第五十五話 四面楚歌
「というわけで、はよその剣を渡せ」
『早くしなさいこの雌豚が』
広場から撤退したベルフ達は現在、大通りへと逃げのびていた。ここにはまだ広場からの騒ぎが広がっていないのか、人通りはあるが混乱は広がっていない。と言っても、騒ぎが少しづつ伝搬しているのか、次第に周りの人間達もざわめき始めているが、腰を落ち着く位の余裕はありそうだった。
「すいません、ちょっと待ってください。こらこのクソ剣、早く私の手から離れなさい、はやく」
レイラが必死に自身の手から剣を離そうとしている。
レイラとしては、是非とも聖剣パールをベルフに渡したかったのだが、それを剣側が拒否しているのだ。しかも、この聖剣は、ただ抵抗しているだけではない。剣本体を通した不思議な力でレイラの身体を操り始めてもいる。しかも――
―――勇者よ、早くあの場所に戻ってあのアンデッドを倒しに行くのだ―――
それどころか、先程のリッチのいる広場まで戻って戦いにいけと言ってきてやがった。
「誰があんな場所に戻りますか! 勇者レイラは廃業しましたよ!」
だが更に聖剣は語り掛けてくる。
―――強大なアンデッドから人々を守るのだ。今こそ使命の時―――
誰がこの街の人間なんて守るかっての、ふざけんな。レイラは心底そう思っている。
身を張ってアンデッドから守っても、感謝一つどころか文句しか言いやがらないこの街の人間をレイラは完全に見限っていた。
悪戦苦闘しているレイラを尻目にベルフはと言うと。
「レイラの腕ごと切ったら、あれ離れないかな」
『良いアイディアっすねベルフ様』
かなり物騒なことを言い始めた。
やる、こいつらなら確実にやる。レイラが緊張でごくりと喉を鳴らす。
「は、や、く離れろこのクソ駄剣!!」
レイラが一層気合を入れて悪戦苦闘を始めた。
ベルフとしては、ちょっとハッパをかけただけであるのだが、どうやら効きすぎたらしい。気合を入れすぎたレイラが、女性らしからぬ様々な表情を見せていた。
尚も進まぬ聖剣VSレイラの戦いにベルフがちょいと飽きを見せ始める。
『暇っすねベルフ様、どうしましょ』
「どうすっかなー」
もういっそのこと、本当にレイラの腕ごとぶった切るか? ベルフがそんなことを思い始めた時だ。
「そんなに暇なら私達が相手をしてやろう」
その言葉が聞こえたのと同時にベルフのいる場所に幾つもの氷柱が襲い掛かってきた。
レベルが上がり、生意気にも殺気に近いものを感じ取れる様になっていたベルフは、身を投げ出すように地面を転がりながら、その奇襲を回避する。
奇襲を回避し終えたベルフが体勢を整えて声のした方向を振り向くと、そこにはルドルフとカイの二人が立っていた。いや、他にも彼等の後ろには魔術師や神官達の姿もある。合計で20人近い人間達がいた。
「カイとえーっと誰だっけ?」
『確かルドルフとかいうジジイですよベルフ様。大方、後ろにいる魔術師達のボスってところでしょう』
奇襲をされたと言うのにベルフとサプライズは全くペースを乱していなかった。
そして、カイとルドルフ達は無言でベルフを睨みつけてきている。
「で、何のようだ? こっちはちょっと忙しいんだ。それより、こんなところで油を売ってていいのか?」
『そうですよ、忙しいんですよ。私達を相手にするより、リッチ達を相手にしていた方がいいのでは? 早くしないと、どんどん被害が広がりますよー』
しかし、ベルフとサプライズからの煽りにも彼等は反応しない。ただ只管、戦闘態勢を取り続けているだけだ。
「お前達は、あの雷の魔法に気をつけろ、カイ神殿長達は防御魔法を中心にしてサポートを」
「わかりました」
ザザーッと訓練された動きで彼等が陣形を組む。前衛に魔術師達を配置し、後衛に神官を置く陣形だ。
それらを見たベルフが、自分も戦闘態勢に入ろうと自身の剣を構えようとして気づいた。
「やっべ、武器がねえ」
そう、手持ちの剣が壊れて無くなっているベルフは現在、丸腰であった。そして、それだけではない。
『ベルフ様、こちらもやべえです。先程の雷の魔法で魔力残量がほとんどありません』
魔力の方も空っ穴になっていた。
チッとベルフが舌打ちをする。カイとルドルフ、見ただけでもこの二人は別格に強いのが解る。特にカイの方は自身一緒にエデンに潜っていたこともあって力量を把握していた。更に、そこに人数まで揃えられては、いくらなんでも状況が悪すぎた。
「どうやら、年貢の納め時という奴らしいな。あの魔物を目覚めさせた事と街の人間達を殺害した罪の制裁を受けてもらおう」
ルドルフがそう言うと右手を上に上げる。それに合わせる用に、周りの魔術師達が持っている杖の先端に魔力の光が白く輝き始めた。
ベルフも、魔法を撃たせまいと素手のままで、魔術師達に殴りかかるが、そこで光の壁が魔術師達を覆うように展開された。カイ達が放った防御魔法である。
当然、素手のままでは魔力の壁を突破することもできず、ベルフの攻撃が失敗に終わった。
「くっそ、なんとかしろサプライズ」
