4ー8
私は生じた疑問をカイにぶつけた。
「大佐は男色の趣向があって、女性に興味が無い人なんですよね?そんな噂を聞いたのですが。」
するとカイはミルクチョコレートみたいな色をした茶の優しい瞳を大きく見開いた。次に発せられた声は驚きで掠れていた。
「どこでそんな噂が!?少なくとも私は聞いた事がありません。」
そうなのか。
噂なんてアテにならないものだ。真実はどちらなのだろう。
普通に女性が好きだとしてもなんで私なんだろう。思い当たるフシがない。
日本人は外国人にモテるって言うあれだろうか。
翌日大佐は軍服姿で私を迎えに来た。
なぜその格好なんだ…と疑問に感じつつ私は徒歩で大佐と街を歩いた。
大佐には屋台で飲み食いするという文化がないのか、若しくはそんな発想自体浮かばないのか、昨日のカイやサハラとは対象的に屋台が並ぶ広場をほとんど素通りしようとしていた。
これでは折角の祭りが勿体無い。
私はアーチェリーの屋台を見つけると、そちらへ向かった。前回カイ達と来た時にカイがやった、番号札を矢で射るゲームである。
「カイは格好良かったんですよ。狙った札を全部倒す事ができたんです。」
私が笑顔でそう報告すると大佐は顔をしかめた。
「カイはどの札を射たのだ?」
カイは真ん中から後ろにかけて並べられた札を射ていた。上級者向けの札といったところだろう。そう教えると大佐は言った。
「では私は最後列の札を全て狙おう。」
やるつもりらしい。
しかも最上級者向けの札を目標にするという宣言まで付けて。
部下に突然敵対心を燃やし始めた大佐は店主から弓矢を受け取ると、やたら鋭い目つきで弓矢を構えた。
…これ、ゲームなんだけどな。
大佐の燃える瞳から窺える本気度はかなりのものだった。射られた矢は高速過ぎて目に留まらなかった。立て続けに放たれた五発の矢は全て見事に的に命中していた。
なぜか同一の札に。
一発目の矢が倒した札の側面に残りの四発が刺さっていた。卓越した技術は称賛したいが、ルールを度外視している。これでは景品は一つしか貰えないだろう。
未体験の展開に店主も言葉を失っていた。
念のため大佐に同じ札を狙った理由を尋ねてみた。
「的を五つも無駄にする事はない。それにこちらの方が難易度が上がって良い。それとも倒した的は狙ってはいけなかったのか?」
そんなルールはない。そもそも倒した札を射ようと誰も思いつかないからだ。
ふと気付くと私達はたくさんの人だかりに囲まれていた。
しまった。近衛兵の軍服が目を引くのだ。私は大佐に景品を選ばせるとさっさとその場を離れた。
私が大佐に屋台で飲み食いをした事があるのか聞いてみると、大佐はない、と首を振った。毎年春迎祭に何をしに来ているのだろう。そんな私の疑問を感じ取ったのか、大佐は言った。
「毎年国王陛下の警護で来ている。滞在は最終日だけだからな。機会がなかった。」
ここの地方には特産品にクルコという名の、アーモンドに似た木の実があった。屋台ではクルコに蜂蜜を絡めてローストし、茶色くカリカリとした食感の糖衣を施したお菓子が人気な様で、同じお菓子を売る屋台が其処彼処にあった。カイに買って貰った時に味を占めていた私は、またクルコの菓子を買おうと目を付けた屋台に並んだ。
順番が来て、私が支払おうとすると大佐がそれを止めた。
「私が買おう。」
もともと私が持っている現金は以前カイがくれたものなので、大佐に申し訳なく思いつつも買って貰った。この世界では私は生活に困りはしないが、あくまでも無収入の居候の身の上が辛かった。働いて稼いでいた立場に一度でもなると、自分で得たお金が無いのに日がな遊べて、人の世話になるというのが思いの外精神的にこたえた。
学生時代は全然気にならなかったのに、不思議なものだ。
袋一杯のクルコを手にすると、大佐は一粒口に放り込み、頷いた。どうやら気に入ったらしい。
私が物欲しげに眺めていると、大佐は袋の中から一粒取り、おもむろに私の口に押し込んで来た。
驚いて口からクルコを落としそうになりながら、私は落ち着け、と自らに命じた。よほど私が食い意地の張った顔をしたに違いない。平静を装い、フードプロセッサーも泣いて逃げる素ばやい咀嚼でクルコを口の中から始末してしまおうとしたが、自分の手に付いた糖を大佐が舐めるのを目撃し、私の頭から火が吹いた。
その指、さっき私の唇に当たってましたよね!?
