グレイフェンリルの飼い方2・子犬に名前をつけましょう
「ご主人様……あなたがいなくなられてから、この世界はすっかり変わってしまいました。
それまでは人間のみなさんとも仲良くやっていたのですが、調教と称して我々を虐待する人間ばかりが増えて……
ついには、我々の仲間が人間に反旗を翻したのです。
呼応するように1人、また1人と人間に牙を剥き、ついには人間と我々の戦争が始まってしまいました。
もともと、モンスターとわかりあうというのは特殊な才能なのです。
人間と我々との溝は次第に深まるばかりで……
ついには人間側で〝調教師狩り〟が始まったと聞きました。
我々に味方してくださる方も多かったですから……
行方不明のご主人様も被害に遭われているのではないかと思ったのです。
いてもたってもいられず、ご主人様を探して私も戦いに参加したのですが……
またお会いできて、本当によかったです……
行き倒れているようでしたので、〝調教師狩り〟にあったのではないかと思いました……
この調教場もいつ人間たちに見つかるかわかりませんから。
けれど、まだ周囲に人間の気配はなかったので大丈夫だと思います。
先ほどシロが確かめてまいりました……褒めてください」
泣きじゃくりながら、グレイフェンリル成体が言った。
俺は彼女の頭をなでる。
気持ちよさそうに鼻を鳴らし、嬉しそうに尻尾を揺らした。
ちなみに〝シロ〟というのは彼女の名前らしい。
間違いなく俺が名付けた名前で、間違いなく俺が育てたグレイフェンリルである。
しかし、シロ……
完全に犬につける名前……
…………いや、すごい種類のモンスターを育てるから、名前とかはほら、識別しやすくあえて簡略化するっていうか、その……
ネーミングセンスなくてもうしわけない。
シロの話から、ゲームの〝モンスターテイマー〟とこの世界との関連性が見えてくる。
ここは〝モンスターテイマー〟の未来なのだ。
モンスター同士を戦わせる娯楽で世界的に熱狂していたのが、モンスターテイマーの世界だった。
しかし、過激な調教ばかりが横行し、モンスターが反旗を翻した。
当たり前だ。モンスターには知恵もあるし言葉もわかる。それになにより、ただの人間よりもよっぽど強い。
扱いを不当に思わないほうがおかしいのだ。
人間側はモンスターを逃がす気はない。
モンスターも虐待されながら人間に従うつもりはない。
戦争が起こった。
最初は強く賢いモンスター側有利だったのだが……
人間側が〝勇者を呼ぶ〟というチートをやらかしたのだ。
趨勢が傾く。
今は、モンスター側不利となっており――
その世界に、俺は呼び出された。
――俺は〝調教師〟としてこの世界に呼ばれたってことか?
異世界から呼び出された〝勇者〟にはなんらかの能力があるらしい。
ということは俺にもなんらかの能力があるはずだ。
しかし、認められなかった。
人間世界では、だ。
だが、モンスター世界においては〝調教師〟の力を秘めているとしたら?
さっき、子犬どもに襲われなかったのがその証明じゃないか?
〝モンスターテイマー〟でプレイヤーがモンスターに襲われることはありえない。
俺だけが仕様通りの調教師としてこの世界に呼ばれたとしたら――
人間側にあっては、モンスターは俺を襲えない。
俺は最強の盾になるだろう。
そして、モンスター側にあっては、俺は彼女たちを〝調教〟することができる。
勇者に負けないよう育てることも可能だろう。
まだ仮定の話だ。
が、確かめる価値はある仮定だと思った。
正直なところ〝モンスターテイマー〟にも飽きがきていたのだ。
育成のルーチンを整え、仕様を知り尽くし、資金も潤沢で、モンスターも能力カンストを複数所持している状態だった。
レアも網羅し、新モンスター実装まで収集すらすることがなかった。
だが――この世界で、いちから始められるとしたら?
