕事の疲れで、黒い笑顔しかでてきませんが。

「あったかい」

細田が手渡してくれたのは、今評判の缶コーヒー。選び抜かれた豆を使った極上シリーズで普通の缶コーヒーの3杯の値段がする。期間限定のレアものだ。

「あったかいだろ。駅の自動販売機じゃあんまり売れないみたいで、このコーヒーだけいつも熱々なんだよ。これ懐に入れてあったまれよ。今夜は冷えるからな」

「うん。細田、サービスいいじゃん」

「まっ、今日はコーヒーに譲るけど、次は俺がオマエをあっためてやるから」

「細田、そんなこと言う人だったんだ……」

ただの同期だと思っていた男に、妙に色気ある笑顔でささやかれる非現実感。なんか嘘みたいな風景だ。



閉じた電車のドア越しに手を振る細田。姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれてる。その切なげで温かい笑顔に、さっきまで重く塞いでた気持ちがちょっとだけ軽くなった。今日はいろんなことがあった長い一日だったな。涙でにじんで窓の外が見えない。今夜だけ泣いてしまおう。ずっと見つめているだけで何も行動を起こさなかった私の臆病な恋心にさよならするために。


ふところにそっと手を重ねる。


23時の缶コーヒー。


……あったかい。


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