スライムの飼い方1 勘違いされがちですが、別に弱い生き物ではありません。
メガネと過ごす1日は今までにないほど早く終わった。
……というのもマジで事務手続きしかしてねーからである。
もうちょっとプライベートな会話とかしなくていいのかとも思ったが、メガネが楽しそうだったのでよしとする。たぶん彼女にとっては秘書ごっこみたいなものでアレはアレで楽しかったのだろう。
クタクタになってあっというまに眠った。
寝たと思ったらもう起きていた。
夢も見ないほどの熟睡で翌日を迎える。
仕事疲れのせいだろう。今日のベッドはやけに心地良い。藁と布を木の台に敷いただけとは思えないほどだった。
調教士室のガラスのない窓から見る魔界は、相変わらず暗くて明るい。
さて――今日は〝初エンカ〟と話をする日だ。
彼女はメガネに言わせれば〝ことの発端ともかかわりが深い〟らしい。加えて伝言もあるとかないとか。
……メガネの説明によってすでに戦争の発端の全貌は把握したつもりだが、もっと主観的な意見を聞けるのだろう。
それがモンスターと人間が決定的な亀裂を抱えた原因だと思うと、聞きたいような、聞きたくないような、不思議な気持ちだった。まあ、聞くべきだろうことは疑いないんだけど。
覚悟は決まった。
さあいつでも来い。
……しかし、いつどんな風に来るかが不安の種であるのも事実だった。
シロはいきなり抱きついてきた。
ラスボスは気付いたらひょっこり現れていた。
イヌは空から降ってきた。
メガネはいつの間にか背後にいた。
……さすがに登場パターンももうネタ切れのはずだ。そろそろノックして普通に来てもいい頃合いだと思うのだが、相手はモンスターである。油断はしまい。
天井でもぶち抜いてくるのか。
それとも地下から来るのか。
……ひょっとしてすでにいるとか?
念のため呼びかけることにする。
「……初エンカ、いるのか?」
「いるよー」
とろんとした女の子の声がした。
すでにいる!
……しかし、どこに?
周囲を見回す。……候補地としてはクローゼットの中ぐらいだろうか。隠れひそめそうな場所はそう多くない。
とりあえず調べてみるべきだろう。
そのためにはベッドから起き上がって歩かなければならないのだが――
起き上がれない。
まるで極上の羽毛ベッドだ。こちらが起き上がろうと力をこめれば、柔らかいスプリングでも仕込まれているかのように俺の腕を吸いこんでしまう。
……ややひんやりするから、羽毛ではなくウォーターベッドだろうか。
おかしい。
藁とシーツだけのベッドがこれだけの柔らかさを発揮するのは明らかに異常だ。
ごろん、と仰向けだったのをうつぶせになる。
すると――そこにはネットリとした光沢を放つ青い不定形生物がいたのだった……!
初エンカはスライムという種族のモンスターだ。
名前の由来は有名RPGでどのシリーズでも大抵初めてエンカウントするイメージだからなのだが、うちの初エンカはそんじょそこらの雑魚スライムとは違うのである。
まず、大きい。
人間大の生き物程度ならばまるっと飲み込めてしまうぐらいなのだ。そして〝形〟というものがない。マジで不定形。いかようにも姿を変える。
触り心地は――今初めて知ったのだが、かなりいい。毎日シーツの上に敷いて眠りたいぐらい、それは極上のウォーターベッドだった。夏場にほしい。
顔はない。
ただの、粘性の高そうな見た目の、しかし触り心地はスベスベした青いゲル状の塊が初エンカの正体だった。
に、しても。
「色んなパターンを想定していたはずなのに、まさかベッドになっているとは思わなかった」
「思ったよりおどろいてないね? ぼく、失敗した?」
「……おどろかせる目的だったのかよ。いや、まあ、おどろいたよ」
なにがあってもみっともなくおどろかない覚悟は決まっていたのだ。それが功を奏した面は大きいだろう。
初エンカとの出会いがシロよりも前だったら、あられもなく叫びだしていた気がする。
「ごしゅじんさまー」
「なんだ、どうした」
「ぼくの寝心地いいでしょ」
自慢げな声だった。
まったくもって同意なのだが、女の子ボイスで言われると同意しにくいものがある。なんていうか〝寝心地よかった(意味深)〟という感じになってしまいそうでイヤなのだ。
「まあ、その……うん。言う通りかもな」
「……なんか機嫌悪い?」
「いや、そんなことないぞ? 寝ぼけてるだけだと思う」
「そっかー。嫌われたかと思ったよ」
えへへ、と笑う。
……懸念は綺麗に吹き飛んだ。
いや、ウネウネ動く不定形生物ってゲーム画面で見る分にはいいけど、リアルで見たら超コワイんじゃねーかというような心配をしていたのである。
だがまあ、どんな生物であろうと懐いている様子が見えるとかわいいものだ。
しかも寝心地がいい。なんだこの、ずっと触っていたいような感触は。抱き枕として終身雇用したい気分だった。
「あー……だんだん目覚めてきた。そういや俺になんか言付かってるとかいう話を聞いた。あと、戦争の発端について聞きたいんだが……」
「その話つまんないからあとじゃダメ?」
「……ダメってことは、ないと思うけど」
一刻も早く聞いたところで今さらなんだという感じもしないでもない。
だいたい、急をようするような用件であれば、〝失踪前の俺〟から早めに話すよう指示が出ているはずなのだ。
それを〝つまんないから〟という理由であとまわしするわけだから、そう急ぐ話でもないという判断ができる。
「じゃあねー、ごしゅじんさまにあったらしたい話あったの」
「なんだ?」
「シロさんとぼく、どっちが寝心地いいの?」
「……、なんだ、その、答えにくい質問は」
「答えにくいかなあ? モフモフと、ひんやりと、どっちがいいかっていうことだよ?」
無垢な声だった。
……寝心地気にしすぎだろ!