しかも相手は〝勇者〟だ。
勇者に勝てるようモンスターを育てるというのは、やりがいがありそうに感じる。
しかも――
「なあ、シロ……」
俺の声はちょっとだけおどおどしている。
当然ながら、ゲームで直接彼女に声をかけるということはしなかった。
目の前にいるのは裸の少女だ。
緊張もする。
だが――縁もゆかりもない異世界の人間よりは、素直に話しかけることができた。
シロが尻尾を振る。
「はい、あなたのシロです。なんでしょうかご主人様」
「俺が育てた他の子も、いるのか?」
「はい! みんな元気なはずです! ご主人様を探して前線に出た子もいますけど……」
ということは、俺の〝モンスター倉庫〟は空で、全部世界のどこかにいるということか。
なるほど、収集要素としては上々だろう。
かつて俺が育てたモンスターが、この世界には散らばっているのだ。
彼女たちを探すのも楽しそうだ。
それに――俺が育てたモンスターならば、戦力としても一級品だ。
集めて損はないだろう。
あと、申し訳ない。
俺を探しているとするならば、俺が見つかれば危険な前線にいる必要はないのだ。
「みんなを集めたほうがよさそうだな。まずは前線から、ええっと……モンスターたちの本拠地? に向かって、仲間を捜しながら移動しよう」
「はい! シロはご主人様のご命令の通りに!」
「うむ」
……うむ、じゃないが。
なんか妙な口ぶりになってしまっている。
視線はさっきから泳ぎっぱなしだ。
なんていうか、非常に言いにくいんだが……
「なあシロ、お願いがあるんだが……」
「なんでしょうか? なんでもシロにご命令ください!」
「服を着てくれ」
いい加減、ヤバイ。
なにがヤバイのかは青少年健全育成の観点から、明確に言うのははばかられるのだが……
俺の体とシロがヤバイ。
むしろ俺の体でシロがヤバイ。
あと、周囲にいる子犬どもが「いいの? いいの? 人型でいいの?」とうずうずしている。
シロはぎりぎりありとしても、子犬のヌードはヤバイ。
いや、犬は本来服を着ないものだが、この世界だとヤバイ。
ゲームでは全裸グラフィックがなかったから油断していたが、普通はそうだよな……服も体の一部とかそういうことはないよな……
中には人型モードが公式で全裸(服に見えるが体の一部、などの説明がされている)のモンスターもいるのだが、シロはそうではないはずだ。
たしかゲームでは白いワンピースを着ていたはずだが……
シロが首をかしげた。
「でもご主人様、シロは普段から裸ですよ?」
「言っていることはわかるが、そうじゃないんだ。もっとこう、なんだ……服を着てるとだな……着てない時に比べて……その、嬉しいんだ」
目のやり場に困らなくてすむから。
それに、このままシロが全裸という信念を貫けば、子犬どもが真似してオールヌードで日常生活をしないとも限らない。
今はいい。
だが、人型時の絵面がやばすぎる。
是非とも彼女たちには人型でいる時には人間らしい装いをしていただきたいものだが……
シロが納得したようにうなずく。
「なるほど。ご主人様はお洋服がお好きなのですね」
「その解釈はなにか違うが、その解釈でいい。服を着てくれるならなんでもいい。俺はシロの全裸はたまに見たいけど、いつもは見たくないんだ」
俺はなにを口走ってるんだ。
なんか、人間が相手の時と比べて、かなり思いついたことをそのまましゃべるようになってる俺がいるな……
これも動物の癒やし効果だろうか。
動物すげぇ。
シロがうなずいた。
