第六十五話 ダニエル
エール国の王城、その城内にある庭園にて一人の女性がいた。
高価そうな白いドレスに身を包み、温和な笑みを浮かべながら歩く一人の女性だ。彼女の名前は王妃サフィ、エメラの実母である。そのサフィは、従者である近衛騎士と何かを話していた。
「そう、あの子はまだ見つからないのね」
「申し訳ありません」
王妃であるサフィがそう呟くと、従者である騎士はバツの悪そうに俯いた。
「エメラも、なにが嫌で出ていったのかしら、縁談はもう決まりかけているというのに……」
サフィが頬に手を当てながら困った顔をしていた。
それを見ていた従者である騎士が、そのサフィに向かって話しかける。
「あの、王妃様。エメラ王女についてですが、本当によろしいのですか?」
その言葉にサフィが不思議そうな顔をする。
「何のこと?」
「いや、ですから王が御不在の今、エメラ王女の婚約話を勝手に進めてもよろしいのかと……」
「何か問題でもあるの? 元々進めてた婚約でしょ?」
「ですが、エメラ王女は優れた錬金術師でもありますし、国にとっても手放しては行けない人材なのではと思いまして、それにエリクサーについてもエメラ王女の力が必要なのでは」
「どういう事?」
サフィが本当に理解できないと言った顔をしながら騎士の話を聞いていた。騎士の方もそんなサフィに慣れているのか、それ以上話を続けるのを切り上げる。
「いえ、なんでもありません。出過ぎた真似でした」
「? そう、まあよくわからないけど気にしないでね」
「はい」
そう言うと、騎士が一つ頭を下げる。
「じゃあ、引き続きエメラの捜索をお願いね。全く、あの子ももう子供じゃないんだから、王女が家出なんて何を考えているのかしら」
サフィはそう言うと、城の中へと戻っていった。
『誠意が足りませんねえ』
エメラの隠れ家、もといベルフ探偵事務所にてサプライズのドス声が響き渡る。ちなみに、サプライズの宿主であるベルフはえっらそうな椅子に膝を組んで座っていた。
『偉い騎士様が不倫なんていけませんよぉ。確か、お子さんも二人いらっしゃるとか聞きましたが』
そして、そのベルフの目の前には一人の騎士が土下座の格好で地面に頭を擦り付けていた。
「どうか、どうかそのことは御内密に。婿養子である私が不倫したと知られては、家での立場が!!」
そんな壮年の騎士が土下座かましている姿を見下ろしながら、ベルフが葉巻を口に加える。
「火」
「は?」
ベルフの言葉に騎士が間の抜けた声を出す。
「火」
『おらー、火をつけろってことですよ察しの悪い騎士様ですねえ』
「わ、わかりました」
騎士が慌てたようにベルフに近づくと、指先に小さな魔法の火を灯してベルフが加えている葉巻に火をつける。それに満足したようにベルフがゆっくり葉巻から煙を吸うと、溜めていた息を煙と一緒に騎士のおっさんの顔面に吹き付けた。
ゲホゲホと咳をしているそのおっさんをドアの隙間から覗き見ている二人の人物がいた。この家の真の主であるエメラと、その従者であるボボスである。
「ねえ、あれって騎士団長のダニエルよね、わたしの見間違いかしら」
「ベルフ、あんなに立派になりやがって……」
戸惑っているエメラとは対照的にボボスのほうが感動で目頭が熱くなっている。無論、今日も絶好調にボボスは酒をリットル単位で摂取していた。
「あいつらは約束通り、この街一番の情報屋になったんだ。あいつらならやれると思っていた」
「へー、そうなんだ」
護衛として雇っていた人間が知らない間に情報屋として大成してたらしい。少し前までは依頼料一万ゴールド達成記念で喜んでいた程度だったはずなのだが、現在はそれが桁一つ上がっているとも聞いている。
「でも信じられないわね。ダニエルって傲慢で嫌味ったらしくて、間違っても冒険者にあんな下手な態度で接する人間じゃないはずなんだけど」
