5話 こんにちは、さようなら
激闘を繰り広げた魔物の最期を看取ってから数時間。
歩みを再開していた佳乃は、変わり映えしない景色にいい加減溜め息を吐く。
「いつまで歩けばいいんだ……」
何度か樹上に登って周囲の様子を探っているのだが、一向に森の終わりが見えてこない。
疲労こそないものの、気持ち的には焦りを覚える。夜までに出られればいいのだが。
……いっそ全力でダッシュするか。
そんなことを検討していると。
「やれやれ、またか」
後方から迫ってくる複数の気配を感じ取り、佳乃は振り返る。
現れたのは、緑色の体毛を持った狼だった。先頭を走る最も図体のでかい一頭が短く吠えると、追従していた他一二匹の狼が散開して佳乃を取り囲んだ。
佳乃に動揺はない。
当然だ。もうこれと同じ群れを二、三回は殲滅してきたのだから。
どうやら佳乃がいま居る一画は、この緑狼のテリトリーらしい。数百メートル進む度に、必ずと言っていいほどこのような群れと当たってしまう。
それが厄介という訳ではないが、こうも続くとさすがに煩わしい。
実際強さ自体は大したことない。あのティラノと比べれば、目を瞑っていても勝てそうなぐらいだ。
だが無駄に数がいるため、始末するにはどうしても時間が取られる。初めのうちは、細かい検証をするために割と丁寧に戦っていたが、いまとなっては邪魔でしかなく……
「――はい、次、次」
襲いかかってくる者から順に、佳乃は機械的に殴って蹴って撃退していく。
身体強化の特殊能力も惜しみなく使用しているため、撫でるように優しい一撃でも、狼たちにとっては充分致命傷となり得た。
ほんの一分足らずで、ほとんどの狼が死に絶える。
最後に、一際大きな図体を持ったボスと思しき狼の鼻っ柱を蹴り潰し――また一つ群れが消えた。
「うーん、やっぱり弱いものいじめみたいで気が乗らないなぁ」
累々と横たわる死体を見渡し、佳乃は肩を竦める。
……気が乗らないならそもそも戦わずに振り切ればいい話なのだが、良心が半減している佳乃は、ほぼ無自覚に狼たちを皆殺しにするという選択を取っていた。
そんなこんなで、襲ってくる魔物や獣を適当に殺戮しながら、特に見所のない森の中を進んでいく。
――変化があったのは、それからさらに数時間が経ったときだった。
「え、いまのって……」
もう大分陽が傾き、辺りが薄暗くなってきた頃。
佳乃は唐突に、探し求めていたものを発見した。
人間である。
一本の木の傍で蹲り、植物採集に励んでいる少年と、その隣で暇そうに佇んでいる青年。
そんな二人の姿が、通り過ぎかけた茂みの合間からチラリと見え、佳乃は慌てて引き返した。幸い、彼我の距離は百メートル近く離れている。強化された視力を持つ佳乃ならば、つぶさに観察できるが、向こうから茂みの中にいる佳乃を発見するのは難しいだろう。……だろう、としか言えないのはやはり厳しいが。
ともかく佳乃は、目を凝らし、耳を限界まで澄ませる。
やっと発見できた人間だ。何としても一定の情報は得たい。
――いやあ、まさかこんなところに群生していたとは。やっぱり、思い切って遠出してみて良かったですよ。
声の主は、先程まで蹲っていた少年だ。作業着の上に少しばかり草臥れた白衣を羽織った、十代後半と思しき少年。肩には丈夫そうな鞄を掛けている。なよっとして朴訥そうな雰囲気とは裏腹に、その研究者然とした出で立ちはなかなか様になっている。
どうやら隣に立つ男性にかけた言葉らしい。その男はというと……
――いま採った分で最後か? ならとっとと帰るぞ。こっそり結界の外まで採集に出掛けたなんて主任に知られたら、まーた雷が落ちる。
ぶるりと身を震わせて言う青年。こちらは二十代後半ぐらいで、がっしりとした身体つきに飄々とした顔立ちをしている。その身を皮鎧で覆い、腰には長剣を佩びていた。如何にも軽戦士といった格好である。少年との対比を鑑みるに、おそらく付き添いで来た護衛のような気がする。
「んー……これだけじゃ、よく分からないな」
佳乃は呟く。
いくつか気になる単語はあったが、それの意味するところはまだ不明瞭だ。
もっと情報プリーズ、と秘かに心中から念を送る。それが届いた訳ではないだろうが、二人は会話を再開する。
――すみません、ガンツさん。俺のわがままに付き合わせてしまって……。
――気にするない。どうせ俺が同行しなきゃ、おまえが結界の外で生き延びられる訳がないんだ。だから責任はどっちかというと俺にある。おまえは取り敢えず今回の成果を誇りな、ルイス。きっと主任もそれで大目に見てくれるぜ。
――はい……! ありがとうございます、ガンツさん!
