第六十六話 母は強し
「あーのクソバカどもが!」
ベルフ達への暴言と勢いに任せてドアを力強く締めると、エメラは自身の部屋の中を一つ見回す。
エメラの為、特別にこさえられた部屋は広く、この中には錬金術の実験用の器具や高純度の水晶などの貴重な素材、それに高く積み上げられた各種の魔術書などがあった。
それらの道具を見ながらエメラがため息を一つ吐くと、もはや日課になっているとある実験を始める。
各種の薬草を磨り潰した粉を水の入った魔石製の黒い釜の中に入れると釜に蓋をする。その釜にエメラが魔力を注ぎ始めると黒い釜が赤く発光し始めた。
そのまま十五分ばかり経った頃にエメラが釜の蓋を開ける。そしていつもどおりの光景に肩を落とした。
「なんで成功しないの……」
釜の中にはただ薬草の溶けた緑色の水だけがあった。何の変哲もない、薬草が溶けた、ただの水だ。
「やり方は間違ってない、それは覚えてる。材料も道具も同じ……いや、そもそもこんな簡単な材料と手間で作れるほうがおかしいのはわかってるけど」
エメラがその場にへたり込むと、不意にドアのノックする音が聴こえてきた。コンコンという力の弱い優しい音だ。へたり込んでいたエメラは気を取り直すと、ノックされたドアを開ける、そしてそこには、沈痛な顔をしたベルフがいた。
「何か用でもあるの?」
ベルフを見てエメラの放った言葉は少しきつい口調の言葉だった。
そして、ベルフはその言葉に反抗するでもなく、暗い顔のまま答える。
「いや、さっきのことはすまないと思ってな、まさかお前にあんな過去があるなんて知らなかった」
『ええ本当です、まさか貴女にあんな事情があるとは……少し前の自分を殴ってやりたいくらいですよ』
ベルフとサプライズが心底反省したという声を出していた。彼等にしては珍しく、裏表のない本当に心に響く声色である。そして、それに一番驚いたのはエメラ本人だ。
「そ、そう、えっとそんなに反省してるなら許してもいいけど」
ちょっと後ろに引きながらベルフ達にそう言うエメラ。ベルフのこんな顔を見るのは初めてだった。
「そうか許してくれるのか良かった……ところでエメラ、お前の過去の事で少し聞いてもいいか?」
「何かしら」
「雪山で遭難した時、雪だるまの太郎が身を挺してエメラを庇った後どうなったか教えてくれ」
「は? 太郎?」
『あと私からも一言いいます。太郎が死んだ後、毎年命日に霊峰カルナに素装備で登山を敢行する気持ちはわかりますが、そろそろ気持ちを落ち着けて新しい想い人を見つけてもいいと思いますよ』
二人が異次元な言葉を喋りだしたので、エメラの頭がフリーズする。
「え、ちょっとまって欲しい。二人共なに喋ってるの?」
「だから、雪山での氷精とのラブロマンスの話だろ?」
『そっすよ、ボボスから聞きましたよ。いやー、王女にしては中々アグレッシブな人間っすね。他にもジャングルの中での耐久180日サバイバルの話は人類の生きようとする意思に限界は無いんだと改めて私達に教えてくれました』
嫌な予感がしたエメラがベルフを押しのけて一階のリビングまで降りると、そこではエメラお気に入りの下着を片手に持ってボボスが大泣きに哭いていた。
「エメラ、あんな事さえなければお前がこんな姿になることすらなかったのに!! あの魔女の攻撃さえ防げていれば」
ボボスが持っている下着は黒色のレースのパンツだった。王女様が所持しているにしてはちいとばかり過激だが、正真正銘エメラの下着である。
呆然としているエメラの肩に手が置かれる、遅れてやってきたベルフ達だ。
「いまのお前が錬金術で作られたホムンクルスの身体に魂だけ乗り移らせているってのも聞いた。そして、本物のエメラの肉体は悪い魔女の魔法であの下着に変わっているとも」
