5ー4
トンプル宮に戻るとサハラが廊下を走ってきた。
「どちらに行かれてたんですか!ずっと戻られないから、心配で…。」
私の顔を見て胸を撫で下ろしたサハラに、私は心から詫びた。メルティニア王女を説き伏せていたら予想以上に遅くなってしまったのだ。
サハラは私が反省しているのが分かると、ポツリと言った。
「…どこかへ行かれる際は必ず私にお声を掛けて下さいね。」
その夜、ベッドに入ると大きな溜め息が出た。
大変な一日だった。
早朝に出発して馬車で長い時間揺られる旅の後には、ロミオに焦がれる自分に酔いしれて、我を忘れたジュリエットを説得するという、大仕事が待っていたのだから。
速くも睡魔に身を預けた私は、寝室のドアが開けられた音を聞いた。
サハラだろうか。
ガシャン、ガシャン、ガシャン…
私はサハラでは決して有り得ぬ金属音に飛び起きた。
「殿下、何の御用で!?」
既視感のある光景に嫌な予感がした。部屋着に着替えた王太子はベッドの横に立つと、言った。
「なんだ、もう寝てるのか。……ところで俺に何かいう事は無いのか?」
私は疲れていたし、万事うまく運んだので王女と別れてからは王太子に何も報告をしなかった。私は眠い目を擦り、枕の上に座った。
「メルティニア王女様は、殿下のご尊顔をご覧になれて至極お喜びでしたよ。腕環もお気に召されて、素敵なダメ押しでした。……結婚が待てないくらい殿下に夢中なご様子で。」
さすがに王女の名誉を重んじて、彼女が身を捧げようと突っ走った事は言わないでおいた。
「そんな事は見ていれば分かった。」
私が報告し終えると王太子は不満そうにこちらを見て言った。
では何を聞きたいのか。分からない。私は頭を捻った。
あっ、と私は呟いた。
「タラントのお話が聞きたいんですね?……私、眠いんですけど…」
更に強烈な既視感が私を襲う。
「それは明日にしてくれ。」
沈黙が部屋を支配した。
じゃあ何を聞きに来たというのか。
私が重たい瞼をどうにか開いて王太子に向けていると、彼は拗ねた様に吐き捨てた。
「今日は俺の…」
「あ、ああ~っ、お、お誕生日おめでとうございますっ殿下!!」
どうにか思い出し、眠気をおして笑顔を見せてみた。
「そうか。ちゃんと知っていてくれた様で何よりだ。で、何か貰えるのか?」
「……。王女様は、直に会って何も差し上げられない事を大層悔しがっておいででした。」
「そうか。それで直に会えるエリは俺に何をくれる?」
「そうだ!タラントのお土産があります。」
「土産を都合良く祝いに使うな。」
ばれたか。何か適当な物はないか考えていると、王太子はひらりとベッドの上に飛び乗ってきた。
随分身軽な事だ。この足枷は何か意味があるのだろうか。
「何も無いならこれで良いぞ。」
言うなり王太子は私の体を反転させ、ベッドに組み敷いた。
「殿下っ!やめ…」
唇が押し付けられ、あっという間に王太子の舌が押し入ってきた。
既に何度この王太子にキスをされたか分からなくなっていたが、明らかに今までより状況がまずかった。
ふざけているだけだと思いたいが、王太子の体は重く、力一杯押し返してもビクともしない。ぬるぬると口の中を這う王太子の舌を振り払う様に顔を左右に振ると、やっと唇が解放された。
「こ、婚約者に会った夜に、なさる事じゃないでしょう!…しかも、これで良いって、失礼にも程がありますから!」
「じゃあ、これが良い。」
開き直った王太子はジタバタする私の両手を片手で簡単にまとめてベッドに押し付けると、私の首筋に舌を滑らせ始めた。
私は庭園で大佐に見られた事を思い出し、ドキンと胸が苦しくなるのを感じた。
なんでこんな時に思い出すのだろう。
「殿下、メルティニア様が泣きますよ!ね、やめましょう!」
「俺は今エリを抱きたいんだ。」
うわ~、抱くつもりか!?
