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「おう、月乃」

「あ、和時」

 放課後、何の気なしに階段を上ると、黄昏の屋上が広がっていて、渡辺月乃が座っていた。

「お前何してんの? 教室行ったらお前いないし、いつになっても戻ってこないで、もう六時間目終わったぞ。一日授業サボるなんて普通じゃないことしやがって」

「そういうお前こそ、何してるわけ。私よりも追いかける人がいるんじゃないのか?」

 どうやら来たと思ったら始業の前に帰ってしまった西内さんを見ていたらしい。

「お前さ、何か勘違いしてないか? 俺は別にあの人と付き合っているワケじゃないぞ?」

「じゃあ、なんで付き合ってもない人の頬を触ったり見つめ合ったりするんだよ」

 そこまで見ていたのか。

「あのな、月乃。……お前と俺は結構長い付き合いだよな。けれどだからこそ言えないこともあるんだよな。お前には、俺の弱いところ一杯見せてるから、だから……。これだけはお前には言えないんだ」

「どうしても?」

「どうしても」

「ずっと?」

「ずっと」

「何を言っても?」

「何を言われてもだ」

「わかった……、じゃいいよ。私に言いたくないことだってあるんだよな」

 これで終わらせるのは、少し後悔しそうだった。

「あのな、月乃、俺お前が嫌いなんじゃないからな?」

「本当に?」

「嘘をつくか」

 そして、言葉は終わる。

 どれくらいの時間そうしていたのか忘れてしまったが、落日の時間が終了し、夜の帳が空に織り込まれてゆく。

「……和時、あのさ。私言っておきたいことがあるんだ」

 月乃は何かを言おうとしていた。

 けれど、俺はそれを聞いていなかった。

 というより、聞こえなかった。

 また、周りの音がフェードアウトしていき、月乃のまわりにだけ、存在感が浮き出てきた。

 ……来た。


 月乃の髪が、勝手に動いていた。

 まるで生物のような複雑な運動を行って、髪の毛が動いていた。

 しかし月乃自身は気付いていない。それはそうだろう。俺にだけ見える夢なのだから。

 髪の毛がくるくる回り始める。何だ?

 さっきから月乃は何かを言っているのが口の動きでわかるけれど、俺は髪の毛の動きに目を取られて何も聞いていなかった。その、月乃の首の周りをくるくると回る髪の毛に目を奪われていた。

 なんで髪の毛が巻き付いてるんだ?

 マフラーのようにも見えたが、(人毛のマフラーか、さぞかし御利益のあることだろう)持ち上がろうとしている。まるで誰かが引っ張り上げるように、蛇のような動きをする月乃の髪が上へと持ち上がろうとする。

 わかった。

 このまま持ち上がり続けると……どうなるのか。誰の首が締め付けられるのか、わかった。

 思わず、手が伸びた。

 上へ行こうとする髪の先端をしっかりと掴む。これ以上持ち上がれば、月乃の首が絞まる。

「やめろっ!」

 俺は叫んで、そして後悔した。

 俺は何をしているんだ。

「どうしたの? やめろって、私が言うの、そんなに嫌?」

 酷く、恐ろしいものでも見るように、月乃は俺を見ていた。そんな顔を、初めて見た。

「悪い、聞いてなかった」

 言ってから、後悔した。

 パシン

 思いっきり平手打ちを食らう。

 なんで俺が叩かれるんだ?

 わからなかった。

 わからなかったけれど、泣きながら走り去ってゆく月乃の足元から伸びる影が青く揺らめいていた気がした。魔女の言った、影には気をつけろという言葉が、嫌に気になった。

あれ以来、月乃とは口を利いていない。

俺が髪の毛の動く夢を見ていた時、あいつは俺に何を言いたかったのだろう。俺は、何を聞かなかったのだろう。

 

 もう三日経つ。

 隣に座る月乃は俺のことを完全に無視していること以外普通だしサビルロウはいつものようにわかった風なことを言うし、西内さんは結局帰ってこなかった。どこまで冒険に行ったのか知らないが、何故帰ってこないのだろう。俺はどんどん不安になっていく。

 俺の周りは、何か壊れていることを除けばいつも通りで、俺が毎日幻覚にツッコミを入れながら過ごしていることを除けば、平穏だった。なのに、突然前触れもなく最悪な気分に落とされる。いや前触れはあったじゃないか。俺がどうにかなってしまいそうな出来事はずっと前からあったじゃないか。来訪者症候群。

