7話 VS魔法少女
「――死にたいようだな」
微かに口の端を引き攣らせた少女が、杖の柄で地を打った。
可視化された魔力の白い輝きが、杖の先から溢れ出す。空気が鳴動し、木々がざわめく。
「これは……失敗だったかな」
佳乃の意図としては、軽く冷静さを削ぐために放った煽り文句だったのだが、どうやら自分の与り知らないところで火に油を注いでしまったらしい。
二重の意味で怒れる少女は、杖を持たない方の手を翳した。
そして、唱える。
「〈中位拘束〉」
――――。
――なんだ?
佳乃は警戒する。いま、確かに何らかの魔法が発動したはずだ。まだ効果は表れていないようだが、油断させたところで……という可能性もある。下手に動かない方が得策だろう。
だが、その警戒は杞憂に終わる。
少女が唐突に背を向けたのだ。
「ふん、指一本動かせまい。しばらくそこで固まっていろ」
「え……?」
咄嗟に佳乃は右腕を持ち上げてみる。……普通に動く。それ以外の部位も、何ら問題なく動作する。一瞬困惑する佳乃だったが、少女の言動を思い返して勘付く。
――もしかしてさっきの魔法は、相手を束縛するタイプのものだったのでは?
可能性は高い。佳乃が警戒心から動かなかった所為で(お蔭で)、少女が魔法にかかったものと勘違いしたのだとしたら……。
これはチャンスだ。
少女はいま、ルイスの傍に膝を着き、触診のようなことをしている。その背中はがら空きだ。不意打ちには絶好の機会。
佳乃は飛び出す。
一息に間合いを詰め、必殺男女平等キックをその後頭部に叩き込んだ。
「な……」
「これは……」
声を上げたのは二人。少女と佳乃だった。
突き出された佳乃の靴の底を受け止めたのは、金髪が輝かしい後頭部ではなく、その寸前に現れた半透明の光の膜だった。一見薄っぺらな盾だが、佳乃がどれだけ押し破ろうと力を込めてもビクともしない。
これも魔法の一つなのだろうか。予想していなかった防護壁に、佳乃は無念を抱きつつ少女から離れた。足を除けると光の膜はすぐに見えなくなった。
少女もまた、佳乃と同様に驚いている。
「……中位とはいえ、私の魔法に抵抗するか。ただの愚か者ではないようだな」
「お、愚か者……」
生まれて初めて言われた単語に、佳乃は軽くショックを受ける。いったい自分のどこを見てそう思ったのだ。
詳細に問い質したいところだが、生憎とそんな暇はない。
「ならばこれはどうだ? ――〈風切り笛〉」
ヒュオッ、と。
鋭い音を立てて、空気の収縮弾が放たれる。
眉間目掛けて飛来したそれを、佳乃は寸でのところで回避。髪が数本、宙を舞った……。
規格外の肉体能力を持つ佳乃でさえ、もう一瞬反応が遅れていたら撃ち抜かれていた可能性があった。目に見えない攻撃というのも影響している。
佳乃が回避してのけたのを見て取り、少女の顔色はいよいよ険しくなる。
「〈大地の拘束〉。――〈爆裂〉!」
「う、わっ!?」
佳乃の立っていた地面が粘土のようにのたうったかと思うと、そのまま盛り上がって膝下までガッチリとホールドする。
さらに、少女が掲げた杖から強い光が発され――
――轟、と。
凄まじい衝撃が大地を揺らす。
少女の前方、直径十メートルの範囲内が爆炎とともに根こそぎ吹き飛ぶ。物理的に拘束されていた佳乃に、回避する術はない……と思われたが。
「あ、危なかった……」
「これも凌ぐか……」
黒く焼け焦げている爆破地点から数メートル後退した場所に、佳乃の姿はあった。
杖が輝いた瞬間、嫌な予感を覚えた佳乃は身体強化を発動。強引に足枷を振り解いて後方に跳躍。その直後に、爆炎が巻き起こった。
難を逃れた佳乃は、軽く戦慄するとともに、感じ入ってもいた。
なるほど、魔法とは実に理不尽かつ強力なものだ。
初見ではどれだけ警戒していても虚を突かれるし、下手を打てば容易く一網打尽。味方なら頼もしい限りだが、敵に回せばこの上ない脅威となる。
とまあ、事実は把握できた。
これを踏まえた上で――反撃といこう。
「魔法使いは白兵戦に弱いって相場が決まっているけど……さて、本当なのかな?」
そして、佳乃の姿が掻き消える。少なくとも、少女の目にはそう映ったはずだ。
「なに――」
「こっちだよ」
一瞬にして彼女の懐に飛び込んだ佳乃は、連続して二度、拳を打ち込む。……が、その全てを防御された。先と同じ、光の防壁によって。
ただ、先程と違っていまの佳乃は身体強化の特殊能力を使用している。防壁には、目に見えて判る歪みが生まれていた。
「貴様……ッ」
少女が杖の柄尻で佳乃に殴りかかる。右手を差し出し、これを受け止める。思いの外強い衝撃。
そのまま杖を奪い取ろうとしたが、それより前に少女が魔法を放つ。
「〈貫く力場〉!」
ズグ、という嫌な感触が、身体の各所に発生する。
「い、っ!?」
反射的に佳乃は後退する。
見れば、制服のあちこちに五百円玉ぐらいの穴が開いており、そこから覗く肌はじんわりと血が滲んでいた。
幸い傷は深いものではなく、こうしている間にも細胞の再生力によって治癒が始まっている。