「情報を制するものか全てを制する。今、ベルフはこの街を支配していると言っても過言じゃねえ!」
雇っていた護衛が何時の間にかこの街の裏番みたいなものにのし上がっている事実にエメラは驚愕する。一応、表の番長である王家の人間としては看過できる事では無い。
と、そうしている内に、ベルフとダニエルに動きがあった。
「で、お前はこの情報に幾らの値をつける?」
「い、一万、いや二万ゴールドまでなら」
『はあぁぁぁぁーーー!? 二万ゴールドですかぁーーーー!?』
そこでサプライズがインターセプトする。
『騎士団長様の熱々不倫騒ぎの証拠をたっった二万ですかぁーーー? こっっんなくっきりと写っているマジカル写真とばっちり音声が残ってるマジカル録音テープにたっっったそれだけの金額なんですかぁーーー? 失望させないで欲しいですねえ』
サプライズの、その怒声に合わせるようにベルフが葉巻を吸って煙を吐く。中々悪役が板に染み付いている。
「それにしても思い出すなダニエル。お前の部下がここに初めて来た時のことを」
「そ、それは……」
そこでダニエルがバツの悪そうな顔をする。
数日前、ダニエルは政敵と成り得る、とある人間の弱みを握る為に情報屋であるベルフの元へと部下を向かわせた。で、詳細は省くが、そこでのダニエルの部下達の態度が一言で言うと、サプライズブチ切れ級の傲慢な態度であった。
結果、報復を誓ったサプライズが全力を出した為、このように親玉であるダニエルは弱みを握られることになった。言ってしまえば、ベルフ達を完全に舐め腐ったために虎の尾を踏んでしまったのである。
「確か、情報屋風情に払う金は無いだったか?」
「それは、ベルフ殿の事をよく知らない過去の自分達の失態でして、当然、今はそれっぽっちも考えていませんですので」
『言い訳は良いんですよ、出すもんとっととだしやがりなさい。最低でも二十万ゴールドからです』
サプライズの恫喝にダニエルが身を竦めた。言われた通り金を払って素寒貧になるか、それとも一か八かに賭けてベルフ達を亡き者にするか……道は2つに1つだった。
そして、サプライズがそのダニエルの殺気に気がつく。
『おっと、変な考えはしないようにしてほしいですね。まさか、証拠がこれだけだとお思いですか? 当然、町中に隠れている私達の仲間にも保険として同じものを渡してますからねえ』
主であるベルフを代弁するかのようにサプライズがノリノリで悪役を演じていた。演じているというか、かなりサプライズの素が入っていた。
『そう言えば他にも横領の証拠も揃えていましたね。その分も含めて、まあ五十万ゴールド程度で良いですよ、私達は優しいですから』
これが止めとなったのか、ダニエルの身体が膝から崩れ落ちる。歯の根がガチガチと震えて、完全に冷静さを失っていた。
ベルフがそんなダニエルを見ると、葉巻を吸いながら余裕の態度で語り掛ける。
「サプライズ落ち着け。実はダニエル殿には無料でこれらの証拠を渡しても良いと思っている」
『本気ですかベルフ様?』
「ああ、本気だとも」
ベルフの言葉にダニエルの顔がぱあっと明るくなる。壮年の髭面のおっさんが、眼だけ輝かせて、まるでベルフを聖人か何かのような目で見ていた。そして、ベルフの次の言葉にダニエルの度肝が抜かれる。
「失踪しているエメラ王女についての情報と引き替えになら無料で渡してもいいと思っている」
ぶーっとダニエルが吹き出した。
「な、なぜそれを。それは騎士団の中でも一部の人間にしか知らされていない物だ、いくらなんでも民間の人間が知るわけが」
「オレが知っていたら何か不思議なことでもあるのか?」
大悪党よろしく、堂々な態度でベルフがダニエルを睨みつける。実際の所は、その件の王女様がこの家に住んでいて、それで知ってるんだよーとは微塵も匂わせない態度である。