 これが、悪夢なのか。俺に用意された悪夢だというのか。

なら、覚めない夢を見ている俺の悪夢は、いつ終わってくれるんだ。


「まったくどうしようもない。お前は本当に何もわかっていないのだから」

 サビルロウは俺を見つけるたびにそう言う。もう、これで何度目だろう。もう、俺の心にその声は響かない。

 昼休み。することがなくて屋上に遊びに来ていた。珍しくいい天気だというのにバトミントンをする女子も、いちゃついているカップルも、昼寝をしている誰かもいない。

 俺しかいない。

 今まで、ここにくればなんでも解決してきた。何かあれば階段を上っていた。ここにはいつもあいつがいて、そして適当に喋って俺がおごることになったりおごらせたりして、仲直りをしてきた。どうにかならなかったケンカなんかなかった。

 けれど、それはあいつがここにいてくれたからで、ここに来ればなんとななるとこっちが思っていただけで、今まではあいつが許してくれていたからで、今は本当の拒絶だからこそ、ここにはこないのでは。

 そんな簡単なことにも今更気付く。眼を閉じた。

 俺は、月乃のことを何もわかっていなかった。

 あの日から、何もかもがおかしかった。サビルロウの言葉を聞いてしまったときから。

「まったくどうしようもない。お前は本当に何もわかっていないのだから」

 ああ、お前の言うとおりだよ。なあ、どうしたらいいんだよ、俺は、何をわかればいいんだよ、誰か教えてくれよ。

 俺は閉じていた目を開けた。もう、ここには来ない。それがわかった以上、ここであいつを待っている意味は無い。俺は教室に戻ろうと立ち上がり、そして、また誰かの気配を感じた。

 音が、消えていた。あの、夢と現実の狭間にある真空の空間。また新しい願望が、具現化されるのだ。俺は目を閉じて、少しの間待って、目を開けた。

 そして、それがいた。

 それは帽子を被っていた。そして黒かった。黒尽くめとか黒い服とかじゃなくて、全くの黒だった。その人間の輪郭を残して、後を黒色のペンキで塗りつぶしたかのような、真っ黒な人の形をしたものが、そこに立っていた。それは形容するなら、影。

 影?

 何か嫌な予感がした。

 今見ている『夢』は一体俺の心の何を表しているのだろう。慣れてしまって、そんな疑問まで浮かび始めたとき。

 

 

……と、『影』は俺の目の前にまで移動していた。

「!」

 驚きに、言葉を発せられなかった。

 目の前にある『影』には、顔がなかった。目鼻立ちさえなく、まるでのっぺらぼうのような、しかし一つだけあるものがある。

 口だ。

 そしてその『影』はチュシャ猫のように口をグニャリと曲げて、















































「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」










 『影』の手が、俺の頬に触れた気がした。触れてしまった。

 いや、そんなはずはない。夢は、見るものだ。現実に干渉することなんて、あるわけないじゃないか。触ってなんかいない。触れる瞬間に影は消えたんだ。あんまり近くまで来たもので、触られた気がするだけなんだ。落ち着け。西内さんも言っていただろう。パニックにはなるなと、これは、そういうものなんだ。落ち着け。落ち着くんだ。俺に、何も起きるはずがない。

 夢の中の幻覚に過ぎないそれが、なんで俺に触れることができるんだ。『あれ』は、人の手の感触だった。『あれ』は、まるで生きているようだった。

 何故? 何故? 何故?

 俺を恐怖させるようなものが、どうして、これは俺の夢じゃないのか? 俺の思うモノが見えるんじゃないのか? なんでこんなに怖いんだ? 俺は、何を怖がっているんだ? あの影は、一体『何』なんだ?

 落ち着け。


 あれはただの悪夢だ。



 

「和時? 大丈夫か?」

 汗を顔中に流しながら、声をかけた誰か ひどく心配そうな顔が、そこにあった。

そこにないはずの顔が、そこにあった。

「和時、どうしたんだよ」

 月乃が、そこにいた。に目をやった。

「叫び声が聞こえたから来てみたんだけど、どうしたんだよ、汗だくじゃないか」



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