第四十話 ベルフの隠れ家
ラナケロスの街では今、一つのニュースが駆け巡っていた。
聖剣パールに選ばれた新しい勇者様現る。
聖剣パールは文字通り、勇者が扱うに相応しい剣であった。聖剣全体が感応石と呼ばれる貴重な石で出来ており、これによって使い手は人々の意志の力を剣から吸収して、人知を超えた力を手に入れる。
そう、剣に選ばれた使い手は人々の希望や思いと言った物を吸収して、まさに勇者と呼ばれるに相応しい力を聖剣から与えられるのだ。
そんな聖剣に選ばれた新しい勇者様が現れたとあっては、それこそ街中が騒然になるのもおかしくない。人々は新しく現れた勇者を大いに讃えて歓迎していた。
で、肝心の新しい勇者様であるレイラは今何をしているかというと、神殿に用意された部屋の中でベッドに突っ伏していた。
「どうしてこんな事になってしまったのでしょうか……」
レイラは今、貧相な冒険者の格好ではなくて、高価そうな白いドレスに身を包んでいる。先程まで、街の領主やら魔術学園のトップやら街の要人達と会っていたからだ。
ラナケロスの街にとって勇者とは特別な存在であり、新しく勇者が現れたとあっては街の要人たちも無視する事は出来ない。顔見せだけに飽き足らず、今後のコネ作りなども含めて、レイラに顔を見せに来る人間たちが後を絶たなかった。
と言っても、そこは神殿側もフォローしており、できるだけレイラに負担がかからないようにしていた。だが、それでもいきなり勇者に祭り上げられるわ、街の要人たちと対面するわでレイラは心身ともに疲れ切っていた。
レイラが勇者に選ばれてから、もう一週間近くが経つ。レイラはため息を一つ吐くと、ふと思い出した。そう言えば、ベルフはどうしているのかと。
「確か、自警団から逃げ出したんですよね。もう街にはいないと思いますし、あの人のことですからどこかで元気にやっているんでしょうけど」
ベルフの事をレイラは思い出す。自身が願っていた通り、ベルフはお尋ね者になった。しかし、描いていた通りにベルフへ復讐を成し遂げたのに、何故かレイラの心は晴れなかった。
まあ、レイラ自身その理由は分かっていた。ベルフに対して本当は恨みなんて持っていないと気づいているからだ。
ライラの街でギルドを追い出されたショックから八つ当たり気味に始まった恨みの感情である。こうして、勇者として祭り上げられて生活の心配がなくなって落ち着いてみれば、自分の本当の感情なんてすぐに理解できた。
そんなこんなで、何かつまんないな~と思いながらレイラがベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせていると、ふいにドアをノックする音が聞こえてきた。
「勇者様、少し良いですか?」
「カイ神殿長ですか? どうぞ開けて入ってきてください」
レイラがそう返答すると、三十半ばくらいの男が部屋に入ってきた。
その男は体格の大きな僧侶であり、とても温和な顔付きをしている。金髪の髪は綺麗に短髪で整髪されていて目は細く、糸目と呼ばれてもおかしくないほど目が鋭い。しかし、顔付きの柔らかさが、それを気にさせなかった。
「カイさん、急にどうしたんですか?」
「いえ、勇者様が疲れていらっしゃるのではないかと心配になりまして」
この男は、このラナケロスの神殿長であり、カイと呼ばれている。
元々は無名の聖者の従者としてこの街へとやって来た人物であり、その後、聖者がいなくなった後を継ぐ形でこの神殿のトップに収まっている。
「いや、そんなことないですよと言いたいですけど、流石にちょっと疲れてます」
レイラが少し恨めし気に言うと、カイは申し訳無さそうな顔をした。
「すいません、私が副神殿長達を止められればよいのですが、なにせ神殿長とは名ばかりでして……」
カイは悔しそうに顔を曇らせる。いわゆる、何処にでもある派閥争いと言うやつであった。
カイは元々この町の人間ではなく、外の人間である。それに比べて副神殿長は元々この町の人間で、様々な場所に顔の効く人間だ。
肩書だけは確かに神殿長であるカイのほうが上であったが、実権や発言力などは神殿長であるカイには殆ど存在しなかった。
「いえいえ、カイさんには助けられてますよ」
「そうですか、勇者様にそう言っていただけると助かります。それと、実はもう一つお話したいことがありまして」
そう言うと、カイはその雰囲気を変えて真面目な顔付きになった。レイラはその様子を見ると、身をギュッと引き締める。
カイは少し申し訳無さそうにすると、意を決してレイラに言った。
「お願いします勇者様、エデンにいる悪霊たちをどうか救済してください」
神殿の外、木々が生い茂る中、レイラとカイが二人きりで歩いていた。レイラは着慣れていないドレスで動きにくい中、鞘に入れたままの聖剣パールを手にして森の中を進んでいく。
「それで、この先にあるんですか? その聖者さんが住んでいたという小屋が」
「はい、勇者様。この先に、聖者様が住んでいた小屋があるのです。そして、その地下にエデンと呼ばれている場所があります」
カイは、昔を思い出すように語り始める。
「そもそも、聖者様がエデンを発見したのは偶然でした。元々、聖者様と私は旅の僧侶と従者でして、この街に居着いたのも、この街で無惨に死んだ哀れな被害者達の霊を慰める為だったのです」
「なるほど、で、そのエデンとは一体何なんです?」
レイラの質問にカイが答える。
「私も、まだ当時未熟だったのでエデンには入らず、入り口から中を見るだけでした。ただ、その光景と聖者様からエデンの概要を聞いた限りで言うなら……地獄以外の何物でもない、そういう場所です」
