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異界へは往復切符で  作者: 岡達 英茉
第五章 腕環
37/52

5ー5

サハラは私を一度起こしに部屋まで来た後、買い物をしに街へ出かけたらしい。

他の侍女達に聞いても、サハラがその後街から戻ったのかが、分からなかった。

どうしたのだろう。買い物が長くかかっているのだろうか。私はトンプル宮の外へは出ずにサハラを待った。


3時のお茶の時間になってもサハラは姿を現さず、行き場の無い不安と緊張感が私の胸中を渦巻いた。トンプル宮の人々もさすがにこれはおかしい、と騒ぎ始めた。数人の侍女達が街へサハラを捜しに行き、心当たりを回ったが、見つからなかった。


どこかへ行く時は、声を掛けてーーー私にそう言ったサハラが、皮肉にも今私を心配させていた。


サハラが帰って来たらすぐに分かる様に、私は一階の応接室とホールを徘徊していた。

私はカイにも街に行ってサハラがいないか見てきてくれないか頼んでみた。


「エリ様のお気持ちはわかります。ですが…」


あくまで私の警護を命じられているカイは私の希望に難色を示した。


「俺からも頼む。サハラはもう10年以上ここに仕えてくれているんだ。」


私達が応接室で押し問答をしていると、王太子がやってきて私に加勢した。カイは逡巡していたが、私と王太子の懇願を聞き入れ、結局街へ行ってくれた。

カイが出て行くと王太子はソファに深く座り押し黙った。

気まずい空気が辺りに満ち、応接室から逃げ出そうかと迷っていると、王太子が低い声で呟いた。


「昨夜はすまなかった。」


人生でこれ程記憶喪失になりたいと切に思った事は無い。私と目が合うと王太子は続けた。


「以前も言ったが…、俺は無理強いするつもりは無いんだ。その、自分でも分かっているんだが、俺は少々突っ走るところがあるんだ。」


私は黙って聞いていた。

この王太子とあのメルティニア王女が一緒になった時の突っ走りの相乗効果が今から恐ろしい。


「あれからずっと夜通し考えていた。エリをこの国に留める事は、俺がこの宮に押し込められている事と同じなんじゃないか?」


私は考えてもいなかった事を言われて、どう捉えるべきか判断に苦しんだ。

ソファの肘掛に肘を付き、手の平に顎を沈めた王太子の両眼はよく見れば充血していた。まさかサハラを案じて泣いた訳では無いだろう。本当に夜を越えて懊悩していたのだろうか。


「エリは帰りたがっていたよな?だが俺達の都合でにべも無くこの国に居させられている。これじゃ俺の幽閉と変わらない気がするんだ。…それなら、…俺はエリに同じ事をするのは耐えられない。……やっぱり、ケインに帰して貰うのがエリにとって最良なんじゃないか?」


私は心臓を鷲掴みにされた気分で、改めて目の前の王太子を見た。

どうしてそんな風に。

なぜ、王太子は我儘な悪役に徹してくれないのだろう?

いっそ私の愛想を尽かせさせてくれたら、どんなに楽か。

私の為に煩悶して窪んだ瞳をこちらに向けないで欲しい。それでいてその緑の色は、どこか許しを求める様な純粋な少年の心根を想起させた。


「私も、困っているんです。以前とはもう何もかも違ってしまって、物事が簡単じゃなくなったんです。」


王太子は手の平から顔を離して私を真っ直ぐに見つめた。


「俺はこの国に、世界に誇りを持っている。もっと、もっとエリにここを知って欲しい。見せたい場所がたくさんあるんだ。……イルドアで1番高いクルプ山脈が雲海を下して紺碧の空にそびえる景色や、南海地域の絹の様に白く滑らかな海岸と澄み渡る海や、北方地方の夜空に舞う神秘的な光…。初夏の花祭りも壮観だ。国中が匂い立つ色鮮やかな花々で彩られる。」


私は王太子の口から繰り出されるまだ見ぬそれらの光景を想像し、瞬きした。きっとそれらは美しい。地球にも似た綺麗な場所はあるかも知れないけれど。


「だが、全部俺の一方的な願望だ。何を見て、どこに根を下ろすかはエリが決める事だ。無理矢理この世界に連れて来られた事を、俺は軽視しすぎていた。」


私の頭の中を大佐の台詞がこだました。

王太子は何の咎無く幽閉されている、と。


「…こんな理不尽な境遇で、どうしてそんなに優しいんですか…。」


王太子は不思議そうに目をしばたいた。

私はこれ以上王太子にこの場で答える術を知らなかった。一番悩んでいるのは誰あろう私だ。そしてその主要な根源は目の前の王太子なのだ。

ひたと注がれる視線から逃げる様に私は言った。


「私もサハラを捜してきます。」


言うなり応接室を飛び出し、そのままトンプル宮の外へ出た。トンプル宮にいたくなかった。



私は王宮にもしやサハラがいる可能性も考えて、念の為王宮を見て回る事にした。

いつも私が図書室に行く道を、サハラのおかっぱ姿を求めて歩いた。

図書室の中では閲覧スペースまでくまなく歩いたが、やはりサハラはそんな所にはいなかった。諦めて引き返そうとした時、私に一人の男が近付いて来た。


何だろう。

記憶の片隅に見覚えがある人物だったが、直ぐには思い出せなかった。

黒っぽい服を着た色の白い、ノッペリとした顔のその男は、長い銀髪をまとめる事無く垂らし、妙に抑揚のない声色で口を開いた。


「エリ様。我が主からの伝言です。術が完成しました。私と今から主の館にいらして下さい。主が待っております。」


口の中が乾いていった。

思い出した。

この男は私がケインによって王宮の地下倉庫に召喚された時に、ケインと共にいた男に間違いなかった。

男は薄ら笑いを浮かべたまま、無言で私に右手を差し出した。手の上には小さな指環が乗っていた。

一瞬私にくれるつもりなのか、という下らない考えが頭をよぎった。しかし、意味するところに気付いてしまうと全身に戦慄が走った。

その小さな指環の持ち主はサハラだった。


「彼女の身の安全はひとえに貴方の行動にかかっています。大人しく私といらして下されば何も悪い様にはいたしませんよ。」


私はカイと離れてしまっていた事を心から悔やんだ。明るいが静まりかえった図書室には私達の他は誰もいなかった。

男は拳を軽く握り、指環を手の平に収めるともう片方の腕を私の背に回し、進む様促した。サハラの命は指環と同様に、彼等の手中にあるのだろうか。


ついて行きたくない。

しかし行かなければサハラが危害を加えられるかも知れない。

急な展開にどう対処すれば良いのか分からず、頭の中は妙に現実感が無くふわふわと宙を漂う感覚の中に有り、一方では体は制御の外にあり、私は鉛の様に重い足取りで男と歩いていた。


王宮の建物の外に待機していた馬車に乗せられ、私は男と城門の外へ出た。

城門を出て、太く真っ直ぐな下り道を進み、街にほど近い一角で馬車は止まった。男に引かれ馬車を降りると、目の前には暗い色調の立派な館が建っていた。

庭には花一つ咲いておらず、物音一つしない建物からは陰気な気配が漂っていた。

私は男の先導でその館の中に恐る恐る足を踏み入れた。



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