『任せてください、私とベルフ様が必ずその魔女を退治してやります。今はただ、忠臣ボボスのあの悲しみに暮れる姿だけを目に焼き付けておいてください』
完全アルコール状態のボボスがエメラの下着に顔を埋めて鼻をチーンとかみ始める。涙と鼻水で、エメラの下着は大変可哀想な事になっていた。
「正座」
怒れる大魔神と化したエメラがマジカル女王様の鞭を手に持って仁王立ちしていた。
そのエメラの前にチョコンとベルフが正座をしている。
『先生、ちょっと質問いいですか?』
サプライズが、ベルフの左腕のリストバンドから疑問の声を発した。
「良いだろう、質問を許す」
『先程からボボス君の叫び声が凄いんですけど、ボボス君が入っているあの箱は何でしょうか』
部屋の隅っこにある白銀の白い箱の中から、この世のものとも思えない叫び声が聞こえてくる。ベルフとサプライズの聞き間違えでなければ、それはボボスの声だ。
「私が錬金術の秘奥で作り上げた対ボボス用の最新式拷問器具だ、わかったか」
『あ、はいわかりました』
なおもボボスの悲鳴が轟くこの空間で、美しいお顔を魔人に変えながらエメラが話を続ける。
「そこのアル中が言ったことは全て忘れろ。これからちゃんと説明してやる」
そのエメラの言葉にベルフ達が反発を覚える。
「でも俺としてはボボスの語ったほうが真実で確定しているんだが?」
『そっすね、大事なのは受け取ったこちら側が何を真実だと思うかなんですよ。一人一人真実は違うものだと学校で教わりませんでしたか?』
ベルフとサプライズの戯言を聞いたエメラが無言でボボスが入れられている箱を鞭で叩く。そして、それに合わせてボボスの悲鳴が一段と大きくなった。この悲鳴こそ、エメラがベルフ達に向けて放つ黙れの合図である。
エメラからの合図を理解したベルフ達が無駄口をやめて沈黙する。
そのベルフ達の態度を見たエメラが、魔人モードを取りやめると普段の形相と話し方へと戻った。
「さて………まあ掻い摘んで話すと、元々は、私がエリクサーを作り上げたせいで他国へと嫁ぐ婚約が解消されたことが全ての発端よ」
通常モードになったエメラにホッと胸をなでおろすと、ベルフが合いの手を入れた。
「それはお前の婚約が解消されたって事か?」
「ええ、私がしていた婚約が解消されたって事よ」
そう話すと、自身の体を抱きしめるようにしてエメラが震え始める。怜悧な美貌から一転して、普段全く見せないような怯えた表情になる。
そして、サプライズの方は婚約ではなく、エリクサーという単語に反応した。
『エリクサー……ああ、そういえばエリクサーの噂を聞いてこの国まで来たんでしたっけ、忘れてました。ベルフ様は覚えてましたか?』
「いや全然、むしろ今初めてエリクサーという単語を聞いた気がしたくらいだ。本当に俺はエリクサーとやらを求めてここまで来たのか?」
『いやー確かそうだったはずですよ、私も自信がないっすけど』
マイペースな馬鹿二人が騒ぐ中で、エメラが話を進める。
「ま、そのエリクサーのおかげで私の価値が上がりすぎて婚約が解消できたから助かったのは事実よね。父も、私がこの国にいた方が特になるって判断してくれたし。本当、エリクサー様様だわ」
「価値が上がった?」
「そう、価値よ。わたしの価値が上がりすぎたの」
「ほう……」
『ほう……』
自分の価値が高すぎる。そんじょそこらの人間が言ったのなら、生涯に渡ってネタにされるべき黒歴史級の発言であるが血統に才能に美貌まで加わったエメラが言えばそうはならない。せいぜい周囲が嫌な気分になる程度の言葉ですむのだ。ただし、この時点での話と言う前提ではある。
「サプライズ、今の言葉は録音したか?」