――そんじゃ、帰ろうかね。……いま何時だろうな?
どうやら少年の方がルイス、青年の方がガンツという名前らしい。何やら親しげに話したあと、二人はその場を跡にした。
佳乃は顎に手をやり、いまの会話から得られた情報を整理する。
……遠出……結界の外……主任……わがまま……俺が同行しなければ……
「出口が近い……? いや、さっきも見たけどまだまだ森が続いていたし……じゃあ、あの二人はどこから……。結界、か……。気になるな。それにあの子の格好……主任っていうのも引っ掛かる」
声に出して疑問を自らに提示し、考えをまとめていく佳乃。
その過程で、ふと気が付く。自分があの二人の言葉を、当たり前のようにヒヤリングしていたことに。ここは異世界だ。当然、言語だって地球のそれとは大きく異なる。それなのに佳乃は、少年たちが発する未知の言語を、日本語として極自然に理解していたのだ。
転生した際の仕様なのかと興味深く思ったが、ひとまずそれは置いておく。
こちらの行動は粗方決まった。あとは上手くいくことを祈るばかりだ。
茂みを掻き分け、佳乃は先程まで少年らがいた場所に移動する。何気なく木の根元を見やると、あの少年が採取していたものと思しき植物があった。
捻じれた茎と紫色の葉を持つその植物。魔法薬の材料にでもなるのだろうか、と佳乃は想像した。
「――ま、気になることは、直接聞いてみればいい」
二人が去っていった方角を見やり、まだそれほど距離は開いていないはずだと判断する。
佳乃は二人に追いつくべく、少し駆け足気味に、その方角へと足を進める。
この先に人が集まるような場所があるなら、是非案内して欲しいし、もし無理そうなら兼ねてより試したかったことを実行してみよう――。
そんな考えで、佳乃は後を追う。
やがて、対照的な出で立ちをした二人組の背中が見えてくる。真っ先に気が付いて振り返ったのは、やはりというか武装した青年――ガンツの方だった。剣の柄に手をかけ、油断なく佳乃を見る。少年――ルイスの方は、突然警戒を示したガンツにビクリとし、次いで佳乃の姿を認めて目を丸くする。
佳乃は、何もやましいことはありませんよ、と言わんばかりに朗らかな笑みを浮かべ、両手を挙げてみせる。
良い対人関係を築くには第一印象が命。これの成否でその人物の評価が一気に固まってしまうのだから。そしてその評価は、後々になってもなかなか変わることがない。だからこそ、最初の掴みは大事にしたい。
十メートルほどの間隔を置いて立ち止まり、佳乃は話しかける。
「すみません。少々お聞きしたいことがあるのですが、お時間頂いてもよろしいでしょうか? あ、自分は芹沢と申します」
これでもかと丁寧に要求し、自己紹介する。
これが同じ日本人であれば、誰もが快く――とまではいかないだろうが、少なくとも不快に思うことなく応じてくれるだろう。
否、たとえ日本人でなくとも、誠心誠意頼めばこの程度の要求は通るだろう。まともな人間性を持っている者ならば、それを証明するためにもきっと応えてくるはずだ。
……だが、どうもそういったこととは別に、今回は事情が異なるようだった。
ガンツはまるで後悔しているかのように歯噛みし、ルイスは蒼白な顔で佳乃とガンツを交互に見比べている。
どう好意的に見ても歓迎されていないのは明らかだった。
まあ、向こうにも何か事情があるのだろう。沈黙が続くなか、佳乃は諦めずに再度頼み込もうとして――
そのときだった。
「――許せ」
青年が短く呟き、勢いよく抜剣した。そのまま大きく踏み出して、十メートルの距離を一息に詰める。そして躊躇いなくその剣を佳乃の脳天に振り下ろした。
一連の動作はどれを取っても無駄がなく、非常に洗練されていた。佳乃も思わず感嘆してしまう。……つまり、呑気に感嘆していられる程度の攻撃だったということだが。
「――危ないなぁ」
「な、に……!」
