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異世界から来たのだから、それは違って当たり前だ、そう戯けて切り抜けるには、大佐の顔が真剣過ぎた。
「謁見の間で王妃に向かって毅然と主張したお前を見た時、私は長い悪夢から突然目が覚めた気がした。居並ぶ権力者に臆す事なく、前を見据える姿は美しかった。」
「あの時は、自分の命がかかっていたからです。火事場の馬鹿力というか。それに、主張する事ができたのは、大佐が言葉を教えてくれたからです。…その節は有難うございました。」
私は丁寧に頭を下げた。
やっとお礼が言えた。出されていた課題をようやく提出出来た気分だ。
頭を上げると大佐が私を眩しそうに見ていた。
「お前が例え明日にでもこの世界から消えてしまうとしても、私はお前を抱き締めてみたい。……王太子になど奪われる前に。」
頭の奥が眩暈を起こしそうなほど熱心な眼差しで大佐は私にそう語った。
王太子といい、この大佐といい、一体どうしてしまったのだろう。地球の女はこの世界の男を惹きつけるフェロモンか何かを知らない内に発したりしているんだろうか。
大佐の長い腕が伸びて来たと思うと、私は彼の腕の中にいた。
「他の男の為にお前が危険をおかしたり、健気に月光虫を捕らえる姿を見て、酷く惨めな思いがした。」
「私は、同じ事を王太子殿下にも言いました。帰る事がわかっている以上、お気持ちには答えられない、と」
私の背に回されている大佐の腕に、力が入った。
「それでも私は言う。エリ、私はお前に惹かれている。」
反則だ反則だ、ときつい腕の中から顔をあげようとした私の視界に、とんでもないものが目に入った。
「め、メルティニア王女!?」
顔を紅潮させて私と大佐を交互に睨む王女と、顔色一つ変えず何食わぬ顔でこちらを見ている侍女のラタがいた。
私は慌てて大佐を押し退けた。
ラタが鋭い声音で言った。
「メルティニア様をわざわざ湖に呼びたてておきながら、貴方はその女性と何をなさっているのですか?」
「いらしてましたか。…お気になさらず。これはついでですので。」
私は二人の会話に動揺した。
大佐とメルティニア王女は待ち合わせていたのか?しかも、今ついで扱いされたのは私か?
「わ、わたくしの運命の殿方が、南の民とデキていたなんて!」
白い手をブルブル震わせながら王女が叫んだ。
「貴方の運命の殿方はトンプル宮にいらっしゃいますよ。今日はその事で折り入ってお願いしたい事があり、来て頂きました。」
大佐はダブルブッキングという単語をご存知だろうか。
「ウィンゼル王子との御婚約を正式に辞退して頂けませんか。ラムダス王太子殿下の御為に。」
大佐の発言に私ばかりでなく、王女達も驚いた。何故そんな事を大佐が望むのか。
ほどなく王女がやや焦点のズレた返答をした。
「今更無理よ!わたくし、運命の殿方はイルドアの英雄軍人だとお父様に言ってしまったもの!王太子様がお許し下さらないわ、こんな不貞なわたくしの事を!」
私は不潔!不貞!と叫ぶ白い潔癖王女に、教えてやりたい気持ちをどうにか抑えた。
安心して欲しい、王太子はもっと不貞だから、気にしないだろう、と。
代わりに別の切り口で王女を宥めた。
「王女様、王太子殿下は貴方がウィンゼル王子と婚約するかも知れないと知ってとても傷付いてましたよ。」
「本当に…?」
そこへラタが口を挟んだ。
「メルティニア様。問題はそこではありません。王太子殿下はいつまで幽閉に甘んじておられるおつもりなのでしょう。このままではメルティニア様も王太子殿下との結婚どころではありません。」
「次期国王になるのはラムダス殿下です。私が保証しましょう。私は王太子派です。」
大佐が王太子の味方だなんて思った事も無かった私は、目を剥いた。ラタが疑問を口にした。
「南の大戦で陛下の覚えもめでたい貴方が、なぜ王太子派なのです?」
「ウィンゼル王子は国王に相応しくありません。それにーーー万難排してメルティニア様をイルドア国王妃としてラムダス殿下のお隣に迎える事が出来た暁には、お二人にはきっと重用して頂けると確信しておりますので。」
目を白黒させているだけの王女に代わり、ラタが続けた。
