第七十四話 手紙
ベルフ達が部屋の中に入ってくると、エメラがパチっと指を鳴らした。その合図を受けたサラやギルドの職員たちが、新しく生まれ変わったマイケルやクリスを連れて部屋を退出していく。
その際、すれ違いに出会ったマイケルとクリスの目にヘドロのような深く濁った人間性を感じながらも、ベルフ達は彼等の背を見送ることしかできなかった。
「で、何の用件かしら。後ろにいるその二人と関係しているの?」
エメラからの質問に気を取り直すと、ベルフがエメラの机の前までやってきた。
そしてベルフは語り始める。
「例えば、例えばの話だ。俺が町中でちょっとした金稼ぎをしていたとする。そして、すこーしばかり街の人間達と交流していたとする。そんな時にお前の召喚した精霊が俺をいきなり上空20メートルばかし打ち上げたあと、くそむさいマッチョに激突させたとする。そんな出来事があったとしたらどう思う?」
「まーたベルフが悪巧みしていたのね、シルフはよく止めてくれたわ、と自分が召喚した精霊を褒めるわね」
「ガッデム!!」
ベルフがやるせなさMAXで机を叩いた。
「お前は俺が何をしていたか把握しているのか? 全部わかった上でそれを言ってるのか?」
「えーっとちょっと待っててね」
と、エメラが話を一旦中止させると、手をさっと空中に動かしてシルフを召喚した。
そうして召喚されたシルフが、その小さい身体をエメラの耳に近づけて、何やら内緒話を始めた。
それを見ていたキリがほうっと感心する。
「凄いな、自分の魔力だけを代償にして高位精霊であるシルフを召喚している」
マリーも同じように感心していた。
「あれ、召喚士としては一流どころじゃないわね。触媒も魔具も使わずにあんな事ができるなんて初めてみたわ」
キリとマリーがエメラの腕前を評していると、エメラの方もシルフとの内緒話を終える。
「シルフから聞いた限りだと街の人間達から不当にお金を巻き上げようとしていたらしいけど本当?」
「そんなことはない、この国で安全に過ごすための税金を徴収していただけだ」
もう既に出てきた単語がおかしかった。
「うちはギルドであって、町人から税を徴収する権力は持ってないはずなんだけど何の税を徴収しようとしてたの」
「ベルフ税だ」
ベルフ税。それはベルフが作り上げたベルフによるベルフのための税金だ。
通常の税金が国家運営のために国民から徴収されるものであるのに対して、こちらのベルフ税はベルフが楽しく生きる為だけに国民が日々の生活から絞り出してでも差し出すものだ。
その税金の使い道としてはベルフの食費、生活費、遊興費、貯金と様々な方面に使われ、国民の生活には全く一ミリも髪の毛一本ほども使われないのがポイントである。
つまるところ、チンピラがパンピーに行うカツアゲとほぼ同じものだ。
ベルフ税なるものを聞いたエメラは、掌にシルフを乗せるとその頭をなで始めた。
「よくやったわ、次からはもっと手加減しないでいいから本気でやりなさい」
エメラからの言いつけにシルフが首を縦に動かすと空中に消えていった。召喚の魔法が切れたのだ。
『おいクソアマ、それがベルフ様に対する態度ですか。このギルドにいる人間達は足の先から髪の毛一本に至るまでベルフ様のためだけに存在しているのですよ。反逆者は死あるのみです』
クソナノマシンであるサプライズからの恫喝を華麗にスルーすると、エメラが話を進める。
「で、用件はそれだけ?」
「いや本当ならエメラにお灸を据えるために町中から選んで来たキモマッチョストーカーをお前に会わせて付きまとわせようと思っていたんだが、そいつはさっきお空の彼方に消え去った」
そこでベルフが壊れたドアを指差した。その壊れている原因は先程エメラが放った魔法の仕業である。