『ばっちし録音しました、年季物のワインのようにじっくり置いてから後日蒸し返すんですよね』
「おうよ、出来れば子供や孫ができて情操教育を始めた辺りがベストタイミングだ、忘れるなよ」
『わっかりましたー』
ベルフとサプライズの二人の行動にエメラが首を傾げる。彼女は何が悪いのか理解していなかった。
「まあいいわ、それで元々あった婚約話は解消されるはずだったんだけど……はずだったのに、王妃である母がそこを理解してなくて勝手に縁談を進めているの」
エメラの話にベルフが今ひとつ理解してなかった、別に元々あったものだし進めりゃいいじゃんと思っている。
「サプライズ、よくわからんから補足を頼む」
『まあ話を聞いた限りですと、この女は貴重なエリクサー製造機なんすよ。他国に渡すよりも自国で囲って死ぬまでエリクサーを作り続けさせたほうが儲けになると周囲が判断しているのに、母親が勝手に他国へ放出させる縁談を進めさせてるってことなんでしょうね』
「ふーん」
鼻くそほじりながら聞いていたベルフだが、なんとなく話を理解した。
「よくわからんが、別に城から出る必要なくね? 正面切って婚約は嫌だとごね続ければいいじゃん」
「私もそう思っていたけど、こういう時の母は超が付くほど強引なのよ。ちなみに、城から出るきっかけになったのは無理やり婚約者の所まで送られそうになったからよ。ああなった時のあの人に話は通じません」
肩を落としてエメラがため息を付いた。そのエメラにサプライズが気になった所を質問する。
『そういや、父親である王様の方はどうなんすか? 話を聞いてる限りこの国の最高権力者のくせにへたれてんのかほとんど活躍してませんが』
「父は完全にわたしの味方だけど、ちょっといま城を離れていてね。おかげで母を止められる人が城にいないのよ。逆に言えば、父が帰ってくるまでの間があなた達の護衛期間だと思ってくれると助かるかな」
なるほど、父親が帰ってくるまでが護衛の期間か。もう一月以上エメラの護衛をしていたが、初めて任期についてベルフは知ることになった。主に、情報屋業が楽しすぎてエメラを護衛しているという自覚が全く無かったことが原因である。
そして、そこでふとベルフが気づいた。
「なあ、エメラちょっと質問していいか?」
「別にいいわよ」
「俺は一体誰からお前を守るんだ? 俺はてっきりこの家に来る強盗や不審者から守るだけだと思っていたんだが、もしかしてお前の母親が差し向けてくる騎士や兵士達も相手にしなきゃならんのか?」
「それは……状況次第かなー」
エメラがバツの悪そうに目を背けた。
『おい、そこの糞女。まさかベルフ様にそいつらの相手までしろと言うんじゃないでしょうね。いくらなんでも一般兵士の給料分しか依頼料を貰ってないのに、一国の軍事力を相手取って一緒に逃げ続けろとか無茶な要求をこちらに言わないですよね』
「た、たぶん大丈夫。味方の騎士や兵士も幾らかいるし、少なくとも近衛騎士は全部こっちの味方だし。ここの家だってそういう協力者達が用意してくれたんだから」
サプライズからの厳しい詰問にエメラがしどろもどろで答える。説得力皆無であった。
「まあでも本当に平気だと思うわ。でも、まあもしかしたら……いや、いくらあの変態ロリコン糞爺でもそこまでやるわけないか」
『本当に大丈夫なんでしょうね。いざとなったら私達だけでも全力で逃げますからね』
「え、それはひどくない!? 一度依頼を受けたんだし死ぬまでやり抜くのが筋ってもんでしょ」
『何言ってんだこのクソアマは』
ギャーギャーと喚くエメラとサプライズ、それと先程から悲鳴を轟かせたままのボボスを無視して、ベルフは一人確信していた。これが普通の護衛依頼として終わることがない事を。




