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舞踏会から数日たった昼下がり、ケインが興奮気味に図書室の閲覧スペースへやって来た。彼は私の顔にまだ残る痣に気付き、一瞬眉をひそめたが、敢えて何も聞いて来ないところが彼らしかった。
「ここにいると思ったよ。僕は実は昨日までグラコ神殿にいてね。田舎の神殿だけど、とっても古くて由緒正しい神殿なんだ。」
そう言うと彼は私の前に何やら布の包みを置き、大事そうな手つきでそれを開きだした。
「これ、君の世界の物じゃないかい!?」
私は投げかけられた問に対して瞬間、気が遠くなった。布の包みから出て来たのは質の悪い紙に描かれた鮮やかな絵と象形文字だった。異常に太い黒のアイラインを引いた男女の絵は何故か皆横向き。その横に記されている文字は確か、ヒエログリフと呼ばれている。
古代エジプトに何の親近感も持ち合わせてなかった私にとって、私の世界の物だ、と即座には肯定しかねた。
「…多分、そうだと思います。私の国とは場所も時代も違い過ぎますけど。」
慎重に私が答えるとケインはホッとした顔をした後、喜んだ。
「やっぱり間違ってなかったか!…これで君を元の世界に帰してあげられる希望が見えてきたよ。」
ケインの説明によれば、彼はグラコ神殿という所で何度も異世界を覗く実験を繰り返したのだという。そして何度目かの実験ののち、遂に私のいた世界とこちらの世界を僅かな間うまく繋げる事ができたらしい。
「ただ、接続範囲を調整するのが難しくてね。最小範囲にとどめておかないと、両者に思わぬ被害を与えかねないんだ。最悪神殿ごと飛ばされてしまうとかね。まだ研究が必要なんだ。」
「このパピルス……絵は、繋げたその時に取って来たんですか?」
ケインは得意気に頷いた。
私は半ば無意識に諦めかけていた帰還への道が、急に現実味を帯びてきた事に、喜ぶよりも驚いた。
「ただ、まだ問題だらけなんだ。まず位置軸と時間軸の絞込みをしたい。それには君の協力が欠かせない。」
私はコクコクと首を縦に振った。
雑な繋げ方で古代エジプトやら超未来に返送されてはたまらない。そんな地球に戻るくらいなら、この世界に残った方がマシだ。
「来週から春迎祭が始まるのは知っているかい?」
春迎祭についてはサハラが教えてくれたので、名前だけは知っていた。冬の終わりに新しい春の訪れを祝い、また国家の繁栄を祈願する国王主催の行事である。
「君も春迎祭に一緒に来てほしい。そこで僕の実験に付き合ってくれないかな。」
「待って下さい。確かその祭って、結構遠くでやるんですよね?」
するとケインは我が意を得たり、といった様子で頷いてから、私に詳細を説明した。
毎年春迎祭はタラントの街で行なわれるという。タラントはイルドアの北部にあり、もともと現在のイルドア王家発祥の地なのだという。今でこそたいして目立たない小さな田舎の街になってしまったが、イルドア王家が周辺を支配下に入れ、イルドアを建国しこの地に王宮を築くまでは、タラントは栄華を極めた街だった。
春迎祭には国王を始めとする王族がタラントに集まる。それらに付随して当然貴族やお付きの者たちも集う。その様にして年に一度、小さな田舎街が盛大に膨らむ大掛かりなお祝い事なのだと言う。
「タラントにあるタラント神殿は、決して大きくないが、とても古い神殿でね。元々僕ら魔導師が行なう術の出来は、人々の信仰を代々集めて来た神聖な場所ほど成功し易いんだ。だから大技をやる時は必ず古い神殿でやるものなんだよ。」
実はこの王宮の地下にはかつて神殿があったのだという。ケインが私を召喚した地下倉庫は、高度な術を成功させやすい土地柄にあったのだ。
しかし世界を繋げる術は一歩間違えれば甚大な被害を周囲に与えてしまう為、実験を王宮でするわけにはいかない。そこでタイミング良く行なわれる春迎祭を利用しようと言うのだ。実験には何日か必要なので、一週間に渡って開催される春迎祭はもってこいらしい。
しかし。
「春迎祭って国王夫妻を始めとして王族が勢揃いするんですよね?そんな実験をしたら危なくないんですか?」
下手をしたら王族が全員異世界に飛ばされてしまうかもしれない。だがケインはかぶりを振った。
「心配ご無用だよ。国王夫妻と王子は春迎祭の最終日にしかいらっしゃらない。初日から現地入りして長く滞在を楽しまれるのは毎年ユリバラ王女だけだからね。」
ケインの中で随分ユリバラ王女が軽んじられている事が白日の下に晒された。
「タラントは美しい湖沿いにあって、余暇を過ごすのにももってこいの場所だよ。街は一週間の間色々な催しで賑やかだし。ここから馬車で丸二日かかるけど、途中の旅も贅沢なもので、楽しみにしている侍女も多い。君が懇意にしているサハラも、初めての経験をきっと喜ぶよ。」
「でも私が行っても良いんでしょうか。」
「勿論だよ。陛下も僕に研究させる事を君に約束したんだから。陛下の承認は僕がもらっておくよ。」
かくして私はタラントへ行く事になった。
図書室での別れ際、私は適当な口実をつけてパピルスをいただくのを忘れなかった。
ケインが古代エジプトのいつの王朝から取ってきたのかは分からないが、値打ちものに違いない。日本に戻ったら高く売り飛ばしてやろう。
サハラは春迎祭の話をすると子供の様に喜んだ。春迎祭に同行するのは王宮に勤める者たちの憧れなのだという。
私達は旅に持って行く服などの持ち物を時間をかけてじっくり吟味した。
私が春迎祭に行く事を知ると王太子は珍しく私の外出を羨んだ。幽閉される前は毎年王太子もタラントに行っていて、祭を楽しんでいたのだという。
出発までの日々、王太子は物言いたげな瞳で気付けばしょっちゅうじろじろ私を見てきた。よほど妬ましかったのだろう。絶対にお土産を買い忘れてはならない、と自分の脳裏に書きつけた。
いよいよタラントへ立つ前夜、王太子は私の部屋を訪ねて来て軽く立ち話をした後、私への嫌がらせか不吉な捨て台詞を吐いて行った。
「せいぜい祭を満喫してきてくれ。ケインの実験とやらは失敗して、あいつ自身が別の世界に飛ばされちまうのを祈ってるよ。」
冗談じゃない。ケインが消えたら私が帰る手段が完全に失われてしまう。いまいち信用ならないが彼は私の唯一のライフラインなのだから。
出発の朝、私はサハラとトンプル宮を出て馬車が並ぶ王宮の正面へ向かった。騎乗した近衛兵がたくさんの馬車の間に配置され、最後の準備に余念がない侍女達があちこちを駆けずり回っていた。旅立ち独特の高揚感が辺りを埋め尽くしていた。
一際豪奢な馬車はユリバラ王女が乗る予定の物なのだろう。
私は準備された自分の馬車をサハラと探してキョロキョロしていた。その時ーーー私は生まれて初めて生き霊を見たかと思った。
ユリバラ王女の馬車の近くに、メルティニア王女が立っていたのだ。