レイラは嫌な予感がした。一週間の付き合いであるが、この真面目な大男が、ここまで言うとなると、文字通り地獄のような場所なのだろう。レイラとしては、できるなら、そんな場所には行きたくなかった。
「えっと、なんでそんな危険な場所を放置しているんですか? こう、みんなでなんとかしちゃえば良いんじゃないかなーなんて」
「それも考えたのですが、なんとかするためには多大な犠牲を払う必要があり、なおかつエデンにいる悪霊達は地上へと出てきませんから被害もありませんでした。残念ながら周囲を説得する材料がなかったのです。更に、当時の勇者様も街の再建などで忙しく、エデンにまで手が回らなかったのもあります」
多大な犠牲……街全部を使っても多大な犠牲が出る場所。レイラは回れ右をして逃げたくなった。彼女はできればそんな危険な場所へと行きたくないのだ。
と同時に、勇者に選ばれた事で、レイラには変な気持ちも生まれ始めていた。勇者として周りからの期待に応えないといけない、そんな変なプライドである。
「そろそろ着きます勇者様。このすぐ先が、エデンの入り口がある小屋です。今では、建物の老朽化が進んでいるので、小屋の中に入る時は足元などの床を踏み抜かないように注意してください」
木々が生い茂った先に、草木の途切れ目が見える。深い森と形容するに相応しいこの場所が終わり、目的地に着いたのだ。
レイラは、手に持っている聖剣に力を込める。小屋にたどり着けば、エデンとやらへで挑む事になるのだ。自然とレイラは緊張で汗が出てきた。
そうして、覚悟を決めたレイラが木々を通り抜けると、そこに現れたのはボロ小屋どころか二階建ての白い一軒家だった。
その一軒家は、非常にしっかりとした作りに見えた。家を構成する壁や柱の木は白色に塗装されており、まるで新品そのもののように見える。庭の花壇には色とりどりの花が咲き乱れて、非常に美しい景観を醸し出していた。
しかし、レイラの目に何より飛び込んできたのは、家の玄関横にある木の立て札に書かれていたベルフ様の隠れ家と書かれている文字だ。
「えっとカイさん、これがその小屋ですか?」
「いえ、こんな家は知りません。もっと小さく、年季の入った小屋だったのです。と言うか、私もわけが分かりません……」
その答えを聞いてレイラは確信した。これは間違いなくあいつらの仕業だと。そうして、辺りを見回していると、この珍事件の容疑者と思しき人間を見つけた。
「サプライズ、これくらいでいいか?」
『はい、それだけあれば十分です。では行きましょうか』
ベルフがドサドサっと地面に武器や防具を置いて積み上げる。その武器や防具達をカイとレイラは何処かで見たような気がした、と言うかあれは神殿のクレリック達が使うメイスや鎧等の武具達だ。
「勇者様、あれはうちの神殿兵たちが使う武具に見えるのですが」
「ええ、私にもそう見えます」
カイとレイラが訝しんでる中、サプライズはベルフが身に着けているリストバンドからやる気全開といった声を発してきた。
『では準備もできましたし建築魔法行きます、ハァァァァァァァ!』
サプライズが掛け声を発すると地面に置かれている武器や防具達の形が変わり始めた。それらの武具達がグニョグニョと粘土細工のように一塊になると、次第に等身大の人の姿を取り始める。
これは一体なんなんだとカイとレイラの二人が見守っていると、そこには人の形をした銅像が出来ていた。その姿形は間違いない、そこにいるベルフそっくりの銅像だ。律儀に造形だけではなくて、塗装まで仕上げて無駄に高クオリティに作られている。
『どうですかベルフ様?』
「いい出来だサプライズ、やはり銅像は隠れ家には必須アイテムだな」
うんうんと満足気に頷くベルフ。自身の銅像を作って一息ついたのか、ベルフはそのまま庭に備え付けられているテラスにまで向かう。椅子に腰掛けて気怠げな午後の日差しを全身に浴びて過ごしていると、そこでカイとレイラの姿にベルフは気がついた。
「ん? レイラか? お前ら何してるんだ」
レイラとカイは全力で思った、それはこっちの台詞だ。
「むしろ私が聞きたいんですけど、何をしているんですかベルフさん」
レイラの目には、都会の喧騒に疲れた青年が森の中でスローライフを過ごしているようにしか見えないのだ。
『なんだ、手下三号じゃないですか。勇者に祭り上げられて調子に乗っていると聞きましたが、こんな所まで何しに来たんです? 私とベルフ様は見て分かるように、この隠れ家に潜みながら、その聖剣叩き折る為の英気を養っているんですよ』
レイラは思った。なるほど、こいつらは聖剣叩き折る事にまだ固執していたのか。その為に、この場所で英気を養いながら変な魔法を使って銅像を建てていたわけだな。レイラには何から何まで全く理解できなかった。
「すいません、全く理解できません。ところで、この近くにボロ小屋があるらしいんですけど、どこにあるか知りませんか?」
「ん? ああ、その小屋ならこれにクラスチェンジしたぞ」
と言って、ベルフは後ろにある二階建ての一軒家を指差す。何をどうしたらボロ小屋がこの立派な一軒家へクラスチェンジできるのか、カイとレイラにはわからなかった。
神殿長のカイは唖然とした顔で言う。
「こ、これがあの小屋? レイラさん、この人は一体……」
レイラが額に手を当てて悩み始める。このバカベルフと頭のおかしなナノマシンをどう説明したら良いのだろうかと。
「何かよくわからないが、話が長そうなら家の中で聞こう。ちゃんとお茶受けから客間まで揃えているぞ」
そう言うと、ベルフはカイとレイラの二人を家の中へと誘った。麗しき我が隠れ家の初めてのお客様として。




