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異界へは往復切符で  作者: 岡達 英茉
第六章 夜明け
41/52

6ー2

目を覚ますと部屋の中はまだ暗かった。


私は水が飲みたくて仕方がなかった。飲み過ぎたせいだろう。枕元の水入れからゴクゴク水を飲むと、もう酔いはほぼ無くなっており、頭はスッキリしていた。

再び横になり、寝ようとするが、どういう訳か目が冴えてしまっていた。今まで体験した事や、あれこれ今後の事に思いを巡らせてしまい、何度も寝返りを打った。

恐ろしい一日だった。

王太子は、ケインの話を聞いてどう動くのだろうか。サハラは大丈夫なのだろうか。


大佐はどうしているだろう。もう寝ただろうか。

私は左手の腕環を目の前にかざし、見つめた。それを口元に寄せ、そっと名を呼んだ。


「アレヴィアン。」


何の気も無しにそうした後で、腕環が光を放ち始めた事に気付き、私はしまった、と遅まきながら口を押さえた。

バタン!!と突如扉が開き、大佐が登場したかと思うと寝台に駆け寄ってきた。


「何があった!?」


大佐は私がただ仰臥しているのを確認すると、室内に異常が無いか素早く視線を走らせていた。私は慌てて寝台から降りた。


「ごめんなさい。ただ呼んでみただけです。」


怒られるかと思ったが、大佐はそれを咎める事無く、寧ろどこか嬉しそうだった。


「そうか。なら良い。」


大佐はそのまま窓辺に行き、カーテンを開けて外を見た。私も後に続いた。外はまだ真っ暗闇で、街の建物の影がぼんやりと確認できる程度だった。

大佐が窓ごしに私を見て言った。


「まだ寝ていろ。明日は早いぞ。…寝れないのか?」


「色々考えてしまって。私はどうしたら良いのか、とか。」


大佐は窓に映る私の目をじっと見つめていた。その大佐の目が、妙に色っぽく思えた。美しい男だ、と改めて認識して惚れ惚れ眺めつつも微かな劣等感が疼いた。

私達は静寂が支配する暗い部屋の中で、眠りの只中にある街を見下ろしながら、窓越しに映る互いの姿を眺めていた。

不思議な時間だった。

私達は言いたい事があるのに、その言葉が出てくるのを互いに待っている、そんなもどかしい思いをこめて長い事見つめ合っていた。

やがて大佐が口を開いた。


「簡単な事だ。王太子に協力し、侍女を救った上でケインを断罪する。……全てが済んだら…」


大佐は窓に映っている私の顔に触れた。

私は本当に大佐に触れられたかの様に感じ、ぞくりとした。


「この国に残るんだ。私のいる所に。」


大佐はこちらを振り返ると、急に私をきつく抱きしめた。大佐の硬い胸に顔が押し付けられた。予期せぬ事態に私の心臓はドクドクと打った。


「王太子殿下には、帰った方が良いと言われました。」


「帰るなど、死んでも許さぬ。ここで、私のそばで生きてくれ。元の世界を私が忘れさせてみせる。居場所が恋しいなら私がお前の居場所になろう。この私が、お前にここにいて欲しいんだ。」


大佐から放たれた言葉は、私の胸にすとんと入っていった。

ああ、やはり私はこの言葉を待っていたのだ。

帰って良いと言われるより、そばで生きろと言われる事がこんなにも嬉しいなんて。しかもこの大佐に、だ。

私は勇気を振り絞り甘えてみた。


「…もう一回言って…」


「帰るな。死んでも離さない。お前がいなくなったら、私はこの先永遠に結婚が出来ない。そろそろ私も子の顔が見てみたい。」


後半部分の発言内容が過激すぎる気はしたが、私は心が揺さぶられるのを感じながら、感極まって大佐の広い肩に手を回した。

それが合図の様に大佐は私の顔を覗くと、私の額にそっと口付けた。

それを物足りない、と思う自分がいた。

王太子の生き過ぎた愛情表現に慣らされていたせいに違いない。

どちらからとも無く、私達は唇を寄せ合っていた。頭の奥がトロンとする様な陶酔を感じた。

初めは遠慮がちだったが、次第に濃厚なものへと変わっていき、身長差に苛立った様子の大佐はやがて私を抱き上げて寝台に横たえた。

そのまま大佐が私の上になり、私の頬に、顎に唇を滑らせた。

私はやはりまだ酔っているのかも知れない、と思った。でなければこんなに大胆になれる筈が無いし、大佐に浴びせられる口付けをこんなにも嬉しいと思ったりーーー何時の間にかその先すら構わない、と考えてしまっている筈が無い…。

恐怖の対象でしかなかった大佐が、私の名を呼ぶ事が一体どうして今、こんなにも甘美な響きに聞こえるのだろう。


大佐は私の額に額を当て、その高い鼻梁を私に押し付けたまま囁いた。


「…良いのか?今私を止めなければもうやめるつもりはない。」


私の脳裏を不安や罪悪感といった複雑な感情がごちゃごちゃになってよぎった。

こんな事をすれば色んな意味で日本に帰り辛くなる。両親の悲しむ顔が思い浮かぶ。元居た世界が、私から離れて行く気さえした。私は何をしようとしているのだろう?

