第六十八話 虚言
「おい貴様、隣の女性が苦しそうじゃないか、手を貸してやれ」
ベルフにそう文句を言ってきた男、その男は見た限りではカタギの人間には見えなかった。
髪は黒色で短髪で揃え、顔付きは険しい目と厳つい鼻。服装は、上下を黒で統一した道衣、下は動きやすい布製の靴を履いている。
腕周りを始めとした全身の筋肉ははちきれんばかりに膨れ上がっており、見ただけでかなり鍛えているとわかる。体格だってベルフよりも一回り大きい。
そんな、人間と金剛力士のハイブリッドみたいな生物がベルフを射抜くような目つきで睨んでいる。
唐突に始まる騒動の予感に周囲が緊張していると、当のベルフはちらりとその男を見返してから、さも当然のように言った。
「修行の邪魔だ口を出すな」
ベルフはそう言うと、文句を言ってきた男を無視して歩み去ろうとする。
想定していた展開と違ったのかベルフの言葉を聞いた男が口をポカーンと開けていると、ハッと我に返ってベルフに追いすがってきた。
「おい、待て!」
「なんだ? まだ用があるのか?」
『なんですかこいつはしつこい男ですね』
ちっなんだよこいつは、みたいな舐め腐った態度で巨漢を見つめるベルフ。実に態度が悪かった。
「だから、その女性が苦しそうなのに何で手を貸してやらないんだ」
「修行だからだ」
『修行だからです』
修行。断固とした声色で一辺の迷いなくベルフとサプライズはそう言い切った。その態度に文句を言ってきた男のほうが狼狽し始める。
「だから、修行とかそんなのは関係なくてだな」
「お前にはわからないのか? あの女の身の内に秘めた才能が」
巌のような静かに透き通った声でベルフが目の前の巨漢に語り掛けると、その態度に押された男がエメラの方を見る。彼女は荷物を持つのに疲れたのか、地面に手提げ袋を置いて座って休んでいる最中だ。スカートの裾からちらりと見えるエメラの生足に、周囲の男達の視線が釘付けになっていた。
「すまん、何の才能かさっぱりわからん。何の修行をしているんだ」
「ふー、本当にわからんのか……」
やれやれと言った態度でベルフはそう言うが、実のところベルフ自身もエメラの才能はわからない。なんとなく適当な事をほざいただけで、別に本当に修行のためとやらでエメラに手を貸していないわけではなかった。単にこの男をまともに相手するのが面倒そうだったから適当に言ってみただけだ。
先程のサプライズも、そんなベルフの意を汲み取って同じく適当な事を言ってただけである。
うーん、と少し考えると、更に後先考えずにベルフが次の適当な言葉を紡ぎ出した。
「あの女の才能、それはな」
「それは?」
「寝技の才能だ」
その言葉で周囲に衝撃が走った。ベルフ達の言葉に耳を傾けていた野次馬たちにもだ。
「ね、、、寝技だと……」
「寝技だ」
「と、言うことは修行というのは当然」
「寝技の修行だな、それも夜の方の」
「夜の方の!?」
あの荷物持ちにそんな深い意味が、いや馬鹿な、そんな事あるわけが……
「し、師弟関係だと言ったが、まさか、お前と彼女はその」
目の前の巨漢の肩に手を置くと、ベルフがにやりといやらしい笑みを浮かべてから
「それは言わなくてもわかるだろ?」
ベルフのその言葉に巨漢の膝が地についた。実を言うと巨漢の彼は、エメラに対して一目惚れに近い感情を持っていたのだ。そのせいもあって、彼には計り知れない精神ダメージがもたらされていた。おごごごごと口から泡を吹いて痙攣までし始めている。ベルフが虚言だけで敵を倒した瞬間だった。
その様子を見たベルフが、ふふふ、一仕事やったなーと満足していると不意に地獄の底から響くような怨念の声が聞こえてきた。
『ね、寝技、夜の寝技だと。おはようからおやすみまでベルフ様を見守り続けているこの私に不備があっただと、一体どこで、で、でで、で、デ、デ』
サプライズが嫉妬でバグを起こしていた。ベルフの言葉の流れ弾がクリティカルにサプライズの心の臓を撃ち貫いていたのだ。
『コ、コロス、アノアマ、ブチ、コロス』
殺意の対象をエメラにセットしたサプライズが般若のナノマシンと化した。限界突破してんのか、ベルフが左腕に巻いているリストバンドから、可視できるほどの怒りの赤いオーラを吐き出している。
そんなベルフ達の元にエメラがやってきた。
「もう十分休んだし行きましょうか、ところでさっき話してた寝技って何?」
「ああ、それは処世術における魔法の言葉だ。何か困ったことがあれば、夜の寝技が得意ですとか言っとけば大抵のことはなんとかなるぞ」
「へーそうなんだ」
間違った知識をエメラに植え付けながらベルフ達は帰り道を歩き始める。そうして、後ろでまだ嗚咽と絶叫を繰り広げてる巨漢の男を無視しながら幾ばくか歩いていると、前の方から目を引く男女の二人組が歩いて来た。
その二人組みの一人はシスター姿の女性だった。エメラに負けないほどの美貌を持った女性で、髪はショートカットで切り揃えられており、見るからに真面目な雰囲気を与えている。
そのシスターの隣りにいる男の方は切れ長の目をした青年だ。軽装の鎧姿に腰に剣を差した若い剣士に見えた。
その二人組の、シスターの方がベルフ達の視線に気がつくと、不意に声をかけてくる。
