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異界へは往復切符で  作者: 岡達 英茉
第五章 腕環
39/52

5ー7

体が揺さぶられていた。

混濁する意識の中、頬が叩かれる痛みで私は深い意識の底から浮上した。


「あなた、大丈夫?」


若い女性が私を覗き込んでいた。

起き上がろうとすると何故か手が上手く動かない。私は目を見開いて自分の周囲を見渡し、愕然とした。

私は薄暗く窓のない部屋にいた。粗い石組みの壁に簡素な扉が一つ。部屋の隅にはすすけた箪笥や机が並べられて、物置の様に思えた。

そして部屋には何故か皆アジア系の若い女性達ーーー全員で12人ーーーがいた。

私達は各々両手を縄で一つに縛られていた。


「…こ、ここは、どこ!?」


すると私を起こしてくれた女性が今にも泣きそうな顔で話し始めた。


「人売り連中のアジトよ。あいつら、私達を北方地方に売るつもりらしいわ。」


そんな!

人身売買が行われているのか。


「奴隷の様に扱われて、雪の国で人知れず死ぬなんて嫌!」


誰かがそう叫び、近くに座っていたまだ十代前半と見られる少女が嗚咽し始めた。

お母さん、助けて、としゃくりあげていた。


するとバン!と激しい音を立てて木の扉が開いた。


「わーわーうるせえ!こんな街外れの地下で騒いだって誰も助けに来ないって言っただろ!」


私達を威嚇する様に怒鳴り散らしたその男は、手に麻袋を持っており、そのまま袋の中身を私達の転がる床に放り投げた。

それは丸く焼かれたパンだった。


「ほら、食っとけよ。明日の朝に北に向けて出発するんだからな。しっかり食って、北の男どもに可愛がって貰いな。」


口の端を歪めて下品極まり無い台詞を吐くと、男は扉の向こうに消えて行った。扉が開いた隙に、扉向こうに上へと登る石の階段が見えた。確かに地下室らしい。

床に転がったパンに手を出す女達はいなかった。

私は一番気丈そうにしている隣に座る女性に聞いてみた。


「あの、本当に北に売られるなんて事あるんでしょうか…?私、この国に来たばかりで…」


「最近南からの移民女性の蒸発が多発しているとは聞いていたわ。…北方地方では南の民が珍しいから、重宝がられる、とも。」


すると更に数人の女性が咽び始めた。

一番年かさと思われる女性が、独り言の様にポツリと言った。


「昔はこんなじゃなかった。移民にも親切だったのに。王妃様が変わってから治安が悪くなったのよ。」


私は最後の一言を聞き逃さなかった。


「王妃様が?」


「傾国の王妃よ、あれは!第一王子様を閉じ込めて平気な顔をしているくらいだもの。南の女が自国内で売買されようと、気にしてくれるはず無いわ!」


泣いていた女性の一人がそう叫び、私は驚いた。王妃はそんな風に思われていたのか。


動物に与える餌のように床に転がるパンは、私達がこれからどんな扱いを受けるのかを暗示していた。手首に食い込む縄がそれに拍車をかけ、ゾッとした。さっきまで快適なトンプル宮にいたのに、なぜこんな事に…。

サハラや王太子に危害を与えるなんて出来ないが、自分が売り飛ばされるのも論外だ。

何とかしなければ、と思う私の目は左手の縄の下から僅かに顔を出す腕環にとまった。

今使わずにいつ使うのだ!

私は藁にも縋る思いで、手首を口元に寄せ、囁いた。


アレヴィアン…。


一瞬何も起こらず、私はまさかフルネームを唱えなければいけないのか、と絶望的な気持ちになった。大佐のフルネームは異常に長い為に、記憶の片隅にすら残っていなかった。

突然左手首が熱くなった。

腕環が熱を帯び、縄の隙間から輝きを放っている事が分かった。

次第に輝きは増し、青白い顔で泣いていた女性達が驚愕に目を丸くして私を見ていた。

目を開けていられないほどに輝いた後、突如として光が消え、同時に熱も無くなった。


これで術はちゃんと発動したのだろうか?

大佐は助けに来てくれるだろうか。


問うような眼差しで皆に見られ、私は彼女達を励ました。


「大丈夫、きっと助けが来るから、頑張りましょう。」


それは自分自身にも言っていた。




遠くから夕刻を告げる鐘の音が聴こえた。

私はじわじわと焦り始めた。

おかしい。

もうだいぶ時間がたったはずだ。助けが来る気配が無い。

もしや術が失敗していたのだろうか?

まさか大佐に見捨てられたのだろうか?

私は焦りから汗ばんでじっとりとしてきた手の平をこすり合わせて気を紛らわせた。


扉の外の階段を下る足音がしたと思うと、男が二人入ってきた。


「良いのが揃ったじゃないか。数も注文通りだな。あれなんか幼くて良い値がつきそうじゃないか。」


小太りの髭を生やしたその男は、最年少と見られる少女を顎で指し、笑った。その視線はつと私にとまった。


「なんだ。偉く身なりが良いのがいるな。…後で服も売るぞ。」


私の全身を悪寒が走った。

小太りの男はもう一人の男に、私達の身体検査をする様命じ、部屋を後にした。

残された男は最年少の少女を立たせると、服を脱がせようと手をかけ始め、悲痛な叫びを上げ少女はどうにか逃れようと暴れた。

目を背けたくなる光景に、他の女性達も悲鳴を上げた。

もう助けを待ってはいられない…。

服を脱がされるのも有り得ないが、ポケットに入っている茶色の小瓶を奪われる訳にはいかない!