だから健康で若い上に強引な王太子など閉じ込めるべきじゃないんだ。普段の抑圧が暴走して始末に悪い。そこにいくら顔が平たくても女性を住まわせる危険性を誰も考えないのか。
突然王太子の動きが止まった。
私の手首を引くと、腕環をじっと見ていた。
「なんだこれ。新しく文字が加えられてるじゃないか。」
「あれ?そうですか?気付きませんでした。…なんて書いてあるんです?」
「残・29日。」
「…古代文字、やっぱり読めるんですね。」
「俺の教養を見くびってはいけないな。」
以前読めないと嘘をついた事は少しも悪びれないのか。開き直りもここまでくれば、あっぱれだ。
王太子は私の手を押さえたまま、私の表情を伺う様に見つめてきた。
「アレヴィアンと何があった?」
「何もありませんよ。」
王太子は微かに口の端を上げ、首を傾げた。緑色の二つの瞳が意地悪く細められた。
「急に瞬きが増えたぞ。何を隠してる?」
私が首を振ると、王太子はふん、まあ良い、と独りごちてから私の寝間着のスカートを捲り上げて、太腿に直に触り出した。
ヤバい、いつに無く本気モードだ。
絶体絶命の状況に私はひと芝居打ってみることにした。
「殿下っ!じ、実は私の国では清い体じゃないと結婚できないんです!こんな事されたら困ります!」
「それなら俺が責任取るから心配するな。イルドアでは王太子の地位なら側室は5人まで持てるんだ。」
爽やかに側室扱いしないでくれ。矛盾しているが、多少は傷付く。
耳元に口付けていた王太子に、熱い息を吹きかけられ、私はこう言うしかないと思った。
「分かりました分かりました!殿下の側室になりますっ!…だから、今は抑えて下さい。私の世界の常識では婚儀前に関係を持つなんて、有り得ないんで!正式に側室に認められるまで、嫌ですっ。耐えられない!ふ、不潔、不貞よ!」
後半はメルティニア王女の真似が混ざった。
「…日頃はキス程度では少しも動じない割に急に貞淑になるんだな。」
うっ、と私は返答に詰まった。けれど先ほど見たメルティニア王女の、恋に溢れた眼差しを精一杯真似て、王太子を見つめ返してみた。
王太子の瞳が揺れた。
「…本当に俺の側室になるんだな?」
「はいっ。殿下の側室に超なりたいっす!!」
恐ろしい沈黙。
「分かった。ならその時まで待ってやる。国に帰ったりするなよ?」
「はいっ。帰りません!」
私が馬鹿の一つ覚えの様にコクコク頷き素直に明るく答えると、王太子は納得してくれたのかやっと私の上をどいた。
そのままベッドを降りると、私の頬にそっと口付けた。いつもと違った優しいキスだった。
「怖がらせて悪かったな。…ケインの術が順調に進んでいると聞きかじって、焦った。エリの気持ちも考えずにすまなかった。今日は休め。」
おやすみ、と言うと王太子は部屋を出て行った。
扉が閉まると私は盛大に胸を撫で下ろした。
寝具を被ると、側室に名乗り上げたり、この世界に残る宣言をした事が咄嗟の嘘とは言え、少し気になったが、積もった疲労には抵抗出来ず、いつしか寝ていた。
サハラが私を起こしに来た。
私は寝たのが遅かった為に、まだ寝ていたい、と子どもの様に駄々をこね、視界の端に困った様に微笑むサハラを捉えながら、又眠りについてしまった。
再度目を覚ました時、窓の外はすっかり明るくなっていた。サハラがまだ起こしに来なかった事を不思議に思いつつ、私は着替えて廊下に出た。
毎日サハラが持ってくる筈の朝食が、来ない。昼近いからか。
私は廊下の隅にひっそり控えていたカイに尋ねた。
「サハラを見ませんでした?」
サハラが、いなくなった。




