グレイフェンリル飼い方1・子犬との接し方
目が覚めたら視界が犬まみれだった。
毛玉みたいな子犬がたくさん、俺の体の上に乗っている。
跳ね起きた。
子犬たちがずるずると俺の体から落ちていく。
ここはどこだ?
周囲を見回す。
どうやら木造の建物で、中にはたくさんの藁が敷き詰められていた。
俺が寝ているのも藁の上だ。
人の住んでいる家というよりは、馬小屋とかを連想させられる。
んんんん?
というか――この場所、なんか見覚えあるんだが?
俺は子犬の1匹を拾い上げる。
首の後ろをつまんでやれば、キュッと体をまるめて、無抵抗に俺を見つめてくる。
灰色の毛並みの、まだまだ生後何ヶ月レベルというような小さい犬だ。
んんんんんんんん?
なんかこの子犬にも見覚えあるような気がするんだが?
うちで飼っている犬、ではない。
ペット禁止の建物だったので、犬猫のたぐいは飼ったことがない。
犬を数えてみる。
1、2、3……4匹の子犬がいた。
みんな似たような見た目だが、なぜか1匹1匹のわずかな違いが浮き出てくるようにわかる。
これならシャッフルされても見分けがつくだろう。
というかここなんだ。
犬小屋?
にしてはデカすぎねえか?
記憶を探る。
たしか、砂漠で死んで……
いや、生きてるから〝死にかけて〟が正しいのか。
誰かが俺を助けて……
犬小屋に入れた。
……俺を助けてくれた人は、いい人なのか?
助けたところまでは手放しで感謝できるんだが、寝かせた先が犬小屋っていうのがどうにも判断に困る感じだ。
なんだよ犬小屋って。
俺が犬に見えるのかよ。
それとも行き倒れなんて犬同然っていう意味なのか。
なんだ、勇者もどきいじめの続きか?
ひねくれた人格のやつにさらわれたんじゃねえだろうな?
どうにもこの世界に来てから人間不信がとどまることを知らない。
もともと人間LOVEってほどではない。
というか誰かと話すのは苦手で、思っていることを正しく相手に伝えられたためしがない。
動物相手なら大丈夫なんだが……
犬だけが俺の癒やしだった。
つまんだままの子犬へ語りかける。
「なあ、この世界の人類は滅びるべきだと思わないか?」
「まだ子供なのでよくわからないです」
「なんだよ同意してくれたっていいだろ。俺だって本気じゃねーよ。ただちょっと理不尽でつらい目に遭いすぎてやさぐれてるだけだよ。わかってくれよ」
「もうしわけないです」
「いや、謝るほどのことじゃない。たださ、こういう状況になって改めて思うんだが、動物の癒やし効果っていうのは半端なもんじゃあない――」
アレ?
俺、誰と会話してんの?
目の前には子犬。
周囲にも子犬。
やたらと人なつっこくて、持ち上げられてる以外の子犬は、「わたしもわたしもー」と俺に群がってきている。
犬はいい……人間相手だとうまく話せない俺も、犬相手なら余裕だ。
しかも女の子ばかりのようで、相手が人間だったらちょっとしたハーレムだ。
いや、なんで一見して性別の違いがわかるかは、ほんと自分でも謎なんだが……
犬を相手に悲しい考えを抱いてしまった。
少し冷静になろう。
俺は咳払いをして考える。
犬はしゃべらない。
今のは、幻聴か、誰かが隠れて犬のフリをしているだけなのだ。
とりあえず犬がしゃべらないことを確認するべく、俺はもう一度話しかけた。
「あの、こんにちは」
「こんにちはです」
「……………………そこかっ!」
背後を振り返った。
そこに、犬にアテレコしてるヤツが――
いない。
誰もいない。
背後には木製の壁があるだけだ。
犬側から声がする。
「なにかの気配を感じるですか」
正面へ向き直る。
犬が、きゅうんと鼻を鳴らして、口を動かす。
「おばけとかきらいです。そういうのやめてほしいです」
「犬がしゃべった!?」
「……さきほどから会話をしてるのです。あと、犬じゃないです。グレイフェンリルです。あんな家畜と一緒にするんじゃないです」
やべぇ。
見世物小屋に売ろう。
……違う、そうじゃない。
さっきから記憶にひっかかってることがあるんだ。
馬小屋のような木製の建物――
藁の敷き詰められた内装――
まだ見ていないがわかる。外には大きな森と綺麗な川があって、周囲にはちょっとした訓練場みたいなものがあるはずだ。
なぜわかるのか?
