4ー6
翌日私は朝からサハラとカイの三人で街の散策に出掛けた。
タラントの街自体は決して大きくなかったが、観光地らしく土産屋がたくさんあり、散策に飽きなかった。春迎祭初日なので、まだまだ人の出はさほどではないものの、気を緩めるとサハラ達とはぐれそうだった。
街の広場には既に屋台がたくさん出ていて、私達はカイの奢りでこの地方独特の飲み物やお菓子をつまんで歩いた。
「的当てがあります!」
サハラが興奮して声を上げた先には、アーチェリーゲームに似た屋台が出ていた。小ぶりの木製の弓矢で番号札を射て、番号に応じた賞品を貰えるというものだ。
私はふと思いついてカイにもやらないか提案してみた。
「そうですわ!近衛兵の腕前をぜひ披露して下さい!」
サハラと私の猛アタックに根負けしたのか、カイはお金を支払い、弓を構えた。
ばしゅっ、と矢が弾かれる音と共に次々番号札が倒れていき、周囲の客が驚いてカイを見ていた。カイは一つも矢を外す事なく札を射抜き、景品を私達に選ばせてくれたので、サハラと私は大喜びだった。
屋台を見て歩くのは、日本の祭で友達と遊ぶのと同じで、心踊る体験だった。
再びケインとカイの三人で神殿へ行ったのは昼近くだった。
ケインが漆黒の穴から持ち出したのは今回は雑誌だった。
『新社会人サチの着回し一ヶ月』
と書かれたシワ一つ無いツヤツヤの紙の表紙。そこでは私も知っている有名モデルがパステルブルーのアンサンブルを着てポーズを取り、眩しい笑顔を向けていた。私も良く読んだファッション誌ではないか。
発売日を見るとごく最近であった。私は上ずった声を上げた。
「これは私の国の雑誌です。日にちも近いはずです!」
ケインは遂にこちらとつなぐあちらの世界の位置軸と時間軸を定める事が出来た。
しかしながら、こちらから何か送ろうとすると、ケインが穴の中にそれを離した途端、ズレが生じてしまう事が分かり、まだ検討が必要だとケインは言った。
「差し当たって僕らは人体移動術を練習しなくてはいけない。」
ケインが言うには異空間とこちらをつなぐ術と違い、単純に近距離の地点と地点をつなぐ移動術は決して難しくは無いらしい。しかし人体で行うのは一般に禁じられている為に、練習をしておきたいのだという。
「心配いらないよ。召喚はやったことがある。ただ、こちらから送るのは未経験でね。近距離で練習しておかないと。」
「…あの、召喚は何回やった事あるんですか?」
「一回だけだけど。成功したから多分大丈夫だと思うよ。うん。」
多分?
大丈夫?
思うよ?
なんとも心強い言い回しではないか。
そしてその一度ポッキリの経験も、私をこの世界に召喚した時の事だと推測される。
私が信用ならない目つきでケインを睨むと、彼は術の安全性について切々と訴え始めた。
「物も人体も移動術を施す上では何も変わらないよ。昔は違法じゃなかったしね。犯罪に使ったり、悪用者が増えたから人体を対象にするのが今は禁じられているだけなんだよ。」
彼レベルの宮廷魔導師ともなれば、この神殿からタラント城の空間をつなぐ事など造作も無いのだと言う。
私はならば、とケインの説得に応じた。
「今からタラント城の中にある、君の部屋に君を送るよ。」
そう告げるとケインは例の闇の穴を神殿に開き、私の腕を掴んだ。私はケインによってジリジリと穴に向け押されていき、闇に全身を包まれる瞬間あまりの緊張に目を硬く閉じた。
突然私の体は正面に向かって重力を感じ、引っ張られる様に顔面から何かに衝突した。
重力の方向が変わるなんて聞いていない。
強打した事で私の低い鼻が更に低くなったのではないか、と切実な心配にかられて鼻を手で確認した。
視界の先には真っ白なシーツ。
どうやら寝台の上に落ちたらしい。机やタンスの上でなくて幸いだ。偶然の可能性もあるがケインの配慮もなかなかのものだ。
あれっ、と私はおかしな事に気付いた。
何だか部屋の様子が違うのだ。
昼間なのにカーテンがなぜか閉められていて暗く、良く見えないが見覚えの無い家具があるではないか。
私は這いつくばっていた寝台から体を起こしながら、視線を反対側に投げ、口から心臓が飛び出るかと思った。
驚愕に見開かれた灰色の双眸がこちらを凝視していた。
私が這いつくばっている隣に大佐が寝ていた。
どうして私の部屋に大佐が!?ーーーいや違う、どうして大佐の部屋に私が!?
頭の中でケインに説明を求めるが彼はここにいない。
大佐が音も無く上半身を起こした。上半身裸で寝るのが習慣なのか、露わになった大佐の体の近さに、私は寝台の上を後ずさり、背中から床に転げ落ちた。その拍子に床にしたたかに後頭部を打った私は、できればこのまま気絶してしまいたかったが、人間そこまでヤワでは無いらしい。
大佐がひらりと寝台から降り、起き上がろうとする私を助け起こそうと右手を伸ばしてきた。
「ここで何を…」
「すみませんごめんなさい許して下さい!!」
私は素早く体を反転させ、差し出された手に背を向けて扉に向かって突進し、震える両手でドアノブを扉からむしり取る勢いで開けると、脱兎の如く部屋を飛び出した。
そのまま猪突猛進に突き進み、突然空間から浮かび上がった手に二の腕を掴まれ、ぐいっと引かれたかと思うと神殿の石の床の上に倒れ込んでいた。
私をオロオロ見下ろすケインの顔をみとめるや否や、私は叫んでいた。
「どこが多分大丈夫なんですか!!身も凍る恐怖を味わいましたよ!どういう事ですか、これは!」
「す、すまない。だ、誰か術者が城にいたみたいだ…。君を離す瞬間に僕より強い思念波に引きずられて、着地点に微妙なズレが生じてしまった。」
微妙で済むか、と私は息巻いた。
「思念波ってなんです!?あなた希代の宮廷魔導師なんでしょう!?」
ケインが縮こまりながら説明した。
「つ、つまり城の中で君の事を強く考えていた誰かに君を引っ張られて、術の最後がうまくいかなかったんだ。術者だと思うんだけど、誰か側にいなかったかい?」
私は床から助け起こしてくれたカイを見て言った。
「大佐はなんでこんな時間に寝てるんですか?」
「こ、近衛隊長がいたのかい!?なんで彼が…君の事を。」
うざったいほど狼狽するケインに苛立ちながら、視線をカイに戻すと彼もなぜか茫然自失としていた。人格を疑うほど厳格な上官が昼間から寝ていた事を知って放心状態になったのだろうか。やっと私の視線に気付いたのか、カイは答えた。
「隊長は昨夜当直をされてましたので、仮眠をとられていたのでしょう。」
なんとステキな情報だ。私は当直明けでお疲れの大佐の安眠を妨害したらしい。私は恨みのこもった眼差しをケインに向けた。
「次は男風呂やオーブンの上にでも送られたらたまりません。もっと術の精度が上がるまで、練習台になる気はありませんから。弟子なり身内なりに協力を仰いでやって下さい。」
それと。
私は腕を胸の前で組み、ケインの前で仁王立ちになって言った。
「城に戻って、私を大佐の部屋まで案内して、事の顛末をきちんと大佐に説明して下さい。」
ケインは目を泳がせながら数回頷いた。
とにかく大佐にこの状況を説明しなければ。
私は事態を更に複雑にする事になるとは夢にも思わずに、二人と神殿を後にした。




