4ー3
私達一行は旅程の途中で一泊する事になっており、夕方には宿泊予定のゴルビー公爵の屋敷に着いた。
毎年春迎祭に参加する王族が滞在するというだけあって、私達はその瀟洒な館の中に手際良く迎えられた。
ゴルビー公爵は初老の恰幅の良い人で、穏やかな物腰と澄んだ青い瞳が印象的だった。
私達は公爵邸で夕食を振舞って貰うと、その後館で行なわれる公爵主催の、付近の領主達が集う夜会に誘われた。王女達は参加する様であったが、私は夜会に慣れていないので辞退する事にした。
入浴を済ませ、サハラと広い屋敷の中を散策していると私はゴルビー公爵に声をかけられた。
「食堂ではエリさんとお話できず残念でした。」
にこやかにそう言う公爵に、私も笑顔で同調した。食事の時はお互い席が遠かった為、簡単な自己紹介くらいしかできなかった。
「エリさんはトンプル宮に滞在されているとか…。」
私はなんだろう、と思いながら頷いた。公爵はいま一歩私に近づくと、声の音量を小さくして、けれども真剣な眼差しで言った。
「王太子殿下はお健やかにお過ごしでしょうか。」
「はい。お元気ですよ。離宮からは出られませんが。良く話し相手になってもらってます。」
それを聞くと公爵はそうですか、と呟きながらほぅっと息を吐き、窓から見える庭先に目を向けた。
「殿下は毎年ここを訪れた際には我が家の池の月光虫をご覧になっていました。」
「月光虫ですか?」
「この地域固有の夜行性の光る昆虫です。…池のほとりで、虫達が光るのを夜空に瞬く星々のようだ、と仰っていました。」
蛍に似た昆虫の事だろうか。
私は少年の王太子がここにいたと想像すると不思議な気持ちになった。
公爵は窓の外を見るでもなく見つめ、まるで独り言の様に囁いた。
「まだ心を病んでらっしゃらなかった先の王妃様と、お二人で侍女達に止められるまで池の側ではしゃいでらしたのが、昨日の事の様に思い出されます。」
公爵は私が自分をじっと見ているのに気付くと、恥ずかしそうに首を振った。
「…老人の昔話で貴方を困らせてしまったかな。早く、殿下が再び月光虫をご覧にいらっしゃる事が出来る日が来ると信じています。」
私もゆっくりと頷いた。
割り当てられた寝室に戻り、明日の支度が整うと私はサハラに庭を見てきたい、と言った。公爵の話を聞いて、月光虫とやらを見てみたくなったのだ。
サハラは同行する、と座っていたソファから立ち上がったが、その目が既にあまりに眠そうだったので、私は先に休むよう言った。
「お一人では危ないかもしれません。私もお供します。」
「カイにお願いするから大丈夫だよ。今朝は私よりずっと早かったんだし。」
そう言うとサハラは寝ぼけ眼で納得した。
廊下に出ると私はカイを探した。少し前まで私の部屋の前にいてくれたのだが、離れているらしい。階段を降りると私は別の人物とぶつかりそうになって驚いた。
私服まで黒尽くめのケインだった。
彼は私に驚いた拍子に取り落とした本を慌てて拾うと、早口に詫びた。本の表紙には『禁断の世界!人体移動術の全て』とおどろおどろしい紫の字が踊っていた。研究熱心でありがたいが、私達の取り組もうとしている実験はそんな参考書に頼るしか無いのか、と改めて禁断ぶりを突き付けられた思いだった。
「夜会には行かれないんですか?」
「ああ。うん。僕はそういう人付き合いがどうも苦手でね。…この仕事をしていなかったら、貴族として困っていたと思うよ。」
確かに、ケインはいつも内気で気弱そうな上目遣いの目をキョロキョロとさせ、人を寄せ付けない独特の雰囲気があった。王妃の弟なのだからかなりの家柄の出だろうに、黒い服を着て背筋を丸めて歩く様は、さも自信がなさそうだった。
「でも、希代の宮廷魔導師なのでしょう?禁断の術ができてしまうくらい。」