俺は、この風景を見たことがある。
俺はこの子犬どもを育てたことがある。
グレイフェンリル――
百数種類いるモンスターの一種で、大人しく賢く誠実、初心者にも育てやすいモンスターだ。
今はこんな見た目だが、きちんと育てきると人型になる。
なにせゲームのコンセプトが〝モンスターを育ててあげると、お礼に女の子の姿を見せてくれます〟というものだ。
育て、調教し、鍛え、彼女らの信頼を得て、ご褒美に女の子の姿を見る――
俺がこの世界に来る直前までやっていた〝モンスターテイマー〟というのは、そういうゲームだったのだ。
その世界で俺はかなりの調教師だった。
既存種はコンプリートしており、新規に加わったモンスターに手を出そうとしていた。
だが、新規追加のモンスターを育てることはできなかったのだ。
この世界に呼び出されたから。
待て待て待て待て。
似てる。
が、それだけだ。
〝モンスターテイマー〟にあまりにも似すぎているが、まだ確定ではない。
落ち着け。
俺は目の前の犬に聞いてみた。
「なあ、その、お前らは……人型になれたりするのか?」
「人間には秘密なのです。人の姿は弱いから、信用できない相手に簡単に見せたらダメだってママが言っていたのです。だから人型になれることは秘密にするのです」
なれるのか……
というか秘密にしろよ……ほとんど自白してるじゃねーか。
子犬の脳みそちっちゃいから仕方ないか……
しかし……ママ?
俺の知っているモンスターテイマーでは、妊娠・出産というシステムがない。
〝能力継承〟という言葉でそのあたりは簡略化されている。
そりゃそうだ。なにが悲しくてゲーム内のモンスターの出産に立ち会わなきゃならんのだ。
そういうのは18禁ゲームでやってくれ。
ただ……
そもそも〝モンスターテイマー〟には、男のモンスターがいない。
ご褒美に女の子の姿を――というコンセプトなので、当たり前っちゃ当たり前のことだ。
なので〝能力継承〟は2匹のモンスター(両方♀)を掛け合わせるかたちで行なう。
ちなみに百合シーンの描写はない。
脳内保管した同人誌は存在する。
で、能力継承で生まれたモンスターも、別に継承元のモンスターを母親だと言ったりはしない。
だから、まるで家族というコミュニティがあるかのような子犬の口ぶりに、違和感を覚えた。
たずねる。
「ママとパパがいるのか?」
「パパは行方不明なのです。顔も見たことないのです」
「そ、そうなのか……なんかもうしわけないことを聞いたな……すまない」
子犬を相手に頭を下げる男がいた。
俺だ。
客観的にみたらすげえ間抜けだよな、この構図……
子犬がフンフンと鼻を鳴らす。
「パパはすごい人間だってママが言っていたのです」
「お前らのパパ、人間なの!?」
「あたりまえなのです。男性というのは人間にしかいないのです」
「ああ、うん、それはまあ、わかるけど」
そこはゲーム通りらしい。
繁殖とかどうする……いや、そのへんは深く考えるのはよそう。
子犬がハスハスする。
「だからママがいつもお話してくれるのです。『あなたたちのパパは優しくて賢くて、ママをきちんと調教してくれました。あなたもいつかそんな調教師に出会って、しっかり調教を受けるんですよ』って」
「子供になんてこと聞かせてるんだお前の親は!」
青少年健全育成の観点から言ってとんでもない発言だった。
いや、しかし、モンスターだし、そういうものなんだろうか……?
わからない。
ここは〝モンスターテイマー〟の世界のような、そうでないような……
とてもよく似た世界であることは間違いない。
だが、そもそも〝モンスターテイマー〟の世界観で、人間と魔物……モンスターが戦争状態だなんていう話はあったか?
調教師がいてモンスターがいて、モンスター同士を人間が戦わせる、っていう以外には特に設定がなかった気がするんだが……
しかし戦争状態にあるのに、こいつらの母親は『いい調教師に出会いなさい』なんて言うのか?
それとも、この世界における〝調教師〟はモンスターの中にいるのか?
だが会話の流れから言って、調教師ってのがこいつらの〝パパ〟なんだよなあ……
つまり調教師イコール人間だと考えられる。
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
1つだけわかるのは、こいつらの〝パパ〟がとんでもないやつだってことだ。
だってそうだろう。
調教済みの奥さんとたくさんの子供を放っておいて行方不明なんだぜ。
しかも、子犬らが生まれたころにはすでにいなかったってことは、妊娠中の妻を置いて姿を消したわけだ。
ひどいやつだ。
俺ならそんなことしないね。
子犬どもの頭を順番になでる。
「つらかったな……」
「平気なのです。ママは優しいし、パパがいなくっても大丈夫なのです。それに、わたしたちも強いのです。人間が来てもへっちゃらです。ママをみんなで守るのです。パパの代わりなのです」
なんて健気……!
思わず涙が出そうになる。
「偉いな……でも、こんなに人なつっこくちゃ心配になる。俺も人間なんだぜ? いや、なにかしようってわけでもないし、今ここで襲われても困るっていうか……すごい困る! なんで俺はこんなこと口走った!? 言わなきゃ気づかなかっただろうに!」
自分がバカすぎてびっくりした。
やばい、〝そういやこいつ人間だし喰っちゃおう〟みたいに思われないといいんだが……
しかし予想とは裏腹に、子犬どもは不思議そうに鼻を鳴らす。
周囲にいた子犬が口々に話し始める。
「でもママがひろってきたんだよ?」
「お兄さぁん、あたしのおなかとかぁ、なでてみなぁい?」
「この布ねー、かんでるとねー、おちつくのー」
なんてこった。
1匹、俺のスウェットをハムハムしており、すごい勢いでよだれで汚してくる!
