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庭園の主道にはランプが等間隔で置かれ、散策の手助けをしていた。しかし主道と細かく交差するその他の散歩道には灯りがなく、そこを走ってきた私は完全に夜の暗闇に沈んだ緑の中にいた。
思ったより横幅のある庭園だったらしい。大広間の方向に向かっているつもりなのに、さっきから同じ所をぐるぐる回っているだけな気がするのは気のせいだろうか。
私は自他共に認める方向音痴な人間であった。かつて登校中に近道をするつもりで駅と学校の間にある墓地を横切ろうとした経験がある。結果的に私は墓地の中で迷子になり、約15分かかる道を一時間以上かけてどうにか学校に辿り着き、遅刻をしたのだった。
それと似た事が今庭園で起きていた。辺りは背の高い樹木が生い茂り、ともすればどこかの山林の麓に佇んでいる感覚にすらなる。
最初は余裕が頭の隅に鎮座していたが、いくら彷徨っても自分を取り巻く景色に変化がない事から、私の感情は徐々に焦りに侵食されていった。
走り回って息が上がり始めた頃、唐突に視界にランプが入り、安堵のあまり笑ってしまった。あれを辿れば大広間への道につながるはずだ。
私はランプの元へ行こうとして足を踏み出し、つと固まった。
人の声がしたのだ。近くに誰かいるらしい。
耳をそば立て、声の発信源を探す。
こちらだろうか、と低木の陰から覗くと、女性が二人、何やら言い争っているようだった。ドレスを着ているから、招待客だろう。仮面は外され手に持っている。
最初私は自分の感じた違和感の正体に気づかなかった。どうやら彼女達は大広間に戻る、戻らないと口論しているのだが、漠然と聞き取りが疲れるのだ。
その理由を解明した時、私はその場で小躍りしたい衝動を抑え、小さくガッツポーズをした。
彼女達の話す言葉は普段私がここで聞いたり話したりしている言葉と微妙に違うのだ。
これはきっとカナヤ語だ!
私が彼女達の言葉がだいたい理解できるのは、大佐から言語知識を貰っているからだ。大佐はカナヤ語の素養があるのだろう。
やはりカナヤの王女が招待されていたのだろうか。
何としても確かめねば。それにしても妖精愛好家のおかげですっかり忘れていたが、なるほど、探しものは忘れた頃に見つかるとは良く言ったものだ。
私は抜き足差し足で彼女達に近付き、低木を隠れ蓑にし葉をかき分けて二人の様子を食い入るように観察した。
二人とも十代後半に見えた。私は息を殺して彼女達の会話に耳を集中させた。
「こちらに最初からそのおつもりでいらしたのでしょう。」
「そうよ。ウィンゼル王子になんて会いたくないわ。…わたくしの殿方はラムダス様お一人よ。」
ビンゴだ。
何と言う事だ。メルティニア王女を本当に発見してしまった。
「生まれた時からそう聞かされてきたのよ。今更違う方に嫁ぐなんて嫌よ。」
「ですが、ラムダス殿下は幽閉扱いとの事ではありませんか。それにウィンゼル殿下の御評判の誉れ高い事…」
「ウィンゼル王子は長いお付き合いの恋人がいらっしゃるのよ?今夜も婚約者候補の娘達を招待しながら、庭園で恋人と逢引きしていたらしいじゃない!不潔よ!」
ふ、不潔だ!
