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異界へは往復切符で  作者: 岡達 英茉
第六章 夜明け
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6ー1

血に染まった剣を片手に私を見下ろす大佐は、私の命の恩人であるはずなのに、視線だけで私を射殺せそうな冷気をビシビシ放っていた。私の震えは硬直に変わっていた。

大佐は間違い無くお怒りだった。

それも恐らく頂点に達しようとしているくらい。


「カイ、どけ。」


命じるより先に大佐は剣の柄の角でカイを私から振り払う様に退かせた。その余りに乱雑なやり方に、私はカイの左頬を殴打したのは大佐ではないか、と思った。

カイの暖かな手の感触が背中から消え、代わりに大佐が私の二の腕を掴んで立ち上がらせた。


「あの、大佐、助けに来てくれて有難うございました。……ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」


「そうだな。お前が腕環を使うのが僅かでも遅れていたら、私はカイに何をしていたか分からない。」


隣でカイが息を呑むのが分かった。このままではカイが明日にでも辞表を出しかねない。やはり大佐はカイに大層立腹している様だ。


「違うんです。私と殿下がサハラを捜してと強く頼んだせいなんです。」


「何と言われ様と職務は放棄すべきでは無い。」


私は大佐に引っ張られて地下室から出た。

一階に上がると、そこは使われていない繊維工場の様な所だった。

異臭を放つ色鮮やかな布の切れ端があちこちに散らかり、乾いた染料のこびり付いた大きな壺が床に転がっていた。

外に出ると、既に日が落ちて暗い中を、近衛兵達が男達を縛り上げて一箇所にまとめていた。小太りの男は何事か悪態をついていたが、他の者達は茫然としていた。

助かった安心感で力が抜けたらしい女性達は、地面にしゃがみ込み、近衛兵になだめられていた。

ああ、良かった…。彼女達を助けられた、と私は心底嬉しかった。無警戒に街の裏路地に迷い込み、近衛兵に迷惑をかけたが、その甲斐はあったと思いたい。

私を連れたまま部下のところへ行くと大佐は命じた。


「あの者達を連行して取り調べよ。余罪や関連者を洗い出せ。……一隊は残り、彼女達を無事に家まで送り届けろ。」


女性達の顔に生気が戻っていった。

近衛兵達が動き始めると大佐はカイに近付いた。


「お前は今夜はもう帰って良い。……長らく非番を与えず、すまなかった。私にも非があるな。顔を冷してゆっくり休め。私は今夜は王宮に戻らず、エリと街の宿に泊まる。」


大佐にも殊勝なところがあるのだな、と感心して聞いていた私は、最後の一言に目を白黒させた。

街の宿に泊まる…?誰が、誰と???

私の驚き振りに気付いた大佐は面倒そうに言った。


「もう城門は閉じている。トンプル宮には明朝城門が開き次第、戻る。」


大佐はカイが馬を引いて来ると、私に非常に簡潔に命じた。


「乗れ。」


剣を持ったままの大佐にそう言われて反抗できるほど私は気が強くなかった。カイの手を借りて危うげにどうにか鞍に跨がる事ができた。


「うわっ!!」


続け様に大佐が後ろに乗ってきたので私は思わずそう叫んでいた。

滅茶苦茶体が密着するんですけど!と焦っているうちに馬は走り出し、振り落とされまいと、私は下半身の筋肉に力をいれた。

疾走する馬に乗るのは初めてだったが、慌てふためく私を気にする事無く、大佐は馬に拍車を打ち続けた。

気を抜くと上下する馬の背から転げ落ちそうになるので、とにかくひたすら腿で鞍を挟み、上半身はバランスを取らねばならなかった。両手で懸命に鞍の突起部にしがみついていると、大佐が私の右手をそこから引き剥がした。

何をする、殺す気か!?


「しがみつくな。右手は放してバランスを取れ。」


そんな高度な事できるか!

私に大佐の乗馬訓練を受講する心のゆとりは皆無だった。





ほうほうの体で辿り着いた宿は街の中心部にあり、予想通り外観からしてかなり高級そうな宿で、『貧乏人お断り』といった気配がビシバシ出ていた。

豪華な内部に見とれる私の二の腕を離さないまま、大佐はロビーらしきカウンターへ直行した。


「青の間を一部屋頼む。」


えっ一部屋?二人とも泊まるのに、なぜに一部屋。

いくらなんでも、交際しているわけでも無い男女が一部屋で夜を明かすのはおかしいんじゃないか?