「もう王太子殿下の事は充分待ちましたわ。どんな奇策をお持ちなのか分かりませんけれど、貴方を信じていつまで待てと?メルティニア様の唯一の取り柄である若さを失ってしまいます。」
メルティニア王女はラタの訴えに同調して何度も頷いた。謙虚なのか、単に馬鹿なのか。
「もうまもなくウィンゼル殿下派は発言権を失うでしょう。賽は投げられたのですから。」
「賽は投げられた……わたくしにはそうは見え無いのですけれど。」
戸惑う王女に対して大佐は私の肩に手を乗せながら言った。
「今、目の前に御覧頂けております。」
頼りなく揺れる王女の視線が私に投げられた。
咄嗟に私は声を上げていた。
「えっ、私の事?!」
どうやら私は投げられた賽だったらしい。
引き返して行く王女達を見ながら、私は順序だてて大佐への質問事項を頭の中で整理した。まず、落ち着こう。
「ちょっとお聞きしたい事が。」
「安心しろ。ウィンゼル殿下とあの王女は合わない。ラムダス殿下は優しいがウィンゼル殿下は頭の悪い女が嫌いだ。あの王女がそれを理解せずとも侍女には分かっているだろう。」
私はこの説得が上手く行ったかには今は関心が無い。メルティニア王女とウィンゼル王子の相性なんて考えた事も無い。
「あのー、私は王女との待ち合わせのついでに、誘われたんでしょーか?」
「どうした、発音がおかしいぞ。でしょうか。」
「……誘われたんでしょうか!」
「本気にするな。仮にも隣国の長姫に交渉を持ちかけたんだ。あちらがついでだと言えるか?それにタラントでの私の自由時間は今日昼までのみだ。単独で接触をはかれる時間が無かった。何より、トンプル宮に住むお前と浅からぬ仲だと見せる方が、王太子派だという説得力を持つ。」
今何気無く凄い事を言わなかったか?
私は衝撃的な発言に後頭部をど突かれた気分になりながら尋ねた。
「えっと、つまり、さっきまでの、抱き締めたい云々は、メルティニア王女に見せつける為の小芝居だったと?」
「それは心外だ。私は己の目的の為に女性の気持ちを弄ぶ様な人間ではない。」
それこそどうだか分かったものじゃない。危うく花嫁に逃げられた過去に同情するところだった。
「あと、私はいつ、サイコロになったのでしょうか?」
大佐は辺りを見まわし、ここでは話せない、と呟くとボート乗り場へ向かって行った。
微妙に険悪なムードが漂う二人でボートなんて乗るものではないが、有無を言わさぬ大佐のテキパキとした動きに逆らえず、とりあえず私は同乗した。
競艇が趣味なのかと疑うスピードで大佐は岸からボートを漕ぐと、湖のど真ん中まで行き、魚の耳だけを心配すれば良い状況になってからやっと話し始めた。
「あの日ーーーケインがお前を召喚した日、もう一つ普段とは違う事が起きていた。王太子が風邪をこじらせ、王宮の医務室にいた。」
そう言えば私が初めて王太子に会った日、彼はそんな事を言っていたっけ。私はあの時は気にも留めていなったが、確かに王太子がトンプル宮を出ているという事態は稀だと、今なら分かる。
「トンプル宮の医務室では手に負えないほど具合が悪くなる事など、そうある事ではない。前回は二年以上前だった。加えてケインは最近怪しい動きを見せていた。あの夜、城を守る宮廷魔導師の夜勤は本来、ケインではなかった。王太子の医務室入りの後に配置が変えられて、ケインが当直になったのだ。そこへお前が召喚された。偶然とは考えにくい。」
大佐は私を置いて逃げたケインの行動から、私が何かケインの意図しなかった結果によって召喚されたのは確かだろう、と言った。
しかし、ケインがウィンゼル王子の外戚として、王太子を邪魔だと思っているのは間違いない、と。
「ケインは動き出している。年齢的に王子達もこれ以上待てない。次に王太子がトンプル宮を出るか、ケインが大きな術を使う時、政局が動く。」
それはいつだろう。
大きな術といえば、私を地球に戻す術だろうか。ケインはだいたい術を完成させている。そう先の事ではない。
私は何とも泥臭い陰謀の引き金みたいな存在だったらしい。
「王太子殿下に勝ち目はあるんですか?王太子派って少数なのではないですか?」
「その通りだ。だが、最大の目的は前王妃の汚名を雪ぐ事だ。長きに渡る冤罪が判明すれば、どこからも文句は言わせない。」