私がびっくりして大佐を見ていると、大佐はそれに応じるかの様に、意地の悪い笑顔を浮かべた。
ーーーからかわれている。
…いつからそんなにお茶目になったんだ。
気恥かしさと、遊ばれた怒りがない交ぜになって顔を紅潮させていると、大佐が私の頭をポン、と軽く叩いた。
「カイの言う通りだな。お前はすぐに顔が赤くなる。」
カイはどうやら蟻の子一匹逃さない報告をしているらしい。
湖に着くまでの短い間に、大佐は私が今まで見た事がない様々な表情を見せた。それまで私の前にいた冷酷無慈悲の体現者はすっかり鳴りをひそめていた。
その無駄に綺麗な顔と良い声で微笑まれると、うっかり気持ちを持っていかれそうになるではないか。
小さな街を抜けると湖に出た。
涼しげな色をたたえた大きな湖の向こうには、緩やかな稜線を描く山々がそびえる。かつてここを根城にしていたイルドア王家にとって、この地は山と湖に囲まれた天然の要塞を持つ絶好の場所だったのだろう。
湖畔にはいくつかの団体が遊びに来ている様で、草地の上に布を広げて軽食を楽しんでいた。桟橋からは白く大きなボートが漕ぎ出され、中ほどに座る、水色のドレスを着た若い女性が黄色い声を上げてはしゃいでいた。ーーー遠目に見覚えがある、と目を凝らすとユリバラ王女だった。
私は大佐といるところを王女に見られる事を恐れた。王宮内に無駄に敵は増やすべきではない。
どこか隠れられる所はないか、とまばらな木立に視線を走らせていると、大佐が私の肩に手を掛け、私は彼に向き合う様に動かされた。
「ケインの研究は進んでいるのか?」
「はい。どうなる事かと思ってましたけれど、私が側にいると異世界とこちらをつなげやすいとケインさんが驚いてました。」
ケインは前に何週間もグラコ神殿に籠り、異世界とつながるごく小さな空間をたった一度だけ開ける事が出来、その時に古代エジプトのパピルスを持ち帰る事ができたのだ。一人ではそれが精一杯だったらしい。
「私がいると術に与える影響が随分違うらしいです。やはり私はこの世界では異質なのかもしれません。」
「…そうだな。お前は他の者とは随分違う。不思議な女だ。」
感慨深気にそう言うと大佐は私の髪に触れてきた。
「美しい髪だ。」
私は大佐の変貌ぶりもさることながら、湖に集う人々の視線を集めている事が気になって仕方が無かった。
大佐の手から逃れたい一心で、私は敢えて大胆な変化球を投げた。
「あのー、大佐は女性に興味が無いと聞いていたのですが?」
「…真相を確かめたいか?」
大佐は言うなり私の額に口づけた。柔らかい感触がさっと額に当たり、離れると今度は私の唇目掛けて近いてきた。
「あああ!ユリバラ王女が、み、湖に落ちそうですっ!」
「それがどうした。」
大佐の注意をそらせようとした私の露骨な作戦に気分を害した大佐が、じろりと私を睨んだ。
「無駄な抵抗はよせ。」
そんなに凄んでキスをねだらないで欲しい。もういっそ、以前の様に、気が散って目障りだから消えろと言われる方が気が楽だ。
私の困惑ぶりに気付いた大佐は深く溜息をつくと、体を離した。
「…本当はお前が私の寝室に空間を割いて落ちて来た事くらい承知している。」
私はえっ、と間抜けな声を上げた。
「ケインと来た時点で大方奴の術に付き合った結果だろうと察しは付いた。…私もそこまで愚かではない。」
なんだ、じゃあなぜ…。
大佐は自嘲気味に笑った。
「……私は23歳の時に結婚式当日に花嫁に逃げられたんだ。逃げた相手の男は私の弟だった。」
私が驚いて言葉を失うと、ふい、と逸らされた目線はどこか傷付いて見えた。
「愛していた女と大事な弟の両者を失い、以来私は女を信用出来なくなった。長く女に興味が持てなかったのは本当だ。」
「すみません、余計な事を聞いて…。」
大佐は私に向き直った。
「近づいて来る女達が煩わしく、冷たくあしらう方が私には合っていた。」
只でさえ道端を数メートル歩くだけで女性がフラフラついて来そうな容姿をしているのだから、尚更大佐は女性に有り難みを感じないのかもしれない。
「愚か者を演じてでもお前を湖に誘いたかったのは、こうして私の気持ちをきちんと伝えたかったからだ。お前は他のどの女とも違う、と。」




