3ー5
大佐はまだ地面に座りこんだままだった私の腕を取ると、私を立ち上がらせた。
「このまま真っ直ぐトンプル宮に戻れ。カイ、ついて行け。」
大佐に呼ばれるとカイは痛々しい視線を私に向けてから大佐に頷いた。大佐はカイのマントを無言で奪うと私に放って寄越した。
「早くその開き過ぎた胸回りを隠せ。」
視線を自分の胸に落とすとドレスはびりびりに裂けて、私の胸の貧相な膨らみを露出させていた。誰のせいで開き過ぎたと思ってるんだ。私はカイのマントを急いで羽織りながら大佐を睨んだ。
「お前、トンプル宮へ行くの?ならばわたくしも連れて行きなさい。」
おもむろに話し掛けてきた王女に私が返事をする前に大佐が割って入ってきた。
「メルティニア様。残念ながら王太子様にはお会いになれません。不安定な境遇の王太子様を余計な争いごとに巻き込む事をお好みか。」
王女が、怒りで真っ赤になりながら大佐を睨めつけた。
「わたくしの婚約者に会ってなぜいけないの。」
「メルティニア様の御身は今回ウィンゼル殿下とお会いして頂く為にカナヤ国王からお預かりしております。舞踏会にお戻り下さい。割られた窓の後片付けは部下にさせますので。」
どうやら大佐は王宮の窓を破られた事を多少根に持っているらしい。相変わらずイヤミを挟むのを忘れない男だ。
王女は侮辱されたと思ったのか大佐に詰め寄った。
「お前こそ何者ですか。」
大佐は仮面を外すとまるでダンスでも誘うかの様にしなやかな動きで王女の前にひざまずき、口元に柔らかな笑みをたたえて言った。
「申し遅れました。イルドア国王より姫君の警護を仰せつかっております。近衛隊長のアレヴィアン=ドゥノ=メーア=アンリ=トカイ=モンファ=シェフテデステと申します。以後お見知りおきを。」
なんて長い名前だ!
お前は寿限無か。聞いてる傍から覚える気力が萎える。妥協を知らない両親だったのだろう。
私にあんな非道な仕打ちをした直後とは思えぬほど優美な身のこなしで王女に手を差し伸べている大佐を見て私は呆れた。……あんな顔もできるのか。先程までの冷酷無慈悲の化身という本性を瞬時にかなぐり捨てている。
大佐は王女の細い手を取るとその甲に口付けた。
「アレヴィアンというの。」
王女の声からは怒気が滅失し、一転して困惑したような、且つ甘い響きがあった。これはどういう事だ。王女の頬が可愛らしく薄紅色に染まっている。
予期せぬ展開にその場を動けず、固唾を飲んで見守る私とカイを尻目に、王女は熱に浮かされた声で宣言した。
「トンプル宮には行きませんわ。わたくし、あなたに会う為にイルドアに来たのだわ。」
あーあ。うら若い王女にそんな目つきでひざまずいたりするから。大佐は女性に自分の顔が与える影響の大きさを自覚していない。飛ぶ鳥も撃ち落とせそうな美形なのだから、むやみに笑顔を向けるべきでは無いのだ。
「では大広間に戻りましょう。ウィンゼル殿下がお待ちです。」
王女の発言の後半部分は見事に無視されたらしい。大佐は立ち上がり早くも行こうとしていた。そこへようやくラタが口を開いた。
「近衛隊長……貴方はもしやあの、先の南の解放大戦で軍神と呼ばれた、大佐の…?」
南の侵略大戦の間違いじゃないのか。
ラタの質問を無言による同意で答えた大佐に対して、王女は無邪気にはしゃいだ。
「あなたこそがわたくしの運命の殿方だわ。ラタ、そうよね?」
運命の殿方はトンプル宮にいたはずじゃないか。話を振られたラタは条件反射の様に首を縦に振った。『無責任』という文字が実に良く似合う侍女だ。
王女は陶磁器でできた様な白く滑らかな手で自分の高鳴る胸を押さえ、酔いしれた声音で大佐に言い募る。
「わたくしカナヤに帰って父にウィンゼル殿下との婚約のお話を辞退するよう説得致しますわ。」
それは良い心掛けだが、大佐は顔を曇らせた。
