キマイラの飼い方4 猫の行動があなたに思わぬ被害をもたらすこともあるでしょう。しかし猫に悪気はありませんので怒らないであげましょう。
体がクッソ痛い。
肩と言わず首と言わずガキボキと音が出る。なんだこれと思って体を起こせば、あたりは野外で俺が寝ていたのは土の上だった。そりゃあ体も痛いはずである。
現実にいたころからふわふわのベッドで寝ていたというわけでもないが、少なくとも敷き布団ぐらいはあった。この世界だって藁か布は下に敷いて寝ていたのだ。
それが急に土の上に寝たものだから、すれたりして痛いのだ。
そういえば猫のイヌと寝ていたはずだ。
周囲を見回せばそれらしき姿はない。……あたりの景色には靄がかかっている。気温は肌寒く少々湿度が高い。朝靄だと考えればそれなりに早い時間に目覚めたようだ。
っていうか太陽が見えない。
そもそも〝魔界〟の調教場画面が明るかった記憶がない。
ひょっとしてここの空は明るくなることがないんじゃないかと不安になる。
なるほどそれなら悪魔系以外のモンスターの調教効率が悪くなるのも納得だ。昼夜がハッキリ別れていない環境では不安やストレスがわだかまる。現に俺が不安だ。
立ちあがって周囲を見回す。
すると――イヌがこちらに近付いてきていた。
「……起きたの?」
「ああ……今。どこに行ってたんだ? 今は何時なんだ?」
「……食事の確保。今は……………………朝?」
表情には変化がない。
だが、小首をかしげる様子から、自分の答えに自信を持っていないことはわかった。
そりゃそうか。なにせイヌだって〝魔界〟に来るのは初めてのはずなのだ。ずっと空が暗いから不思議に思っているのは俺だけではないということだろう。
「時計かなんか欲しいなあ……生活リズムってやっぱ大事だと思うし」
「……夜行性の子が元気なら夜で、眠そうなら昼だと思う」
「そういう見分け方もアリなのか……あー……ちなみにイヌは夜行性だっけ?」
「いつでも眠い」
「……そうだったな」
猫はよく寝るから〝寝子〟という言葉で呼ばれたことが語源となっている。
……そんなようなうんちくをどっかで聞いた。平安時代ぐらいの話だったと思うがなにせ聞きかじりなので自信はない。
「……起きたなら、私は行く」
「え、どこへ?」
「……知らない。とにかく、どこか」
「なんでまた……機嫌悪くしたのか?」
「……別に」
無表情なのでやはり感情を読み取ることはできない。
気まぐれなところがあるから〝そういう気分だった〟という程度の話かもしれない。
しかし寝る前は懐いてくれていたのに起きた途端に〝じゃあ帰る〟とかドライな対応をされると不安になるのも事実だった。
「ひょっとして俺、寝てるあいだになんかした?」
「……なにも」
「いびきがうるさいとか?」
「…………なにもない」
妙にかたくなな様子が見受けられる。
……これ、なんかしたんじゃねえかなあ、俺。
自分の行動に自信が持てない。そしてイヌも言葉が少ないものだから不安は増していくばかりである。
「だったらもう少し一緒にいないか? 別に用事もないんだろ?」
「……あなたが望むなら、いいけど」
「なんか奥歯に物が挟まったような言い方だなあ……」
「……歯は綺麗にしてる」
「比喩的な意味なんだけど……あの、本当になにもないんだよな? 怒ってないんだよな?」
「しつこい」
少し怒ったような声だ。
……寝てるあいだになにもしていなくとも、このしつこい詰問で少し機嫌を損ねてしまったのは俺にもわかる。
「悪かった。それじゃあ、もう引き留めないよ。色々聞いてごめんな」
「……」
無言のままイヌが近付いてくる。
なんだろうと思っていると、急に胸のあたりを叩かれた。
……痛くはないが怖い。突然よくわからない攻撃が俺を襲う。なんだ。なにをしたんだ俺は。
「あの、イヌさん、どうしたんでしょうか?」
「……どうもしない」
「どうもしない感じではないのですがそれは」
「…………私はどうすればいい?」
「えっ、いや、その、好きにしていいけど」
「……」
無言の拳が胸にヒットする。
ダメージはない。人間形態だとそれなりの腕力しか発揮できないのだろう。
なによりイヌは本気でこちらを殴っているわけではない。言葉少ない彼女なりに、不満だという意思を表明しているのだろう。
……まあ、なぜ不満かがわからないこちらとしては戸惑う以外にできたもんじゃないのだが。
「どうしたんだいったい……さっきはどこか行こうとしてたじゃないか」
「……してた」
「で、俺がしつこく引き留めたから怒ったんだろ?」
「……そうじゃない」
「違うのか?」
「……しつこいのは嫌い。だけど、引き留めたのは怒ってない」
「んんんん? だったらなんで怒ったんだ?」
「……好きにしろっていうから」
「好きにしてもらっちゃいけないのか……?」
