3ー6
「…エリ様。恐らく今のご説明は誤解を与えたのではないでしょうか。」
「誤解?」
きょとんと聞き返した私にカイは言いにくそうに言った。
「その……大佐がエリ様に…性的暴行を働かれた様な誤解を与えかねないかと。」
えっ、と驚いて王太子とサハラを見ると、二人とも大真面目な顔で私を見ている。
「ち、ちょっと待って!違うから。大佐がそんな事するはずないでしょ。私はただメルティニア王女を止めようとして…」
しまった。
私ははっと気付いて、滑らせてしまった己の口を反射的に両手で塞いだ。
「メルティニア王女がどうした。エリ。」
「何でもありません。」
「嘘をつくな!王女と大佐の乱暴がどう関係してるんだ!」
私は自分がウィンゼル王子とメルティニア王女の婚約を頓挫させようとしていた事は王太子に絶対に言いたくなかった。彼の王太子としての自尊心を傷つける事だと感じたし、余計なお世話だと思われるのが怖かった。
しかしこうなった以上、私はシラを切るのを諦めて顛末を話した。私が話し終えると王太子は先程までの勢いを萎ませ、悄然とした様子で吐き捨てた。
「つまり、俺の為にエリは殴られたという事か。俺がメルティニア王女の話などをエリにしたからか…」
「殿下の為ではありません。私が勝手に行動しただけです。」
王太子は私から目を背けると手をヒラヒラと振り、私に背を向けた。
「もう良い。手当てして貰え。」
私は入浴を済ませて自分の部屋でやっと落ち着くと、鏡台の前に座って自分の顔を見た。浴室でも見たが、やはり酷く痣になっていた。顔面左側の側面の大半が青くなっていた。私は深いため息を吐いて、そろそろ寝ようと寝室に行こうとした。その時サハラが私を呼びに来た。王太子が応接室で私を待っている、と。
「疲れているのに悪いな。ただ、どうしても話がしたかった。」
私は首を横に振ると王太子から離れてソファに座った。
「俺はエリから見るとそんなに頼りなく見えるのか?確かに幽閉された王太子など頼り甲斐はないだろうが…。それでもエリに助けを請わなければならないほど落ちぶれちゃいない。」
私は自分の血の気が引いていくのを感じた。
「ごめんなさい。差し出がましい事を……身の程しらずでした。」
トンプル宮に帰るまではちょっとした達成感があったのに、今はそう感じた事すら恥ずかしい。王太子の力になるつもりでやった事だったのが、今は本人を目の前にして心臓が鈍器で突かれる様に痛い。王太子には押し付けがましい善意はありがた迷惑だったかもしれない。
そもそも王太子の為に何かできると過信した自分がみっともない。しかもウィンゼル王子とメルティニア王女の仲を妨害したものの、結果的に王女の目を大佐に向けさせてしまい、王太子と王女の仲まで割いた事に気付いた。
「そうじゃない。俺はエリに危険な真似をして欲しく無いだけだ。何でも自分にできると思うのは時に飛躍をうむが逆に命取りになる事もある。」
私は黙って頷いた。王太子はソファから立ち上がると私の方へ近づいてきた。私は反射的に体を引いた。
「なせさっきから俺を避ける?」
私は不敬罪について説明した。私の国ではそういう物は無いから失礼があったらまずいのだ、と。
王太子は奇妙な表情をした。そのままつかつか迫り来ると、指先で私の頬の痣に触れ、囁いた。
「俺がお前に触る分には全く問題ない。…むしろ避けるのは不敬だぞ。」
「…なんだか随分殿下に都合が良い様に聞こえますけど。」
「不敬な事を言うのはこの唇か。」
王太子の顔が降って来た次の瞬間には私は唇で王太子の唇を受け止めさせられていた。ついばむ様な優しいキスだった。
王太子は顔を少し離すと言った。
「……俺が嫌いか?こうされるのは嫌か?」
「婚約者がいるのに、ズルいです。」
「その台詞も王太子に失礼だな。」
王太子はそう言うなり再び私に唇を押し付けてきた。しかしその直後、私の顔をじっと見つめて急にため息をつき、片手で頭をかきながらその場にしゃがみ込んでしまった。
「俺はそんなに冴えない男なのか?……結構迫ってるつもりなんだが、そんなに冷静な真顔で無反応に決めこまれると…傷つくぞ。」
私は王太子が落ち込んでいることに驚いた。王太子は単なる軟派なキス魔なのだろうと思い、いちいち反応していたらこちらの身が持たない、と認識していた。外国人のハグに日本人がらいちいち自分に気があるのではないか、などど勘違いしないのと同じだ。
「以前、……エリに告白までしたと思ったがそれも流されたな。」
「殿下はこの宮の中で同じ侍女達と一緒に長い事過ごされていたので、少し女性を見る感覚が麻痺されているのです。多分ここでは私は殿下にとって、無人島で出会った唯一の女みたいな存在なんだと思います。」
私は自分の分析を胸を張って熱弁した。私の深い洞察力に感嘆したのか、王太子は床にしゃがみこんだまま暫時絶句して私を見上げていた。
「何もそこまで自分を卑下することは無いだろう……。呆れたぞ。」
そんなこと言っても、もし外でたくさん女性と出会う機会があったら、王太子は私に告白した事など、幽閉生活で血迷っていただけだと直ぐに気付いて他の女に走るに違いないのに。
「俺の気持ちに返事をする気は無いのか?」
少し考えてから私は答えた。
「……どちらも傷つく結果になりますから、できません。私は、この世界の人間では無いのですから。じきに帰ってしまうのに。」
王太子は膝の上に肘を付き、手に頬杖をついて薄っすら笑みを浮かべた。
「帰れると思うか?」
挑む様な、不敵な笑顔で私を見上げた。
「俺は、思わないな。なんなら賭けてもいい。エリは元の世界には帰れない!」
そんな賭けにのるか!




