3ー2
見られていた!
一人でダンスしているところを、見られていたなんて。
余りに恥ずかしい。本当に妖精になって何処へなりと飛んで行きたい。
背後から現れた男は優雅な仕草で膝を折り、私に向けて片手を差し出した。
仮面も衣装も大変豪奢な物で、只者ならぬ気配を漂わせていた。
「私、本当はダンスが出来ないんです。真似して遊んでいただけなのです。お恥ずかしいところをお見せしました。」
「私達以外は誰もここにはおりません。君は適当に動いて私に合わせてくれれば良い…。」
男はいつまでも手を差し出しているので、私はその手を渋々取った。こんな機会はそうある物では無いし、と思いながら。
右手を取られ、腰に手を軽く回されて男のリードで私達は草の上を踊った。私の動きは滅茶苦茶だったけど、音楽にのって体を動かすのは気持ちが良いものだった。
最初は男の足を踏んだり、ぶつかったりする度に恐縮していたが、次第にそれすら面白可笑しく感じられる様になった。
時々男は私を驚かせる様にフワリと私の体を浮かせたりし、その度に私はくすくす笑い、出鱈目ダンスを楽しんだ。
…舞踏会ってこんなにわくわくするものなんだ。
曲が終わり、大広間からの演奏が聞こえなくなると私は名残り惜しく感じながらも男から手を離し、お辞儀した。
「有難うございました。本当に妖精になれた気がしました。」
「今暫くお相手お願い致します。夜の庭園をご案内しようではありませんか!」
男はそう言うと片方の肘を浮かせて腕と体の間を開け、私がそこに手を通すのを待った。
これは清く正しい、舞踏会デートのお誘いではないか。サハラの準備してくれたドレスはその真価をいかんなく発揮してくれているらしい。
私は間違ってもこの平たい顔を晒してはならない、と仮面の紐がキッチリ締まっているのを確認してから、男の腕を取り共に歩き出した。
「とても素敵なドレスですね。歩く度に金の刺繍が揺れてお美しい。まるで妖精の羽根の様。」
私は男にお礼を言いながら心の中でサハラに深く感謝した。
庭園を歩いていると、他にも私達と同じ様に男女で散策を楽しむカップルがそこかしこにいた。私達は庭園の緑を眺めながらゆっくり歩いてお喋りした。
「ダンスがお上手なんですね。大広間でも踊られましたか?」
「そうですか?少しだけご婦人方のお相手をしました。でも外で自由に踊る方が良いものだと今夜初めて知りましたよ。」
なんてお上手。と思いつつも、密かに私は照れてしまった。
冷たい風が時折吹き、私はぶるっと震えると暖を求めて無意識に男に身を寄せてしまった。おっと、いけない、これでは痴漢女みたいではないか。はっとして又距離を置こうとする前に、男が腕を私の手から引き抜き、私の肩を抱いた。
「お寒いですか?」
きっと彼は私が凄い美女だと勘違いしているんだろう。何がなんでも仮面は外すまい、と私は固く決意した。それにしても紳士だ。紳士の見本みたいな紳士ではないか。間違っても『肉付きが悪いからマントを貸してやる』とは言わないだろう。…思い出したら腹が立ったではないか。
それにしても日本人と違って外国人はスキンシップが多いな。初対面で肩を組んじゃうなんて、日本じゃ酒の力でも借りない限り無理だな。
私はふと夜空を見上げた。
闇の中で白く滲む様に光を放つ月がこちらを見下ろしていた。この世界の月も、地球の月と同じく模様があった。模様まで同じかは分からないが。
日本人は月にウサギがいると言うが、イギリスではオジサンがいる事になっている、と英語の授業で聞いたっけ。私は気になって男に聞いて見た。
「月には、何が住んでると思います?」
「月に?……そんな事は考えた事がありませんでした。月に、何かが?」
男は大層不思議そうに答えた。
どうやらこちらの世界には月に生物がいるという発想自体無かったらしい。おかしな質問をしてしまった。これでは良くて不思議ちゃん、悪けりゃ妄想癖がある奴だと思われかねない。どちらも嫌だ。私は慌てて説明した。
「小さい頃、本で読んだんです。月にはウサギがいて、餅……パン生地をこねているって。」
「ウサギが?それは突飛なお話ですね。」
良かった。笑ってくれたっぽい気配がする。私は更にたたみかけた。
「オジサンも住んでいるらしいですよ。」
「それはまた凄い。彼はあんなに高い所で何をしているんですか?」
私は胸を張って説明した。
「夜遅くまで起きている子供がいると、月から顔を出して、早く寝ろ!と言うんですよ。」
私が話し終えるや否や男は爆笑した。体が笑いに合わせて振動し、私の肩に回された男の腕に力が込められた。
「実に面白い。共に居ると飽きる事を知らない、本当に妖精の様です。」
いやいや、面白いのはイギリス人の発想ですとも。私の固有アイディアではありません。
それにしてもこの男はかなりの妖精愛好家らしい。さっきから妖精発言の頻度が異常に高いな。
私達は白いベンチに腰掛けた。
男は近くの飾り台に置かれたランプの揺れる炎を指差しながら言った。
「私の知り合いに術者がいまして、あの様な火を一瞬で灯してしまえるんですよ。」
私は以前術について勉強し、自分が能力者なんじゃないかと根拠の無い自信を抱いて入門書を試してみた事を話すと、男は又も笑った。
「私も実はあります。同じく、何の力もありませんでしたが。」
今度は私が笑った。
私達はそれから他愛の無い話をした。術が使えたら何をしたいか、等なんてことはない内容だったが、時間を忘れて楽しんでしまい、私はその間すっかりカナヤの姫を探そうとしていた事を忘れていた。
「さすがに冷えてきましたね。大広間に戻りましょうか。」
男はそう言いながら私の手を取り、ベンチから立ち上がらせてくれた。男は大広間までの道を歩きながら提案してきた。
「戻ったら何か温かい酒を一緒に飲みましょう。」
私はそうですね、とつられて答えそうになりはっと立ち止まった。仮面を取らなければ酒は飲めない。この男は仮面の下の私の平たい顔を見たくなど無いはずだ。私も男の失望に満ちた顔なぞ見たくもない。
私は提案を謙虚にお断りした。
「折角の仮面舞踏会です。今夜は人前では仮面を外さないと決めているんです。私、大広間でお見せできる様な顔ではありません。」
そう、誰も見てない隙に壁を向いて飲み食いしようと思っている。
男は少し迷った後、両手を私の耳に伸ばした。
「…では月明かりの下での素顔ならお許し頂けますか?」
いやいや、明るさの問題じゃないんだけど。と反論しようとして気づいた。
男は私の仮面の紐に手を掛けようとしているーーー!
私は後ろへ一歩飛び退き、男の両手が宙に浮いた。
「私、もう戻ります!」
そう言うと私はクルリと男に背を向け、男が私を呼び止めるのも聞かず、走り去った。
「どこへーーー!?」
男の困惑した声音の意味は、数分後に判明した。
私は大広間に戻る道を間違え、気づけば広大な庭園の中で迷子になっていた。