それとも大佐は金欠なのだろうか。いくら私がトンプル宮で贅沢に慣れているからって、豪華な宿を選んでくれなくても良いのに。気の使い方が間違っている。

そう考えていたが、案内された青の間とやらは、二間続きの部屋だった。


「お前は奥の間を使え。私はここのソファで寝る。」


そう告げて大佐が指すソファは長身の大佐が寝るには小さ過ぎた。

私が逆の提案をしてみると、あっさり断られた。


「お前は奥だ。私はお前が又逃げ出さぬ様ここで見張る必要がある。」


そういう事か。

さっきまでの混乱で忘れていたケインと小瓶の存在を急に思い出した。私は思わず服の上から小瓶を触り、ちゃんとポケットに入っているかを確かめてしまった。

大佐の鋭い視線は私の手の動きを見逃さなかった。


「あっ、だめっ…」


私が抗議するより速く、大佐は私のポケットを探り、小瓶を取り上げた。


「これはなんだ?釈明がまだ終わっていなかったな。丁度良い。今聞こうか。」


「それは…。」


私はこの期に及んで決めかねていた。大佐に話せば、サハラも、自分が帰る手段も失う気がしていた。言い淀む私を一瞥すると大佐は小瓶の蓋を開け、瓶を口に寄せると何の躊躇いも無くそれを傾けた。

私は短く叫びながら無我夢中で大佐の手を押さえた。

だが、大佐は尚も小瓶を傾けて中身を口に流そうとしていた。


「やめて…!やめて下さい、それ毒なんです!!」


そう叫ぶと大佐は小瓶をすんなり口から離した。その落ち着いた仕草に、私は大佐がそれを飲む気などさらさら無かった事を悟った。

口を滑らせてしまった。

私は足元から力が抜け、フラフラとソファに座り込んだ。大佐は私に向かう様に床に片膝を付くと、穏やかな声で言った。


「今までどこへ行っていたんだ。なぜこんな物を持っている。」


大佐は私の顔を覗きこんだ。私はその力強い灰色の瞳を暫く見入っていた。

大佐を信じたかった。私が信じている事を知って欲しかった。


「図書室で、ケインさんの手下に声を掛けられたんです。」


私はそこから経験した事をつぶさに話した。最後の方は興奮して上ずり、ずっと無言で頷きながら私の手を握ってくれていた大佐の手を握り返していた。


「サハラを助けて下さい。お願いします。」


私は懇願した。


「エリ、トンプル宮に帰ったら全て王太子に話せ。これが潮時だ。王太子が決断すれば、私はそれに従う。お前の侍女の為に最善を尽くすと約束する。」


王太子は何を決断するのだろう。私がいまいち飲み込めずにいると、大佐は静かな、だがはっきりとした声で付け加えた。


「良く私に話してくれた。……明日の夜、王太子の今後が決まる。」





私は入浴を済ませると、大佐と食堂へ行った。今日一日ろくに食べていないので空腹だった。しかし、余りにもたくさんの事が有り過ぎた一日だった。その疲れからか、はたまた全て話した解放感からか、私は席に着くと無性に酒が飲みたくなった。

まるで仕事に大失敗をして帰宅したいつかの夜みたいだ。そう思った直後、なんて遠い世界に来たのだろう、としみじみ感じた。


「まだ字を読むのがそんなに遅いのか。その頁に載っているのは全部酒の銘柄だ。」


呆れた様にそう言うと大佐は食べ物の載る頁を示してくれた。

私は食事と一緒に酒も頼み、人のお金だと言う事も忘れて次々に色んな酒を飲んだ。

大佐が物言いたげな目でそんな私を見ているのもお構いなしに。

私はアルコールにはかなり強いので、強気で飲み進めた。


「大佐はぁ、どーして飲まないんですかあ?」


「明日が大事な一日になる筈だからだ。お前こそ、一体どうしたんだ。」


「だーって、飲まずにやってられないっすよ!私、今日誘拐されて売られる寸前だったし、その前には人を毒殺しろとか言われたんですよ。しかも~、人を剣で刺したんですよ~?警察にばれたらどうしよう…」


私は酔っていない自信がなぜかあった。

しかしながら後から考えればどう考えても酔っていた。


「あっ!!たいさっ!」


「なんだ。……もう少し声を落とせ。」


「あいつ、ケイン=ドラゴンズ、絶対頭オカシイっすよ!だいぶイッちゃってますよ、ほんと。」


「ケイン=ドーンズウィルの事か?」


「そうですってば。大佐の名前、長すぎるんですよ。」


「もうその辺にしないか。」


まだグデグデの会話を続けようとする私に、大佐はようやく痺れを切らしたのか、勝手に会計を済ませると、私を立たせた。

立ち上がると頭がグラリと揺れ、私は驚いた。本当にアルコールに強かったし、浴びるほど飲んだ経験が無かったのでそんな事は初めてだったのだ。

どうにか真っ直ぐ歩けない事はないが、視野はフラフラだった。


「えー、もう寝るんですか?もう少し話しましょうよ。」


部屋に戻り、私を奥の間に押し込めて出ようとした大佐を私は引き止めた。


「酔っているだろう。」


「酔ってません!」


だがバタンと寝台に横になると強烈な睡魔が私を襲い、私はそのまま寝ていた。





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