呼ばれた世界の救い方1
「まあ、モンスターの1匹もいないんじゃ、僕に文句を言う資格もないがね。……行くぞスピカ。こんな雑魚にいつまでもかまうな」
――視界が洗浄される。
洞窟の暗闇はすっかり洗い流されて、次に目を開けた時には見知らぬ景色が広がっていた。
周囲には緑に覆われたなだらかな丘があった。
目の前には――去って行く金髪の青年と、何度もこちらを振り返る子犬のような生き物。
見覚えがある。青年にも、子犬にも。
特にあの、青を基調とした毛並み、前足の付け根に生えた左右に伸びる角という独特なシルエットには強く記憶が刺激された。
ケルベロスだ。
神話のソレは頭が3つある地獄の番犬だが、この世界においては2つの頭は肩から生える角にとって代わっている。
「……どういうことだ」
つぶやく。
見下ろせば、俺の格好は見慣れた調教士服だ。
だがちょっと待ってほしい。木刀に渡したはずのシャツも身につけている。おまけにくたびれていない。まるでおろしたてのように襟などがパリッとした、真っ白なシャツなのだった。
この景色にも、今の状況にも、既視感があった。
……先の展開だって読める。
去って行った金髪の青年は――前フリの達人なのだ。
こちらをバカにすると必ずと言っていいほど報復を受ける。
〝お前なんかには負けない〟と言えば必ず負ける。
〝大会に参加するなんてお前には無理〟と言えば必ずこちらは大会に出場できる。
そして今〝モンスターの1匹もいないお前に~〟と言った。つまりこれは、近々モンスターをゲットできますよという旨の福音に他ならない。
ぼんやりとあたりを見回す。
すると――丘の高い場所に小さな灰色の点が見えた。
走る。
頭は混乱しているが心は急いていた。
一刻も早くあの灰色の点に近付かなければならない。今がどうなっているかを確かめる術はきっとあそこにあるに違いないのだ。
走って、走って――
息を切らしながら、灰色の点のそばにたどりついた。
灰色の点の正体は、灰色の子犬だった。
ボロボロの毛並みに、警戒心むき出しの表情。
……それもそうだ。彼女は怪我をしている。
詳しい描写をされた記憶はないが――人為的な怪我なのだろうなと今ならば思う。
子犬は、歯を剥きだしてこちらを威嚇した。
「なんなんですかあなた。こっちこないでください」
子犬がしゃべることにおどろく。……というような一文を読んだ記憶があった。
たぶん、今の俺はモンスターのことをよく知らないのだ。人型でない生き物が人の言語を操ることを知識では知っていただろう。だが、実際に初めて目の当たりにすればおどろくはずだ。
……懐かしさに涙が出そうになる。
もう間違いない。
これは――ゲーム〝モンスターテイマー〟のオープニングだ。
震えながら言葉をつむぐ。
「……でも、怪我してるじゃないか」
「私の怪我があなたとどんな関係があるっていうんですか。消えてください。さもなくば噛みますよ。痛いんですからね」
なんというツンケンした態度だろう。
そういえばコイツにもこんな時代があったんだと感心――いや、感動する。
「痛いのはそっちだろ。そんな大怪我して――なあ、手当てだけでもさせてくれよ」
「……あなた、調教士でしょう?」
「そうだけど――ああ、いや、どっちなんだ? 今の俺は1人のモンスターも世話してないはずだし……」
「私に気に入られてあわよくば私を飼おうとしてますね。お見通しですよ!」
「そんな意図はないつもりだけど……ともかく見過ごせない。手当てはするぞ。噛むのは――ほどほどにしてくれよな。で、傷が治って出て行きたかったら、出て行けばいい」
小さな体を拾い上げる。
この世界に来て初めて子犬どもに会った時を思い出した。
あの戦乱の中――彼女たちは無事で済んだのだろうか?
子犬が体を丸める。
そして、気まずそうな表情をした。
「ふん。そんなに治療したいっていうならさせてあげますよ。でも、期待はしないでくださいね。私は絶対、人間なんかには懐きませんから。怪我が治ったら約束通り出て行きますよ」
「ああ、それでいい。でも――1つだけ、こっちからの要求を聞いてもらうことはできるか?」
「……なんですか」
警戒心むき出しの顔だった。
未来の彼女を知っている身としては苦笑するより他にない。コレがアレになると誰が想像できようか。手のひら返しもあそこまでいくとすがすがしい。
……魔界調教場を思い出す。
あの時は無力だった。なにせ俺はただの調教士なのだ。戦争をどうこうできる能力もないし、集団戦で生き抜く力だってない。
そのせいで――モンスターたちと人間たちは殺し合った。
たぶん、魔界での戦いは、お互いに深い痛手を残しただろう。
俺にはどうしようもなかった。
あの時の、俺には。
だが――
もしも、今の俺が、本当に〝最初から始める〟の状態なら?
守れる。
モンスターを守れる。
人間を守れる。
戦争を防ぐことだってできる。
ようやく、俺は、俺の持つ力で世界を平和にできるのだ。
俺は持ち上げた子犬に告げる。
「名前を付けてもいいかな?」
「…………なんでですか。イヤですよ」
「でも、呼びかける時に不便じゃないか? おい、とか、お前、とか――ましてや犬扱いされるのは嫌だろ?」
「……しょうがないですね。あなたに世話になるあいだだけですけど、呼び名を決め手もいいですよ。気分は悪いですけど決めた名前で呼ばれたら返事はしてあげます」
「じゃあ〝シロ〟で」
――やり直しの機会を得た。
俺が無責任に巻きこまれた戦いを、俺の手で止められる時間に来たのだ。
ようやく調教士のターンだ。
勇者とか魔王とか向かないし手垢のつきすぎた職業につけられたけれど――
やっと、見知ったゲームを始めることができそうだった。