「すいませーん、ここいらで道衣姿のマッチョ見ませんでしたか。見れば一発で三日は忘れないむさ苦しい外見した男なんですけどー」
ベルフがその質問に軽快に答える。
「ああ、それなら向こうで嗚咽と絶叫を周囲に振りまいているぞ。知り合いなら早くなんとかしてやれ、町の人間の迷惑だ」
ベルフがくいっと親指を後ろに向けた。遠くの方で地鳴りのような嘆きの声が聞こえてくる。
「すいません、うちの仲間が迷惑かけたようです。キリもすぐに行きましょう」
女性の方がそう言うと慌てて駆け足になる。
しかし、キリと呼ばれた男はベルフ達をジーっと見つめて動かないでいた。
「ん、何だ、何か用か?」
「いや、なんでもない」
キリがベルフ達から視線を外すと女性の後を追っていった。その光景にベルフがなんとなく引っかかった感じを覚える。
『いやー、今の奴ら相当強いですね。試しにレベルを測ってみたらびっくりしましたよ』
先程までバグっていたサプライズがそう語りかけてきた。もう調子は万全のようだ。
「お、元に戻ったか、調子がおかしかったからどうしたものかと思ったぞ」
『それは心配をおかけしました、もう大丈夫です。冷静になってみれば、このアマとベルフ様が関係を持つ時間なんて無いとわかりましたからね。まあ、少し言葉の衝撃が大きすぎて、ちょっと北方に封印していた全自動殺戮マシンを呼び起こしてしまいましたが問題ありません、最悪死ぬのはその女だけです』
もう調子は戻ったとの報告にベルフが胸を撫で下ろす。なんだかんだでサプライズは大事な相棒なのだ。ただしエメラの方はサプライズの言葉を無視するわけには行かなかった。
「ねえ、最悪だと私は死ぬの? なんで? 私なにかした?」
『ケッッッカマトトぶりやがって』
「だからなんでよ!?」
吐き捨てる様に言うサプライズと困惑しているエメラ、二人の言い合いは遂にベルフ達が隠れ家に戻るまで終わることはなかった。
所変わって先程の場所。ここでは嘆きの像と化した巨漢と、それをなだめる周囲の男達がまだ残っていた。
「おご、ご、ご」
言葉にならない言葉を発しながら痙攣している巨漢。そして、その巨漢に周囲の人間達が慰めの言葉を掛けていた。
「あんたも元気だしなよ、女なんて星の数ほどいるさ」
「そうそう、他にもいい女はいるって」
「でも、あんな清純そうな子が……見た目によらないってあるんだな」
最後の言葉でまたもや巨漢の痙攣がひどくなる。しまったとばかりに失言をした男性が自身の口に手を当てるがもう遅い。あと一歩、なにかを聞けば命を失うところまで痙攣がひどくなっていた。
が、しかし、そこでポツリと別の人間が言った。
「でもよ、夜の××が得意で修行中ってことはその修行が完成した時はどうなるんだ」
「それはお前、修行が完成したら……どうなるんだ?」
周囲の話を聞いていた巨漢が、そこで痙攣を止める。いままでショックで霞がかっていた思考がようやく本来の働きを取り戻し始めた。
確かに、あの男は修行中だと言った、ではその修行が終わったらどうなるんだ? 夜の寝技の修行とやらが終わったら一体あの女性はどうなるんだ。唐突に湧いてくる疑問に巨漢の身体に正義の気力が満ち溢れてきた。そして、そこで天の声が届いた。
「辻切りだ」
バッと言う擬音を出しながらその声のした方を全員が一斉に振り向く。そこに一人の剣士がいた。
「師というものは、弟子の修行が完成すれば実戦経験を積ませる為に辻切りをやらせるのが普通だ。人かモンスターのどちらを相手にするのかはしらないがな」
その声の発した人間はキリだった。彼は剣を腰に携えながら努めて冷静に答えた。
そして、それがトリガーとなる。
巨漢がゆったりと起き上がる。
「夜の××の辻切り、しかも相手が人かモンスターかもわからない、をやらせるだと……なるほど、あの男は外道……本物の外道か」
人間離れした体格を持つ巨漢に本気の怒りが満ち溢れていた。
「あの女性を冥府魔道から救うために今ここで俺は鬼になると誓う!」
巨漢の表情が鬼のそれに変わっている。そのいかつさ、人相の悪さ、それどれもが周囲の人間が本能的に、巨漢から10メートル以上は離れてしまうほどのものだった。
キリが元気になった巨漢を見つめていると、そこに遅れて先程のシスターがやってきた。
「カーンの馬鹿、へこんでいると聞いてたけど元気いっぱいじゃないの。心配して損した」
「なんだか知らないが弟子の修行が完成したらどうするかで悩んでいたらしい。だから、ちょっとアドバイスして見たらあの通り元気になった」
ちょっと元気すぎるのか周囲をオーラで威圧しているカーンを見て、心配はなくなったとシスターが安堵する。
「それは良かった、あんな馬鹿でも腕っ節だけは頼りにできるからね。それにしても厄介な依頼よね、お姫様を誘拐してくれなんてさ。あいつら冒険者をなんだと思ってんだろうね」
そう言いながら、ひらひらと一枚の紙をシスターが服から取り出して空中で揺らす。
その紙を見ながらキリも同調した声で言った。
「そうだな、全くその通りだ」
ひらひらと揺れるその紙には、エメラの似顔絵が書かれていた。