謎が深まるばかりである。
イヌとの会話はちょっとしたパズルのようだ。頭を使って相手の感情を読み解いていく。手間はかかるがこれはこれで嫌いじゃない。
よく考えて次にはめるべき言葉のピースを探す。
イヌが俺の胸を叩くのをやめた。
「……私はどうすればいい?」
ジッとこちらを見上げる。
……なにかを欲するような視線だ。彼女は俺がなにかを与えるのを待っている。しかし俺には、その〝なにか〟がなんなのかさっぱりわからない。
うむ、考えても答えが出ない。
重要な前情報が抜けている気がする。
どうだろう、まったく知らないはずの情報ということはないと思う。少なくとも、イヌの視点では俺が知っててしかるべき話を、俺が忘れているのだ。
……よし、わかった。
「降参だ。どうして俺はイヌを好きにさせちゃいけないんだ?」
「……好きにしていいなら、私はどこか行く」
「それはイヤなのか?」
「……好きにしていいならそうするけど、そうしたいわけじゃない」
「謎が深まるな……お前はなんか歴史的に重要な遺跡みたいだよ。発見するたび新たな謎が増えるっていうか。難解で深淵だ」
「……別に難しくない。今日は私の当番じゃないだけ」
あ。
ここに来てようやく現状を理解する。
ここには3桁にも及ぶ数のモンスターがいる。
しかし基本的に育成は1対1で行うものだ。ゲームの仕様的にもそうだし、俺のキャパシティも百からのモンスターから放たれる様々の要求をさばききれるほどでかくない。
というわけで誰の発案か知らんけど〝おそば係〟というものが1日交代で俺につき、それ以外の子とは基本的に話さない感じの制度が出来上がっているのだった。
重要なのは〝おそば係が1日交代〟という点だ。
……時間がよくわからない魔界調教場でどうやって〝1日〟を定めているのかは知らない。
しかし昨日俺が起きた時から、寝るまで一緒にいたイヌの当番時間が終わっているのは事実のはずだ。
俺が〝好きにしろ〟と言えば、制度に従いイヌは俺から離れる。
だが、俺が〝もっと一緒にいろ〟と命じれば――彼女たちは俺に飼われているモンスターだ。主人の命令に従わないわけにはいくまい。
つまり、イヌはそばにいる口実を欲しているのだった。
いじらしさに胸がときめく。
なんてことだ、究極の選択が突きつけられている。
公明正大な飼い主としてはここでイヌと別れるのが正しい。
しかし、心情的にここでイヌに〝当番終わりだからさよなら〟と言うのは心苦しいってレベルじゃねーぞ。
「……私は、どうすればいい?」
二度目の問いかけ。
その意味が今度こそわかるからこそ、返答に窮する。
……俺がこの世界に来てまだ顔も合わせていない子に悪いという気持ちもある。
しかし目の前であからさまに望む答えを待っているイヌを愛しいと思う気持ちもある。
心情的にはロミオとジュリエットだ。もうしがらみなんか捨てて2人で逃げた方が話早いんじゃね? と思う自分がいる。
しかしそうしてしまうとお話にならないのも確かなのだ。
現状の俺は逃亡者である。人とモンスターは壊滅敵に仲が悪く、調教師である俺は人間側に見つかると殺される。実際に1度殺されかけた。
つまるところ逃げようにも逃げる先が自体が魔界の調教場ぐらいしかないのだった。
生きるべきか死ぬべきか――というのはハムレットの方だが、まさにそんな気持ち。
脂汗すらかいて悩む。
イヌがかすかに笑った。
「……嘘。少しからかっただけ」
あっけらかんと言い放たれた言葉に絶句する。
……嘘、というのは嘘だと思う。彼女は俺がひどく悩んでいるのを察したのだろう。
その気遣いに思わずグッとくる。俺が男なら惚れていた。つまり惚れそう。
しかしここで彼女の本心を暴いても意味がない。せっかくの気遣いを無駄にしないためにも徹底的に鈍感主人公を貫こう。
「そうだったのか。すっかり騙された……」
「……そう。迫真の演技だった」
「とにかく――起きてから今まで世話になったな。ありがとう」
「……別に。私も、久しぶりに話せて楽しかった。他の子との再会もしてあげて」
「とはいえ、昨日全員と話した……ような一方的に言葉を投げかけられたような……感じのことはしたけどな」
「……あんなのじゃなくて。私としたみたいに」
それじゃあ、とあっさり背を向ける。
しばし去って行く小さく細い背中をながめ続けた。
……これでいったんお別れだ。とはいえ、望むならばまた会える。
しかしなんていうか――
「……あの慎ましさとかは、是非とも見習わせたいやつがいるな」
魔界に来るまで世話になった2人を思い出す。
正確には6人だろうか。……うん、魔界での体制が固まったなら、時間をとって会いに行こう。
シロはしばらく会わない方がお互いに幸せな気もするのだが――
まあ、子犬の成長には調教師が必要だろうしね。