『惜しい才能でしたね、あいつならきっとストーカーのてっぺんを目指せましたよ。それが、この女の魔法のせいであんなことになるなんて……』
「そうだ、全てお前のせいだエメラ、あいつがいなくなった全てがお前に原因がある。この責任はどう取ってくれるんだああん? 後ろの二人はあいつの仲間達で、あのゴリラがいなくなった悲しみに打ちひしがれている所だ。少しは悪いと思わないのか? 罪悪感はないのか? ん? ん?」
机を叩いて恫喝してくるベルフを無視すると、エメラがキリとマリーに話しかけた。
「この馬鹿は無視するとして、あなた達はそのことで私に文句でも言いに来たの?」
「いや、あのゴリラのことはどうでも良い。ちょっと探し人がいてな、多分あんたは知っていると思うんだが、この少女に見覚えはないか」
キリがそう言うと懐から紙を机の上に置いた。
キリの置いた紙には一人の少女が描かれている。年齢は10歳くらいだろうか、髪はポニーテールでまとめられており、目鼻立ちがはっきりとした美少女だ。どこか気品も感じられる。
その紙を見たエメラが悩んでいた。
「何処かで見たような、ちょっと思い出せないような、確かにどこかというか毎日みていたような顔なんだけど……あ、ちょっとベルフはこっちに来てここに座って」
エメラにそう言われたベルフがエメラの近くに移動すると、そのままエメラに則されてエメラの座っているソファーの隣に座らされた。
「よしっ」
『よしじゃありませんよこのクソアマが、最近貴女は地味にベルフ様に対して馴れ馴れしくなっているんですよ。とっとと離れんかッッ』
そのやり取りを見ていたボボスが酒を片手に口を挟んできた。
「それくらい許してやれよサプライズ。エメラも色恋の感情じゃなくて、ベルフにただ甘えてるだけだろうからよ。大体、ベルフが励ますからエメラが頑張りすぎて、こんな変な精神構造になっちまってんだぞ」
『知りませんねえそんなことは。と言うか原因をこっちのせいにしないでください。この女のメンタルは生まれ持った本性です、それが抑えきれなくなって噴出してきただけってもんですよ。と言うかこの女、最近ベルフ様の寝所にも入り込もうとしてきているんですが』
そのサプライズの言葉にエメラが返す。
「ごめんなさい、ここのところ徹夜が多いから夜のことはよく覚えてないの、なんだが記憶もところどころ抜け落ちてるから、私に悪気はないわ」
『こいつ、都合のいいドタマしてやがる……』
似顔絵についてもう話していない一行にキリが再度問いかけた。
「で、この紙に書かれている少女に本当に覚えはないのか?」
机の上に置かれているその紙を今度はボボスが覗き込んだ。そして、あっと驚いた顔になった。
「懐かしいなあ、これは昔のエメラじゃねえか、ほら10歳くらいの頃の」
ボボスに言われてようやくエメラも気がついた。
「あら本当。通りで見た覚えがあると思った、昔の私じゃない。どこでこの似顔絵を手に入れたの?」
マリーとキリがまじかーと言う顔をしていた。
「キリ、じゃあ本当にこの女がターゲットの王女様?」
「そういうことになるみたいだな」
「つまり、この魑魅魍魎が住む場所の主で、こいつを捕まえるか説得して国まで送り届けないと行けないってこと?」
「そうだ」
不穏な言葉を話しているキリ達にエメラが警戒の視線を向けていた。
「まあよくわからないけど、お近づきの印にこれでもどう? 味は保証するわよ」
そう言うと、フラスコに入った青色の液体状の飲料水をキリとマリーに差し出した。
「っと、このままだと飲みにくいわね……はい、どうぞ」