私は叫んだ。


「その子を放して!…ねえ、この腕環見て!黄金なの。これ、あなたにあげるから、その若い子だけは見逃してあげて。」


震えそうになる声を抑え、私は手首を突き出した。男は私の必死の訴えに興味を抱いたのか、縄をよけて腕環を見た。

その目が見開かれる。

かなりの厚みと太さのあるそれが、純金製だという確信は無かったが、ウィンゼル王子がそう言っていたのに賭けた。


「本当に金か?なんでこんなもん持ってる。」


「ほ、本物よ、知り合いの近衛兵がくれたんだから。」


「近衛兵だと?俺を馬鹿にしてるのか?そんな奴とどうやって知り合えるんだよ。」


かえって信憑性に疑念を持たれたらしいが、その輝きと私の服を男は交互に見た。

男は唇を舐めると、私の縄を剣で切り始めた。私は剣を見て無意識にゴクリと喉を鳴らした。この男に少女を見逃すつもりなどない事は分かっていたが、何としても時間を稼ぎたかった。

縄が外れると男は腕環を抜こうと引っ張り始めたが、当然ながら抜けず、男は剣を床に置き両手を用いて腕環を抜こうとした。

私はその一瞬に渾身の勇気を振り絞り、空いていた右手で剣を拾うと、一切の手加減をせず、男の胸目掛けて突き立てたーーーやるしかない、これしかない、さもなければここにいる女性全員が売られてしまう…!

男は不意を突かれ、叫び声を上げながら体をかわしたが、胸から腹にかけて浅くは無い傷を負わせる事はできた。

私は顔を歪めて傷口を押さえる男に向かって更に剣を振り回し、扉の外へ追い立てると、扉を閉めて小さなかんぬきを下ろした。男が助けを呼びに階段を上がる音を聞きながら、私は急いで部屋にあった家具類を扉の前に並べ、心許ないかんぬきが壊された場合に備えた。

次いで女性達を拘束する縄も切った。


「開けろ!手間かけさせやがって…!」


扉の向こうから数人の男達の怒声がし、ドン、ドン、と扉が力任せに押され、やがてかんぬきが飛んだ。

パニックに陥る女性達に、私は扉の前に置かれた家具を押さえるのを手伝うよう頼んだ。

皆で恐怖におののきながら懸命に家具を押さえ、扉が開くのを阻止した。それはとても長い時間の様に思えた。痺れを切らした男達は工具を使い始め、間も無く扉が壊され、男達が家具をどけて乱入してきた。

女性達の悲鳴が上がり、男達の十人近いその人数に私は絶望した。

誰かがパニックのあまり、家具にランプの火をつけたらしく、狭い室内に火が上がった。煙で喉や目に痛みを感じつつも、火の手によって近所に異常事態を知らせられるかも知れない、と僅かに望みを抱いた。

私が傷を負わせた男は、血に染まった布で胸部を押さえながらこちらを物凄い形相で睨み、飛びかかってきた。


「兵隊だ!おい、兵隊が来たぞ!!」


上階からか、男の怒鳴り声が聞こえ、私達を取り押さえようとしていた小太りの男が怒鳴り返した。


「兵隊くらい追い払え!今こっちも忙しい…」


すると上ずった叫びが返された。


「お頭、た、単なる兵隊じゃない!あれは……近衛兵だ!!大変だ、近衛兵が来た!」


「何ボケた事言ってやがる!こんな所に近衛が来るはず…」


上階から叫び声と激しい物音が続いた。

驚いた男達の何人かが地下を飛び出し、見に行ったが、私が刺した男は残ったまま、恨みのこもった目付きで私の腕を掴み、むき身の剣を振り上げた。私は無我夢中で近くにあった木箱を男目掛けて投げ、顔面にそれをぶつけられた男は更に逆上した様子で私の服を掴んだ。

私は物凄い力で床に倒されると、馬乗りになった男が剣を振り上げたのを見たーーー殺される!!

私は固く目を閉じ、顔を背けた。


剣はいつまでも振り下ろされず、ふいに体の上にあった男の重い体重が消えた。


「お怪我は有りませんか!?」


掠れた声で私をカイが抱き起こしてくれるのと、私が恐る恐る目を開けたのはほぼ同時だった。

カイの左頬が腫れ上がっている事に私は一瞬驚いたが、すぐに安堵の余り涙が溢れた。


「もう大丈夫ですよ。他の男達も全員捕らえましたからね。…怖い思いをされたでしょう。遅くなってすみません。」


カイは私の背中を優しくさすってくれた。

男を剣で斬りつけた両手が今更震え、私は嗚咽しそうになる口元に押し付けてこらえようとした。

恐る恐る視線をずらすと、さっきまで私に馬乗りになっていた男が床に転がり、その背中から大佐が剣を脱いていた。

大佐は鋭利な刃物の様な目を私に向けた。


「釈明を聞かせて貰おうか。」








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[気になる点] その背中から大佐が剣を脱いていた。 →抜いていた
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