猛吹雪、出逢ったのは積極的でナウなヤングを目指す“彼女”
妖怪、というものを信じるか。
仮に自分が問われたなら、俺は迷わずに肯定することにしている。人にはよくそれで笑われるし、良い年して――ということもある。
だけど、人には判らない思い出だってあるだろう。記憶というものはそんなものだと思う。
俺の生まれはとある片田舎。四季折々に表情を変えながら、現代文化に飲まれつつも自然と共存する――そんな理想な田舎だった。
冬。俺は一人の女の子と遊んだことがある。毎日、夕飯までだ。
簑かさを被った小さな子で、落ち着いていて素直で……。自分は小学生くらいだったし、その子に対して恋愛感情というものを抱いたのかは解らなかった。でも、一緒にいて楽しかった。
その後、春になってその子がぱったりと遊びに来なくなった時期、祖母から『雪ん子』の話を聞いた。
その話はまさに“あの子”を指しているかのようで。俺が成人して、とある役職に就いた今でも、“あの子”は雪ん子だったと思っている。
――あれから、雪ん子に会ったことはない。
話にはたまに聞くが、座敷わらしだとかそう言った妖怪の類いは大人の前には姿を現さなくなるらしい。
なら、雪ん子に会えなくなったのは俺が成人したからなのだろうか? いや、きっといつかもう一度会えるものと信じている。
「……絶賛大ピンチだけどさ」
物思いに耽っては見たが、実は今、命の危機に瀕していたりする。
俺が就いた役職――それは、海軍の戦闘機パイロット。
船の甲板から勢い良く飛び出したは良いが、操縦系統が狂って今じゃ雪山の上だ。更に皮肉なことに、この空域は俺の故郷に程近い。
F-35Cと呼ばれる艦載機を駆り、何故ゆえに故郷をびゅんびゅん飛び回っているのか……。演習だ、という話がある。実際、今の機体にはミサイルも機関銃弾も積まれていない。
「パネルが死んでる。エンジンは――まだ行けるか」
まだ、というのは帰還を考えず緊急着陸出来る場所を考える余裕があるか、という意味だ。母艦まで戻るには、流石に機体が持たない。
レーダーも、空っぽの火器管制システムも、更にはヘッドアップディスプレイまで非表示のまま飛ぶのは危ない。雪もひどく吹き荒れて視界が悪く、目隠しされた上に五感を全て封じられたかのような――なんとも判りやすく例えがたい不安が俺を襲う。
幸いF-35という機体は“比較的”小さめに出来ている。大きな高速道路辺りにでも降りられそうだが、良く考えればここは自分の故郷に程近い場所だったじゃないか。
そんな物があったものか、と考えを改める。
「高度が上がらない……。まずい、いよいよ以てまずいぞ」
操縦捍の反応まで無くなってきた。高度は落ち、エンジンの出力も恐らくぐんぐん下がっている。デジタル式の出力メーターまで死んでいるため、確認が取れないのが面倒だ。
いっそ緊急射出して、捜索救難チームでも送ってもらおうか?
だって、機体が死にかけてるのに、国や体面のために一緒に死んでどうするのよ? そんな心持ちである。
きっとまたバッシングが入るんだろう――そんなふうに考えながら座席射出レバーに手を掛けた時、俺の脳裏にふと“あの子”の姿が蘇った。いや、片時も忘れたことはないが、このタイミングはあまりにも良くできている。
もし“あの子”が雪ん子なら、きっとこの辺りが住処かもしれない。国や軍や――それはどうにでもなる。でも、俺だけが助かって、機体は爆散して……もし、それで“あの子”を傷付けたら――有り得ない、そんなのは落下してきた隕石が自分の頭頂部目掛けて落ちてくる位、有り得ない話だ。
そもそも、あの子が雪ん子かも判らない。それさえ俺の勝手な想像なのだから。
「――ッ!」
でも気付けば、俺は座席射出レバーから手を離し、何とか操縦を取り戻そうと必死に操作を繰り返していた。
落ちるな。せめて、雪を掠めるように着陸する。速度はかなり落ちているし、そのまま爆散してしまう可能性は低い。
考えるより、やるしかない。
俺は車輪、高揚力装置を着陸マニュアル通りにセット。翼を見回した感覚では、フラップは下がってくれたか。ギアに関しては確認のしようがないが、信じるしかない。