盗み聞きしながら私も憤慨した。
あのレッツ・お茶なナンパ王子はやはりナンパ王子でしかなかったのか。
「わたくしは、トンプル宮に行かなくては。運命の殿方に、変わらぬ愛をお伝えするの。」
驚愕の発言をするなり彼女は奥へずんずん進んで行った。侍女らしきその連れは、諦め混じりの悲鳴をあげながらもそれに付き従って行く。私は低木から低木へ身を隠しながらそれを追った。
「トンプル宮は王宮の西にあるのよ。ひたすら西を目ざせば必ず着くわ。」
なんとアバウトな。
羅針盤も無い船でアメリカ大陸を探す様なものだ。
自信に満ちた足取りで進む彼女達を追いかけていると、緑が途切れ目の前に建物の壁が出現した。王宮の側面に出たらしい。
これで引き返すのだろうと思いきや、王女は言った。
「離宮はこの先にある筈なのに。…愛に障害はつきものだわ。ラタ、どうにかして頂戴。」
するとラタと呼ばれた侍女は、もう、どうなろうと知りませんよ!と無責任極まりない叫びをあげながら、靴を脱ぐとヒールで窓ガラスを叩き割った。二人は窓から王宮内に侵入すると、更に先へと突き進んで行った。
私はこの明らかな犯罪行為に唖然としつつ、思い直して風通しの良くなった窓から身を滑りこませて二人を追った。
王宮には常に大勢の人間が働いている。二人は直ぐに見つかって大変な騒ぎになるだろう。
だが奇妙な事に王宮の中をいくら彷徨っても私達は誰ともすれ違わなかった。
おかしい。いくら舞踏会のために出払っているとしても、王宮を警備する近衛兵すら誰もいないなんて。
そのうち彼女達は窓から再び外に出た。そこから暫く歩くと見覚えある庭園が見え、背後には灰色の建物が見える。本当にトンプル宮に着いてしまった。
「池に囲まれた離宮よ!あそこに違いないわ。愛の力が、わたくしをラムダス様の所に導いたのだわ。ラムダス様こそがやはりわたくしの運命の殿方よ。」
行きがかり上ここまで尾行してきたが、私は考えた。このままでは王太子に王女が会ってしまうかもしれない。
彼女がラムダス王子との愛を再確認し、ウィンゼル王子との婚約話を蹴れば、ラムダス王子にとっては王太子としての実質的立場を擁護する事ができる。それは本来私も望むところだ。
しかし、幽閉されている王太子がカナヤの王女と会った事がばれたら王太子の立場をまずくしないだろうか。王女が勝手に押しかけたと誰が信じるだろう。これは非常に危うい、看過する事のできない状況だ。
まず王太子の意思を確認すべきではなかろうか。
指を加えて見ている訳にはいかない。私は止まる事を知らず前へ突き進んでいく二人を引き止めようと、急いで駆け寄って王女の肩に手を掛けようとしたーーーその瞬間、私は側頭部に激しい衝撃を受け、頭の中が真っ暗になったかと思うと、地面に突っ伏していた。
何が起きたのか。
頭と首の猛烈な痛みと、グラグラする頭の中のせいで視界がボヤけ、けれどもどうにか体を起こそうと両手を地面に着いた刹那、肺に容赦無い負荷が突然かかり、うっ、と私の喉元から声が漏れた。
信じ難いが私は背中を足で踏みつけられているらしい。
そのまま右腕が後ろにギリギリと捻りあげられ、肩と肘が砕けそうな痛みに、私は自分の声とは思えぬほど甲高い大声をあげて悶絶した。
「立たせろ。まだ殺すな。」
声と共に背後からカッカッと軽快な足音が近付いてきた。その人物は私の横まで来ると言った。
「さっさと立て。何故この御方を襲った。この御方がメルティニア王女と知っての狼藉か?」
立てって言われても、踏まれているのだから無理だ。
王女を襲ったと思われているなんて酷い誤解だ。
それを伝えようと軋む様な腕の痛みに耐えつつ、どうにか体を起こそうとすると、背中にかけられていた負荷が無くなったので、そろそろと上体を起こした。
すると突然胸ぐらを掴まれ、体が宙に浮いた。足が心許なく宙を蹴った。又してもきつい体勢に息苦しく、私の胸ぐらを掴んで持ち上げたままビクともしない腕から逃れようと暴れたが、腕はビクともせず、かわりに掴まれたドレスの胸部分の縫製が不気味な音を立てて切断されていく音がする。その音にバラバラになっていた視界がかき集められる様に、ようやく定まった。
私の目の前に仮面があった。
私は仮面を着け、舞踏会の衣装に身を包んだ長身の男に、男の顔と同じ高さまで持ち上げられていた。ガクガクとそのまま揺さぶられ、詰問された。
「不敬罪で死にたいか。早く答えろ。」
私の目は仮面の男の髪を捉えるや、見開かれた。
複雑に編み込まれたその、金の髪。仮面でくぐもっていても、間近で聞くと脳髄を直撃する美声。
「………大佐。」




