2ー2
な、何が起こっているんだ……まさか夜這いか!?
王太子の両手が私の肩にかかり、私の喉は叫び声を上げようとヒューっと空気を吸い込んだ。
「起きろよ。ちょっと相手しろ。」
相手!?何の……?
そのまま私は上体を無理矢理起こされ、左腕を掴まれてズルズルと寝室のドアの方向へ引きずられる様にして連れて行かれた。ガシャン、ガシャン、と王太子の足枷が彼の歩調に合わせて鳴る。
寝室の隣の客間に出ると、テーブルの上に果物や菓子、そして飲み物の入った瓶が並べられていて驚いた。
一体いつの間に。この客間は私の部屋だと思っていたが公共スペースだったのだろうか。
王太子はソファに座ると、私に向かってヒラヒラと手を振り、向かいに座るよう要求してきた。
私は自分の額を左手で押さえながら尋ねた。
「あの……。確か体調がお悪いのでは…」
「なんだ、心配してくれるのか。そうだ。昨日から寝過ぎて、目が冴えてしょうがないんだよなあ。」
私は眠いんです。
ソファの横で棒立ちの私を差し置いて、王太子は勝手に二人分のカップに飲み物を注ぎ始めた。
「まあ、飲もうぜ。」
酒か!!
私は残念ながら今まで王族の知り合いがいなかったので分からないが、王族とはかなり我儘な人種の事だったらしい。
一応ダメ元で言ってみた。
「私眠いんです。」
「俺は退屈なんだ。昼間、後でゆっくり話そうと言っておいただろう。もう忘れたのか?」
社交辞令は存在しないのか。
私はノロノロとソファに腰掛けた。差し出されたカップを仕方なく受け取る。
一口飲んで見ると白ワインみたいな酒で、程よく甘味があり、悪くなかった。
「美味いだろ。女はこういうのが好きだからな。」
そう言いながら王太子はニッと笑った。実に男前で爽やかな笑顔だったが、この状況が爽やかでは無い。
「この宮は退屈でならん。エリ、あんた異世界から来たんなら、そっちの面白い話でもして、俺を存分に楽しませてくれ。」
この世界の人はなぜ誰も彼も己の都合ばかり私に押し付けるのか。
「私の話なんて、面白くないと思いますよ。」
「そうシラけた事を言うな。……とりあえずエリの国の事を教えてくれ。」
私は頭を掻きながら、簡単に日本の暮らしや歴史、政治について話した。気分は異文化交流だ。意外にも王太子は熱心に私の話に聞き入り、私も気を良くして菓子を次々口に放り込みながら、長々と話した。酒の力も手伝い、たいして得意でもないのに日本の歌まで披露してしまった。
基本的に私が話し、王太子はたくさんの質問をしたが、彼自身は自分の話はほとんどしなかった。
気が付くと空が白んでいた。
王太子は空になり、床に転がる酒瓶を眺めながら言った。
「こんなに楽しめたのは久しぶりだ。……さて、もうお開きにするか。」
そう言うと王太子はこちらに手を伸ばした。
「思ったより酔った。エリ、起こしてくれ。」
世話が焼けるなあ、と思いつつも、さっさとご退出頂く為に私は王太子の手を取り、立ち上がらせようと正面に回った。
すると私が王太子の手を引くより先に、彼の手が力強く引かれ、私はバランスを崩して王太子の胸目掛けて倒れこんだ。
何をするんだこの男はーー!!
慌てて体を起こそうと私が腕を突っ張る前に、王太子は私の額に唇を押し付けた。
私は顔から火が吹くかと思う程熱くなった。
「よく見れば可愛い顔してるじゃないか。」
それ、全然褒めてません!
