第五十一話 別の入口
現在、ラナケロスの街の機能は大部分が麻痺していた。
地下から溢れ出てくる死霊達が何度も街を襲撃しており、少なくない被害を街に出していたからだ。
街のあちこちにある建物は半壊し、人が住める場所も少なくなった。商店街の店は当然閉められているし、市場も閉鎖されている。酒場などは普段は人が賑わっているが、今は閑古鳥が鳴いていた。
度重なる死霊達の襲撃で家屋が壊された街の人間は神殿か魔術学院へと避難している。双方ともに死霊に対しての結界が張り巡らされており、非難場所としては最適ではあったが、街の人間全ての避難場所に出来るほどのキャパシティも持っていない。その為、様々な不都合が街の人間達へと降り掛かっていた。
そんなこんなで、ラナケロスに住む人間達の不満は爆発寸前である。そして、その不満はある一人の女性に向けられようとしていた。
「クソッどうしてこうなった!?」
一人の男性が酒場で愚痴を吐いている。彼はカウンターに飲み干した酒瓶をドンっと力強く置くと怒りに任せて言葉を吐く。
彼だけではない、少なからずこの店にいる人間は全員、彼と同じように顔色が優れないか、また不機嫌な顔をしていた。
彼等はほんの二週間前までは普通の町人だった。日々を面白くもない仕事に費やし、ちっぽけで退屈な自分達を守るために生きていく。そんなつまらない人生を送っていた人々だ。
つまらない日常を壊してくれる事件が起きればいい、今の自分を変えてくれる何かが起きてくれないか、そんな事を夢想していた普通の人達だ。そして、彼等の望まない形で、その日常は壊されてしまった。
先程、愚痴を吐いた男が怒りで歯ぎしりをしている。この街に降り掛かってきたアンデッド達の襲撃と言う理不尽に対して怒りが抑えきれていない、そして、ふいに彼は呟いた。
「勇者のせいだ」
その言葉は、酒場の中によく響いた。
「勇者が俺達を守らないからこうなっているんだ!」
彼の言葉は薄暗い酒場の中に本当によく響いた。そして――
「その通りだ、勇者が情けないからこうなっているんだ」「何が勇者だあの女」「何の役にも立たないクソ勇者なんて追い出しちまえ!」
彼の言葉に周りの人間達が続く。
彼等は、少し前までレイラの事を讃えていた人達だ。新しく現れた勇者に対して希望を抱き、二十年近くも前にラナケロスを救った先代の勇者と同じように、この街に栄光を与えてくれるとレイラを信じていた人達だ。
そう、遥か昔、悪人達の手下として小賢しく生きていた自分達を救ってくれた、あの先代の勇者と同じように、この街に栄光を与えてくれると信じていた。
客達が巻き起こす喧騒を酒場の主人は冷ややかな目線で見ている。紳士顔をしている主人は、その年季の入った風貌を裏切らず、落ち着いた態度だ。
そして、酒場の主人が客達の巻き起こす愚痴や喧騒にうんざりし始めた頃、ふいに外から轟音が鳴り響いた。
騒いでいた客達がぴたりと黙り込む。突然のことに、誰も彼もが今の音に混乱して怯えている様子だった。昨今のアンデッド達の度重なる襲撃に、また何か大物のアンデッドでも出たのかと緊張が、その場に走る。
恐る恐る酒場の中にいた人間達が扉を開けて外に出ると彼等は目を疑った。街の中央付近の方角から、天へと貫く一本の黒い光が空へと向かって伸びているのだ。そしてそれは、数秒の後に黒い残滓を残して消えて行った。
「なんだよ今のは……」
誰かが、そう呟いたが誰も答えない。そして、その光景を見ていた誰もが恐怖を覚える。魔術を知らない、魔法すら見たことのない一般人である彼等にでさえわかる程の異常とも言える力だった。
街の南門。街の正門にあたるこの場所に人だかりができている。
彼等が南門の傍にある地面を幾らかはたき土を退けると、そこに扉のようなものが地面に見えてきた。
地面に見える、その白色の両扉。かなりの年季が入ったそれは、神殿の敷地内にあるものとは別の、エデンヘと続く入口である。
土の付いた扉の取っ手を一人の男性が握りしめて開けると、そこには地下へと続く階段があった。そして、その発見に、場を喜びの声が支配する。特に、中年ハゲデブ親父こと、副神殿長のゴードンの喜びは一際大きかった。
ゴードンはひとしきり喜んだ後に落ち着くと、近くにいた白いドレス姿の女性に向けて笑顔で語りかけた。
「では、勇者様にはこれからエデンに潜ってもらいましょうか」
そう、その女性とはレイラの事である。
さて、当のレイラは現在、とあるお悩みの真っ最中だった。何に悩んでいるのかというと、ズバリ、自分はどこで判断を間違えてしまったのだろうかと言う悩みだ。
ギルドを辞めさせられたことか。ベルフと出会ったことか。冒険者になったことか。取り敢えず様々な憶測を立てたが、レイラの脳内会議は満場一致で一つの答えを出した。
「この街に来たことですね」
そう呟いたレイラの周りには剣や槍などを構えた自警団や、杖を携えた魔術師達、他にも神官服姿の僧兵達がレイラを取り囲んでいた。
彼等はみな、レイラがここから逃げ出させないために配置された人員達だ。
「ゴードンさん、この短期間でよくエデンへの入り口を見つけましたね。大変だったのでは?」
レイラがのほほんと言った。其の言葉にゴードンが少し不機嫌になる。
「ええ大変でしたよ。なにせ、すぐに勇者様にエデンへ向かって貰おうと思っていたのですが、元々あった入り口はあんな姿になりましたからね!!」