しかし視界に体の上に、そして私の頭の中に迫り来る大佐の圧倒的な存在感を前にして、それらはかき消えてしまった。後はただ、気が付けば言っていた。


「好き。」


大佐が私の服を脱がせ始めた。その大きな手が私の素肌に触れる度、緊張と、けれどとろける様な幸福を感じていた。








窓から射し込む日光で私は気だるい睡眠の中から引きずり出された。

寝具からはみ出ていた素肌のままの肩が冷えており、摩りながら起き上がると、私は部屋に一人でいる事に気付いた。

…どうして、いないんだ。

大佐はどこに行ったのだろう。

私は手早く服を身に付けながら、徐々に昨夜の事を思い出して恥ずかしくなってきた。

『旅の恥はかき捨て』を実践した様なものだ。しかも私から腕環で誘った感じになってしまった。私は断じて普段はそんなキャラでは無いのに。もう全部、アルコールのせいにしてしまいたい。

今大佐が部屋にいなくて良かった。どんな顔で会えば良いのか分からない。


隣の部屋へ行ってみようかと悩んでいると、大佐がやって来た。一体どこで調達してきたのか、私服を着ていた。


「起きたのか。朝食を取ったら出よう。」


そう告げるなりさっさと食堂へ向かい始めた。大佐は席に着くなり給仕係に矢継ぎ早に二人分の注文をした。どうやらメニューは暗記済みらしい。


「馬車を用意してある。お前は一人でそれで帰るんだ。私は馬で帰る。」


準備の良い事だ。

それにしても、この何事も無かったかの様な対応は、何なのだろう。確かにケインの計画を阻止する事に比べれば、私との一夜なんて吹いて飛ばせる程軽いのかも知れないけど。あまりにいつも通りなので、私が夢でも見たのかと思いそうになるではないか。


「お前が昨夜トンプル宮を留守にしていた事はごく一部の者たち以外には伏せられている。なるべく人目につかぬ様帰るように。」


私は大佐に遅れまいとパンをがつがつ頬張りながら頷いた。


「お前は昨日、トンプル宮を出た後サハラを探しに行っただけだ。そこから以後は忘れておけ。誰に何を聞かれても教えるな。」


なんと。記憶から抹消しろという事か。随分な扱いじゃないか。

私はこれでも色んな物を賭けたつもりだったのに。確か死んでも離さないとまで言われた気がするが…。まさかあれは大佐流の、一夜だけの割り切った関係でも使う常套句だったりするんだろうか。


「覚悟はできているか?」


はい、と勢いで頷いてしまってから、一体何の覚悟の事を言っているのだろう、と疑問が湧いた。確認しておいた方が良い気がした。大佐の思考は常人には計り知れないところがあるから要注意だ。


「ところで何の覚悟の事でしょうか?」


「威勢良く返事をしてから聞くな。」


大佐は食事を終え、ナプキンで上品に口を軽く拭いてから言った。


「今日万一どこかで何らかの失敗があれば、誰かの首が飛ぶ。王太子か、私か、ケインか、…。」


大佐は私の名は列挙しなかったが、そこは大佐流の優しさだろう。事態の重さに私が口一杯に果物を詰め込んだまま動きを止めると、大佐はなだめる様に続けた。


「そう案ずるな。最悪の場合は力ずくでどうにかする。佐官以下は私の指揮下にある。今将官にある者は皆単なる名誉職でしかない。」


言わんとする事が良く分からない。サカンとかショウカンって何だ。

私は眉根を寄せて怪訝な顔で大佐を見た。


「全軍は私の支配下にあるという事だ。」


スケールの大きな話だ。


「……大佐は日頃、青服のイケ面軍団を動かしているだけかと思ってました。」


私の率直な感想に大佐は表情を曇らせたが、私は別の意味で怖くなった。

つまり大佐はいざ事態が不測の方向に流れた場合は、クーデターを起こすつもりだ。物騒な男だ。血で血を洗う大惨事が待ち受けていたらどうしよう。昨日から日本人には馴染みの無い展開が次々起こるな。とんでもない所に来た事を再認識した。


「以前、私に誰を信じれば良いのかと問いたな。私を信じろ。これはお前にとって答えになるか?」


それをこのタイミングで言うのか。昨夜私と大佐がした事を考えれば、私の答えなんて明白な筈なのに。





私は一人で馬車に乗ると、小瓶を握りしめてトンプル宮へ向かった。







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