「わかりました! お待ちください! 今、どこからか服を獲ってきます!」
「うん。わかった。待ってる――え、なに、今なんて言った? 獲ってくる? 持ってくるじゃなく?」
「ではお待ちを!」
シロがバッと駆けだしていく。
その姿はみるみる獣としてのグレイフェンリルの姿へ変わっていった。
ドアの向こうにシロ姿が消えたあと――
俺は、再び子犬の1匹をつまみあげる。
「なあ……」
「なんでしょうかパパ」
「……」
パパかあ……
どういう経緯でこいつらできたんだろう。
画面の向こうの女の子に子供を産ませる技術はまだ開発されてないはずなんだけどなあ……
そこらへんはあんまり知りたくなかった。
俺は様々な感慨を飲みくだして質問を続ける。
「この家に服はないのか?」
「ないです」
「ここが俺の調教場なら、衣装ぐらいありそうなもんなんだけどな」
シロに曰く、ここが俺の調教場……の1つなのは間違いなさそうだ。
〝調教師狩り〟などという物騒な単語が聞こえたので、調教場なんて真っ先に襲われてそうなもんだが、まだこのあたりまで人間の手は及んでいないっぽい。
……まあ、実際に出産したかはともかく、犬の妊娠期間は人間より短いはずなので(うろおぼえ)俺が腹ボテのシロを知らないということは、俺の不在だった期間は長くないのだろう。
それはつまり、人間とモンスターで戦争が始まってからそう長く経っていないということでもある。
調教場がワールドマップ的に人間の街とどの程度離れているかは知らないが、このへんで前線を構築しているモンスターたちががんばっているということだろう。
子犬が尻尾をうなだれさせる。
「ないものはないのです。服なんて、わたしたちが生まれてから見たことないです」
「……ふむ」
よく考えればコスチューム系アイテムはそもそも存在しなかった。
俺のやっていたゲーム〝モンスターテイマー〟には着せ替え要素が存在しない。
モンスターには固有の人型グラフィックがあり、3Dモデリングで調教場内を動き回るものの、その衣装を変えたりはできないのだ。
なにせモンスター自体の種類が多い。
違う服を見たければ違うモンスターを育てろ、という感じだった。
つまり、コスチュームはモンスターの付属品であり、皮膚のような扱いだ。
なのでアイテムとして存在しない〝コスチューム〟が存在しないというのも、わからん話ではない。
俺はおそるおそるたずねた。
「じゃあ、シロはどこに洋服をとりに行ったんだ?」
「人間の家では?」
「……そっかあ。そうだよなあ」
よし。
聞かなかったことにしよう。
どこぞの人間の女の子が服をとられたと叫んだところで、すでにモンスターと人間は戦争状態なのだから、今さら知ったこっちゃない。
俺のログにはなにもないな。
「パパ?」
「ん? なんだ?」
「…………よんでみただけです」
ついっとそっぽを向く。
この子は他の4人……4匹……いや、4人に比べると、ツンツンした感じだ。
他の子犬どもは俺の足回りにまとわりついて暑い。
スウェットかじられまくりだ。
俺の服もついでにとってきてもらえばよかった。
そういえば、ふと思い出す。
「なあ、お前らの名前を知らないんだが、教えてくれないか?」
「名前は調教師につけてもらうものなのです。だから、わたしたちに名前はないのです」
「日常生活困らない?」
「困らないのです。だいたいみんな一緒に行動するです。あとそろそろ首の皮のびそうなのです」
「おっと、すまなかった」
俺は子犬をおろした。
それから呼びかけようとして――
やっぱり名前がないと不便だなと思った。
