1ー2
私とケインは国王に引きあわされる為に、謁見の間に向かっていた。
というより連行されていた。
顔を合わせて以来、武装したままの青服剣士集団に取り囲まれた状態で、長い距離を歩く。
地下を出ると室内の暗く重たい様相は一変し、白い壁に所々タペストリーや絵画が飾られた、中世ヨーロッパの城を思わせる内装にいくらかほっとした。裸足で歩くには殺人的に粗く硬かった石畳の床も、ツルツルとした綺麗な大理石の床に変わっていた。
王宮の中は随分広く、いくつもの階段を上り、角を曲がり、廊下を練り歩いた。私の裸足の足裏はチリや埃の分厚い層が形成されつつあった。前方を颯爽と歩く金髪男のマントに、足裏を押し付けてみたい衝動に駆られた。黒くはっきりした足型を付けられる自信がある。
謁見の間の前で私達はしばらく待たされた。
やることがないので、隣で青白い顔をして思い詰めた様子のケインをジッと見てみた。
ーーーーそういやこの人、さっきから私の事全然見ないな。
仕事中に彼女とヨロシクしようと、禁止されてるらしいアヤシイ術を使ってしまった挙げ句に、異世界から人間を連れて来てしまったのだから、厳しい処罰が下される心配でもしているのかもしれない。
しかし、ケインさん……少しは私の心配もしてくれ。
私は自分の両手に息を吹きかけ、薄いピンクのパジャマの上から寒さに震える我が身をさすった。なんということだ。トイレも行きたくなってきた。
すると思いがけなく、ふわりと私は暖かい物にくるまれた。
驚いて振り返ると、剣士の一人が私に自分のマントを掛けてくれていた。
「お寒いでしょう。すみません気付かなくて。」
私はお礼を言いながら、思わずこの親切な剣士を見つめた。目が合うと彼は優しさの滲み出る様な微笑みを返してくれた。彼の美しく暖かい茶の双眸に私は吸い込まれそうになった。後ろで一つに束ねられた長い黒髪は艶やかで、まるで黒豹の毛並みのようではないか。
冷静に観察すると青服剣士集団はイケメン集団でもあった。
この世界で初めて触れた優しさにひっそり感激していると、前触れもなく金髪男の長い腕が私に向かって伸ばされ、あっと言う間にマントがむしり取られた。
「隊長!?」
金髪男の暴挙に、私のみならず黒豹青年も少なからず驚いたようで、美しい茶の瞳が問う様に金髪男を見て揺れた。
「不用意に武器となり得る物を与えるな。」
えっ、武器!?
再び黒豹青年と私は戸惑って視線を彷徨わせた。
「……視界を遮る。捻じって身体を拘束する。」
そうか、マントにもそんな使い方が!さすが隊長、なんて発想が豊かなんだ。でもそれでいくと、万物が武器になりそうです。
謁見の間の扉が開かれ私達は中に入った。
床には真紅の絨毯が敷かれ、天井には豪華なシャンデリアがあり、壁紙は深緑と金のストライプで厳かな雰囲気を醸し出していた。
部屋の正面は一段高くなっており、そこに並ぶ彫刻の施された金の椅子に中年の男女が座っていた。
あれが国王だろう。隣は王妃といったところか。その周りにも、重臣と見られる老人達が立っていた。
密かに足裏の汚れを絨毯に擦り付けていた私は、金髪男の剣に促されて国王夫妻の前にひざまずかされた。
年齢不詳の美人王妃を口を開けて眺めていると、金髪男の剣が私の後頭部に押し付けられ、否応なく頭を下げさせられた。
「ケイン、何があったのか余に委細報告せよ」
良く響く声に微かに怒りの色を乗せて国王が命じると、ケインは震えながら事の顛末を説明した。
ケインが話し終わると国王や重臣達は異口同音に彼を恫喝した。
ケインは床に額を擦り付ける勢いで、ひたすら許しを請いた。
「異世界から来たというのはその娘か」
国王がそう言うとざわめきがピタリと収まり、顔を上げなくても皆の視線が私に注がれたのが分かった。
「変わったところがある様には見えぬ。……南の大海の彼方にはまだ見ぬ島々もあるというではないか。そこから連れて来ただけではないのか?」
国王が疑問を口にすると、一人の老人が淡々と説明した。
世界が始まった時、その誕生は単一ではなく自分達がいる世界の他に数多の世界が存在するのだという。互いに似た世界ではあるが、近い様で全く別の空間にあり、普通は行き来することなどあり得ないが、歴史上高名な術者はその存在を主張しており、またそのうち幾人かは異世界の存在を感じ取る事もできたという。
しかし異世界とこの世界をつなぐ様な術は、街一つをも異世界に飛ばしてしまいかねない、予測・制御不可能で危険すぎる技である為に、どんな偉大な術者であれ行うことはないのだ。
なんとも迷惑な話だ。私がこちらに来た反動で東京が消失していたらどうしてくれよう。私は頭を下げたままケインを睨んだ。
「およそ術者という術者であれば、先ほどの激しい空間の歪みに気付いたことでしょう。宮廷魔導師長の私が断言致します。」
「陛下!わたくしの弟は…ケインは、確かに禁を破ってしまいましたわ。けれど……いかな高名な宮廷魔導師達さえ叶わなかった高度な術を成し遂げたのもまた、事実ですわ。ええ、そう、これはケインがどれほど希代の宮廷魔導師であるかを証明したのではなくて?」
王妃が弟を必死で擁護し、国王が困った様に唸るのを聞いた。
「陛下、ケインの偉大な力が、陛下の御世をお助けする日が必ず来ますわ。どうかこれをケインの失態としてではなく、歴史上に輝く功績と仰って下さいませ。」
国王はたっぷり五分は悩んだあと、辛そうに溜息をついて言った。
「ケイン、王妃に免じて謹慎処分のみとする。今回は宮廷魔導師の資格は剥奪を免れさせよう。だが次はないと思え。」
「おそれながら陛下、この術の存在を公に知られては王家の信用を失墜させかねませんわ。………この娘、地下牢に監禁するか、処分いたしましょう。」
私は耳を疑った。
地下牢って……そんなバカな。
しょ、しょぶん? 処分。……いやいやいや!!