これ1着しかないんだぞ!
……とまあ、被害はそのぐらいで、みんな大人しいものだった。
ころんとお腹を見せた子の腹をなでる。
「やぁん……お兄さん、じょうずぅ」
妙になまめかしい声で言う。
幼い女の子の声なもので、すごい犯罪臭かった。
見た目犬だけどな!
俺はつまみあげたままの1匹に問いかける。
「普段はどうなんだ? もっとこう、人間嫌いな感じなのか?」
「人間を見かけたらアキレス腱を食いちぎるように教えられているのです」
「……怖ッ!」
「まだ子供なのでそれぐらいが精一杯なのです」
「いやいや、充分すぎるわ! お前らのお母さんの教育、どうかと思うよ!?」
「でも全部人間から身を守るためなのです」
「ああ、戦争状態だっけ……わからなくもないけどさあ」
現在、この世界は人間とモンスターで戦争状態にあるらしい。
最近では〝勇者〟の力もあって人間優勢だ。
自衛のために多少教育が過激になるもの、戦時下の親の気持ちとしてはわからなくもない。
それにつけても……
この状況下でこいつらを放り出した〝パパ〟にはつくづくあきれる。
そいつが人間なら、どうにか子供たちを守る努力をするべきだ。
たしかに1人の力ではどうにもならないことだってあるかもしれないが……
この世界の〝人間〟たちにさんざんひどい扱いをされたあとだと、単純にこいつらの父親はこいつらの母親を騙して捨てたんじゃないか、という予想をしてしまう。
まったくひどい男だ。
憤っていると――
子犬どもがピクピクと耳を動かす。
それから、全員が部屋の出入り口方向を見た。
俺もつられてそちらを見る。
すると、扉――いわゆる普通のノブがあるドアではなく、体で押して開ける犬猫用ドアを大きくしたようなものだ――が開いた。
思わず手にしていた子犬を落とす。
入って来たのは、銀色の体毛の、巨大な狼だった。
体長は馬ぐらいあって、大人の男でも余裕で背中にまたがることができるだろう。
毛皮の光沢は金属のようで、たとえ銃弾だってあの毛皮をつらぬくのは難しそうに見えた。
口からは大きな牙がのぞいている。
まるで磨き上げられた剣のようだ。
真っ赤な瞳で、その狼がこちらを見た。
――あかん、死ぬ。
すごい勢いで妄想した。
たぶんあいつは、子供たちにあたえる餌として俺を拾ってきたのだ。
そりゃそうだ。だって、人間の調教師に捨てられたんだ。人間を恨んでいないはずがない。
このまま俺は人間を狩る実演としてなぶり殺しにされてムシャムシャされるに違いない。
しかし――グレイフェンリル。
ゲーム内でその大人になった姿は知っていたつもりだったが、実際に見るとゲームとは比べものにならないほど怖い。
こんなのを戦わせる競技が流行ってるとか、俺のやっていた〝モンスターテイマー〟はずいぶんと世紀末な民度だったようだ。
ゆったりと近寄ってくる。
俺は、視線を釘づけたまま動くこともできない。
グレイフェンリルの姿が変化していく。
太かった後ろ足は、ほっそりした白く長い人間の脚に――
前足は人間の腕になっていく。
胴体がくびれのある女性のものになったころには、グレイフェンリルは2本足で歩き始めた。
顔立ちは気弱そうな少女という感じだ。
眉がやや太く、ハの字になっている。
髪色は銀色で、膝ぐらいまでの長さがある。
耳と尻尾はモンスター姿のまま変わっていない。
大きな目いっぱいに涙をためて、俺へとジャンプした。
ふとゲームのことを思い出す。
これは、〝ご褒美〟の人型形態だ。
〝モンスターテイマー〟では、モンスターを育てきると、人間形態を見せてくれる。
仕様的に言うならば、〝モンスターの信頼度をMAXにすると〟〝自宅での姿が人型になる〟というものだった。
つまりゲーム的には〝グレイフェンリル成体と俺の信頼度はマックス状態にある〟というわけなのだが……
なぜだ?
グレイフェンリル成体が、俺に抱きついた。
ゲームでは常に服を着ていたのだが、今は裸だ。
胸が大きい。
柔らかい。
ありがとうございます。
グレイフェンリル成体は感極まっている様子なのだが、俺は状況をのみこみきれなくてオタオタしていた。
抱きしめ返したほうがいいのかな?
でも、子供の前で?
というかコイツ人妻なんだよな?
見た目は10代の女の子なんだけど倫理とか大丈夫か?
様々なことが頭に浮かんでは消えて――
混乱の中で、グレイフェンリル成体が、言った。
「お帰りなさいご主人様。みんな、この人があなたたちのパパですよ」
妊娠中の自分を捨てて子供を残して行方不明になった男が、俺なのだと。
……………………最低だな俺!