提案する。
「なあ、俺も実は調教師なんだよ」
「知ってるのですよ」
俺の隣でチョコンとお座りして、言う。
他の子に比べるとまとわりついてこない。
口調もどこか大人びているし、この中で一番賢そうだ。
長女なのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は子犬を見た。
「俺が名付けようか?」
「………………べつにいらないのです」
つーん、とそっぽをむく。
気持ちはわからなくもない。
妊娠中の母親を捨てていなくなった男が、俺なのだ。
彼女たちの〝父親のいなかった時間〟に俺がなにをしていたのかは、予想するしかないが……
シロをモンスター倉庫にあずけて他のモンスターを育てていたこともあったし、ゲーム自体だって欠かさず毎日ログインしているかと言えば、そんなことはない。
それに、この世界と、俺がもといた世界でやっていた〝モンスターテイマー〟世界とのあいだには時間差があるっぽい。
ここは〝モンスターテイマー〟から見たら未来世界だ。
なので、人間とモンスターが戦争状態になるまでの数年……はなさそうなので、数ヶ月間、俺がなにをしていたことになっているのか、俺は知らないのだ。
しかしこの世界の国家は、俺を異世界から召喚した。
ってことは、俺はずっと元の世界にいたわけで、じゃあこの世界でシロを調教していた俺はいったいどういう存在なのか……
そのあたりのタイムパラドックスみたいなものは、ゆくゆく解決できたらいいなと思う。
今は考えてもよくわからん。
まあつまりなんていうか、娘に嫌われる父親の心境ってこういうのかあ、と自分でもびっくりするぐらいヘコみ中なのであった。
うつむいていると、テチテチと前足で俺の足を叩く子がいた。
「ねぇパパぁ? あたし、パパに名前つけてほしいわぁ」
妙になまめかしい声でしゃべる子だ。
見た目が犬でなければ事案発生という感じだろう。
歩く事案発生装置(4足歩行)。
俺はその子の前足のつけ根あたりに手をさしこんで、顔の前に持ってくる。
「やぁん」
嬉しそうに尻尾を揺らしている。
マジでこれ、誰か俺から見えない場所でアテレコしてるんじゃねーよなあ?
見た目が完全に犬なだけに、まだ頭の中でうまく姿と声が一致しない。
人型モードだとちゃんと顔に合った声だと思えるのだろうか?
「パパぁ、はやくぅ」
名前。
名前か……
自分から申し出ておいてなんだが、ぶっちゃけ、凝った名前をつけるのは苦手だ。
ひねるにしても、猫型モンスターに〝イヌ〟とかつけるぐらいのことしかできない。
……そういえばこの世界には〝イヌ〟もいるんだよな。
彼女の自分の名前に対する感想も一度聞いてみたい。
閑話休題。
さて、目の前の子の名前をつけなければならないのだが……
グレイフェンリルはグレイフェンリルだ。
俺は彼女たちの見分けがつくが、それだってなぜついているかわからないぐらいで、見た目的な差異は4人ともほとんどない。
今持ち上げてる子は、やや毛並みがいいぐらいだろうか。
おしゃれさんなのだろう。
なんとか特徴を活かした名前をつけてあげたいものだが……
「パパぁ……あんまり見つめられると、あたし、おかしくなっちゃうよぉ」
シロはこの子にどういう教育をしているのだろうか。
ちょっと将来が不安になる言動を繰り返す子だ。
こういうのをロリビッチというのだろう。
ひらめいた。
「お前の名前は〝ロッチ〟がいいな」
ロリビッチを略してロッチ!
特徴は活かせている!
大人になってもロリビッチ!