『私も何とかしたいのですが、これは少し無理です。単純に集団からの力技での防御魔法ですからね。この壁を抜くとなると万全の調子での大魔法が必要になります』
八方塞がりのベルフ。しかし、更にそこで別方向からベルフへ向けられた殺気を感じ取る。
「ベルフさん避けてください!」
それはレイラの方向からであり、ベルフが後ろを振り向くと、彼女が剣をベルフの脳天へ向けて振り下ろしていた。
必死に身を捩って、レイラからの攻撃を躱すと、鎧の肩当て部分に剣が当たる。刃そのものは鎧が防いだが、鈍器で殴られたような衝撃が肩から胴体に向かって響き渡った。
レイラは聖剣パールとの争いに完全に負けてしまっていたのだ。身体の大部分の主導権を取られたレイラは現在、聖剣の思うがままに動かされている。そのレイラの頭の中では聖剣からの声が響き渡っていた。
―――悪人は罰するべし―――
どうやら、聖剣パールはベルフを完全な悪党として認識したらしい。まあそれだけならレイラも許していいかなとは思っていたのだが
―――この男を斬り捨てた後に、あの魔物を退治しに行く―――
ベルフが死ぬだけならまだ許容できたレイラではあるが、これは許容できない。どうやらこの聖剣は、レイラを操ってリッチ相手に死闘を開始する予定らしいのだ。
「ベルフさんちょっと助けて。こいつ、私を操ってあの魔物と戦う気ですよ。早く助けて下さい」
そう言いながらレイラはベルフに攻撃を仕掛け続ける。レイラとは思えないほどの鋭い攻撃の連続に、ベルフも躱すだけで精一杯だった。
何度か頬を切るような攻撃が続いてベルフの心胆も冷え始めている。
「や、できれば俺の方が助けてほしいんだが」
『そうですね、むしろ其の攻撃とっとと止めさせないとこっちが死にます。身体が操られているくらい、はよ気合でなんとかしろや手下三号が』
「そんなこと言わないでくださいよ!」
レイラとベルフの攻防。しかし、それはベルフにとって決してマイナス面ばかりでもなかった。なぜなら、二人の距離が近すぎるせいか、ルドルフ達も手が出せなかったからだ。
「ルドルフ様、どうしましょう。このままでは勇者様も魔法の巻き添えになってしまいますが……」
一人の魔術師がルドルフに困惑した声色で質問する。レイラが邪魔で魔法が撃てないのだ。
「ふむ、まあ話を聞けば聖剣に操られているとは言え、勇者様があの魔物を倒しに行くと言うのなら、魔法で巻き込むのは止めておきましょう。少なくとも、ラナケロスの街を愛するものとしては、あの魔物を倒すことが第一ですからね」
そのルドルフの言葉にカイが口を挟む。
「街を愛するですか? 失礼ですが、ではなぜエデンについてゴードンの肩を持つような嘘の資料を作ったのですかルドルフさん。少なくとも、あの報告書さえなければエデンに対して、もっとちゃんと動けていたと思いますが」
温厚で大柄な彼ではあるが、ルドルフの発言に少し怒ったような顔をしていた。
カイの言葉にルドルフがふむ、と思索すると。彼は顎に手を当てながら答えた。
「確かに、あれがなければエデンの真実が街の人間達に伝わっていたでしょう。そして、そうなれば街の人間達もエデンという場所についてよく理解したでしょう。で、その後はどうなりますか?」
「どうなる、とは、それはエデンにいる死霊達を本格的に退治するだけなのでは」
「それは違いますよカイ神殿長。その後に待っているのは、町の住人達が全員この街から逃げ出す、という結末です」
カイが、その言葉に驚いた。
「逃げ出す、ですか、いえそんな馬鹿な」
ルドルフが首を横に振る。
「お忘れですか? エデンの最も問題なことは死んだ人間を死んだ直後のまま捉え続けることにあります。それこそ、何年も何百年も。仮にこの街で死んでしまえば、自分だけではなく、家族も、友人も、恋人も、ずーっと死後苦しむことになるんですよ? そんな場所に誰が居続けますか? だから私もエデンに関して嘘を突き続けていたのです」
「ですが、それでも、やり方は他にいくらでもあったはずです!」
その怒声にルドルフが悲しそうに言う。
「そうですね、確かにその通り。カイ神殿長、あなたが聖者様から伝えられた事は全て正しかった。ですが、その言葉の影響力までは考えていなさすぎたんです。特に、権威も人望もある貴方が吹聴していたのでは、私もゴードンもあのような手段に出るしかなかったのです」
「ゴードンもですか……」
「そうです、ゴードンもです。あの男は愚かですが、街を発展させようという心は本音でした。無論、言い訳に成りますが、私もエデンについて、そのままにしておくつもりはありませんでした。まあ、結果としては、こうなりましたがね」
そして、カイとルドルフがベルフ達の方に視線を戻すと、レイラがベルフを剣で斜め上から押さえ込んでいた。聖剣の刃がベルフの首に当てられていて、それをベルフが地面に膝をつきながらも押し返そうとしている。
「どうやら、あちらも決着が付きそうです。どうやら、こちらが手を貸す必要もなかったみたいですな」
ルドルフは静かにそう言った。




