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異界へは往復切符で  作者: 岡達 英茉
第八章 家路
51/52

8ー4

バルコニーによじ登って、会いに来てくれるつもりらしい。どう登るのかは不明だが、大佐の事だ。何か奇策があるのだろう。

それにしても、大佐までロミジュリごっこをしたがるとは想像もしていなかった。ガラにも無く、王太子の行動に感化されてしまったのだろうか。

近衛隊長殿は意外性のある男だった。


「ここまで読んだところだった。作業に戻ろう。」


大佐はそう言うと、私の前に広げられた調書の頁をめくり、書き連ねられた真ん中ほどを指差した。

読んでいたはずなのに、その頁が開かれていなかったという事は、大佐は調書を丸ごとそらんじているという事か。超人的過ぎて、突っ込む気にもならない。

私はそろそろと視線を上げて、申し出た。


「あのう、やっぱりもう良いです。まだ半分はありますし、大佐が詐欺師まがいな真似をするはず無いですもんね。」


私は書類を読み上げようとしていた大佐を制止し、どこにサインをすれば良いのかだけを聞いた。

もうくたびれてしまった。

私は説明を割愛して貰い、次々目の前に置かれる書類にサクサクとサインをしていった。慣れないイルドア文字での名前も、何度も書く内に結構な速さで書けるようになった。

下を見過ぎて首が痛くなり、右手の小指の側面にペンのインク染みが付いた頃、ようやく最後の書類に差しかかった。ここまで長かった。

惰性で自分の名前を書き始めた時に、ふと私が大佐にサインを指示された欄の隣に、大層な達筆で既に長ったらしいサインが入っていることに気が付いた。

思わずペンを止めて読んでみた。

アレヴィアン=ドゥノ=メーア=アンリ=トカイ=モンファ=シェフテデステ。

長い名だ。この書類だけ大佐のサインが先に入っているらしい。

しかし、大佐の名前の横に『夫』と書かれているのを目にし、私の目が点になった。視線を戻し、私がサインしかけた欄をよく見ると、『妻』となっていた。

なんだこれ……!?

つま???


「これは、何の調書でしょうか…?」


「調書では無い。見ての通り、婚姻を届け出る書類だ。」


「そんな物、紛れ込ませないで下さいよ!危うくサインしちゃうとこだったじゃないですか!」


「それこそが目的なのだから仕方がない。早くしないと、今日中の提出が出来なくなる。続きを書かないか。」


この人、少しおかしいのではないか。

私は喘ぎながら問い正した。


「大佐は本当に私と結婚するつもりだったんですか。あの、王太子殿下に協力した見返りや礼のおつもりなら、結構ですから。」


「お前は私と結婚するのが嫌なのか。」


私は額を左手の平で押さえた。

同時に変な汗が出てくるのを感じた。


「そういう事では無くてですね。……結婚って、段取りや順序があると思うんですけど。ちなみに私の周りでは、だいたい二年くらい交際してから結婚してる夫婦が多いです。」


「二年も待てるか。私は気が長い方ではない。」


この常識の差を埋めんが為、私が再び口を開きかけた時。

バターン!!

とけたたましい音を立てて、応接室の扉が開いた。木の扉を蹴破らんばかりの勢いで、大股に入室して来たのは、王太子だった。


「エリをこんな所に連れ込んで、何をしている!」


対する大佐は眉一つ動かす事無く答えた。


「連れ込むも何も。ここは殿下の宮ではありませんか。」


王太子は私の書きかけの書類に目を走らせ、吃嘆した。


「良いか?俺はお前とエリの結婚など、絶対に許可しないぞ!」


「婚姻は禁止事項ではありませんので、許可行為は必要ありません。」


王太子は思わぬ揚げ足を取られたからか、顔を上気させて言った。


「ええい、許可だろうが承認だろうが、受理だろうが、一切合切認めん!第一、上級貴族のお前と、異世界から来た得体の知れない女の結婚など、認められるはずが無い。エリは俺の側室になるんだ。王太子ならば、敗戦国の奴隷であれ、側室にした前例があるのだからな。」


ちょっと、色々失礼過ぎないか。本人が目の前にいるのが目に入っていないのか。

私は唇を尖らせた。


「私の妻を侮辱なさるおつもりか。」


大佐も気が早過ぎる。私はまだ独身のはずだ。

なんだか二人の美形が私を取り合って、睨み合っているらしい。

私の為に喧嘩はやめて!