王妃様ってば言うことが過激なんだから。心臓に悪いわ。と思ったのも束の間、重臣達はそのトンデモ提案に賛同し始めた。
私は這いつくばって聞き耳をたてながら、自分の命が風前の灯であることを確信した。
目線の先にある真紅の絨毯に絡まっている小さな埃を見て思った。
ーーー 間違いない。私の命は今この埃より軽い。
私は寒くて震えていただけの自分の中に、ふつふつと怒りが湧き上がるのを感じた。だってあまりに理不尽じゃないか。
仕事に疲れて寝ていただけなのに。
だいたいいつまで床を眺めさせる気か。
『苦しゅうない、オモテを上げよ。』
くらいさっさと言ってくれてもいいとおもう。
ムクムクと膨れ上がり始めた反骨心から、無意識に頭を起こしかけると、金髪男の剣が私の後頭部に当てられ、頭をまた押し下げられた。
私はこの瞬間、自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「ちょっと、あなた達、さっきから黙って聞いてれば、酷過ぎるんじゃないですか!?」
私は頭上の剣を腕で払いのけ、すっくと立ち上がった。
その場にいた面々が一様に驚き、静まり返った。
「こ、言葉が…!?」
今更ながらどうやら私はこちらの言葉が出来ないと思われていたらしい。
すると金髪男が表情一つ変えず、しれっと言った。
「既に言語を取得させています。不便でしたので。」
「ああ、そう言えば大佐も術者であったな」
国王がぎごちなく頷いた。
あれっ、金髪男は隊長のはずではないのか。それとも隊長で大佐なのかーーーいやいや、そんな事は今どうでも良い。
今ボンヤリ黙っていたら、永遠に口がきけなくなりかねない。私は怒りに身を任せてみた。
まずはケインをきっ、と睨んだ。
「あなたねえ。さっきから自分の保身しか頭に無いんですか?誰のせいでこうなったと!?私の事地下で捨てようとしましたよね。私は生ゴミじゃありませんよ。その前にーーーーーーー私に言う事があるでしょう!!!御免なさいの一言も無いんですか。」
次に私は王妃に照準を合わせた。改めて正面から見ても、美人だが年齢不詳だ。魔女かも知れないが、自分の可愛い命がかかっている。ここで引いてはいけない、と私の直感が脳裏でサイレンを鳴らしていた。
「王妃様。はじめまして。トミナガ エリと申します。初対面でこんな事言うのもなんですが、弟さんには大変迷惑をかけられていますけど、責任取って頂けます?」
視界の片隅で隊長兼大佐が、私を座らせようと腕を伸ばしたのを捉え、今度は彼を睨んだ。
「それから、あなた!さっきからか弱い女性にギラギラ剣を向けて、どんだけ怖がらせれば気が済むんですか。私の後頭部はあなたの剣置き場じゃありませんから。」
私はその場にいた皆に対して、地団駄を踏みながら怒鳴った。
「私は純然たる被害者です。突然安眠を妨害されて、誘拐された挙げ句、監禁だの処分って、異世界の人間だからって家畜以下の扱いしないで下さい。私はあなた達と同じ人間です。ーーー寒いし、足痛いし、トイレ行きたいし!!」
しまった、怒りのあまり脱線したではないか。
「と、とにかく。こんなに非人道的な扱いを受けたのは初めてです。私を早く元の世界に、お家に、家族のところに返して下さい。すぐには難しいのであれば、当然の権利として人身の保護と自由、及び最低限の文化的な生活の保証を要求します!」
私は異世界の中心で、人権を叫んでいた。