エメラは後ろにある戸棚からコップ二つ分を取ると、その中にフラスコから注ぎ込んで二人が飲みやすい形で差し出してきた。そう、このコップに注がれている青い液体こそ、先程マイケルとクリスを一撃洗脳した、エメラ渾身の洗脳薬であった。
それら差し出されてきたコップをキリが机の隅に置くと、エメラが文句を言った。
「人の差し出した物を飲まないとか、それは喧嘩を売っていると判断して良いのかしら」
「それをお前が飲んでみろ。そうしたら飲んでやる」
机においてあるコップを一つ掴むとエメラがベルフにそれを手渡した。ベルフの方も待ってましたとばかりに、それを受け取って飲み干していく。
「かーーっ味だけはいいな、味だけは。どうだキリ、お前も飲んでみろ」
『どうです? 新しい世界が見えること間違いなしですよ。ベルフ様からの誘い、まさか断るとはいいませんよね』
そう言われたキリは、残ったもう一つのコップを手に取ると近くにいるボボスに手渡した。物欲しそうに見ていたボボスの顔がぱあって明るくなる。
「さて、茶番はこれくらいにしてもらおう。俺達はシスト王国のクレイグ王からお前を連れてこいと依頼を受けたものだ。ここまで言えば分かるだろ、クレイグ王はお前の婚約者のはずだ」
クレイグと聞いてエメラの顔から表情がなくなる。能面のような顔に変わり、そして、その次に肩が震えだした。
「クレイ、グ、だと」
「そうだクレイグ王だ、そのクレイグ王がお前の身を案じて俺達をこの国に派遣したんだ」
エメラとキリが話す傍らで、ベルフが腕を組んで考えていた。
「シスト王国、クレイグ王、2つとも何処かで聞いたような気がするがどこだったっけか、サプライズわかるか?」
『えーっとなんでしたっけ……あ、思い出しました、あれですよベルフ様の故郷がシスト王国だったはずですよ』
「おー、あれか、そういえばロングラン家はシスト王国の領地だったな、そういえばしばらく帰ってないから親父と兄貴の顔を見に一度帰るのも良いかもしれんな」
『それは良い考えですベルフ様。顔見せついでにレベルアップしたベルフ様のお力で、今度こそロングラン領に暴虐の徒花を咲かせてみせませんか』
ベルフとサプライズが話している横で、エメラとキリの話は続いていた。
「つまりあなた達はクレイグの手先、と言うわけね」
「そうだ」
その返答を聞いたエメラの周りに精霊達が集まり始める。羽のついた小さな妖精であるシルフ、赤く燃えたトカゲの姿であるサラマンダー、石に手足が生えている土の精霊のノーム、丸い水球につぶらな瞳が二つあるだけのウンディーネなど、様々な精霊がエメラの周りに召喚されていく。
その姿を見たマリーがキリに問いかける。
「私には王女様が完全な臨戦態勢を取ってるように見えるけど気のせいかな」
「気のせいじゃない、俺にもそう見える」
「私達、依頼内容と依頼人の名前を出しただけよね、他には特に言ってないはずよね」
「そのはずだ、ただ、大体事情はわかったな」
「まあ確かに、あの王様ってことはそれですかね」
尚も膨れ上がるエメラの殺気に場が支配されていく。ちょっとしたラスボスへと変貌してしまったエメラを尻目に、ベルフがボボスの元へとこっそり近づいていた。
「おいボボス、クレイグってやつの名前を聞いて何でエメラはあんなに殺気立っているんだ。何か知ってるか?」
洗脳飲料水を美味しそうに飲んでいたボボスが一度手を止めると、ベルフの言葉に答える。
「クレイグ王ってのはエメラの婚約者なのは間違いないんだがな、それは間違いない、で、そのクレイグ王ってのは何歳くらいだと思う?」
ボボスからの返答を聞いてベルフがちょっと悩む
「んー、何歳だったかな、俺は親父や兄貴から式典関係は完全ハブにされていたから実際に目にしたことはないんだよな、三十歳くらいか?」
