第1話:プロローグ【あの夜の悲劇】
ーーーどこからか、赤ん坊の泣き声が聞こえ始める。
「旦那様! 旦那様! 産まれましたよ!」
「おぉ、わかっておる! よし、部屋の様子を 見に行こうでわないか!」
とても長く立派な装飾を施された廊下には等間隔に窓があり、窓の先からは血のように赤い月が雲一つ無いが故にその月光を強く発し続けていた。
そのような異常な風景とは裏腹に、さっきまで屋敷の主とその執事は歓喜の表情を浮かべながら屋敷の廊下をうろうろしていた。どこか遠くの部屋からか聞こえてくる赤ん坊の泣き声を聞くや否や自身の願いが果たされたと理解したのだろう。
執事が「はいっ」と歯切れの良い返事をすると、主は泣き声のする部屋への扉をあけた。
おぎゃーっ!おぎゃーっ!おぎゃーっ!……
「なんと、元気の良いことか! 私に似たのであるな!?」
扉を開けるとすぐに大きなベットとそこにいる主の妻が横になっているのが目に付いた。そして、その周りに助産師と思しき女が数人この男に頭を下げた。
「よいよい、頭をあげよ。私は我が子の顔を一目見に来ただけであるからな。そのような気づかい無用であるぞ」
たが、そのまま頭を下げたままの女達。それを目にすると、ついに男はただならぬ雰囲気を感じ、そして異変に気が付いた。さっきまでの歓喜に溢れていた笑顔は一瞬にしてその姿を消し去った。
「そ、そんな……イザベル…? ……な、なぜ動かんのだ……?」
ベットに横になる我が妻が単に出産による疲労で目を閉じているとは思えなかった。眠っているとも思えなかった。何故かと聞かれたら答えれないが、妻から生気を感じられないのであった。
「……なぜ動かん? どうしたのだ我が愛しき妻よ。どうしてだ……なにが………なにがあったのだ?」
男は近くにいてもかろうじで聞こえる様な声を発しながら、妻の横になっているベットのそばに寄り付く様にして膝を地面に付けた。そして、そこで確信に変わった。
「なぜだぁあああーー!!!!!」
妻の死を理解した男は、怒号のような叫びとともに涙を流し、妻の冷たくなった体を強く抱きしめた。
その後、数分間男は泣き叫び続け、その叫びはそばのカゴの中にいる赤ん坊の泣き声をかき消した。その間、周りの者はやりきれない表情を浮かべたまま頭を下げ続けることしか出来なかった。
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沈黙
あれから数分しか経っていないのだろうが、そこにいる人間には果てしなく長い時に感じた。
妻を抱きしめ泣き叫ぶ男は急に静かになり動きを止め、泣いていた赤ん坊も泣き疲れ眠ったのか音を発することはなかった。
ーーー突如として、男の背中が小刻みに震えはじめた。
「………ク…ククク…ククク…ククククククフフフハハハハハハハハ!!!」
永遠とも思えたその沈黙を破る笑いは、最愛の妻の死を受け止められずにその男が狂った証であった。
「……旦那様……いったいどうなされたのですか……」
執事が哀れみの如き声を掛けた。そばに頭を下げていた女達は、その狂った男に恐怖を覚え、頭を上げ、目を見開き、後ずさりをしていた。
「クフハハハ! どうもこうもあるか……。可笑しくてこらえきれぬわ。……ククク……それにしても今日の月は真っ赤だなぁー……クククク……」
「だ、旦那様……いったい何がそんなにおかしいのですか……」
男の表情は満面の笑みといったものであったが、その目だけは決して笑ってなどいなかった。執事はそれに気がついていたが、何が彼を変えてしまったのかわからないままであった。
すると、主の男はそのまま質問には答えることなく、ゆっくりとそばにある赤ん坊の入っているかごを見る。
「見てみろっ! この黒い髪にこの黒い目ぇ! ……クフフフ……我が一族は赤い髪か赤い目になることが過去何年も続いている筈だが? ……なぁ? なんでだとおもうよ?」
「そ、そうですが……いや決して! イザベル様はその様なことは! 」
「鈍感だな、そういう意味ではない……。まぁいい、今すぐそいつのステータスを調べろ」
急に落ち着きを取り戻したかのように小さい声になる男を、執事はどうすることが正しいのかわからなかった。今まで主に仕えてきた数年間の忠誠心からか、執事は男の言うことに従う。
「か、加護が3つあります……」
その意味は皆が知るところであった。
産まれながらにして1つの加護を持つ者は、天賦の才の持ち主。2つの加護を持つ者は、人ならざる存在。そして、産まれながらにして3つの加護を持つ者はーーー
「殺せ」
その言葉は執事の思考を中断させるほどに冷たく、重く、残酷だった。だがその時、執事は思った。主様は自分の赤ん坊が普通でない事をイザベル様の死を確認した時にわかってしまったのだろうと。故に、自身の赤ん坊がそのような存在であることに戸惑い、正義と愛との葛藤があったのだろうと。
執事はその言葉に従い、腰にさしてある小型刀を抜いた。
正常な心理状態であればそんな迷信なんて信じなかったのかもしれない、いや、正常であってもどうであっただろうか。
執事が思い返してみると、面白いほどあの迷信と同じである。母親の死、黒い髪に黒い瞳、赤い月、そして3つの加護。どれも意味するものは同じであった。そのような偶然なんてあるのだろうか、いやこれは必然的に、起こるべくしておこったのだろう。
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血飛沫が飛び散る。その惨状を作り出さずに守り抜く方法はあったのであろうか。もう考えても仕方がないのだが、どうしても執事にはこうすれば良かったなんて考えは浮かんでこなかった。
「どうか…お許しください……」
ーーー執事は女達を殺し自身の狂った主を殺した。
執事はこの赤ん坊がたとえ世界を破滅に導く存在であってもどうでもよかった。産まれてすぐ殺されるという運命に同情したわけでもない。ただ執事は彼女の子供、イザベルの子供を守りたかった。執事は彼女を愛していたのだ。
「私が育てる事は……どうやら…かなわないようです……イザ……さ…ま……」
そう言うと、執事は力無く倒れ込んだ。どうやら狂った自身の主を殺める際に深手を負っていたようである。
最後、その惨状に残るのは赤ん坊ただひとり。