第五十九話 リッチ戦、中編
『勝ち目ですか? いやさすがにそれは無いと思いますよ。上空を見てください、リッチのやつ、漏れ出ている魔力であれくらいやっちゃってるんです』
ベルフが上を見ると、空が、街の上空が黒くなり始めていた。リッチが放つ魔力が次第に街全体へと広がっていっているのだ。
「リッチの本体は高エネルギーだと言ったな」
『はい、本体兼魔力タンクですね。ちなみにエネルギー切れを狙うにしても難しいですよ。この街が十回くらい更地になってようやくってくらいです』
「それなら、この剣でリッチの本体からエネルギーを吸い取れば俺の力に変えられるんじゃないか」
聖剣の素材である感応石。その感応石の特性を使い、リッチの力を吸い取れば良いとベルフは言ってきた。だがサプライズは、その提案に良い声色で返事をしない。
『いやベルフ様、それは無理が過ぎます。そもそも人とアンデッドではエネルギーの質が水とニトログリセリンくらい違いましてですね。だからこそ、この聖剣もアンデッドからはエネルギーを吸わないようにできていまして』
「聖剣の機能は、サプライズが完全に掌握できているんだろ? なら問題ない、早くやれ」
『えー……どうなっても知りませんよ』
サプライズが嫌々ながらも聖剣の力を全開放しようとする。彼女は、使い手であるベルフを守るために聖剣の力を幾つか制限していたのだが、当のベルフ自身の命令とあっては彼女も従うしかない。その結果として、使用者の安全や安心を完全にブッチした一級品の代物へと聖剣パールが生まれ変わろうとしていた。
『えーっと、これがこうでこうして、あっ間違え……まあいいですか。ベルフ様、オッケーでーす。あとは剣で斬りつければ勝手にリッチのエネルギーを、そのまま分捕れると思います』
そのサプライズの声と同時に、ベルフの担いでいる聖剣パールから耳鳴りのような物が聞こえてくる。制限が全くなくなり、剣の力を無理やり引き出されているが為に聖剣本体にも無理な負荷がかかっていた。
「よし、やるか」
ガシっとベルフが大地を踏みしめるが、リッチは先程と変わらず動きを見せていない。ベルフを歯牙にも掛けていないのか、余裕の態度を見せつけていた。
先ほどと同じように身をかがめてリッチを斬りかかろうとするベルフ。そして、リッチはまたも同じようにベルフを待ち構える、かと思いきや、白骨死体のアンデッドは左手を前にすると、黒い壁のようなものを自身の前に魔力で作り上げた。
『どうしますか、あれが見た目通りとは思えませんが』
「当然、正面から突っ切る!!」
ベルフがそう大声で宣言して突撃を開始する。
リッチの作り上げた黒色の壁は、高さ二メートル、幅三メートル程の魔力の壁だ。ベルフはその壁に正面から勢いのままに全力で近づくと、衝突直前で横っ飛びにして回り込みを開始する。先程の宣言は単なる引っ掛けであった。
クルリと方向転換したベルフが、目の前にある魔力の壁を回り込もうとするが、そのベルフの動きに合わせるように魔力の壁が布のように薄く大きくひろがると、ベルフを包み込んでしまう。
四方どころか上空すら魔力で覆いかぶされている中で、サプライズが困惑したように言った。
『防御のためじゃなくて包み込んで圧死させる為の物でしたか。どうしましょう』
「ちょいと早いが、まずはここで試してみるか」
真っ暗闇の中で、ベルフが剣を無造作に払う。本来であれば、このリッチの魔法は一度獲物を捕らえてしまえば脱出不可能な物であったが、聖剣で斬られた箇所が破けるように切り裂かれていく。そして、その分の魔力が剣を通してベルフに流れ込んでくる。
そのまま数回、剣を振るうとベルフを包み込んでいたリッチの魔力が完全になくなる。しかも、その分だけベルフがパワーアップしたオマケ付きでだ。
魔力の包から抜け出したベルフにリッチが驚く。骨しかなく、表情すらないそのアンデッドに、戸惑いの影をベルフは見た。そのままリッチに駆け寄ると、先ほどと同じように袈裟斬りにする。ただし、今回は聖剣からの吸収機能付きでだ。
今度こそ決定打を与えた。その手応えにベルフが実感すると、すぐに疑問が湧き起こる。リッチの力を吸収したにしては、体から溢れてくる力の量に増減が見当たらないのだ。