ベルフの言葉にボボスが首を横に振る。
『ベルフ様、三十歳では王としてはちょっと若すぎますよ、人はみなベルフ様ほどの才は持っていないのですから、事を成し遂げるのに時間がかかるものです。そうですねー、四十歳前後というところでしょう』
その言葉にボボスが首を横に振る。
「それなら五十?」
それについてもボボスが首を横に振る
『まさか六十?』
そこでもボボスが首を横に振る
「七十……」
しかし、まだ首を横に振った。
『八十とか言わないですよね』
そこでようやくボボスが首を縦に振った
ベルフとサプライズ、共にびっくりである。
「それとな、そのクレイグ王にはもう後継者になる子供から孫までちゃんといるんだよ。最初に婚約話が来たときなんかは、孫の婚約者としてか何かだと思ってたら開けてびっくり、クレイグ王からの熱烈ラブレターがエメラに向けて王城に届いたって寸法よ」
ボボスの話が続いていく内に、エメラの方も目から理性が失われていく。彼女の根本にあるところの攻撃本能が完全に開花していた。
怒れる荒神となったエメラに対して、しかしマリーとキリは落ち着いたものだった。
「力としてはちょっと魔法が得意な上級ダンジョンのボスってところですかね、問題なさそうですか?」
「剣を使うまでもない、素手で気絶させるから退路の確保を頼んだ」
コキッコキッと首を鳴らすとキリが長髪をたなびかせてエメラと素手で向き合う。その立ち居振る舞いには歴戦の強者の貫禄があった。
『何という余裕。さすがはレベル十を超えているだけはあります』
「レベル十を超えているだと?」
『その通りですベルフ様、私が勝手に観測した所によると、あの長髪の方はレベル十三、あの女の方はレベル十一です。どちらも常人の限界地点であるレベル十を超えている一級の人間達で、ベルフ様が目標にするべき到達点の一つです』
「あれが、俺の目指すべき到達地点の一つ……」
眩しい何かのようにキリ達をベルフが見つめていると、ついにキリとエメラの戦いが始まった。
初速から滑るようにトップスピードを出したキリが、瞬時にエメラの間合いを詰める。
その速度と歩法の見事さは横から戦いを見ているベルフ達でも、その動きに視線がついていけず突然エメラの目の前にキリが現れたような錯覚を受けたほどだ。
間合いを詰めたキリが、動きに反応しきれていないエメラの鳩尾めがけて当身の拳を打ち込む。気絶させるだけが目的の手加減していたそれだが、一連の動きから止まらずに繋げていたその打撃は、キリがエメラの近くに到達すると同時にエメラの鳩尾付近に拳が移動していた。
その打撃を打ち込んだキリの拳に手応えが返ってきた。まるで、頑強な石を素手でぶん殴った痛みをキリが感じると目標の達成を彼は確信――しなかった。
「なんだこれは、人の肉体か?」
「よく守ってくれたわノーム、褒めてあげる」
キリが戸惑いの中で殴った場所を確認すると、そこには石の姿をした精霊がいた。その精霊はつぶらな瞳が石の表面に描かれていて、手足がその石から生えていた、土の精霊のノームである。そのノームが何時の間にかエメラの鳩尾をかばうようにキリの拳の前に存在していた。
ノームに邪魔されたと理解したキリが続いて連撃をエメラに繰り出す。首、顎、胸、足、鼻下、腹、それらの部位にある急所めがけて幾つも拳と蹴りを放つが、全部ノームに邪魔される。ノームは一体だけではなく時には何体も召喚されて複数の石壁としてキリの攻撃を完全に防いでいた。
キリが埒が明かないとエメラの死角外から攻撃しようと側面に移動しようとするが、次はシルフがキリの体の周りに召喚される。それは一体二体ではなく、何体もだった、それらは合計で二桁にも登る数になるとキリの身体を風力で床から離れさせてしまう。
