柵
毎日学校へ行って、勉強をして、部活に行って、帰って寝る。基本的にはその繰り返しだ。そういった生活に何ら不満があるわけではない。しかし、単調とした生活の中で生きていると、自分がまるで鳥かごの中に飼われているような錯覚に陥る。
ある日私は、その鳥かごから抜け出そうと決めた。リビングに一枚、
「外に行ってきます」
と、置き手紙をして。
朝五時半に家を出た。まだ薄暗い街は靄に包まれ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。日中は暑くてたまらないアスファルト通りも、今はひんやりとした冷気を帯びている。
「どこへ行こうか」
これといって宛があったわけではないのだ。何から逃れるわけでもなく、何を求めるでもなく、ただ単に私は外に出たかっただけなのだ。とりあえず私は学校とは反対方面に歩きい出した。
どれくらい歩いただろうか、もやもやとした街を、もやもやとした頭で歩いていると、私は鉄柵にぶつかった。
頭がヒリヒリ痛む。私が顔を上げるとその鉄柵は、はるか上空までつながっていた。
赤い鉄柵だ。所々錆び付いてはいるが、頑丈に作られているようだ。柵の間隔は15センチ程で、到底通り抜けられそうにない。
私は回り道をして、先に進もうと思ったが、柵はどこまでもつながっている。柵に沿ってどこまで歩いても、終わりが見えないのである。私はやけくそになって、柵が張り巡らされる街を歩き続けた。1時間ほど歩いたところで、私は元の場所に戻ってきてしまった。
ふと空を見上げると、雲の切れ間からうっすらと鉄柵が見える。どうやら上空までも鉄柵は張り巡らされているらしい。
この街は柵に覆われているのだ。
しかし、事の異常さを誰も理解してくれないのである。柵が見えていないわけではない。柵が存在することを誰もおかしいと感じていないのである。両親に話しても、友達に話しても、彼女に話しても、皆、
「だからどうした。」
「いつまで子供みたいなこと言ってるんだ。」
「いい加減目を覚ませ。」
「最近お前は疲れているんだ」
「素敵な夢があって良いわね」
といった返答しか返ってこない。私は異常者扱いだ、いや、私が異常なのだろうか。柵はこの世界が生まれた時から存在して、私もそれを特別意識せずに生活してきたのだろうか。 それで何の不便も感じなかった。いや、むしろ柵があることに、鳥かごの中での生活に、安息すら感じていたのかもしれない。
それをなにが今更、「外に行ってきます」だ。馬鹿馬鹿しい。今まで通り、生活すれば良いんだ。何も困ることなんてない。今まで通り、鳥籠の中で生活していればいいじゃないか。
そう自分に言い聞かせながら、一週間ほどたったある日、私はいつもの通学路で、見知らぬ老人に、すれ違いざまこんな耳打ちをされた。
「外に出たいか。」
私はハッとして、振り向くとそこにもう老人はおらず、錆び付いた一本の鍵だけが落ちていた。
鍵には小さな札がついており、
「外出用」
と、かすれた文字で書かれていた。
その日から私は、朝から晩まで、街中の鍵穴に鍵を差し込んでいった。一般家庭はもちろん、廃品回収のダストボックス、妹の引き出し、母の洋服ダンス、閉店したドラックストアの従業員入口など。もちろん合うはずが無い。しかし、馬鹿げた柵が支配する世の中だ。外への出口も馬鹿げたところにあるに違いない。そう思ったのだ。無我夢中になって、来る日も来る日もあらゆる鍵穴に鍵を差込続けた。鍵を回し続ける毎日は刺激に溢れ、毎日が新鮮だった。自由を追い求めて、生きている実感があった。
そんなある日、カギは折れてしまった。
見事にポッキリと、頑丈な食料品倉庫の鍵穴に強引に押し込み、無理に力を加えたせいかもしれない。鍵自体にもダメージが蓄積していたのだろう。もう治らない。なぜか私はそう確信していた。
しかし、私の心はなぜか晴れやかだった。鍵を回し、可能性を、自由を追い求めた日々が、脳裏に浮かび上がってくる。本当に充実した毎日だった。こんなに生き生きとした毎日を過ごしたのはひさしぶりだ。
私は空を見上げる、どうりでそうだと思った。上空には柵のない晴天が広がっているではないか。