少女は今度こそ愕然とする。
「馬鹿な……! 〈貫く力場〉に抵抗するだと……!? おまけにその回復力……貴様、何者だ?」
いまの魔法は少女の十八番だったりするのだろうか。
まさか耐えられるとは思っていなかった……そのような感情が伝わってくる。
いや、そんなことより制服をどうしてくれるのだ。多分だが、この世界で最高峰の技量を持つ職人でもなければ、修復は至難の業だと思われる。大事にしようと思っていた矢先にこれとは、厳しい世界だ。
微妙にやさぐれた気持ちで、佳乃は答える。
「僕が何者かって? ちょっと悪魔に良心を売っただけの男だよ。――それより、もう終わりかい?」
「っ、舐めるな!」
少女が杖を横薙ぎに振るった。
強力な魔法が放たれる。佳乃は、自分の視界が一瞬真ん中で斜めにズレたように感じた。直後、胸の当たりで凄まじく熱い感触を得る。
「ぐぅ、ああああ!?」
血が迸り、佳乃はもんどりうって倒れ込む。
未だかつて経験したことのない激痛に、歯を食いしばって耐えた。
痛い。痛い痛い痛い、痛すぎる。
だが、しかし。
「ま――だまだぁ!」
佳乃は跳ね起き、追撃と思しき炎の魔法を避ける。
胸には真一文字に刻まれた傷口があり、いまもどくどくと血を流している。が、動く分には支障はない。動けるなら、戦える。
少女の背後に回り込むと、渾身の力を込めて拳を叩き込む。
防護壁が現れて阻まれるが、構わず何度でも繰り返した。
「〈雷の手〉!」
少女が振り向き、至近距離から魔法を撃ち出す。
どこからともなく飛来した雷撃が全身を打ちのめす。不思議とダメージは軽く、佳乃は無視して殴り続ける。
「〈拒む力場〉!」
見えざる力が佳乃を無理矢理押し退けようとする。身体にかかる圧力ごと殴り飛ばすように、佳乃は一層強く拳を振るう。
地面に亀裂が入り、周りの木が根ごと掘り起こされる。
段々原形を留めなくなってきている地形の中心に、佳乃と少女、気絶したルイスがいる。
「――はあっ!」
「くぅ、っ」
何発目か分からなくなってきた殴打の一つが、とうとう防護壁に皹を入れる。
少女の能面のような表情に最早余裕の色はなく、佳乃も佳乃で全身ボロボロだった。
……なんで自分はこんなに必死になっているのだろう。検証がどうとか色気を出さずに、さっさと逃げとけば良かったのでは。
そんな考えが一瞬佳乃の頭を過ぎるが、やってしまったものは仕方がない。
ともかくこれで……
「終わりだ――ッ」
振り抜いた右腕が防護壁を貫通。少女の左頬を捉えてその身を吹き飛ばす。
地面に激突し、十数メートルに渡って転がる少女。これは決まっただろう、と佳乃は思いかけ――次の瞬間、目を丸くする。
「――お、のれ」
驚いたことに、佳乃の全力に近い拳撃を受けてなお、少女は立ち上がった。……その頬には、傷一つない。
「いやいや……どんなトリックだよ。不公平にも程があるだろう」
佳乃は憮然として糾弾する。
粗方塞がってきたとはいえ、佳乃の身体は依然傷だらけだ。それに対してようやく少女に与えられたダメージが消えてなくなるのは納得いかない。
……ちなみにトリックのタネは、〈夢移し〉という精神系統の最上位魔法である。自分の受けた攻撃を一度だけ夢に書き換え、無効化するというものだ。無茶苦茶な性能だが、その分魔力消費はとんでもないことになる。
「〈熱線〉……!」
苦しげな声音で少女が杖を掲げ、赤い閃光が走った。
躱すこともできたが、佳乃は敢えてそれを掌で受け止める。
……当たり前だが、くそ熱かった。
しかしそれも、精々低温火傷の域を出ない程度のもの。佳乃は戦闘中秘かに行っていた検証に、ようやく結論を出す。
至高の粘体の細胞が持つ魔法耐性は、まあそこそこ当てになる、と。
もっとも、この少女が相当なレベルの魔法使いであるのなら、評価はまた変わってくるだろうが、それはまた追々に。
「……くっ」
「ああ、もう……」
少女が悔しげに顔を歪め、佳乃はがっくりと肩を落とす。
似たような反応ではあるが、その深刻度はえらい違いである。
少女の方は、自身の魔法が通じないことへの焦り。佳乃の方は、最早どうしようもない形で制服が破損していることへの無念。
状況が停滞しかけた、そのとき。
佳乃はあるものに目を付ける。
気絶して横たわっている少年……
にやぁ、と悪魔的な笑みを浮かべる佳乃。
少女を殴り飛ばしたが故に、意図せずして無防備になっていたのだが……これを利用しない手はあるまい。このまま戦い続けても決着がつくかどうかは相当怪しい(と佳乃は思っている)。交渉を行う意味でも、確保しておくべき材料だ。
佳乃はつかつかとルイスの下まで歩み寄ると、おもむろにその頭を踏みつける。
「な……っ、貴様――」
「――さあ、どうする?」
佳乃の意図を悟った少女が、憤怒の気炎を上げる。それを邪悪な目で見返しながら、佳乃はクイズでも出しているかのような調子で問い掛ける。
我ながら悪役が似合うなぁ、などと思いながら。