キマイラの飼い方2 猫は独自のペースで行動します。振り回されないようにしましょう。
ひとしきりゴロゴロされた。
〝みんなが待っている〟とわかっている状況というのは意外と焦るものだった。
それでも巨大なライオンであるイヌを引きずることもできず、しばらく彼女のしたいがまま、あくびをしたりごろ寝したりとのんびりすごす以外になかった。
「あの、そろそろいいですか?」
「……しかたない」
お許しをいただいて彼女の背にまたがる。
……なにかこう、イヌの相手をしているのは今までの2人と勝手が違った。
シロやラスボスとは話していて俺のペースで動かせる感じがした。だが、イヌはどうにも相手のペースに合わせてしまう感じだ。
イヌが大きな翼をはためかせる。
浮遊は一瞬だった。
〝魔界〟の調教場を上空からながめる。
つい先日までいた〝南国〟とはおもむきが異なる部分が多い。全体的に美しさが目立つ土地だ。というのも空気中や木々に光の粒が浮かんでいる。一見した時も人工のイルミネーションめいたものを感じたが、上空から見ればますます人工物チックに見えてくる。
気温は暑くも寒くもない。エアコンでも効いているかのような快適さだ。それは上空を飛んでも変わらない。
……さて、当然のこととして高度が上がれば気温と気圧が下がる。酸素は薄くなりちょっとした風が身を切るような冷たさになるはずだ。
しかしその手の〝物理的な当たり前〟があまり感じられないのは、魔界という人智の及ばない土地柄なのだろうか。
しばし進めば〝広場〟が見えてくる。
そこには様々なモンスターたちがいた。
上空から見下ろすとちょっとした壮観だ。あれが全部俺の、というかラスボスの招集に答えたのだと思うと影響力の高さに身震いしてしまう。
中には気を抜いているのか人間モードの子もいた。
ゲームのモンスターテイマーでは〝信頼度がMAXになったモンスターがご褒美に人型を見せてくれる〟という仕様になっている。
つまり人型は彼女らにとって〝信用してない相手に見られるのはイヤな姿〟だ。モンスター型より弱いとか、単純に羞恥心があるとか、理由は様々っぽい。
つまりこの魔界調教場は彼女らが安心して人型をさらせる場所なのだ。
しばらく危険はなさそうと思ってもいいだろう。
と、広場に向かっていたはずのイヌが、不意に空中で旋回を始める。
あとは降下するだけ、というタイミングでなぜ急に軌道を変えたのか。
俺はたずねる。
「どうした?」
「……気が変わった。帰る」
「またそれか! なあお前ちょっと気まぐれすぎるよ!」
「……」
答えはなかった。
理由のない心変わりほど困るものはない。イヌにはイヌなりの考えとかがあるのだろうが、俺から見ると完全に情緒不安定だ。ゲームではどんなキャラだったっけと思いをはせる。
キマイラは本来、ライオン、ヘビ、鷲を組み合わせた合成獣だ。だがモンスターテイマーにおいてはメスライオンに猛禽類の翼を悪魔合体させただけの簡単仕様となっている。
性格のモデルは猫で、人型になっても猫耳が生えているのが記憶に残っている。
……そもそも獣型の状態で猫耳なんて生えてねーじゃんライオン耳じゃんというツッコミは、見た目のかわいらしさの前にはむなしいものだ。
ゲームではとにかく無口な様子が散見された。声も静かでボリュームを上げないと聞き逃すこともしばしばだった。
世間では〝クーデレ〟とか評価されていた気がする。しかし俺はツンデレもクーデレも実はあんまりよくわかっていないので、キマイラへの性格評価は〝物静か〟程度のものになっている。
属性を提示されるだけで妄想がはかどるぐらい二次元キャラへの経験値が高ければよかったのだが、俺はそこまででもなかった。
というわけであまり多くを語らない彼女がこうして気まぐれな行動をすると、それは俺には〝情緒不安定〟と映るわけだ。
ゲームならばそれはそれでいいのだが、現実でこれから末永いお付き合いがあるとすると、こういううまくやっていけなさそうな溝は埋めていきたい。
さてどうするか。
「なあ、その……俺はあんまり聡い方じゃないから、気が変わったなら理由を言ってくれるとありがたいんだけど」
「……やだ」
「ってことは理由はあるんだな? できたら言ってくれよ」
「やだ。そういうの言うのは、好きじゃない」
「ってもなあ……理由もわからずよくわからない方向転換をされると、俺も困るっていうか」
「……」
無言。
イヌがバサバサと羽音を立てて高度を落としていく。
場所はみんながいたあたりと、俺の部屋――おそらく調教師室とのあいだぐらいだ。
魔界の調教場は広い。建物と建物のあいだにはかなりの距離があった。
遠くにはモンスターたちのかしましい喧噪が聞こえる。みんな誰かの指示のもと、寝床の確保や食べ物の用意などをしているようだ。
喧噪を遠くに、イヌが言う。
「降りて」
「……まあ、そう言うなら降りるけど」
背中から地面へ降り立つ。
……不機嫌なのだろうか。あるいは単に〝そういう気分〟じゃなくなっただけだろうか。モンスターの表情を読み取れるはずの俺でも、イヌの考えは読み取れない。
「……命令する?」
ささやくような声。
危うく聞き逃しそうになって、慌てて反問する。
「なにを?」
「……私が帰りたくなった理由を言えって、命令するの?」
「命令したら言うのか?」
「……やだけど、言う。あなたは私の主人だから」