『駄目ですベルフ様、失敗しました!』
攻撃直後のベルフ目掛けてリッチが魔法を放つ。ベルフの周囲に魔力の槍が複数生まれると、ベルフに一斉に襲い掛かってきた。一本一本が数メートルはあるかと思える黒色の槍達がベルフに複数突き刺さる。だが、聖剣からの防護膜でそれらの不意打ちを防御すると、ベルフが無傷のまま後ろへと飛び去った。
そして、そこを目掛けてリッチの本命の魔法が放たれる。
距離を取り、魔法をしのぎきって油断していたベルフの目の前に火球が現れる、聖剣の防護膜の内部にいきなりだ。しかも、今まで見せたような黒色ではなく火の魔法である。
それが爆発すると、防護膜で防御できないベルフはもろに爆発を食らう。
文字通り空を飛びながらベルフが建物の壁に激突すると、勢いが止まらず家の中へと背中から突っ込んでいく。そして、そのまま根こそぎ家中の家具を倒し続けると、ようやくその勢いを止まらせる。
見てわかるほどに爆発の火傷や激突の衝撃で重症を負ったベルフに、サプライズが慌てて回復魔法を掛ける。聖剣から流れ込んでくるエネルギーを全部回復魔法に傾けると、ベルフの体が急速に治り始める。
筋肉がむき出しになっていた火傷も、腕から突き出していた折れた骨も、衝撃で損傷していた内臓も。全てが見かけ上だけは、ほぼ完治の状態にまで治ってしまった。
だがしかし、体中に響く痛みにベルフが顔をしかめる。治った火傷は空気に触れるだけで痛いほどに痛む。骨が突き出ていた腕は、うまく力が入らない。治療したはずの内臓からは、吐き気が絶え間なく襲ってくる。治ったはずではあるが、体中からは限界のシグナルがベルフの脳内へと響かせていた。
『駄目ですベルフ様、あくまでも最低限、表面上は直したってだけですから、そんなすぐに動こうとしては行けません。今の魔力でも完治させるにはもっと時間がかかります』
「なぜだ」
『ですから、表面上直しただけで重症には違いなくてですね』
「なぜ、リッチから力を吸収できなかった」
先ほど、確かにリッチを剣で切りつけた。切りつけたはずなのに、全く効果がなかった。ベルフは逃げる中でも、吹き飛ばされる中でも、今でもそれに対する疑問をまず一番に考えていた。
『それはですね、リッチの生命力は確かに一旦は剣の中へと吸収されかけました。ですが、あれが意思ある物だというのが致命的でしたよ。吸収されかけたエネルギーが、全て意思を持ってリッチの元へと戻ってしまいました。つまりは、こちら側の吸収する力が足りません』
その告げられた事実にベルフが横に寝ながら自身の失策を痛感する。あーあーと口を開けながらちょっとふてくされてる表情もしていた。
「今から逃げられると思うか?」
『先程までならともかく、今のベルフ様の状態だと厳しいですね。身体動かせます?』
「起き上がるのもきっつい」
現在、全力でサプライズがベルフに回復魔法を掛けていた。聖剣からの魔力ブーストはあるが、残念ながらまともに動かすにはもう少し時間が掛かりそうだった。
ベルフは、内部が半壊している民家の中で思索にふける。板の床の間がちょっと冷たくて、寝転んでいるベルフの頬がひんやりしていた。
「そう言えばサプライズ、リッチが弱体化していると言ってたがどういう事だ」
『あの話しですか? リッチとは本来、ある程度の期間はその巨大な魔力を操るための慣らし期間があるんですよ。生まれたての赤子が手足を持っていても動けないのと同じで、その身に宿る巨大な魔力を操れるようになる為の期間ですね』
「ほーーん」
『で、あのリッチはまだその期間が終わってないので魔力がダダ漏れだってことです。実際にベルフ様が最初にリッチと出会ったときにリッチの周囲に夥しい魔力が漂ってましたよね。あれはリッチがまだ魔力を完全に操れてないってことだと思いますよ。要は、魔力がちゃんと操れないから無駄に周囲へ魔力を発散させてたってことです』
ふーん、と思いながらベルフがその話を聞いているとビビッとベルフが閃いた。
「そういえば、聖剣でリッチの魔力は吸収することができたな。剣が直接触れなくても、周囲から魔力を吸い取れるようにすれば、そのだだ漏れしているリッチの魔力そのものを十分な量吸い取れるんじゃないか?」