ガンツは瞠目した。
振り下ろした剣――その刀身部分を、あろうことか素手で掴み取られるなど、完全に予想外だったが故に。
相手が剣を抜こうとした瞬間から、佳乃の意識は戦闘状態へとシフトしていた。初めての対人戦……果たしてどの程度渡り合えるか、敵わなかったときはどう逃げるか……あらかじめシミュレートしていたことを思い返しながら、佳乃は慎重に構えていた。
その結果飛んできたのは、何とも拍子抜けする一撃だった。動きは良い。だが佳乃の想定していたスピードを遥かに下回っていたのも事実。
そんなんであのティラノさんなんかと出遭ったらどうするつもりだったんだ、と一瞬ツッコみたくなってしまった程である。
微妙にやる気を削がれた状態で身体強化を発動、そして眼前まで迫った刀身を片手で受け止めたのだ。
「手を、出したね?」
確認を取るように、一言。
「くそっ!」
ガンツは力を込めて剣を引き戻そうとするが、佳乃に掴まれた得物はピクリとも動かせない。そこですぐに柄から手を放し、太腿のホルダーから短剣を抜く。その状況判断はなかなかのものだった。
間髪入れず、短剣を脇腹に突き込んでくる。
切っ先が制服の布地に触れる寸前。
「がッ!」
佳乃はもう片方の手で、短剣を握るガンツの手首を払い除ける。かなり優しく、軽く小突く程度の力しか入れていなかったが、ガンツの右手はあらぬ方向に曲がっていた。
やはりこの特殊能力は強い、と佳乃は満足げに笑って剣を放り捨てた。
「悪いね。耐久力を確かめるために、別に受けてもよかったんだけど――ほら、この服一張羅だからさ。なるべく傷付けたくなかったんだ」
「くっ……ルイス! 早く逃げろ!」
手首を押さえながら距離を取り、ガンツは背後に向かって叫ぶ。
「で、でも……!」
「いいから行け! ――こいつはヤバい。そうでなくてもあそこに他人を近付けさせる訳にはいかない!」
焦燥に駆られたガンツの声に、ルイスは一瞬沈痛な表情を浮かべるが、すぐに決然とした面持ちとなる。
「……っ、ご無事で!」
「ああ、主任に謝っといてくれ」
そして、走り出したルイスを庇うように、ガンツは進行方向に立ち塞がった。
「……あ~、逃げられちゃ困るんだけど」
「悪いな、ボウズ。おまえには何の恨みもないが、ここで死んでもらう」
「それは勘弁願いたいな。こっちは生まれ直したばかりで……とまあ、喋ってて見失ってもあれだし、終わらせようか」
「ああ……おまえの命をな!」
そう叫び、ガンツは腰のポーチからガラス球らしきものを取り出した。その中心には、白い炎のような輝きが灯っている。
ガンツはそれを全力で地面に叩き付け――
「おっと危ない」
――られなかった。
「は……?」
間の抜けた声を上げるガンツ。
それも当然だろう。思い切り下に投げつけたガラス球を、地面に着く前に回収されてしまったのだから。
猛スピードで駆け抜けた佳乃は、彼の背後で、キャッチしたガラス球を弄ぶ。
「よく分からないけど……いや、よく分からないからこそ、こういうものには最大限警戒するべきだよね」
そして、無防備なガンツの首を鷲掴みし――そのまま頸椎を握り砕いた。
「……か、ひ、」
微かな呻き声を漏らし、ガンツは、どう、と倒れ込む。
それを見届けると、佳乃は己の手をじっと見下ろした。人一人殺めた、手を。
「ふぅん、こんなものか」
得心がいったように肩を竦める。
なるほど、良心が半減するとはこういうことか。特に何も感じないのは、まあ、この状況下ではむしろ好都合だ。
ガラス球をポケットに納め、ガンツが本当に死んでいるかどうかを一応検める。
確実に死んでいると判断し、佳乃は立ち上がった。
そして、少年が走り去っていった藪の方を見つめ、佳乃は笑う。それは実に自然な、捕食者の笑いだった。
「さて、情報収集といこうか」
目にも止まらない速度で、佳乃は地を蹴った。