強制が可能なぐらいには、俺を〝主〟と認めているらしい。
でもなあ……そういう強制力をちらつかせるやり方は好きじゃない。
育成方針はいつだって〝ゆるふわ〟なのだ。なんなら〝調教師〟という自分の職業も好きじゃないぐらい。どちらかといえば〝育成家〟のほうが向いている気がする。
悩みに悩んで口を開く。
「命令はしない。いや、まあ、俺も言い方が強かった気がする。ただ……これからもうまくやっていきたいから、なにか思ったことがあるなら言ってほしいっていうだけだよ」
「……そう」
「なんか妙な感じになったなあ……最近はこんなんばっかな気がする。昔の俺はどうやってお前らとうまくコミュニケーションをとってたんだ? 逆に聞きたいぐらいだよ」
「……昔のあなたは――」
悩むような間があった。
そして、イヌが不思議そうな顔をする。
「――不思議。あんまり覚えていない。ただ、尊敬に値する調教師だったという印象がある」
「今の俺はどうだ?」
「……わからない。まだあんまり話していない」
「それもそうだ」
「ただ……」
「ん?」
「印象は間違っていたと思う」
「……そうか」
彼女らの記憶にある俺は、けっこうなスーパー調教師なんだと思う。
そいつと並ぶのは難しそうだ。……いや、これが現実じゃなくてゲームなら、俺は間違いなくスーパー調教師だと思う。育成効率は非常に高かったと自負できるし。
しかし落胆する。
と、イヌの顔を見れば、珍しく慌てたような顔をしていた。
「違う」
「……いや、まあ、俺がお前らの知ってる俺と違うのはわかったよ」
「そうだけど、違う。……待って。私は、しゃべるのが、得意じゃないから」
「待てと言うなら待つけど」
「………………あ、そう……昔の印象は、たぶん、子供だったし、ぼんやりと〝尊敬に値する〟ぐらいしか覚えてないけど……あなたを見下ろせるぐらい大きくなって、その、すごく……」
「ゆっくりでいいからな」
「……うん。あの……今のあなたは、すごく、近く感じる。だから、みんなのところ、連れて行きたくない……のかも?」
「……すまないけど俺にもわかるように言ってくれ。昔より親しみを感じるから、みんなのところに連れて行きたくない? どういう意味だ?」
「あなたを渡したくない?」
……びっくりする。
なんだかものすごく大胆な告白をされた気がした。
これはヤバイ。もし今のイヌが人間形態だったらハートキャッチされていた。ライオンでよかった。いや、この姿もこの姿で、実は力強くて好きなんだけどね。
しかし参った。イヌとの会話はいちいち真に迫っている。シロやラスボス相手がなんだかんだで冗談で済ませられるとしたら、イヌとの会話はマジな感じだ。俺はこれからどうしたらいいんだ。誰か教えて。
イヌがとどめを刺すように言葉を続ける。
「……さっき、ふくろうが褒められて、あんまり気分よくなかった。でも、近くでゴロゴロしたら気分よくなった。たぶん、みんなそう思う……私、しゃべるの得意じゃなくて、地味だから、みんなのところに行ったら、あなたが私を忘れるかもしれないと思って……」
「わかった。わかった。よくわかったから、もうしゃべらなくても大丈夫だ」
これ以上はライオン姿でもノックアウトされかねない。
リアルライオンの首に抱きついて噛まれてもなお離れなかった偉人がいるということだが、彼らもライオンのこういう素直じゃないかわいさを見いだしていたのかもしれない。
ともあれここまで聞いた以上〝お前はそう思っているのか。わかった。でもみんなが待ってるから行くぞ〟とは言えない。
ゆるふわ調教師として安心を提供してやらねばなるまい。
「えっとな、俺は、自慢じゃないけどモンスターの名前は全部覚えてるんだ。……いやまあ、全員の名前暗唱するとなぜか抜けるのが1人か2人いるけど……」
「……そう」
「だから、お前のことだって忘れないよ。自分が育てた子を忘れるはずないだろ?」
「……本当?」
「信じてもらうしかないけどさ……お前が信じられるまでは、みんなのところに行くのはしばらくやめにするよ」
「……それは、みんなが困る」
「じゃあ、信じてくれるか」
「……信頼を示す」
イヌがうなずいた。
そして、その姿が変わっていく。
線の細い印象の少女だ。髪はライオンの体毛と同じ色で、前にも後ろにも非常に長い。前髪はうつむけばすっかり顔を隠してしまうほどで、後ろ髪は尻をすっぽり隠すぐらいはあった。
手足が細く小柄だ。か弱くはかない印象がある。ジッと動かずにいたら人形と見間違えるぐらいに完成された弱々しさがあった。
そして頭の上には猫耳が生えている。……この見た目で猫耳は色々ぶちこわしな気もしないでもないが、表情のない彼女の感情を表わすための重要なパーツだと思っておこう。
あ、服はないです。
イヌが――すっかり背も低くなっているので――俺を見上げる。
「……信頼を示した」
「お前たちは全裸にならずにいられないのか」
他6人(シロ、ラスボス、子犬ども)と違って髪が長いので、大部分は隠れている。
だが、透き通るように真っ白なお腹とか、太股のつけ根とかチラチラ見えていて逆になんかこうすごいです。
イヌが無表情で俺を見上げる。
「……私を忘れない?」
再びの問いかけに、うなずいて答える。
……色んな意味で俺の脳内メモリーに保存されたのは間違いがなかった。




