3ー4
私のドレスを掴む大佐の手に力が入った。
大佐の横で王女達を守る様に立っていた青服の近衛兵達がざわついた。
私が仮面をしている大佐の正体を当てたからだろう。上官の目立ち過ぎる髪型も毎日見ていると逆に彼等の視野に入らなくなるのかもしれない。仮面をして、青服を着用していないという事は、大佐も大広間にいたらしい。
一気にわらわらと現れた近衛兵達を見て、私はやっと分かった。
王宮が手薄だったのではなく、私達を泳がせて尾行するために近衛兵は敢えて鉢合わせしなかったのだ。こんなに上手くトンプル宮までいける筈がないと思った。しかし一体いつ、どこからつけられていたんだろう。
それにしたってこの扱いの差はどうだ。
器物損壊に不法侵入をした王女達は精悍な近衛兵に護られて、何故彼女達を諌めようとした私が、殺気の権化みたいな大佐に吊るし上げられているんだ。…早く弁解しなければ。私はこの世界に来てから何度目かの命の危機に直面していた。
苦しい体勢ながらも必死に言葉を紡いだ。
「そ、それ、は、誤解ですっ。私は、庭園で遭難して、」
「私は気が長い方ではない。簡潔に話せ。何故王女を尾行していた。」
大佐の気が常人より短い事くらい数秒一緒にいれば分かる。どこから話せば誤解を解けるんだ。人は地に足がついていないと頭が上手く回らない様だ。
「カナヤ語を話されていたので、き、興味が…。それに、襲ってなんてない、です。止めようとしただけです。」
「何を止めようとした。」
「王太子に会うのを…」
何故か取り巻く空気が張り詰めた。まずい事を言っただろうか。口が裂けても、あわよくば王女と第二王子の婚約を邪魔したかったとは言えない。
「カナヤ語の会話の内容が理解できるのか。お前は誰のスパイだ?」
ああもう、スパイって何だ。勝手にストーリーを作るのはやめてくれ。いつもながら会話について行けない。カナヤ語を伝授したのはあんただよ!
私の体重に耐えきれなくなったドレスが、掴まれている箇所からブチブチと音を立てて裁断され、装飾のビーズが葉から落ちる雫の様に転がり落ちる。サハラが私の為に時間をかけて準備してくれたのに…。私はサハラに対して申し訳ない気持ちで一杯になった。
掴まれた胸ぐらをどうにか振りほどこうと私は両手で大佐の手を渾身の力を込めてつねった。それこそ肌に爪を食い込ませるくらいのつもりで。
すると私の体は乱雑にガクンと地面に落とされ、尻餅をついたかと思うとその勢いそのまま胸ぐらを押されて地面に押し付けられた。乱暴な扱いもここまで極められると、いっそ爽快にすら感じる。私は決してマゾじゃないけれど。
地面に仰向けの状態で顔を動かして王女達を確認すると、なんだか他人事の様に見ている。いや、確かに文字通り他人事なんだろうけど、目の前で繰り広げられているこの惨劇にもっと別の反応は無いのか。
つねられた事が余程怒りを買ったのか、それとも王女の肩に手を掛けようとした行為がそんなにこの国では犯罪なのか。若しくはその両方なのか、大佐は私の胸ぐらに体重をかけつつ言った。
「どんな意図があってウィンゼル殿下とメルティニア王女に近付いた?言え。誰に頼まれた。」
どうして殿下の名前がここで出てくるのだろう。答えたくても大佐の体重が苦しくてできない。肋骨が折れそうだ。質問のやり方として間違っている。余りに痛くて苦しくて私はやみくもに手を振り回した。
唐突に胸部の上の手がどけられ、楽になったと思うと、私は左手首を掴まれた。大佐が掴んだ手首を凝視すると、驚愕に満ちて掠れた声で言った。
「エリか!?」
ああそうか。私は掴まれたままの自分の手首を見て思った。
そこには大佐に貰った腕環が輝いていた。
大佐は私の耳に手をかけると、紐を解いて仮面を外した。大佐は露わになった私の顔を見ると一度天を仰ぎ、私の肩に手をかけゆっくりと起こしてくれた。どうやら私と分かる事で余計に怒りを買うという最悪のシナリオだけは避けられたようだ。
「なぜお前がここにいる。」
「ウィンゼル殿下に舞踏会に招待されて、大広間にいました。庭園で偶然王女様達を見かけて、トンプル宮に行くと仰るのを聞いて、成り行きで…」
どうにか簡潔に説明した。視線を泳がすと王女達の横にカイがいた。カイまでいたのか。彼は今にも卒倒しそうな面持ちで私と大佐を見ている。
「王女をお止めしようとしたのか?」
「王太子様に火の粉が降りかかるのを未然に防ごうとしただけです。」
火の粉か、と言うと大佐は小さく鼻で笑った。
誤解は解けたのだろうか。だが仮面から覗く灰色の双眸は再び冷たい色を帯びると、質問を続けた。
「だが何故ウィンゼル殿下を誘惑した。舞踏会で注目の的になっていた事に気づかなかったのか?」
ゆ、ゆうわく?
私は図書室で勉強していたら仮面を貰っただけじゃないか。身に覚えのない嫌疑ばかりかけられている。だいいち、私がいつ舞踏会で注目を浴びていたというんだ。この平たい顔と肉付きの悪い体で誘惑とやらが出来る方法があるなら、是非ご教示賜りたいくらいだ。
大佐は私の怪訝な目つきに応えて説明した。
「お前の後を追う様にウィンゼル殿下は庭園に出た。」
「そうなんですか?知りませんでした。私、今日は殿下がどちらにいらしたのかも、分からなかったので。」
私はいい加減大佐にイラついてぶっきらぼうに言い返した。
大佐は首の角度を僅かに変えると言った。
「庭園の奥で戯れ、ベンチで長話していた相手が誰か分からなかったと言いたいのか?」
なんでそれをーー!?というか何時から私を尾行してたんだーー!?と自分で自分の顔が赤面するのが分かるくらい恥ずかしかったが、すぐに大佐が言わんとすることが分かった。
「まさかあの人が……殿下だったと?そんな。違います。話し方が全然違いました…」
私は激しくまばたきしながら首を振って言った。あの妖精愛好家とウィンゼル王子は口調がまるで違ったではないか。二人が私の記憶の中で全く重ならない。
「だが短髪の男だった。違うか?」
私は思い出そうと一度軽く目を左に動かし、大佐に同意した。大佐は腕を組んで言った。
「この国の男で髪を伸ばさないのは、王位継承権のある者だけだ。知らなかったのか。」
言われてみればそうだ。王太子も短髪だが、この国で見る他の男性は皆長髪だった。
最早メルティニア王女の方を見るのは勇気が必要だった。どうやら彼女に不潔となじられたのは私だったらしい。
私はあっ、と叫んだ。
「でも。殿下は私だと分かっていた筈です。この仮面を下さった張本人なのですから。」
王子は私が気付かないのを面白がっていたのだろうか。
大佐は合点がいった様子で言った。
「だからお前を追う様に大広間を出たのか。王妃様はウィンゼル殿下とその婚約者候補の方々を引き合わせる算段が破綻して憤死寸前でいらした。殿下の逢引きの相手は誰かと大広間では話題になっていた。」
私は期せずして目的を果たしていたらしい。第二王子の婚約を妨害する、という難題を。




