5ー2
王宮へ戻る旅は、国王夫妻も一緒なので行きよりも何事も大掛かりだった。
私達は再び中継地点であるゴルビー公爵の屋敷に泊まった後、前回の倍は時間を要して出発した。
国王夫妻に付随して来た侍女や警備の為の人員が多く、彼等が動くのが大変なだけでなく、周辺地域の貴族がいちいち挨拶をするのだ。
馬車が動き始めると、唐突に扉が開き、メルティニア王女とラタが乗り込んで来た。
「な、何をなさってるんですか!?」
二人の乱入に仰天するサハラを、邪魔だとばかりに窓際にお尻で押し退けながらメルティニア王女は言った。
「南のお姉様!わたくし、お姉様にお願いがありますの。」
「私からもお願いがあります。王女様。降りて下さい。」
すると王女は狭い馬車内にキンキンと共鳴する黄色い叫びを上げた。
「まああああっ!!わたくしがこれほど意を決して飛び込んで来ましたのに。走る馬車からわたくしに、降りろだなんて。そんな事をすれば更に旅程が押してしまいますわ。」
狭い空間で仔犬にきゃんきゃん鳴かれる気分だった。私とサハラは鼓膜を庇って手の平を耳に押し付けた。
「分かりました。次の休憩所までですよ?もうちょっと静かに話して下さい。」
私はカナヤの王女と懇意にしているとの誤解を周囲から受けたくなかった。
ウィンゼル王子との婚約話を彼女が辞退した事と結び付けられて人に見られるのをおそれたからだ。
私の心配を察したのかラタが淡々と言った。
「ご安心下さい。メルティニア様はこういった事をしょっ中なさってますから。昨日も魔術の話を聞きたいと、王妃の弟君の馬車に乗り込まれたばかりです。」
ケインの馬車に!?
肝が据わっている。
「いやだその話はよして。あの宮廷魔導師、なんだか気持ち悪かったわ。それこそ飛び降りようかと思ったわ。」
そんな事より、と私の顔をしかと見つめると、白い陶磁器の手で私の両手を取り懇願してきた。
「わたくし、明日にはイルドアを発たねばなりませんの。今夜が王宮の最後の夜なのですわ。お姉様、どうかわたくしを王太子様と会わせて下さいませ!」
物凄い疲労が私を襲った。
息を整えてから語りかけた。
「以前大佐に止められたじゃないですか。それは…本当に無理なんです。…幽閉されているんですから」
「わたくしが行けば良い事でしょう?それに、お姉様は大事な事を一つお忘れですわ!」
私は思わずギクリとした。なんだろう?
大佐との取引を口外するとか言われたら困る…。
「今日は、王太子様のお誕生日ではありませんか!」
誕生日……そんな事、私が知るわけない…。
唖然とする横でサハラがああっ、と叫び口元を押さえて驚いていた。
主の誕生日を失念していた自分を恥じているらしい。
「そうだったんですか。ええっと、ではトンプル宮に帰ったら、姫様からのご祝福のお気持ちを伝えますね!」
何とか丸く収めようとするが、メルティニア王女は引き下がらなかった。
果ては王太子死亡説まで疑い始めたので、一応王太子に聞いてみるので保留にさせてくれ、とどうにか納得して貰った。
確かに王女にしても折角イルドアまで来て、現実的な新たな婚約話をフイにしたのだから、王太子を一目確認したいのは当然の心理としては理解できるが。
次の休憩地点で私は大佐に相談する事にした。私達は例のピクニック状態の昼食を野原でとっていた。
私は提供されたパンにかぶりつきながら、大佐の位置を目で追い続けた。
大佐は終始国王の近くにいた為、私は彼がその場から離れたその貴重な機会を逃すまい、と食べかけの、蜜柑に似た果物片手に慌てて大佐の後をつけた。
大佐は荷馬車の陰で忙しく仕事をする給仕係からパンを受け取ると、それを食べながら再び国王の所へ引き返し始めた。
まさか大佐の昼ご飯はそれで終わりなのか…。サラリーマンの立ち食い蕎麦より哀れなその姿に軽い同情を覚えつつ、私は彼が国王の下に辿り着く前に呼び止めた。
「大佐、ちょっとご相談したい事が。」
「どうした。」
既にパンを食べ終えていた大佐は私の手の中の果物を一瞥してから答えた。