「あそこだな。――吹っ飛ぶなよ、頼むから!」
吹雪の合間、雪山の木々の隙間に短いながらも機体を落とせそうな場所を見つける。そこへ、掠めるように機体を降ろして積もった雪の抵抗で止める。
ギアが下りていれば、雪に軸が刺さって抵抗はさらに増える筈だ。
目標まで距離、高度共に何百メートルも無い。機体はさらに落ちていく。この調子なら、丁度良くスペースに入る事が出来るだろう。
「うおっ――!」
目標に接地。激しい衝撃に襲われ、舌を噛みきりそうになる。
予測通り、柔らかい雪に下りていたギアが突き刺さって抵抗を生み、更に雪自体が抵抗を作って重たい機体を止めてくれた。
――不時着、という状況だ。無線は通じないが、今の時代『ビーコン』という便利な信号送信装置がある。これを使えば、向こう側も異変には気付くだろう。
機体から降りて、雪に埋もれながら空を見上げる。
見事になにも見えない。なぜあの一瞬だけ、吹雪の“合間”が出来たのか……。
「もしかして、あの子の仕業だったり――」
「あ……」
「――なん、てな……」
機体から離れた木陰から此方を見てくるミノムシ一名と目が合う。ぱっつりと切られた前髪は長めで、簑かさと合わさって表情は窺い知ることが出来ない。
ただ、一瞬上げた小さな悲鳴が、此方に対する恐怖と警戒を表しているのは良く判った。
「……えーと、良く判らないけど縄張りに入ったっぽいのは謝る! でも氷付けは嫌だ!」
「お兄さんは……私、わかるの?」
おぉう……。
そういう気は無いが、可愛らしい反応がいちいち返ってくる。首をかしげたり、視線を泳がせたり。
こんなところに見た目の幼い子がいるのは、あまりにおかしい。パイロットスーツの俺は凍えて死んでしまいそうなのに、薄手の着物に簑かさを被っただけの少女が平気そうなんて、こんなの絶対おかしいよ。
それに「わかるの?」という反応。まるで、自分が何か“別なもの”であるかのような問いだ。
俺は決めている。この手の質問には――
「うん、判るよ。ハッキリと」
――そう、答えるのだと。
◇
現在地、戦闘機の上。
少女はまだ多少距離を置いてはいるが、とうとう機体の上まで登ってきてくれた。
とてつもなく寒いが為にひたすら話をして極寒を誤魔化そうとした時に訊けたことだが、やはりこの少女は『雪ん子』らしい。ただ、“あの子”じゃなかった。
成長して『雪女』にでもなったのだろうか? 雪女については色々と調べたが、もしそうなら自分の身も守れるようになっているだろう。他に雪ん子は居ない、と少女から聞いて、一先ず安心しておく事にする。
「……よーいしょ。ビーコン作動」
自身の手に持ったデバイスを操作して、起動。緑色の光が明滅し始め、一定周期でソナー音が鳴り始める。
「それは?」
お、興味を示したか。
少女はすりすりと機体の上を滑るようにこちらとの距離を詰め、デバイスに目をやって来る。
俺がビーコンについて説明してやると、少女は「便利な世の中だなぁ」と見た目の割に婆臭い事を口にしていた。やっぱり、世の中には疎いのか……。
妖怪らしい、といえばそうだろう。
「凍死する前に来てくれないかなぁ、SAR」
「……?」
また首をかしげる少女。捜索救難のことだ、と説明してやるとまた婆っぽい事を口にする。
これは専門用語だし、一般人でもマニアでなければ知らない単語だ、と付け足してやると少女は少し大袈裟に成長過程の平たい胸を撫で下ろす。
――ナウなヤングを目指したいのかもしれない。
「さむっ……」
あまり下手に触れ回るのも、向こうが嫌がるかもしれない。俺はコクピットに戻って、暖は取れないが吹雪だけは凌ごうとする。
雪ん子の少女はそれに追従し、狭いコクピットにまで押し入ってきた。あらやだ、積極的。
現在、俺が少女を抱える形でコクピットに収まっている。ぎゅうぎゅうだが、少女の身体はひんやり冷たい。
これでは暖を取るのは尚更無理だ、と俺は完全に諦めた。
「お母さんが来たら、吹雪もなんとか出来るから……」
「本当に?」
心強い話に俺が真意を問うと、少女はこくりと頷く。簑かさが刺さって痛い。
しかし、彼女の話が本当なら何とかこの先凌ぐ手段は作ることが出来そうだ……。