天井や床、壁などにキリが好き勝手に叩きつけられる。宙に浮いているため踏ん張りも聞かず身体の自由を完全に奪われているキリが何もできず、ボールのように辺り一面に投げつけられていた。
最後にシルフ達がエメラから見て向こう側の壁にキリを叩きつけると、今度はトカゲ姿の火の精霊がキリの身体をその魔法で燃やした。
「ぐあああああああああ」
全身が燃やされていく痛みにキリが叫びを上げる。火は不思議な事にキリ以外の何物にも燃え移っていなかった。これは精霊側が完全に火を制御しているからだ。
全身から焦げた煙を上げながらキリが倒れる。それを水の精霊が鎮火の意味を込めてキリの全身に水をぶっかけていた。
その一方的な戦いを見ながらベルフが言った。
「あれが、俺の目指すべき到達地点の一つ……」
『おいお前ら、もうちょっと気合入れろや!! 戦い前にあんだけ褒めた私の立場どうするんだよ、それでもレベル十超えてんのかふざけんな』
サプライズが怒るのも無理はない。特に彼女が敬愛する主人のベルフはこの状況を困惑の目で見ていた。キリ達を褒めていたサプライズの立場台無しである。
「え、キリ、マジで負けたの? 冗談よね」
「見誤った……あの女は素手で戦っていい相手じゃない」
息も絶え絶えの中でキリが鞘に入った剣を杖代わりにして立ち上がる。
今度は出し惜しみするつもりがないのか、その鞘から剣を抜き放って構える。
『大丈夫ですベルフ様、奴は剣を抜きました。考えてみればあいつは剣士、素手なんてのは剣士から見てみれば非殺傷用の為に使うサブウェポンのようなもの。剣士というものは剣を手に取ったその時こそ殺戮本能に身を任せた真の悪鬼羅刹となりうるのです』
剣を構えたキリの雰囲気が変わる。素手のときでさえある種の気迫を身にまとっていたキリであるが、剣を構えた時はそれが別格だった。それを見たベルフは、剣士としてはキリが自身よりも数段高い場所にあると理解する。
「なるほど、サプライズの言うとおりだ、先ほどのキリとはまるで違う」
『わかりますかベルフ様。レベル十三、人類でも一握りしかいないその領域に立ったものがついにその本気をだすのです。ふ、見てくださいやつの剣先を、あの光こそ高レベルの人間にしか使えないとされるスキルと呼ばれるものです』
サプライズの言っている通り、キリの剣先が光っていた。
それは、あふれる生命力を持って独自の技へと変える技法。高レベルという下地から更に努力を積み重ねて初めて使う事ができる破壊の技、スキルである。
『あの男の戦いは、同じ剣士としてきっとベルフ様の糧になるはずですよ。あの男の戦いこそベルフ様が目指す理想の戦闘スタイルなのです』
「剣を使うものとしての理想、それがあの男なのか」
ベルフとサプライズが真剣に推移を見守っていく中で、剣を構えたキリがマリーに話しかける。
「すまないが手加減できそうにない。王女の手や足の幾つかは切り飛ばしてしまうかもしれないが、その時は頼んだぞマリー」
「それについては任せて置いて、ついでにキリの怪我も治しとくから本当に頑張ってね」
先程まで壁に叩きつけられ、火に炙られていたキリの傷ついた身体が淡い光とともに癒やされていた。それは彼の仲間であるマリーの力であり、彼女がその僧侶としての力でキリの身体を魔法で癒やしているのだ。
今度こそとばかりにキリが本気を出してエメラと向かい合う。そして先手必勝とばかりにキリがその場で剣閃を幾つも振るうと、その必殺のスキルを解き放った。
剣閃に沿って幾つもの光がエメラの両手両足めがけて飛んでいく。エメラの方も途上に幾つものノームを配置するが、今度はその石の体が次々と光に切り裂かれていった。キリのスキルは、ノームすら切り裂くほどの力があった。