とか思わなくもないのだが、種族スライムである初エンカにとって、なにかゆずれないものがあるのかもしれない。
こだわりや生活スタイルはモンスターによって様々だ。シロが他のモンスターのにおいを気にするように、初エンカは自分の寝心地が気になるのかもしれない。
……まあ、実際にシロの時は動物を抱いて寝ている以外の感想はなかった。アレもアレでいいものだが、初エンカの寝心地とはまた種類を異にするものなのである。
さっきから素直になりにくかったが、ここはいっそ素直な気持ちを吐露した方がお互いのためかもしれない。
「寝心地はよかったよ。一生俺のベッドでいてほしいぐらいだ」
「そっかー。えへへ。そっかー」
嬉しそうにウネウネする。
彼女は笑顔だった。……いや、顔もないし不定形なんだけど、表情はわかるのだ。調教士スキルまじハンパネエ。
「ごしゅじんさまー」
「なんだなんだ」
「なんでもないよー」
嬉しそうである。
唐突に、ガボン! と水音を立てて初エンカの形状が大きく変化する。
荒波のように俺にかぶさり、包みこんだ。
「抱きしめちゃうよー」
「……そ、そうか」
一瞬〝食われる!?〟とか思ったのは内緒だ。
……RPGとかでよく雑魚扱いされるスライムだが、実際こんなのに襲われたらどう対処していいかわからないまま食われそうだ。
現在だって初エンカは俺の首から下をすっぽり覆っている。これがなんかの気まぐれで顔まで覆われたら呼吸困難で苦しみながら死ぬ自信がある。
「ねーえーねーえー」
「今度はどうした?」
「ごしゅじんさまの服着ていい?」
「……人型になったらの話か? いやまあ、もちろん、全裸になられるよりよっぽどいいけど」
「じゃあ試着ー」
俺の体を包みこんでいた初エンカが、俺の袖口から服の中に入る。
ひんやりして超くすぐったい。
「っていうか俺が着てる服を試着すんな! 空いてる服がクローゼットにあるから!」
「ごしゅじんさまあったかくていいよねー。ぼく、冷え性なんだよー」
「スライムに冷え性とかあるのか……」
「あるよー。ラスボスさんといつも変温動物はつらいねって話するもん」
「変温動物で冷え性ってそれは辛そうだな……」
「人型は楽だよねー。体温管理とか」
思わぬ人型のメリットである。
なるほどたしかにスライムよりも人間の方が体温管理は楽だろう。……ひょっとして初エンカがこうして過剰なほどペッタリくっついてくるのには、体温を上げる目的もあるのかもしれない。
しかし――
「お前、お前! いい加減服の中はやめろ!」
「えー」
「不満そうな声を出すんじゃない! くすぐったいんだよ!」
あと、さりげにパンツの中まで入ろうとするのはやめろ。
初エンカが無邪気なのは表情(?)からわかるのだが、無邪気だから許されることと許されないことがあるのだ。
「でもなー……魔界寒いのー」
「……まあ、俺に快適ってことは、冷え性な人には寒いんだろうな」
「地面を這ってるとすごく冷たくって。いっつも暗いから光合成もできないし」
「お前光合成すんの!?」
「緑色のときはするよー」
今は青である。
……そういえば体表の色も自由自在だったか。ゲーム画面ではずっと青だったが、説明文にはそのような一文があったような気がする。
「なんつーか、興味深い生態してるよな、お前……」
「そうかなー?」
「ああ、新鮮な感動を覚えるよ。で、それはいいから早いところ俺の服から出なさい」
「あいあーい」
にゅるん、と袖口から出て行く。
脇の下を高速で通過するのはやめていただきたい。超くすぐったいのだ。
「ふー。遊んだねー」
「……そうだな」
「じゃあ、ごしゅじんさまのためにお話するよ。ぼくの知ってることとか、色々ねー」




