1話 力の対価
「――選択肢は二つ。一つは記憶も自我も全て初期化して輪廻に還ること。もう一つは、俺と取引して別の世界に転生することだ。……さあ、どうする?」
何処とも知れない広大な空間の中で、芹沢佳乃が最初に聞いた言葉が、これだった。
それに返答しようとしたとき、彼の脳は酷い痛みに襲われた。
「うぅ、頭がボヘボヘするんじゃぁ……」
そう呻いて床(?)を転がる佳乃。
転がりながらも、自身の状況を確認していく。まず、ここはどこか……については後回し。では何故こんなことになっているのか……も思い出したくないので後回し。ならば、さっき問い掛けてきたのは誰なのか……はだいたい想像がついた。
それを確かめるべく、佳乃はようやく声をかけた。……寝転がりながら。
「あのう……」
「やっと反応したか。人の話を無視するもんじゃないぜ。あ、俺は人じゃないけどな」
目の前に佇んでいたのは、鋭利な美貌を持った黒衣の男だった。整った顔立ちとは裏腹に、どこか危険な感じがする空気を纏っている。
笑いつつも酷薄に聞こえる口調で、男は続ける。
「芹沢佳乃。おまえは死んだ。しかし、おまえは運が良い。少なくとも、この俺の目に留まるぐらいにはな。お蔭で、人生を再出発できるかもしれんぞ」
「薄々そんな気はしてたんだけど……やっぱりこういう展開かぁ……」
仰向けのまま、佳乃は慨嘆する。
そうだ。自分は確かに死んだ。
文化祭の準備でいつもより学校に長く残っており、校門を出た頃にはすっかり夜更け。そして近道しようとして、人気のない裏道を通ろうとしたのが大失敗。そういえば今朝、連続殺人犯がこの近辺を逃走しているとかニュースで言っていたような……。などと、無意識にフラグを立ててしまったが最後――
「どうだ? 少しは思い出したか?」
「ああ、うん、思い出した。あれは痛かった」
意地悪く尋ねてくる男に、ぐったりとした声で答える。
曲がり角にて、出合頭に脇腹を一突き。それで、佳乃は死んだ。というか殺された。
「いやいや、ありえないって。何でなん? いきなり殺すってなに? 他にやりようは幾らでもあっただろうに。そりゃお金は少ししか持ってなかったけどさ。それでもこれ以上罪を重ねたっていいことないじゃないか」
連続殺人犯(推定)の不合理なやり方に憤る佳乃。怒るポイントがかなりズレているが、佳乃はそういう人間だ。理屈に合わないことが嫌いなのだ。
「人間ってのもピンキリだ。筋道立てて考えられる脳味噌はちゃんと持ってる癖に、それでも意味のない凶行に及ぶんだ。俺からしてみりゃ吐きそうなぐらい笑える」
「笑えはしないけど、僕も概ね同意。ああはなりたくないもんだ」
「そうだな。俺も、自分を殺した犯人に対して、殺り方がなってないなんてくそ真面目にディスる変態にはなりたくないもんだ」
「さらっとディスらないでもらえます?」
心外だと言わんばかりに佳乃は男を睨む。自分は不合理なことが許せないだけだというのに。
それはさておき、と男は手を叩く。
「さっきも言ったが、おまえはこのままだと魂がフォーマットされて輪廻に直帰だ。どちらかというと、そんなことにはなりたくないだろう?」
「……まぁ、生きられるに越したことはないけど。っていうか、あなたどなた?」
随分といまさらな質問に、男は事も無げに答える。
「俺? 俺は悪魔だ。……何だ、世界の管理者が神様だとでも思っていたのか? 残念! 俺様でしたー!」
控え目に言って、ウザイ。
けらけらと笑う男を尻目に、佳乃は某哲学者の名言を思い出す。神が死んだというのは、どうやら比喩でもなんでもなかったらしい。正に世も末だ。
一頻り高笑いした男は、気を取り直して話を再開した。
「まあ、それでだ。俺としても、おまえみたいなヘンタ――面白い人間にはなるべく生きて活躍してもらいたい訳だ」
「わざわざ言い直さなくていいよ……。それであの取引とかって話に繋がるのか?」
「ザッツライ。おまえは取引で得た力を活かして、新たな世界で生きられる。俺は対価を得てウマウマ……悪くない話だろう?」
「うん、まあ……」
悪魔の取引が悪くないというのも可笑しな話だが、内容は確かに双方にとって利益があると言えるだろう。
「ちなみに僕が生まれ直す世界って、どんなとこ?」
「端的に言えば、おまえのいた世界より文明レベルは低い。まだ産業革命もきてないな。多分、今後もくることはないだろう」
「どうしてまた」
「魔法」
「OK、把握」
つまりファンタジーな世界ということだ。これは本格的に生まれ直したくなってきた。
多少変わっているとはいえ、佳乃も年相応の冒険心や好奇心は持っている。魔法という未知の技術が存在している世界……是非覗いてみたいものだ。
佳乃の理由としてはこれで充分。となると心配なのは、取引の対価だが……。
佳乃は身を起こして尋ねる。
「対価って言うけど、僕は何を支払えばいいんだ?」
「そりゃおまえ、悪魔が求めるものなんてこれっきゃねぇだろ――良心だよ」
「良心……。なるほどね、そうきたか。本当に悪魔らしいな」
「だろう? おまえの持っている良心の半分を対価に、素晴らしい特典を与えてやろう」
楽しそうに言い放つ悪魔。佳乃としては、悩みどころだった。
良心というのは言い換えれば、罪悪感や道徳心といった価値観の一種であり、簡単に言えば物の分別である。これが欠如している人間が、狂人だのサイコパスだのと呼ばれるのだ。
……解ってはいたけど、いやらしい条件だな。
佳乃は胡坐の上に肘を着き、割と真剣に考える。
狂人になるのが嫌というより、狂人になることで不利益を被るのが嫌だった。
良心の半分を失ったとき、自分はどういった行動をするだろうか。不合理であると知りつつも、あの連続殺人犯のように手が滑ってしまうのだろうか。それとも――
長い熟考の末、佳乃は結論を出す。
「分かった。取引に応じよう」
「ほう、いいんだな?」
悪魔がほくそ笑む。
「ああ。僕はどちらかというと、一時の感情よりも理屈を優先して行動しているからね。良心が半分になっても、物事を理論的に考えられなくなる訳じゃないんだろう? だったら――合理的に動ける僕には、大した影響はないと思うよ、うん」
「なぁるほど。ま、確かに自分を殺した奴にまでああ言ってのけたんだ。その自信も口だけじゃないんだろうよ」
面白そうに頷きながら、悪魔は笑みを深めた。
佳乃は早速とばかりに、要求する。
「それで、僕は何を貰えるのかな。この対価に釣り合うだけのものなんだろうね?」
「安心しろ。とっておきの特典だ。おまえに与えるものは――」
一拍溜めて。
「――『自分の肉体を自由にカスタマイズできる権利』だ」