「そ、それは。…僕は姉上がずっとお味方して下さらなかったら、宮廷魔導師になどなる前に家を勘当されてたと思うよ。僕がこの地位にいられるのは単に姉上のおかげだよ。君が知っている通り、僕は巨大な力があるだけの、駄目な人間さ。両親にもいつも気味悪がられたからね。」
ケインは胸に抱えた本を両腕で更に強く抱えこむと、思い詰めた様に言った。
「…だから僕は、これを次こそ成功させなければいけないんだ。今度こそ、絶対に。もう失敗はできない。姉上の為に。」
何の話をしているのか、わからなくなった。私を帰す実験の話かと思っていたのに、なぜ王妃がここで出て来るのか。
突っ込んでみようと私が口を開ける前に、ケインは何事かブツブツ口の中で呪文を唱えながら、宙を見つめてトボトボ歩き出してしまった。
正直、薄気味悪い男だ、と思った。彼の親に親近感を持ってしまいそうだ。
強大な力を持ち過ぎて掴みどころの無い人格が形成されたのだろうか。
ケインの様子に軽い衝撃を受け、私はカイを探すのをすっかり忘れて庭に出ていた。池は庭の奥にあり、取り囲む木立が夜の闇の中で影を形作り、風に揺られて乾いた音を奏でていた。
池の周りを幻想的な小さなあかりがチラチラと動いているのと同時に、そのほとりに大佐が立っている事に気付いた。
あまり大佐には会いたくない。引き返そうかとも思ったが、なぜ大佐がここにいるのかも興味がわいた。
私が歩み寄り、大佐のすぐ後ろまで来ると、私にとうに気づいていたのか大佐は口を開いた。
「月光虫を見にきたのか?カイはどうした?」
後頭部に目が付いているのか。どうして私だと分かるのだろう。
私は大佐の横に立った。
自分でも思わぬ事を口走っていた。
「大佐がいるから平気だと思って連れてきませんでした。」
大佐は少し驚いた様に目を見開き、私を振り返り、笑った。
「そうか。なら良い。」
私は怒られるかと思っていたので、大佐のその反応は意外だった。
ぼんやりと月光虫を眺めた。
電池の切れそうな豆電球の様に、光の強弱を繰り返しながら、その虫は動いていた。私は実際の蛍を見た事が無かったが、お尻を光らせているところは似ている、と思った。
大佐が呟いた。
「王太子を思い出す。」
私ははっとして大佐の横顔を見た。
「殿下はこの場所がお好きだったそうですね。公爵様から聞きました。」
「…ゴルビー公爵にとっては、お辛い思い出なのだろうな。前王妃様は彼の遠縁だった。……エリ、何をしている。」
私は月光虫を生け捕りにしようとハンカチを広げて、池の周りを徘徊していた。だが近づくと虫が怯えるのか、あかりが消えるのでうまくいかない。
「月光虫を、殿下のお土産にしようかと…」
大佐は呆れた口調で言った。
「捕らえて、どうする。一個体が光を出すのは一夜限りなのに。」
私の動きがピタリと止まった。
光らない月光虫なんて単なる昆虫ではないか。見ようによってはミニサイズのゴキちゃんにも見える。
中腰で静止したままの私の隣まで歩いて来ると、大佐は静かな声で言った。
「王太子はお前に惹かれているそうだな。」
私は驚いて顔を上げた。
…カイめ。やはりあれこれ報告していたらしい。
「だがお前は帰るつもりなのだろう?元の世界に。」
私が首を縦に振ると大佐は正面に回り込み、私の両肩をそっと手で掴んだ。
「ならば、王太子に気を持たせるな。」
「持たせてません。」
「ならなぜこんな健気な真似をする。夜中に池になど近づく。…王太子の為にパンなど焼く。今の姿を知れば、王太子の歯止めがかからなくなるぞ。」
「私は帰ると殿下に言ってあります。」
大佐はなぜか鬼気迫る形相で私の顔を覗きこんだ。
「……永遠に会えなくなると分かっていながら、気持ちを抑えなければならない苦しみを知りたいか?いっそ憎まれた方がましだと、自分に嫌気がさすほど冷徹にまでなれるその、想いを。」