見たか! キリが自身の必殺剣に手応えを確信するが、その顔がすぐに絶望に染まる。視界いっぱいに石の壁が出来上がったからだ。
ノームの身体はたやすく切り裂いたキリのスキルであったが、その壁は切り裂けなかった。浅くない傷を石の壁につけることはできたが、その剣閃の全てがキキンと言う音を立ててそこで止まってしまった。
キリもそこで諦めず、一度では無理ならばと二度三度とスキルを使うが何度やってもその壁を超えることはできなかった。側面や死角も探したが、部屋の壁の端から端までびっしりと石壁が敷き詰められていて超えることが出来ない。
マリーのほうがエメラの召喚士としての腕前に絶望を感じ始めた頃、突然、スキルを連発していたキリの身体がまたもや壁まで吹き飛ばされた。
見れば、その石壁から大きな拳が突き出しており、それがスキルを使うことに夢中だったキリに不意打ちとして突き刺さったのだ。
またもや無様に倒れ伏したキリをベルフ達が見つめていた。
「あれが、俺の目指すべき理想の戦闘スタイル……」
『だからてめえらもっと頑張れっつうんだよ、あれか、私に対して嫌がらせしてんのか、レベル十三もあるのなら命の一つや二つ賭けてでもあのクソアマに一矢報いてみろや!!』
観戦者であるベルフ達も戸惑っていたが一人残されたマリーの方はもっと戸惑っていた。
「え、ちょっと聞いてない、なに、この化物みたいな召喚術は。王女じゃなくて魔王か何かじゃないのこいつ」
倒れ伏したキリ、戸惑うマリー、そして勝者として敗者達を冷静に見下すエメラ。
そのエメラがパチッと指を鳴らすと、その合図を受けたボボスが棺を二つ、次にフラスコに入った青い液体状の薬も二つ持ってきた。
「さあ、好きな方を選びなさい。さっき覗き見していたのならどういう意味かわかるでしょ?」
冷酷に処刑を言い渡すエメラ。つまりは拷問の果てに人格を改造されるか、薬を飲んでミラクルハッピーな人生を送るのかどちらかを選べということだ。
頼れるバトルメンバーであるキリはそこで伸びている。カーンの方はさっきお空の彼方に飛んでいって星になった。
戦闘員としては彼等二人に劣るマリーでは勝てる可能性は皆無であり、彼女の目の前には魔王エメラが存在している。
自身の人生がここで詰んだことを悟ると、マリーの目に涙が浮かんできた。元シスターである彼女が絶望の中で神に祈りを捧げ始める。
「神様に祈るのはいいけど、まずはどっちがいいのかを選びなさい。こっちの棺がいいかしら?」
棺内から、人類の脳髄を改造することに特化した拷問器具が、そのドリル音を響かせてマリーの精神を抉り始める。
もうだめだ、彼女が覚悟を決めたその時、マリーの懐から一枚の手紙が落ちてきた。
それは彼女が出発前にクレイグ国王直々に手渡された物である。エメラと出会った時に彼女に渡してくれと申し付けられていた手紙だ。
それは国王曰く、この手紙を渡せば彼女が望んでシスト王国に来てくれると、そう言われて渡された手紙だった。
ダメで元々、もはや他に手立てが無いと考えたマリーは、その手紙を最後の希望としてエメラの前に差し出した。
「ど、どうかその前にこれをお読みください。これを読めばエメラ王女自身がシスト王国へ来ることになると、そう手渡された手紙です」
マリーに向けてエメラが懐疑的な目を向ける。
「私自身が? ありえないわね、仮に出向くとしたらシスト王国を滅ぼすその時しかない。まあ、最後の悪あがきとして見てあげてもいいけど」
マリーから手紙を受け取ると、エメラが中身を読み始めた。一行だけ目を通し、次の二行も目を通し、そして――
「ガハアッッッッ」
次の三行目を読んだ時、エメラが血を吐いて倒れた。