いつもの様に何の表情も浮かんでいなかったが、私がメルティニア王女の申し出を伝えると、顔を曇らせた。
大佐は声をひそめて言った。
「王太子に聞くんだな。殿下が今度は判断すべきだ。交渉の対価的な希望の一つと考えれば無下に断るのは得策では無い。」
「会った事が知られれば王太子殿下が罰を受けたりしませんか?」
「どうかな。わからん。その前に、会う事自体が物理的に不可能だと思うが。今回は王太子に任せよう。」
大佐の一歩引いた態度を見て、私は大佐が王太子を試している様な気がした。
「わかりました。トンプル宮に戻ったら聞いてみます。ーーーあの、大佐のお昼はあれだけでおしまいなんですか?」
早くも国王の方へ行きかけていた大佐に尋ねてみた。
大佐は妙な質問を受けた、と怪訝な顔をしながら肯定した。
私よりずっと大きいのに、パン一つとは燃費が良過ぎやしないか。私は思わず手に持っていた果物を大佐に差し出していた。
「色々食べないとお体に悪いですよ。」
大佐が硬直している事に気付いた私は果物を急いで引っ込めた。蜜柑的な果物だから食べかけでも構わないかと思っていたが、どうやら引かれたらしい。
ちくりと胸が痛んだのを不思議に感じながら、私はその場を去ろうとした。
「いただこう。」
大佐はこちらに手を伸ばして、私の手の中から果物を取った。
私は自分でも恥ずかしいくらい満面の笑みで頷いていた。
「お前、近衛隊長と何を話していたの?」
自分の席に戻る前に突然数人の侍女達に取り囲まれた。王宮の侍女だろう。会話の内容を知られては困る私は全身に緊張が走った。
「あの方に取り入ろうなんて思わない事ね。陰で色目を使っていたのはお見通しよ。」
「そうよ。お前みたいな田舎者、アレヴィアン様が相手にすると思ったら大間違いよ。」
ああ、そっちか…!
良かった。
私は安堵のあまり口元が緩みそうになり、慌てて引き締めた。
何か適当な言い訳は無いか頭を巡らせていた矢先にカイがこちらへやって来た。近衛兵の登場に頬を赤らめた彼女達は、カイが私を迎えに来たのだと分かると、余計に私に怒りを抱いた様子だった。
痛いほどの視線を背中に浴びながら、私はサハラの下へ戻った。
王宮へ一行が帰り着いたのは日もすっかり落ちた時刻だった。馬車を降り、トンプル宮の方へ向かって歩き、その灰色の建物が視界にはいると私はやっと帰って来た、と感じた。この離宮にそんな感情を抱く日が来ようとは夢にも思わなかったのに。
池にかかる橋を渡り、何気なく建物を仰ぎ見ると、二階のバルコニーに王太子がいた。
王太子は私と目が合うと軽く手を振った。
私が釣られて笑い返すと、軽く頷いた。
私は離宮に入るなり、荷解きはサハラに任せて王太子に会いに行った。
バルコニーから建物の中に入ったところだった彼は、帰るなりやって来た私に驚いた。
「一目散にどうしたんだ。そんなに俺と離れて寂しかったのか!」
違う、と言おうとした言葉が出る前に、私は王太子に力強くハグされていた。
「俺は寂しかったぞ。お前のいない離宮は、まるで牢獄だった。」
あまり笑えない比喩に私が顔を引きつらせていると、王太子は私の両頬に手を当てたかと思うと、緑の瞳が異常な近さに迫って来た。
「待っ……っ!」
静止はあっさり無視され、王太子は何の遠慮も無く唇を奪って来た。あまりに濃厚に押し付けて来るので、勢いに押されて私の頭はガツンと後ろの壁にぶつかった。
「エリの唇は……柔らかい…」
唇を触れさせたままどこかうっとりとした調子でそう呟く王太子の艶っぽい声に、私は乗せられそうになる乙女心を必死に抑えて言った。
「…唇はみんな柔らかいですよ。」
一瞬王太子の動きが止まり、咎める様な目付きでひと睨みされたが、王太子は唇をそのまま私の頬に滑らせて耳の下を熱心に吸い始めた。
その感覚にひゃっ、と声を上げると王太子は非難がましく呟いた。
「なんだそのお子様な反応は。」
失礼な。私だってそれなりに経験は…って言ってる場合じゃなかった。
まだ私の首の上を吸っている王太子に、私はこの状況に最適な報告をした。
「殿下、庭園でメルティニア王女がお待ちなんです。」