「情報は金になる。それがこの国の王女の事となれば……後はわかるだろ?」
「そ、それは……しかしもし私が情報を漏らしたとバレでもしたら」
『大丈夫ですよ、ここには私達しか居ませんからバレやしません。それとも、浮気と横領の類いの証拠、合計で百万ゴールド用意してお買上げしてくださるんですかあ?』
「ご、五十万のはずでは」
『利子ですよ利子、うちは十秒で一割の十一を基礎の利率にしてますからねえ』
その言葉に観念したのか、ダニエルが肩を落として、エメラの失踪についてと現在の捜索具合について、ベルフに語り始めた。
『いやー、今回は完璧でしたね、必要な情報も騎士団へのコネも手に入りました。私達がこの国を支配するための大事な足がかりができましたよベルフ様』
「良い演技だったぞサプライズ」
勝利の美酒を味わいながら、ベルフ達は満足していた。ちなみに、ダニエルはもう帰っており、先ほどまで隠れていたボボスやエメラもこの場所に居た。
「ねえちょっと聞いていいかしら? 前にも言ったけどあなた達はここになんのために居るのか本当にわかってる?」
「この国一番の情報屋になってエール国を影から支配するためだろ? ちゃんとわかってるさ」
『騎士団のトップは押さえたので次は実務の所も押さえたいっすね。隙がありそうな奴らの目星は付けておきましたよ』
エメラの護衛なんぞ完全に忘れてバカ一人と一体が次なる獲物に狙いをつけていた。
そんなベルフ達にエメラが青筋立てて怒鳴り散らす。
「ぜんっぜん違うわ! あなた達の役目はわたしの護衛、わかる!? 国を乗っとるでもないし情報屋として成功するわけでもなくて、わたしを守ることがあなた達の仕事なの!!」
エメラが息を切らせて一気に捲し立てると、それを横で聞いていたボボスが言った。
「でもよエメラ、ベルフ達だってしっかりやってるぜ。少なくともダニエルのおっさんから王妃側がどの程度エメラの居場所を把握してるかは聞き出せたじゃねえか」
「そんな事は関係ないわ」
「大体よお、そろそろベルフ達にちゃんと事情を話してもいいと思うんだよな。見ていてわかるだろ、こいつらはエリクサーについて知っても態度を変えるようなまともな奴らじゃねえ」
そのボボスの言葉を聞いてエメラがちらりとベルフを見ると、先程のエメラの怒声を聞いても全くこりた様子がなかった。ベルフは鼻ほじりながらなんか適当に聞いている。
「オレがお前について知っている事と言えば婚約が嫌で城から逃げ出した、ダメダメお姫様ってことだけだが、それだけじゃないのか?」
ベルフだけではなく、サプライズもそれに続く。
『親に決められた結婚なんて嫌だー、王族でも自由恋愛したいんですーって、素敵な異性を探しに城から逃げ出したんじゃないんすか? 私たちは、お姫様が世間の厳しさを知るまでの間だけ雇われている、お守りという名の護衛だと思っていましたが』
エメラが顔を真赤にして激昂した。
「どうしてそんな話になってるのよ!」
「いやだって、お前が話してくれないから俺達独自で調べたらこういう結論になったし」
『ですよねー』
ベルフ達の答えにエメラの肩が震えるが、ボボスも酒瓶片手にエメラに向けてツッコミを入れる。
「ほらみろ、事情を全く話さず放置していたから誤解が生まれてんじゃねえか。こいつらの中では何時の間にか、恋愛スイーツ脳に侵されたお姫様が町人の中から素敵な恋人を選ぶ為に家出してきたって設定になってんぞ」
ボボスからそう注意されると、エメラが踵を返して部屋から出ていこうとする。
「ボボス、後は適当にそのバカ達に説明しといて!」
「あいよー」
ボボスの返事もきちんと聞かず、エメラが足音を強くしながら出ていった。かなり不機嫌らしい。
「さて、じゃあエメラの許可も出たし、お前たちにエメラについてきちんと話しておくわ」
そう言うと、ボボスは手に持っていた酒瓶をテーブルにドンっと置いた。