あんな姿になった。そう、神殿の土地にあったエデンへの入り口は現在、通行不能になっている。アンデッド達がエデンからやってくると判明した後、ゴードン含む街の人間達はレイラに対して、エデンにいるアンデッド退治をするように要請した。
無論、そのサポートとして、エデンに向かうレイラに街の人間達は随行しない。
アンデッドの襲撃がいつ来るかわからないので、街から人手を割く訳にはいかないし、何よりレイラは勇者である。彼等ラナケロスの人間からすれば、勇者であればこれくらいは自力でなんとかできるはずだ、と言う言い分があったのだ。
当然、レイラやカイは猛反発したが、ゴードン達は、その抗議を無視。逆に神殿長のカイを神殿に軟禁して反対意見を封じてしまった。
そして、満を持して神殿の敷地内にあるエデンの入口に向かったゴードン達が見たもの、それは……山のような土に覆われたエデンの入り口であった。
「いやー、さすがベルフさんでしたよね。多分、状況証拠的にあの人だと思うんですけど、まさか入り口を逆に封鎖するとは思いませんでした」
レイラが陽気に語る中で、他の人間達はたまったもんじゃないと思っていた。
あれのせいで自分達は土の除去作業に一週間も無駄な時間を費やしたのだ。時折街を襲い来るアンデッド達を退治しながら昼夜問わず進むその作業は、彼等の心を本当に折りに来ていた。
武器の代わりに土木工事の道具を持ち、彼等が必死に土を除去すること一週間。ついに山の様な土を完全に除去できた……と思った彼等の前に現れたのは鉄の固まりに覆われたエデンの入り口だった。外の人間が中に入って来ようとした時、的確にその心を折るためにサプライズが用意した最後の関門である。
そして、効果抜群だったそれは、彼等の心を完全に折ってしまった。彼等が立ち直るのに、更に一週間の時間が必要だった。
ゴードンが、そのハゲ頭を光らせながら言う。
「ええ、おかげで無駄な時間を過ごしましたよ、ええ本当に。偶然にも魔術学院の長であるルドルフがエデンへの別の入口を知っていたから良かったものの、そうでなかったらどうなっていたか……」
レイラは、ゴードンの意見を冷めた目で聞いていた。
「で、それはともかく私をエデンに向かわせてどうするつもりですか? 言っておきますけど私一人でエデンにいるアンデッドを全て退治するのは不可能ですよ」
ゴードンは、にこやかな笑顔でレイラに向き直った。中年ハゲデブ親父が作る微笑み顔に、レイラは生理的な嫌悪感を全身で感じている。
「確かに今の勇者様では難しいでしょう。ですが、それは今の勇者様の話です」
「いや、今も未来も無理な物は無理なんですが」
「いいえ違います!」
レイラがゴードンを見る。何をムキになっているのか知らないが、ゴードンの顔は紅潮するほど赤くなっていた。
「勇者様、レイスが現れたときのことを覚えていますか」
「ええ、よく覚えていますよ。ええ、本当に」
そう、本当にレイラはよく覚えていた。自身がこいつらを見限った出来事であるがゆえに。
「あの時、勇者様は危機に陥った事で新しい力に芽生えました。つまり、勇者様は危機になればなるほど強くなるのです!」
レイラは思った。何言ってんだこのおっさんはと。
しかし、落ち着いて彼女が周りを見ると、周りにいる人間達は少なからずゴードンと同じような期待に満ちた目で自分を見ている事に気がついた。
どうやら、この場においてゴードンの反対派は自分一人だけみたいだとレイラは看破する。
「えーっと、仮にそれが事実だとしても私が危機に陥るのは確定しているんですよ?」
「当然です! 勇者様は危機に陥って初めて力を覚醒する! そうして覚醒した勇者様は我々を救う存在へと進化するのです!」
あー、このおっさん頭やられちゃったかー。レイラは落ち着いて状況を確認すると、自身の右腰につけている鞘に入った聖剣の柄を握る。そして、この場を突破するために聖剣の力を使おうと試してみる、がしかし
――勇者よ、人に刃を向けてはいけない――
どうやら聖剣は、ゴードン達をぶち殺すことに乗り気ではないご様子。この聖剣、まじぶち折ってやると言う怨念でレイラの心の中が一杯になった。
「では勇者様も納得したようなので、いざエデンへと潜ってもらいましょうか」
ゴードンがそう言うと周りの人間達がレイラをエデン入り口へと向かわせる様に動く。力ずくでもエデンへと続く階段へ押し込むつもりなのだ。
「ところで、私がこの階段の中に入ったらその後はどうするおつもりで?」
「無論、この街の騒動が収まるまで石の蓋で閉じるつもりです。勇者様が気乗りしていないのは見てわかりますから少し強引な手段になるのはお許しください。なーに、アンデッド達がいなくなれば、すぐにでも入り口の石蓋は外しますよ」
じりじりと迫ってくる周りの人間に合わせてレイラが階段の方へと押し込まれてゆく。
聖剣の力をダメ元で試そうとするが
――勇者よ、耐えるのだ――
先程と同じように聖剣はレイラからの要請を完全に無視。主であるレイラの危機など気にせず、自身の価値観を貫いている。
もう観念して、聖剣の力抜きで強引に突破するかとレイラが考え始めたその時――
「お前ら何してるんだ?」
その階段から一人の男が現れた。そう、この作品の主人公であるベルフ・ロングランである。