私は王太子を睨みながら急いで体を離した。
「酔いすぎです。からかわないで下さい。」
すると王太子は豪快に笑った。
「悪い悪い。こどもには毒が強過ぎたかな?でもその、見た目によらず意外と気が強いところ、俺は好きだな。」
「こどもって、どういう意味ですか。私は殿下と一つしか変わりませんよ。」
すると楽しそうに躍っていた王太子の瞳が瞬時に見開かれ、笑顔がかき消えた。
「なんだと?……年はいくつだ。」
「24ですけど。」
そこまで露骨に驚かなくても良いと思う。王太子はすっかり酔いが冷めた感じで、穴が空く程私を見つめてた。
「参ったな。南の民は若く見えるものだが。異世界も同じか。15、6かと思った。」
この世界では15で飲酒が許されるのか。
王太子は急に焦り始めた様だった。さっきまで、自信に満ち溢れていた目が泳ぎ、右手で自分の首の後ろを気まずそうにさすっている。
「それは……こんな夜更けに失礼したな。」
「はあ。」
そんなに急に態度を変えられても、こちらが恥ずかしいではないか。さっきのチューの勢いは何だったんだ。
逆に私が気を使ってあげなくてはいけない雰囲気になるじゃないか。
「まあ、私もいろいろお話できて、楽しかったです。今度またお話しましょう。私が起きてる時に。」
「そうか?それなら良かった。」
王太子は酔いを全く感じさせない滑らかな動きで立ち上がり、出口へ向かった。扉を開け、部屋から出て行く寸前、王太子は手を伸ばして私の顎先に触れた。
「おやすみ。」
そのまま私の方へグッと顔を寄せ、キスする気だこの男!と察知した私は慌ててドアをピシャリと閉じ、王太子をしめ出した。ドアの向こうから、からかう様な笑い声が響く。
なんて事だ。あの足枷に騙されてはいけない。王太子はとんでもなく手がはやい。オマケに見境ない。
私が朝食を取っていると、サハラが来客を告げた。
「ケインさんが?」
「はい、エリ様にお会いしたいとお越しです。」
残りのパンと果物をかき込むようにして食べると、ケインの待つ応接室へ行った。ケインは相変わらず黒く長いマントを身につけていた。彼が極度の黒色愛好家でもない限り、ここまで黒一色で普通はコーディネートしたりしないだろう。これがきっと宮廷魔導師とやらの制服なのだろう。夜中に外を歩けば透明人間になった気分が味わえそうだ。
「驚いた。こちらの服を着るととても異世界の人には見えないね。」
「そうですか?顔立ちがこちらの国の人とは違うのでかなり浮いている気がするのですけど。」
「ここが王宮だからね。街中に出れば南の方から移住して来てる人も割といるから、たいして目立たないよ。」
ケインは咳払いをしてから言った。
「…その、君には本当にすまないと思う。今、王宮保管の古文書なんかもひっくり返して、一生懸命調べているよ。必ず元の世界に戻すつもりだから、信じて待ってて欲しいんだ。」
「お願いします。ケインさんしか頼れる人はいないんで。」
私がそう言うとケインは満足そうに頷いた。少し考え込んだ後、口を開いた。
「ラムダス王子とは会ったかい?」
私が肯定すると、探る様に聞いてきた。
「お元気そうだったかな?少し荒っぽいところがある王子だけど、根は優しい方だよ。彼に色々ここの事を教わるといい。」
「殿下は幽閉されてらっしゃるんですか?」
誰も王太子の置かれた立場について話してくれていないので、私はやんわり聞いてみた。
だがケインは曖昧に口元に笑みを浮かべ、こう言うだけだった。
「ラムダス王子は……とても気の毒な方だ。」
それ以上詳しい事は言いたくない、と言外に滲み出ていたので、私も何も聞けなかった。余所者が口を挟む事ではないし、どうせ長くこちらの世界にいるわけではないのだから、私が関わったところで意味が無い、とケインは考えているのかも知れないし、私自身もそう思う。
「では僕はこれで失礼するよ。もし異世界や術の事が気になるなら、王宮の中にある図書室にいつでも行くと良いよ。普通の人には分からない分野だからね。きっと色々と参考になる。」
そう言ってケインはトンプル宮を後にした。