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トンプル宮の中に入ると、中はこうこうと明かりが灯され、白い揃いの服を着た侍女らしき女性達がバタバタと駆けずり回って大騒ぎをしていた。
彼女達は私達三人に気づくと、もういらした、と驚いた様子だった。私がこちらへ来る事が予め伝えられていたのだろう、各々掃除道具やシーツを腕に抱え、廊下の奥へと消えて行く。どうやら私を迎える準備で忙しいようだ。
急がせて申し訳ないと思いつつも、それなりの待遇が期待出来そうだったので私は正直嬉しかった。
受け入れ態勢が整うまで私達三人は静かな客間に通され、そこで待つ事になった。
大佐はまるで自分の家にでもいる様に、ソファにどかり、と腰を降ろすと大仰に溜息を吐いた。顔に『不機嫌』と書いてあるのが分かった。
「常日頃掃除をしていないからこういう事になるんだ。」
お前は姑か!?と突っ込みたい気持ちを抑えつつ、私は萎縮し切った様子の侍女が私達に出してくれたお茶を一口飲んだ。
こんな突撃・アポなしアタックばりの時間的余裕しか与えていないのだから、お叱りを受ける方も迷惑だろう。
すると大佐は私を見て言った。
「明日から、このカイがお前の身辺警護にあたる。基本的に日中は常時張り付かせるからそのつもりでいてくれ。」
大佐の宣言に私以上にカイが驚いている事に私は驚いた。彼にとっても初耳だったらしい。カイもこんな上官を持って、さぞかし常日頃苦労を強いられているに違いない。
「身辺警護、ですか。」
「念の為につけるだけだ。心配しなくて良い。カイは若いが、これでも近衛第一部隊の期待の新人だ。剣でカイに勝てる者はこの国にそうそういない。」
「はあ……。そうですか。」
警護をいらないと言うのも勇気がいる。実はあちこちに刺客がいるような治安の悪い国なのかも知れない。心強い、と前向きに捉える事にした。
同時に私はもう一つ納得した。
青服剣士集団は近衛兵だったのか。王族や王宮を警備する近衛兵は、ヨーロッパのどこかの国でも容姿が採用時に考慮されると耳にした事がある。差し詰めこの大佐も、中身に問題があっても容貌で相当ゲタを履いたに違いない、と私は心の中で決めつけた。
出された茶も冷え、これ以上待たされたら大佐のお怒りを鎮めるために私かカイのどっちかが一発芸でも披露しなくてはいけないのではないか、と致死的な空気が辺りに充満し始めた頃、ようやく侍女がこちらへ駆け込んできた。
「お待たせしました、お部屋が整いました。」
彼女は私の近くまで来ると、お辞儀をした。
「本日よりガーリ様のお側に仕えさせて頂きます、サハラと申します。宜しくお願いします。」
顔を上げた彼女は私に対する好奇心が隠しきれない様子で、快活そうな丸い瞳がキラキラ輝いていた。茶髪を肩で切り揃え、頬っぺたには可愛らしくそばかすが散り、素直で明るい印象を与えていた。年は二十代半ば―――私と同じくらいと見受けられた。
「さ、ガーリ様。お部屋へご案内いたします。」
彼女はハッキリ私を見てそう言った。
「ガーリ様?どうかこちらへ」
「あの、サハラさん、私の事はエリと呼んで下さい。」
すると彼女はパッと笑顔になった。
「まあ!エリ=ガーリ様とおっしゃるのですね。失礼いたしました。さあ、エリ様こちらへ!」
訂正する気力がもうなかった。
私はここで大佐とカイの二人と別れ、用意して貰った部屋へ行った。
部屋は二階に位置していた。立派な応接セットが置かれたかなり広い客間と、大きな寝台がある寝室からなる、二間つづきの部屋が私に提供された。
部屋全体が暖炉で快適に暖められ、内装の色はライムグリーンで統一され、それなりに豪華だが落ち着きのある素晴らしい空間だった。
「もっと暖かいドレスと、女性用の靴を準備してあります。まずは浴室へいきましょう。お身体を暖めてからお休み下さいませ。」
浴室は少し離れた所にあったが、これまたシャンプーのテレビCMで見る様な、贅沢な作りをしており、大きな六角形の浴槽と広い洗い場が付いていた。掃除も行き届いており、湯垢一つ見当たらず、あちこちピカピカに磨かれていた。
お湯には花ビラまで浮かべてある。
文化的な最低限の生活どころか、これは国賓並の好待遇ではないか。
私はぞんざいな扱いを受けたお蔭で黒くなっていた足を洗いながら、この世界へ来てから初めて心をおどらせた。
サハラの手を借りてこちらの服に着替えると、私はベッドに入った。
明かりの消された中、ベッドの天蓋を見上げて自分の身に起きている出来事を思い返し、顔を両手で覆って深い溜息を漏らした。
どうにかなると信じるしかない。
けれど一方で、このまま寝て、目が覚めたら自分の部屋のベッドにいるかもしれない、とも期待した。
「おはようございます。」
サハラが大きな窓にかかる分厚いカーテンを開けながら、爽やかな笑顔で私を起こした。窓の向こうには、純白の美しい王宮と庭園が見える。
なんて非現実的な現実感…。
私の異世界での二日目が始まった。
寝室の横にある客間には既に私の朝食が並べられており、食べ物はあまり地球と変わらない様で安心した。
パンにジャムらしきものを塗り、なんて美味しいパンだろう、と無心に頬張っていると、サハラが今後の予定を教えてくれた。
「第一王子?」
「ええ、トンプル宮は第一王子であらせられるラムダス王太子殿下のお住まいです。ですので、本日はこれよりご挨拶に伺うことになっております。」
なんと、この城は王太子の住んでいる所なのか。この城の広さからすれば、その気になればいつでも会いに行けそうだ。
異世界で人権を啓蒙した甲斐があった。
次期国王の庇護下に置かれたも同然なら我が身も一安心だ。
私は頭の中のガンジーと、互いの健闘を讃えあい、かたく握手を交わした。
王太子の執務室は最上階にあった。
ご機嫌を損なわない様にしなければ。何しろ相手は次期国王だし、私のこちらでの生活も彼の双肩に掛かっているのかも知れない、と緊張しつつ、私は中に通された。
「話は近衛隊長から聞いたよ。災難だったね。俺はラムダスという。ようこそトンプル宮へ。」
茶色の短髪に緑の瞳の、何となくヤンチャな雰囲気があるイケメンだった。どこか陰を感じさせるところがある低く、幾分投げやりな声も、良い声だと思った。
かっこいいなあ……なんてイイ感じな王子様だろう。
私は王太子の全身を舐める様に眺め―――――――――――――――――――絶句した。
王太子の両足には、鉄の枷がはめられていた。