なんか大事なものを失っているような気もするが、このぐらいが俺の限界だった。
……名前の由来を聞かれたら誤魔化そう。
「かわいい名前ねぇ。あたしにぴったりだわぁ。パパ、ありがと」
ぺろぺろと唇をなめてくる。
行動が犬だ。
周囲で子犬どもがロッチをはやしたてる。
「いいなー」
「せっきょくてき。すごい」
「布ふやけてきちゃたー……かんでるとねー、ふやけてねー……ぐじゅぐじゅでねー」
1人、俺の服を噛みすぎだった。
安物スウェットの生地がよほど気に入ったらしい。
くれてやってもいいんだが、着替えがほしい。
とりあえずロッチを床におろした。
ころん、と腹を見せて横になる。
俺はその腹をなでてやった。
「上手よぉ……パパぁ……」
気持ちよさそうに鼻を鳴らす。
と――
ペチンペチンと俺の脇腹を叩く感触があった。
そちらを見れば、最初に持ち上げた長女っぽい子が、俺の腹部に前足でパンチを繰り返している。
犬パンチとか初めて見た。
痛くはないのだが、なんだか不機嫌そうで気になる。
俺は視線を向けてたずねた。
「どうした?」
「なんでもないのです」
「なんでもないってことはないだろ。なにか言いたいことあるんじゃないのか?」
「…………なんでもないのです」
なんだろう、なにか言いたそうなんだが。
俺はその子をつまみあげて、顔の前に持ってくる。
「首の皮がのびるのです。だるんだるんなのです」
「まだ若いからすぐ戻るだろ。なあ、ええと――やっぱり名前がないと呼びかけにくいな。つけてもいいか?」
「………………………………………………勝手にするのです」
長い沈黙のあと、仕方なさそうに言った。
だが、俺は気づく。
こいつは、名前をつけてほしかったんだ。
声とかは押し殺しているが、尻尾がすごい勢いで左右に揺れている。
喜びを隠しきれていない。
これで嬉しくないんだとしたら、遠心力で空を飛ぶつもりに違いない。
ツンツンした子かと思ったが、意外とかわいいじゃないか。
なるほど、これが微妙な年頃というやつなのか。
甘えたいけど甘えるのは恥ずかしい、みたいな。
犬でもそういうこと考えるんだな……
感慨深い。
一つ大人になったような気持ちで、俺はこの子の名前を考える。
しっかりした子で、素直じゃなくて、でも本当は甘えん坊で……
そうだな、自分で全部決めようと思うから、ロッチみたいな被害者が生まれるのだ。あ、ヤベッ、被害者とか言っちゃった。
ま、まあ、とにかく、歴史上の偉人からとろう。
……ん!? ちょうどいいのがあるじゃないか!
「お前の名前は――」
「……」
「〝ツン〟だ!」
西南戦争とかで有名な西郷隆盛の飼っていた犬である。
上野公園で飼い主と一緒に銅像になっているのだ。
ツンツンしてるからツン!
歴史上の偉人も同じ名前つけてるし、俺のセンスは間違ってない!
詳しいエピソードは知らんけど、たぶんなんかすごいことした犬なんだろうきっと。
ツンが首をかしげる。
「……名前っぽくないのです」
「偉い人の飼っていたすごい犬の名前だぞ」
「犬畜生と一緒にしないでほしいのです。わたしはグレイフェンリルなのです。でも……パパがそう言うなら、この名前で我慢してやるのです」
「よしよし、良い子だな」
抱きしめて頭をなでる。
犬はかわいい。
もふもふとした感触が好きだ。
耳とかのコリコリ感がいい。指先でつまむようになでるのがたまらない。
暖かさに心が洗われる。心細い時など抱きしめるだけで涙が出そうになる。
子犬にまとわりつかれるとたまらなく心地良い。複数の小さな息づかいがすぐそばにいる安心感には何者にも代えがたいものがある。
この世界に来てやさぐれてしまった心が癒やされていく。
今なら高らかに叫ぶことができそうだ。
俺は犬が大好きだ! と。
「パパ、放すのです……」
ツンがぷるぷると震える。
なんだ、トイレか!?