と目に涙を溜めて間に割って入るべきか。

年頃の女性なら、誰もが一度は妄想する様な、劇的な場面ではないか。

夢にまで見たステキな境遇は、たがしかし、予想に反して、私をひっそりとこの場から立ち去りたい心境にさせた。

どちらの男も、荷が重過ぎて、私がぺしゃんこに潰されてしまいそうだ。

本気で明日から就職活動をせねばなるまい。うかうかしてると、何をされるか分からない。サハラに職業安定所を案内して貰おう。


「そもそもエリに目を付けたのは絶対に俺が先だ!」


「同意しかねます。明白なのは、手を付けたのは私が先だという事です。」


君達、低俗過ぎやしないか。

私はなるべく存在感をこの場から消し去ろう、と小さくなって固まった。嵐が過ぎ去るのを待つ樹上の鳥の様だ。


「お前は他国の領土ばかりで無く、他人の女まで略奪するのが得意なのか。」


私は目を見開いた。

南の解放大戦とやらの事だろうか。侵略の認識があったとは。これは驚きだ。しかもこの国の、王太子に。


「次の国王になろうという方が仰る事とは思えませんね。」


大佐は痺れを切らしたのか、立ち上がって私のすぐ横に来た。そのままペンを持つ私の手を、ペンごと握り、無理矢理私のサインの続きを書かせ始めた。只でさえお世辞にも綺麗とは言えない、ミミズが這いつくばった字が、更に汚い姿で私の名前を構成していく。

ちょっと、大佐、と抗議の声を上げるが、大佐は猛烈な握力で私のペンを動かし続けた。


「アレヴィアン、本人のサインで無ければ無効だぞ!」


「ですから、エリが自分で書いているではありませんか。」


酷くガタガタで不格好な姿の私の名前が完成した。

こんなサインに効力があるとは思えない、と楽観的に考えながら、ようやく放された自分の右手を摩った。大佐に握り潰されるんじゃないかと心配するほどの握力だった。手の機能が麻痺していないか、拳を開け閉めして確認した。幸いにも、私の手は心配したよりは頑丈だったらしい。

大佐は二人のサインが一応入った書類を手に取り、一瞥すると、頷いた。


「これで万事整ったな。私の婚約者は、手が震えるほど結婚を喜んでくれたらしい。」


大佐は役所にそう弁解するつもりなのだろうか。私と王太子が半信半疑で見つめる中、大佐は書類の束を効率良く一まとめにすると、この日初めての笑顔を私に向けた。人の思考を奪う様な、至高の美は健在だった。口を開けたまま見惚れる二人を残し、大佐は応接室を退室して行った。


「安心しろ。上級貴族の結婚は色々厄介なんだ。ましてや南の民との結婚なんて、上級貴族じゃ聞いた事が無い。認められるとは思えん。」


そう言うと王太子は私の肩をポン、と軽く叩いた。大佐にしては珍しく、拙い作戦だったようだ。


「だいたい、エリには今身元保証人すらいないから、手続き上も困るんじゃないか。……国王のお墨付きや王命があれば別だが…」


そこまで饒舌に言いかけて、急に王太子の自信に満ちた笑顔が引いた。


「まさか…。父上に既に根回し済みか…?」


私達の不安気な目がぶつかった。暫しの間、王太子の顔が固まっていた。

王太子はまずい、と呟くと慌てて応接室を飛び出した。

私も追うべきだろうか?

王太子が追い付いたら、庭園で決闘でも始まりそうではないか。赤い夕日を背に、庭園で剣を構える二人の美しい男達ーーーなんて絵になる光景だろう、想像するだけで目の保養になりそうだ。ましてやそこに私が争いを止めようと登場すれば、それこそ少女漫画の主人公のようだ。

とは言え、間に入る女が私では、ギャラリーもガッカリだろう。どの道あんなサインでは無効だろう。放っておこう。それが良い。

王太子も王宮を出れば、並み居る美女を目にする機会はいくらでもあるんだから、すぐに目が覚めるはずだ。


私は年寄りくさく、よっこらしょ、と独り言を発しながらソファから重い腰を上げ、サハラのところに戻った。




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