まずい。大佐の不快を表すランプが点滅を開始したのが手に取る様に分かった。
「ご心配なさらないで。父はわたくしを溺愛していて甘いのよ。それに軍神のあなたをとても崇拝していましてよ。」
「冷えて参りました。大広間に戻りましょう。…何をしている。カイ、早くエリを連れて行け。」
大佐はあくまでも無視に徹するつもりのようだ。振り返りもせず大広間への道のりを歩き始めた大佐に青服剣士達が慌てて従い、その後を王女が追い縋った。
「わ、分かりましたわ。大広間に戻りますわ。でもわたくしはあなたとダンスしますわ。」
恋は盲目という。私は無駄に気の多いこの王女に、大佐は男色だからやめておけ、と教えてあげたかったが、ウィンゼル王子との婚約を蹴ってくれるなら今は黙っておこう。
彼等が夜の闇に消えてしまうと私とカイはトンプル宮へ歩き始めた。
無意識に自分の顔を触ると、激痛が走り、私は顔をしかめた。顔の左側が電流が走ったみたいに痛い。王女を止めようとして後ろから殴られた時のか。
「すぐに冷やしましょう。放置すれば腫れ上がってしまいます。…近衛が…思い込みで手を挙げてしまって申し訳ありません。」
私は力なく首を振った。
身分制が無い国で育ったので何が不敬にあたるのかよく分からない。日本にも昔は不敬罪があったらしいけど。平民にはさぞや恐ろしい法律だったのだろうと痛感した。とりあえず王族の周囲半径五メートルくらいには常に入らないようにしよう。
舞踏会の前半は楽しかったのに途中から散々だった。しかも妖精愛好家に私が良い様に騙されていたと思うと、前半さえ切なくなる。それでも、婚約を邪魔するという大望を果たせたのだから良しとすべきか。
トンプル宮に帰ると玄関から宮の中は暖められており、ピリピリしていた私の心はほぐされていった。帰城に気付いたサハラが毎度の如く笑顔で迎えてくれた。しかし私の顔を見るなりその笑顔はかき消えた。
「エリ様!?そのお顔の痣はどうなさったのですか!?」
痣ができてるのか、と驚いて顔を触ろうと手を動かした拍子にくるまっていたマントが少しズレた。サハラが途端に悲鳴を発し、その大きさにこちらが驚いてしまった。
「ど、ど、どうして、何が…」
わなわなと手を震わせながら、サハラは私とカイを交互に見た。確かにこれはびっくりするよな。トンプル宮の明るい廊下で自分の姿を確認すれば、アップにしてた髪は大佐に地面に押し付けられて豪快に乱れてるし、顔は腫れてるし、服は裂けてる上にあちこちが土で汚れているではないか。これは酷いな。
ガシャン、と金属音がしたと思うと廊下の先に青ざめた王太子がいた。彼は足枷の存在を忘れさせる程の速さでこちらへ向かってくると、いきなりカイの胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「お前が付いていながらこれはどういう事だ!!」
もう胸ぐらは人が掴まれているのも見たくない。
「やめて下さい。カイを放して。これは大佐にやられたんですから。」
「アレヴィアンだと!?」
火に油を注いだ予感がする。
王太子はカイを放すと私の方へ向かって来た。私は彼の歩数分きっちり後ずさった。
避ける様に遠ざかった私の行為に王太子は傷付いた表情を浮かべたが、仕方ない。どこで不敬罪に抵触するか分かったもんじゃないのだ。予防線は張るに越した事は無い。又背後から殴られるのは御免だ。いつかのキスが、誰にも見られてなくて良かった。
「あいつに何をされた。」
王太子の顔が凄んでいて怖い。
「ちょっと胸を掴まれて。抵抗したら押し倒されて上に乗られたんだけど…」
「なんだと!?」
説明半ばで王太子は逆上した。なるべく刺激しない様にオブラートに包んで解説したのが裏目に出たのか、サハラは今にも気を失いそうな顔色をしている。
猛烈に張り詰めた空気がたまらない。早く顔を冷やしたいんだけど。