『あー、そういえばリッチ本体はともかく身体から発していた魔力は吸収できましたね。でもできますかねー。まあちょっとやってみますけど期待しないでくださいよ』
ふーっと一息つくと痛む身体を休ませるためにベルフが仰向けに寝っ転がる。リッチのやつ、どうせあれで俺が死んだと思っただろうから時間あるべ、とベルフが呑気に天井を眺めていると、ふいに轟音と共に視界が真っ黒に染まった。いや、それは真っ黒に染まったのではなく、視界いっぱいに黒色の魔力の波が通り過ぎた結果だ。
先程まで民家の天井が視界に入っていたベルフの目に青空が広がっていた。おかしい、確かに自分は家の中にいたはずだと上半身を起き上がらせて辺りを見渡すと、町の城壁に大穴が開いて地平線の彼方まで魔法の破壊痕が続いていた。
そして、くるりと別方向を向くとベルフの数メートル先、問題の魔法の発射地点と思しき場所にリッチが佇んでいる。
「サプライーズ! 至急何とかしろ!!」
『ちょっちょっとお待ちをベルフ様、先程無理やり設定を変えたので、聖剣の機能そのものの変更に手間取りまして……あっ』
サプライズが呆けた声を出したと同時に、聖剣がその機能を限界突破させる。ベルフの耳に痛くなりそうなほどの耳鳴りが聞こえてきた。
先程までは聖剣のリミッターが全部吹っ飛んでいた程度の機能レベルであったが、今の聖剣パールは、自身の能力の限界地点の遙か向こう側まで機能が膨れ上がっていたのだ。この耳鳴りはその証拠であった。
「よくやったサプライズ、これなら勝てる!!」
今までとは比較にならないエネルギーの奔流にベルフが喜びの声をあげる。
リッチの漏れ出ている魔力を吸収、いや、それどころか、今の聖剣パールは、リッチ自身が完全に制御できていない部分の魔力すらリッチの中から無理やり引きずり出してベルフの力に変えていた。
もはや人類の限界さえも超えた力をベルフは自覚していた。力を吸われていくリッチ自身も、急速に失われていく自身の力と、そして、膨れ上がっていくベルフの力に気づいている。先程までベルフを嬲り殺そうとしていた死霊の王に、焦りの影が見えた。
「サプライズ、やはりお前が一番のパートナーだ」
『ふふふ、もっと褒めてくださいベルフ様。ところで悲しいお知らせがいくつかあるんですけど良いっすか?』
「良いぞ、今ならなんでも許してやる」
サプライズがコホンっと咳払いを模した機械音声をベルフの身に付けているリストバンドから一つ出した。
『えーっと今のこの力なんですけど、聖剣パールのシステム掌握が完全に私の手から離れました。ぶっちゃけ、もうコントロールできません。こいつ、もう無差別に周りのエネルギーを吸い尽くしちゃってます』
「何だ、そんなことか、その程度なら問題ない」
リッチを倒した後にこの剣をどうするんだとか、そんなことをベルフは気にしない。あとの処理としては、危険物となったこの聖剣を街のゴミ箱にポイすればいいだけで、それ以降の事は、この街の人間が頑張ってなんとかするんじゃねえかなとベルフは思っている。
『次に、やっぱりアンデッドから力を大量に吸収するのは無理があったみたいでして、現在解呪の魔法を全力で使っていますが、ベルフ様の身体が汚染され始めています。今の力は制限時間込みってことですね。ちなみに、その制限時間を超えれば、いくらベルフ様でもアンデッドに大変化します』
「なんだ、その程度なら問題ない、制限時間内にあいつを倒せばいいだけだ」
ちょいとばかり手強いかもしれないが、まあ少し時間をかければ倒せるだろうとベルフは計算していた。今の力なら一時間も掛からず、目の前にいる強大なアンデッドを倒すことが可能なはずだ。
「で、制限時間はあと何分だ?」
『残り五分です』
その言葉にベルフがピシリと固まる。
「五分?」
『五分っすね。あ、今残り五分切りました。早く倒しに行くことをおすすめします』
サプライズの急かす声にベルフがリッチを見る。サプライズの空間破壊魔法すら耐えきった超耐久力の持ち主である死霊の王を。
『私の考える作戦としては、もう防御を完全に捨て去った突撃以外ないと思います。ベルフ様、ここからは完全なタイマンです』