今いいところだからもうちょっとなでていたいんだが……
「わかった。その、トイレはどこだ?」
「違うのですよ! そうじゃなくって……あ、もう、無理なのです」
「え?」
ずしん、という重さを感じた。
腕の中のツンが大きさを増していく。
前足は腕になり――
後ろ足は人間のような足になった。
全体のサイズも子犬だったころより大きく、人間の、10歳前後ぐらいの体型に変わる。
髪はまだくすんだ灰色だが――
間違いない。
人型モードだ。
「あ、あ、まだママに許してもらってないのに……人型になっちゃうなんてはしたないのです」
ツンが恥ずかしそうにしゅんとする。
母親のシロに似て、気の弱そうな顔立ちをしている。
ただ、目は母親よりもややツリ目気味だ。
耳と尻尾はグレイフェンリル……ぶっちゃけ犬のものがついていた。
小ささといい、軽さといい、顔立ちの整いっぷりといい、人形のようだった。
ただ、温かい。
そしてすべすべした感触が気持ちいい。
あと、そろそろ目を現実から目を背けるのも限界なのだが……
全裸だった。
今なら高らかに叫べる。
おまわりさん、俺です! と。
いやいや、違う。娘だしオッケーだ。
しかし本当に娘か? 俺の知らない数年間で俺とシロはいったいなにをしたんだ?
やべえ考えないようにしていたことが雪崩のように思いつく。
だいたい18禁にひっかかりそうなことなのでおいそれと口に出すのははばかられるのだが……
誰か俺にモンスターの性教育をしてくれ。
人間モードのツンと至近距離で見つめ合う。
真っ白い頬が羞恥に染まって赤くなっていた。
こういう時、どう対応したらいいのかわからない。
学校では教えてくれなかった。
どうして学校は『10歳ぐらいの女の子が全裸で抱きついている時の対処法』を教えてくれないのだろうか。意味わかんない。重要だろ。今こうして俺、直面してるわけだし。
とりあえず深呼吸した。
甘ったるいにおいがする。
どうしよう――
誰か助けて。
その願いに応えるように――
家の扉が開く。
入って来たのは、シロだった。
獣状態だ。
背中にはひとかたまりの布を背負っている。
どんだけ獲ってきたんだ、服。
シロは俺と、俺に抱きついているツン(人間モード)を見て固まる。
あ、これはアレですわ。
怒られるアレですわ。
俺悪くないような気がするんだけど……いや、ネーミングセンスは悪いけど……でもまあ、仕方ない。帰って来たら娘が裸で旦那と抱きあってるとかすごい修羅場だし、しょうがない。
冷静にまとめると、俺がダメな人すぎた。
そんなやつ俺なら警察に突き出すね。
そういう最低の人間にはなりたくないものだ。
まあ、すでになってるんだけど……
シロが大きく口を開けた。
「こら! なにをしているんですか!」
俺はギュッと目を閉じる。
喰われても無理ない。
シロがこちらに近づいてくる。
足音は、4足から2足に変わっていた。
「パパの膝の上はママの場所なんですからどきなさい!」
「そうじゃねえだろ!」
目を開けた。
そこには、娘と俺の膝の上を取り合うシロの姿(人間モード)があった!
俺が言うのもアレだが、この親、ダメすぎる。
ツンもツンで俺の首にギュッと腕を回して場所をゆずろうとしないし……
わかった。
ここは、俺がしっかりしなきゃいけないところだよな。
オッケー。がんばるよ。
まずはそうだな……
「みんな、俺から大事な話があるんだ。聞いてくれ」
全員の視線が集まる。
俺は目を閉じた。
なんか、全裸の幼女が2人増えてた気がする。
ロッチとまだ名前をつけてない子が人型になってた。
ずっと俺の服を噛んでる子だ。
俺がなにした。
なんでお前らの信頼度はそんなに早くカンストするんだ。
本音を言うとなつかれるのはすごく嬉しいので神様ありがとう。
しかし――
こういう時どういう顔すればいいんだ。
笑えばいいのか。
コミュニケーションの基本だものな、笑顔。
よし、笑おう。
俺は無理矢理笑って、目を閉じたまま言った。
「人型になる時は服を着ろ。俺との約束だ」
「……服がそんなに重要なのです?」
ツンの声がした。
俺は、目を閉じたまま語ることになる――
衣服の重要性。
そして、羞恥心とはなにか、を。
異世界に来て初めて仕事した気がした。
調教の道のりは長い。




